つれづれに

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2016/08/21


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 オリンピックも、最終日に入った。 注目されていた
リオの市長から東京の都知事の間に入る日本人代表が阿部首相? 
ということか。 イチロウ辺りかと思っていたが・・



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3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という
2011年08月21日(日)
                「知的余生の方法」渡部昇一著 ~2
  * 人間は世界内存在である
 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。
隅から逆視線で世界内を見直すと、これまで見えてこなかった世界内存在の皺と
虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は裏表とか、
善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、
「現象に現れていることと、本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが
分かっていた。だから、「学び続けていないと、大きな転換期に対応できなく
なってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。それでも、最悪の
事態の備え、家族を事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にして
おくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか(退職金や、倒産時の失業
保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。
それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。
【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が
認知できる世界ということになる。縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい
四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなものであるかは想像
すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。
それは、象の皮膚の襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないよう
なものではないか。人間は五官世界に閉じ込められていて、これから逃れる方法
はない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。
人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在
していることを知りながら、そこから脱出しようという努力をしたり、脱出する
ことを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると
主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の
囲い込みを超越しているという意味。どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込め
られてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、
超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。
私の霊魂は在原業平ベンジャミン・フランクリンのそれだったという。
二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、
それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、
人間の世界内存在の状況を完全に超越しているわけである。普通の人間は
解剖学的制限の下にある。これを哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。
だから解剖学者はオカルト世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、
人間をいくら解剖し、いかにすぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめ
られるわけではないからだ。】
▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、
 それを人間の知識が感知した範囲でしかないから、人間は世界内存在という
のか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、最下位
にも、チャンとした目下がいる。世界は、それぞれの視界内のことになる。
この情報化、世界中の寄生虫が、他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になった。
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3435, 再び、死について考えてみる ー3
2010年08月21日(土)
 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。
直接、死とは関係ないが死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 
面白そうなのでネットを調べてみた。
  ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー
《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では人生の最期を前に、
 どのようなことに後悔するか。本書は、終末期医療の専門家である著者が、
千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。
死に直面した時でも充実した生き方をして生ききったら、
『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》
   =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。
▲1 健康を大切にしなかった ●病気になる前にお金を使うか、なって使うか 
               ●健康のうちから健康を大切にする
○3 生前の意思を示さなかったこと   ●大切なのは遠慮なく話し合うこと   
                   ●平素から意思疎通をしておく
◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない   
                    ●自由に生きるか、忍耐に生きるか
○6 夢をかなえられなかったこと   ●一つのことを続けると良いことがある   
○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと  ●小事に心を揺るがせないこと
?9 他人に優しくなれなかったこと
            ●優しさを行う難しさ 心の優しい人は後悔が少ない
(字数制限のためカット2015年8月21日)


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3060,逆説思考 ー4
2009年08月21日(金)

  逆説思考で思い出したことがある。
 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、
その感想を述べる課題が与えられた。その前年の昭和42年に出版されて
注目された本で、日本社会の特性をズバリついた内容。
 現在でも日本社会を知る名著として知られている。
   ーその概要をネットで調べてみると
《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を
 最初に提示した古典的な本。初版本は昭和42年であるが、今でも現代の
日本社会に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど日本社会における
普遍的な構造を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の
要因を、資格(構成員に共通したもの、例えば氏、素性、学歴:出身大学、地位、
職業、資本家、労働者、など)によるものと 場(一定の職業集団、所属機関、地域)
 によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が
特徴づけられている。 日本は場により構成される社会であり、その中での順序:
通常は年功序列、が重要な縦社会である。日本のような縦社会は、分業が成り
立たない社会(競合メーカーはフルセット戦略をとりがち)、能力平等という
非現実的な事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治構造を持つ社会、
派閥の功罪の生じる社会、である。 一見すると縦社会であるということとの
因果関係がわかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が原因で
あると、分かりやすく説明されている。 また、契約精神の欠如のために、
共通の目的・仕事の達成に責任感が乏しく、往々にして、それ以上に感情的な
人間関係が重要視される社会である。》
 ~~
 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について
社会人類学の観点から論じている。 日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、現在
の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の障害になっている。 
 ここで、取り上げたいのは、その時の武澤先生の視点である。
「果たして、日本が縦社会という彼女の論は正しいのだろうか。
日本こそ横社会ではないか、という論をたて考える必要がある。 
日本ほど、肩書き=資格、出身大学、職業、などの資格に重心を置いている
社会ではないか。西欧=資格、日本=場(所属機関、地域)と決めつけている論を
一方的に理解するのは、疑問である」と・・  
中根千恵の論の明快な分析を盲信してしまった底の浅さと、読書の絶対量の
少なさに衝撃を受けた瞬間であった。学生時代の過ごし方が間違っていたのでは
ないか?と、この辺から大きな動揺が始まり頭がグチャグチャになってしまった。
 逆説思考でみると、このグチャグチャが良かったのだが。 

