★ 手違いで、昨日の掲載がされてなかったため、二日分、掲載しておきます。
   * 最悪の想定
 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。
不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。
カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップを
紹介している。
一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。
『道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜
この『人を動かす』を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、
助けられたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。
創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。
 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。
失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。
 事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階
で、最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを
畜群には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。
 事業の失敗を想定して
・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない
・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく
 当然、連帯保証に妻子はしない
・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る
手形決済は、問題外
・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険の
 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で
 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。)
(妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。
 
だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が
 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪
 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。
『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。

・・・・・・
かわいい自分に旅させよ ー③
2016年8月21日
           <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * 芸術とは
 ここで著者は、芸術について簡潔に述べている。ツアーの行き帰りの
主要都市(ロンドン、パリ、フィレンチェ、マドリッド)にある、美術館、
博物館で、世界的名画や美術品を見て周って、感動の蓄積が多く残っている。
それが自分を大きく変えていた。大自然の絶景の感動とは別に、美がその
まま表現された芸術作品に同化しているうち、美への感動が、魂そのものを
高めてくれることを実感した。 芸術とは、本来、そういうものである。
≪ 美しいものを美しいままに表現することが芸術。
 それを「言葉」でなそうというのが文学。
さらに、それを「物語」という形式で表そうというものこそ、小説です。
理屈も何もいらない。そこに理屈を持ち込もうとしたから、芸術は退行した。
これは芸術の都に住むパリジャンの罪です。
 医学が肉体の病を癒すように、芸術は心の憂いを除くためのものであると、
僕は信じています。だからこそ芸術は尊い
 芸術家がそうした本来の使命を忘れて芸術なるものを衒い始めたときから、
アニアックな、アカデミズムの一部に成り下がった。たとえば神が作り給う
た天然のように、誰がどう見ても理屈抜きに美しいものの存在を、僕らは
見失おうとしているのではないでしょうか。
 自然は美しい。もちろん、その自然の中の人間の営みも、僕はそれらを
小説として表現するにあたり最も直截的な感情表現である「ユーモア」と
「ペーソス」を用います。それが小説家としての僕の方法だと思うから。
 僕には夢があります。
バチカンで、ルーブルで、フィレンチェで、僕は奇跡を見ました。
ミケランジェロは明らかに、古代芸術家を超えた。文明の進化とともに
衰弱する芸術家の宿命の中の、これは奇跡です。
 彼が一本の鑿で、一個の大理石の塊にうがち出した奇跡を、僕は一本の
筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を、かけがえのない美を。≫
 ▼ 美の中で、20歳前半の一瞬咲きほこった女性の美しさもナマモノ
  だからこその美しさがある。ただ、あまり話さない方が良いのが多いが。
 女性だけでない、動物の美しさもある。花の美しさもある。誰が、設計
したのだろうか。美はバランスというが、美そのものを感じ取る感覚が
見る側に必要になる。これは質量を多くコナスことで磨かれ、高めることが
可能である。「人間は何のために生まれてきた?」の答えとは、
大自然と、人間がつくり出した創造物に触れ、感動するため、生まれて
きた!」である。心の憂いで覆われ濁った、「今、ここ、私」の目の汚れを
取り除くため芸術がある。セッカク貰った命、もっともっと、味わなくては!

・・・・・・
5271,閑話小題 〜天津の大爆発 
2015年08月20日(木)
   * 天津の大爆発 
 〜まずは、この事件のニュースの一部から
【 爆発現場の空気中から高濃度の有毒な神経ガスが検出されていたと伝え
 爆発現場の倉庫には700トンのシアン化ナトリウムや、800トンの硝酸
アンモニウムなど、 40種類以上の危険化学物質計3千トンが保管されていた。
中央テレビによれば、専門家は「こうした物質が水と混ざったり、アルカリ化
したりして神経ガスができるほか、 爆発の過程で化学反応を起こし、有毒性の
ガスが生じる」と 指摘した。 中央テレビでは「神経ガスを吸い込めば呼吸器
系統や心臓などが突然停止し、死亡に至る可能性がある」と紹介した。】
 テロではないと思うが、どうだろう。数百人が爆死をしたと思われるが、
実際の死者数は表立てないだろう。 もし危険物質の存在と、ずさんな管理の
隙をテロリストに狙われたなら、ことは深刻。この事故、中国政府にとって、
株価暴落、二度の人民元の引下げ直後であり、あまりにタイミングが悪い。
 ネット上の、この事件による影響についてのコメント、
≪ 世界第四位の港、天津大爆発はタイミングが悪かった。
 輸出依存型経済モデルから内需主導の経済への戦略的転換点で、
この大事件が起こり、日本企業を巻き込み、サプライチェーンが破断された。
ときあたかも、目指す内需は不動産不況の余波で盛り上がらない。
大都市では不動産価格の上昇も見られるが、全体で見れば、まだ住宅過剰在庫
を持て余している。新規住宅建設が低調なので、そこで使用される素材である
鉄やセメントなどの需要も急減している。そうなると負の連鎖で、鉄やセメント
工場の設備投資は増えない。更に、新たな経済を主導する産業セクターとして
期待されている医療、教育、観光、情報産業などへの移行も遅々として進まない。
現状を放置すれば、世界的経済減速で旧経済モデルの輸出も盛り上がらず、かと
いって新経済モデルの産業も伸び悩む、経済構造変換の端境期にあるわけだ。
そこに天津大爆発の追い打ち。 既に、習政権は、人民元切り下げという
「伝家の宝刀」を抜き、力づくで、中国製品の国際競争力を高め、他国の輸出
を奪う戦略に出ていた。今回の急激な人民元切下げは終息したようだが、また、
近い将来、その第二ラウンドが起こるだろう。通貨安競争は終わってない。≫
▼ この爆発は、世界第四位の港の保管庫で起こった事件。毒ガス、化学兵器
 の保管庫?というのは明らか。あの穴の大きさからみて、ただならぬ爆発
だったことが分かる。共産党内部の権力闘争の真只中で起こった化学兵器倉庫内
の大爆発、単純な火災爆発でないと見るべきである。何か変だが、それを
隠すため、矛先が海洋への領土侵略に、より強く向かう可能性が高くなる?
・・・・・・
4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1
2014年08月20日(水)
     『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太
  * 小さな神様見つけ方  〜� 幻のプロ歌手への夢  
 前回取り上げたー『レンタルチャイルド』の著者、石井光太の最近の著書を
図書館から借りてきた。『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』である。 
その中にあった‘小さな神様の発見’が良い。
 まず、インドネシアストリートチルドレンの「小さな神様」の話である。
ストリートチルドレンたちは常に飢餓や伝染病の危険に瀕していますが、
 決して意気消沈しているわけでない。街角で友達と追いかけっこをしたり、
肩を組んで流行の歌をうたったりしています。私はそんな姿を見て、彼らの
精神力の根本には何があるのかと不思議に思っていました。ある日、私は理由を
知ることになります。何人かの子供たちと話をしていたら、共通する逸話がある
ことに気づいたのです。それは彼らの希望ともいうべき話。次のようなものです。
 『この国は貧しいから、ストリートチルドレンとして育った子供は多いだろ。
だけど、歌さえうまくなればお金持ちになって楽しい暮らしができるようになる
んだ。昔、この町のストリートチルドレンに毎日歌をうたって上手になった人が
いた。彼は路上で歌をうたって施しを求めていたところ、音楽プロデューサーに
スカウトされてプロの歌手に。瞬く間に有名になり大金持ちになった。
僕もそうなるんだ。毎日路上でうたいつづけているのは、これが僕にとって成功
する方法だからだ。僕は先ぱいのようにプロ歌手になって大金持ちになるんだ』 
 似たようなことを多くのストリートチルドレンが喜々として語っていました。
彼らによれば、ストリートチルドレン上がりの歌手は何人もいるそうです。
ストリートチルドレンにとってこういう歌手は目標になっている。
彼らは学校教育を受けていないため大きくなってもまともな仕事に就けることは
ほとんどありません。だからこそ、プロの歌手になることを目指して毎日歌を
うたいつづけている。私は何人もの子供たちからこの話を聞くにつれ、
「プロの歌手」というのが誰だか気になりました。 ある日、レコード販売店
を訪れ、その歌について尋ねてみたら、店長はきっぱりと、
『そんな歌手はいないよ。ストリートチルドレンたちの妄想だろ。路上で育った
子供は社会的な常識もなければ、麻薬で体はボロボロになってしまっている。』≫
▼ チャップリンが似た状況から、歴史的喜劇役者になった事例がある。
 しかし、そこは欧州の話。インドネシアでは不可能だろう。その中で、
小さな神様という共同幻想をつくり、信じることも必要だろう。
ムンバイのギャングに売られたり浚われた子供たちは、その中で、マフィアを
慕っている。彼らは、やさしくしてくれるからである。そして、それぞれが、
それぞれの「小さな神様」を見出している。 ところで私の小さな神様は何だろう。
ありきたりだが、私は両親。 母親が常日頃の口癖、
『私には、幼い頃に亡くなった父親の背後霊がいて、子供の頃から私を守って
いてくれていた!』 幸せな人と思っていたが、68年の人生を振り返ると、
極限になると両親から受継いだ体質が自分を守っていた。 
ただ末っ子のファザコン、マザコンでしかないが・・ 有難いことである!