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2695, 「レンタルの思想」-3
2008年08月21日(木)

「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。
ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー

《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、
そして、更に一万年前に出来た人間圏である。それまでの生物圏で採取、狩猟で
生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。
そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、
その結果としての人口の爆発的増加から始っている。
人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい5~600万の人口が限度であった。
それが、その1000倍を超えた現在、地球のシステムは、人間圏を支えることが
出来ない相転移点(水が氷、水蒸気に変化すること)に、達っしてしまった。
現在の天変地異や、エイズ鳥インフルエンザなどの世界の混乱は、その一現象る。
我々は、人間圏からみた哲学的人間観、生物的人間観だけでなく、宇宙から俯瞰した
地球システムの中の人間圏の中の人間観を改めて作らなければならない。 
ここで、一万年前から始った牧蓄・農業のもととなる所有という欲望を、見直さな
ければならない。それは、地球上の自然だけでなく、土地、そして我々人間すら、
地球からの借り物=レンタルという視点である。地球システムは、このまま人間圏
が膨張し、地球を汚染、破壊し続けると、人間圏に対してマイナスのエネルギー
を発することになる。いや、既に発している。
それがミャンマーのサイクロンであり、エイズであり、鳥インフルエンザであり、
世界各地で起きている大地震である。それを解決するヒントの一つが江戸時代にある。
江戸時代の支配階級の武士社会は、武士階級の土地の所有を認めなかった。
更に江戸時代の消費をするものの大部分が有機物の植物であった。それは、自然
循環するもので、廃棄物そのものが、殆ど出ないもので賄われていた。》 
 ~~
以上が、私が著者のー地球をすくう「レンタルの思想」ーから理解した概要である。
著者は、著書の対談の中で、インターネットの社会は、地球外から俯瞰して考えてみる
と、危ないという。情報が均質化され、個々人が過剰に主体的になりすぎるからである。
それが進むと、ビッグバンの状態に近い、混沌状態が生まれて、何が起きるか解らない
事態になる。これは、実感として解る。 現在の社会問題の多くは、これを起因して
いるといってよい。この本を読み返し、そしてインターネット上で、彼のインタビュー
や、彼の著書の評論を読みながら、考えているが、深い大きな示唆が提示されている。 
人生観や信条が根こそぎ揺らぎだしてさえいる。考え出して僅か一週間で、根っこが
揺らぐのだから、私も知れたものだが、それだけのインパクトがある。
この百年の人口増加の比率が、今後3000年続くと、地球の体積と人間の体積が
同じになるという。それだけ20世紀は、人口が爆発的に増えてしまった。
その一部の文明国?先進国が化石燃料を使い込んだため、その汚染で地球システムは
崩壊を始めたのである。僅か100年で、地球が数十億年かけて創りあげてきた
システムを根こそぎ破壊したのである。この狂った猿は、「一人の人間の生命の重さは、
地球より重い」と、のたまっていたのである。隣の国では、狂った独裁者が今だ存在を
して、将軍様と名乗り国を乗っ取っている。しかし内向きという点では下手な資本主義
より、地球のシステムにとって良いのかもしれない。オウム教を肯定するのではないが、
視点は宇宙からである。 オームとは、宇宙からの音波の音である。 
地球システムに人間は従うべき?という思想があるかどうかわからないが、一度修行で、
宇宙に出て、再び現生を見直すことに関しては否定は出来ない。インターネットという、
人類にとって一万年、いや十万年スパンの、とてつもない手段を手に入れた人間は、
時を同じくして地球システムの破壊という大失態をしてしまった。
以上だが、なるほどと、改めて納得する。図書館で借りた本だが、他の著書と同時に
アマゾンで発注をした。 ー次は、印象に残ったの対談の内容を書いてみる。