・・・・・・
4539, 閑話小題 ー新富裕層の出現と移住
2013年08月20日(火)
 一昨夜のNHKスペシャルで、日本やアメリカなど新富裕層が節税のため税率の
低い国への移住する人々を取り上げていた。株式の利益に対しては税金ゼロ。
所得税も、日本の4割未満とか。 ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 
《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化
 金融の高度化により、短期間で富を築くことができるようになったためだ。
こうした新富裕層を自国に移住させ経済を活性化させようという国も増えている。 
所得や金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の起業家を呼び込む。
日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール。新富裕層の実態や各国の思惑を
取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》とある。〜ネット検索によると
《 調査会社キャップジェミニとロイヤル・バンク・オブ・カナダが共同で
 調査した。 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円)
以上持つ人と定義した。国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位を
キープした。米国のS&P500種 株価指数は昨年、13%上昇。米住宅市場の回復
もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。 米国では富裕層の金融資産のうち
4割弱を株式が占める。リスク資産への投資比率が高いことが伸びに寄与した。
2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人)を含め、
上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国
(16万人)がそれぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米
景気の鈍化が深刻なブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。
富裕層人口は世界に1090万人存在し、その保有資産も約42兆7000億米ドル
(同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。
▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格
 のクラブ」の一人の日本人を取り上げていた。殆どが真っ赤なフェラーリ
スポーツシャツも同色で10数人が集っていた。可愛いいが、そこには金の情報
が集まる。国籍をシンガポールなど税金の安い国に移すのは、財政危機の日本
では、自然の流れ。「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、
金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在、ビリオネアは日本に
2万6千人存在している。  現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、
ある日、何かの切っ掛けで爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上
の金融資産があれば、シンガポール辺りに。
・・・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
 * 自伝的記憶       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が
残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への
旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。
多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は
過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に
 関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで
の青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも
今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。
この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、
「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に
限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 
では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」
という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学
したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを
したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。
そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。
また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき
家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ
可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は
まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた
時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春
時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか
となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。
人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す
傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺
の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正
している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の
「日々是口実」を都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。
 ・・・・・・・
3799, タブレット式パソコン
2011年08月20日(土)
 そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 
ここで、少し落ち着いたので、家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行って
驚いた。それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度に
して、タブレット、ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。  
売り場で感じたことは
ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、
・ドコモの多機能のものか、
MaciPadか、
・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、
 家庭内の第二の携帯パソコンとして割り切ったものに、大方分類される。
その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、両方選ぶというのも
あるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 
電話機能付かどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。
各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも
後の方が良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢
するのも辛い。外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る
必要もない。ところで最近、モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的な
ブログが出始めてきた。写真と、映像が直感的に表現でき、かつ見やすく面白い。 
数年後には、これにデジタルTVかパソコンに連動するのだろう。 
 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターにモバイル携帯を連動
するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえた
ものが次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えて
きている現実は、プラスにもマイナスにもなる。ますます、面白、怖い時代に
なっていく。とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の
一部が垣間見れるはず。ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、
タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が初期投資0円になっていた。
その境目の基準が、大きさだけだと! 今日、明日、他の家電メーカーの店頭で、
説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? 
 ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 
今さらか・・・
・・・・・・・
3434, 再び、死について考えてみる ー2
2010年08月20日(金)
 * 死に際の恐ろしさ
 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。肺が溶けていく病気で
(肺結核)、息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、
助けて!」と叫んでいたという。断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。
同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て驚いたばかり。死に際の苦痛は避ける
ことが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と苦痛の中で死を向かえると
思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。
なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから
「ぴんぴん・ころり」と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、
生の成就と考えるかは難しい。最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の
果てに亡くなっていった? 最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を
緩和し、その果てに死を早めるしかない。そこではリンゲルによる極楽と、
肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は苦痛の極みにあり、
「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に
言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き
毟っている姿をみた。「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、
延命より、安楽死を望んだ。また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、
断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。最期は苦痛で暴れるのを、
何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない新聞記者
とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めた
のを聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが
死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で
生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。
死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!
美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして
最期は、のたうちまわって死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など
言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ
飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。  
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。 
 ・・・・・・・・
3059,逆説思考 −3
 2009年08月20日(木)
 * 「逆説思考」を逆説で思考してみよう。
まずは逆説思考の典型的事例は、フランクルの心理学である。フランクル
「夜と霧」で、死と隣り合わせの日々で、コペルニクス的転換の心理転換。
「人生に何かを求めるのではなく、人生が私に何を求めているか。生き抜いて
愛する人と再会をし、自分の残してある仕事をやり遂げること」である。
人生が何を人に求めているか? 
・創造価値(何かを創造することによって実現される価値)
・態度価値
 (人生でどうにもならない究極の場面で態度を変えることで実現される価値)
・体験価値(何かを体験することで実現される価値。美しい夕日や景観を見て
 実現される価値)
これらを知るために、「本当にしたいことは何か」「夢は何か」
「人生の目標は何か」をまず追求すべきである。しかし、自分の人生は無意味
という観念にとらわれた人にとって、その価値を受け容れることが難しい。 
それでは、どうするか! 「闘う」ことしか、自分の価値を創りあげることが
できないのである。人生に押しつぶされいる人は、「生きるのが辛くなっている」
のである。その「つらさ」については哲学者ドゥルーズが原因を追究している。
彼は「器官なき身体」という生きることの実相を明らかにしている。我われは
「欲望」と「欲求」によって動いている。喉が渇けば水を飲むことによって
欲求を満たそうとする。性欲も、食欲も、睡眠欲も、排泄欲もである。
しかし、それだけで人間は行動するわけではない。自動車がガソリンの補給と、
ラジエーターの水の交換だけで動くものではない。それは自動車が人間の目的の
ための道具であるのと同じく、人間も、身体の生理的欲求だけでなく、
「器官の欲求」を超えたところに存在する何かのありさまを「器官なき身体
ドゥルーズはいう。
 ー彼は以下のようにいう。(*参考 「現代思想の使い方ー生きるのが
                  つらいと感じた時ードゥルーズ」P176)
「闘いとは、反対に、力と力で補完し、自からの捕らえるものを豊かにするあの
器官なき身体』の生命力のこと。赤ん坊が呈示しているこの生命力、すなわち、
執拗で頑で飼い馴らしがたく、あらゆる器官組織的な生とは異なる、
そんな生きるー意志である。」それは、私たちの「存在そのもの」に由来する
力であり、「存在そのもの」が指し示し、進んでいこうとする方向性である。
「存在そのもの」とは「生そのもの」と置き換えることが出来ます。
  (字数の関係でカット2013年08月20日

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5272,「エリック・ホッファー自伝」〜⑦ 『希望より勇気を』
2015年08月21日(金)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * ホッファーが生きた時代背景と、弱者
 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の
精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。
当時は、現在の断絶の時代に酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない
中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット
スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は
情報格差の問題が加わっている。  
≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、
 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束
された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、
「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。
自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を
理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化
する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」
になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない
ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を
引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる
部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病
に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。
本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、
彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。
「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど
うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく
ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、
自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。
そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い
エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている
のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、
人間の独自性であるという洞察に到達するのである。
 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは
路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。
F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因
のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。
1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した
広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。
この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。
 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。
そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』
(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。
「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、
「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する
「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、
ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を
厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、
あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。
 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を
指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を
「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、
その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」
そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。
 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の
罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、
山を動かす信仰は要らない」のである。
 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、
きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。
 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば
ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は
理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は
長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを
やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、
勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の
存在になるのである。≫
▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気
 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、
楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。
『勇気』こそが、時代を切開くキーワード。人生を創造していく勇気!である。
・・・・・・
4907,ホントに大事なお金の話 −5
2014年08月21日(木)
  * 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事
              『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。
 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも
 できる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに
 とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。
 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。
 一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計に
 スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも
 安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。
「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の
 カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な
 場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に
 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付を
 している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の
 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を
持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 
上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、
その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、
純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし
お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく
着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。
漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない
で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。
こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど
意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている
ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。
ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が
出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、
あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。
この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 
その視点の質は、隠せないようだ。 
・・・・・・
4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
  * TVが比較地獄をつくった  「ひとり達人のススメ」山折哲雄
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 
自分の頭で考えることが出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない
人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカーの比較戦略の
術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激する。
ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスを
チェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。
そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような
群衆のひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もひとつ。家庭の娯楽の主役が
ラジオからテレビへと移り変わり、映像が強大な影響力を持つようになりました。
テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は視覚を
重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、
朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある
何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと
一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。
この人は(自分より)いい服を着ている、あの人は(自分より)容姿が整っている… 
 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのことに
耐えられない人が多いはず。人間は平等、平等と教えられてきたにもかかわらず、
現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較
地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が
劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、
「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口の井戸端会議で、
自分より優れていると判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、
群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守るためにも、
ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を
 最小にすること。商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」
とかは、まさに比較地獄の世界。町内、寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」
になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。
そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、
あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の
理想郷、妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしか
なくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害を
TVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、
ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。
それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、
シネマも、ネット、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで
「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、ますます拡大していく! 
「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。アウトサイダーは、
「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に
「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。
・・・・・・
4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策
2012年08月21日(火)
  * 今年の熱さ対策
 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが
再び盆からぶり返してきた。ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、
居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い扇風機と併用して使っている。
それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を3つを
冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、
冷却時間が三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、
今のところ起きてない。問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の
就寝時間だけ入れて、居間では夕方の一時間ぐらい入れている。
夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。
  * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)
の大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。
車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身
麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。
電動アシスト自転車の良さを説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、
背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの
スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、
屋根つきの休憩所で、30歳前後の男女二人が、その電動車椅子を畳んでいた。
本人は不在で、まさか聞く訳もいかないで、遣りすごしたが。その前に何か
熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて4年目になるが、
続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で
河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。
多いのはカラスだけ。   
 ・・・・・・
3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という
2011年08月21日(日)
                「知的余生の方法」渡部昇一著 〜2
  * 人間は世界内存在である
 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。
隅から逆視線で世界内を見直すと、これまで見えてこなかった世界内存在の皺と
虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は裏表とか、
善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、
「現象に現れていることと、本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが
分かっていた。だから、「学び続けていないと、大きな転換期に対応できなく
なってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。それでも、最悪の
事態の備え、家族を事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にして
おくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか(退職金や、倒産時の失業
保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。
それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。
【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が
認知できる世界ということになる。縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい
四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなものであるかは想像
すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。
それは、象の皮膚の襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないよう
なものではないか。人間は五官世界に閉じ込められていて、これから逃れる方法
はない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。
人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在
していることを知りながら、そこから脱出しようという努力をしたり、脱出する
ことを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると
主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の
囲い込みを超越しているという意味。どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込め
られてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、
超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。
私の霊魂は在原業平ベンジャミン・フランクリンのそれだったという。
二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、
それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、
人間の世界内存在の状況を完全に超越しているわけである。普通の人間は
解剖学的制限の下にある。これを哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。
だから解剖学者はオカルト世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、
人間をいくら解剖し、いかにすぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめ
られるわけではないからだ。】
▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、
 それを人間の知識が感知した範囲でしかないから、人間は世界内存在という
のか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、最下位
にも、チャンとした目下がいる。世界は、それぞれの視界内のことになる。
この情報化、世界中の寄生虫が、他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になった。
・・・・・・・
3435, 再び、死について考えてみる ー3
2010年08月21日(土)
 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。
直接、死とは関係ないが死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 
面白そうなのでネットを調べてみた。
  ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー
《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では人生の最期を前に、
 どのようなことに後悔するか。本書は、終末期医療の専門家である著者が、
千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。
死に直面した時でも充実した生き方をして生ききったら、
『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》
   =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。
▲1 健康を大切にしなかった ●病気になる前にお金を使うか、なって使うか 
               ●健康のうちから健康を大切にする
○3 生前の意思を示さなかったこと   ●大切なのは遠慮なく話し合うこと   
                   ●平素から意思疎通をしておく
◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない   
                    ●自由に生きるか、忍耐に生きるか
○6 夢をかなえられなかったこと   ●一つのことを続けると良いことがある   
○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと  ●小事に心を揺るがせないこと
?9 他人に優しくなれなかったこと
            ●優しさを行う難しさ 心の優しい人は後悔が少ない
(字数制限のためカット2015年8月21日)

バチカンで、ルーブルで、フィレンチェで、僕は奇跡を見ました。
ミケランジェロは明らかに、古代芸術家を超えた。文明の進化とともに
衰弱する芸術家の宿命の中の、これは奇跡です。
 彼が一本の鑿で、一個の大理石の塊にうがち出した奇跡を、僕は一本の
筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を、かけがえのない美を。≫
 ▼ 美の中で、20歳前半の一瞬咲きほこった女性の美しさもナマモノ
  だからこその美しさがある。ただ、あまり話さない方が良いのが多いが。
 女性だけでない、動物の美しさもある。花の美しさもある。誰が、設計
したのだろうか。美はバランスというが、美そのものを感じ取る感覚が
見る側に必要になる。これは質量を多くコナスことで磨かれ、高めることが
可能である。「人間は何のために生まれてきた?」の答えとは、
大自然と、人間がつくり出した創造物に触れ、感動するため、生まれて
きた!」である。心の憂いで覆われ濁った、「今、ここ、私」の目の汚れを
取り除くため芸術がある。セッカク貰った命、もっともっと、味わなくては!

・・・・・・
5272,「エリック・ホッファー自伝」〜⑦ 『希望より勇気を』
2015年08月21日(金)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * ホッファーが生きた時代背景と、弱者
 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の
精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。
当時は、現在の断絶の時代に酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない
中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット
スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は
情報格差の問題が加わっている。  
≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、
 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束
された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、
「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。
自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を
理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化
する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」
になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない
ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を
引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる
部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病
に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。
本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、
彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。
「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど
うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく
ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、
自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。
そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い
エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている
のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、
人間の独自性であるという洞察に到達するのである。
 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは
路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。
F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因
のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。
1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した
広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。
この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。
 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。
そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』
(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。
「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、
「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する
「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、
ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を
厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、
あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。
 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を
指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を
「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、
その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」
そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。
 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の
罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、
山を動かす信仰は要らない」のである。
 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、
きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。
 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば
ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は
理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は
長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを
やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、
勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の
存在になるのである。≫
▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気
 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、
楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。
『勇気』こそが、時代を切開くキーワード。人生を創造していく勇気!である。
・・・・・・
4907,ホントに大事なお金の話 −5
2014年08月21日(木)
  * 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事
              『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。
 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも
 できる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに
 とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。
 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。
 一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計に
 スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも
 安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。
「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の
 カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な
 場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に
 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付を
 している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の
 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を
持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 
上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、
その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、
純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし
お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく
着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。
漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない
で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。
こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど
意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている
ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。
ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が
出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、
あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。
この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 
その視点の質は、隠せないようだ。 
・・・・・・
4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
  * TVが比較地獄をつくった  「ひとり達人のススメ」山折哲雄
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 
自分の頭で考えることが出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない
人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカーの比較戦略の
術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激する。
ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスを
チェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。
そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような
群衆のひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もひとつ。家庭の娯楽の主役が
ラジオからテレビへと移り変わり、映像が強大な影響力を持つようになりました。
テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は視覚を
重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、
朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある
何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと
一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。
この人は(自分より)いい服を着ている、あの人は(自分より)容姿が整っている… 
 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのことに
耐えられない人が多いはず。人間は平等、平等と教えられてきたにもかかわらず、
現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較
地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が
劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、
「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口の井戸端会議で、
自分より優れていると判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、
群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守るためにも、
ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を
 最小にすること。商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」
とかは、まさに比較地獄の世界。町内、寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」
になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。
そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、
あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の
理想郷、妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしか
なくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害を
TVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、
ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。
それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、
シネマも、ネット、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで
「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、ますます拡大していく! 
「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。アウトサイダーは、
「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に
「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。
・・・・・・
4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策
2012年08月21日(火)
  * 今年の熱さ対策
 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが
再び盆からぶり返してきた。ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、
居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い扇風機と併用して使っている。
それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を3つを
冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、
冷却時間が三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、
今のところ起きてない。問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の
就寝時間だけ入れて、居間では夕方の一時間ぐらい入れている。
夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。
  * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)
の大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。
車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身
麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。
電動アシスト自転車の良さを説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、
背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの
スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、
屋根つきの休憩所で、30歳前後の男女二人が、その電動車椅子を畳んでいた。
本人は不在で、まさか聞く訳もいかないで、遣りすごしたが。その前に何か
熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて4年目になるが、
続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で
河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。
多いのはカラスだけ。   
 ・・・・・・
3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という
2011年08月21日(日)
                「知的余生の方法」渡部昇一著 〜2
  * 人間は世界内存在である
 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。
隅から逆視線で世界内を見直すと、これまで見えてこなかった世界内存在の皺と
虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は裏表とか、
善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、
「現象に現れていることと、本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが
分かっていた。だから、「学び続けていないと、大きな転換期に対応できなく
なってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。それでも、最悪の
事態の備え、家族を事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にして
おくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか(退職金や、倒産時の失業
保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。
それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。
【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が
認知できる世界ということになる。縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい
四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなものであるかは想像
すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。
それは、象の皮膚の襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないよう
なものではないか。人間は五官世界に閉じ込められていて、これから逃れる方法
はない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。
人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在
していることを知りながら、そこから脱出しようという努力をしたり、脱出する
ことを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると
主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の
囲い込みを超越しているという意味。どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込め
られてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、
超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。
私の霊魂は在原業平ベンジャミン・フランクリンのそれだったという。
二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、
それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、
人間の世界内存在の状況を完全に超越しているわけである。普通の人間は
解剖学的制限の下にある。これを哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。
だから解剖学者はオカルト世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、
人間をいくら解剖し、いかにすぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめ
られるわけではないからだ。】
▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、
 それを人間の知識が感知した範囲でしかないから、人間は世界内存在という
のか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、最下位
にも、チャンとした目下がいる。世界は、それぞれの視界内のことになる。
この情報化、世界中の寄生虫が、他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になった。
・・・・・・・
3435, 再び、死について考えてみる ー3
2010年08月21日(土)
 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。
直接、死とは関係ないが死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 
面白そうなのでネットを調べてみた。
  ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー
《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では人生の最期を前に、
 どのようなことに後悔するか。本書は、終末期医療の専門家である著者が、
千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。
死に直面した時でも充実した生き方をして生ききったら、
『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》
   =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。
▲1 健康を大切にしなかった ●病気になる前にお金を使うか、なって使うか 
               ●健康のうちから健康を大切にする
○3 生前の意思を示さなかったこと   ●大切なのは遠慮なく話し合うこと   
                   ●平素から意思疎通をしておく
◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない   
                    ●自由に生きるか、忍耐に生きるか
○6 夢をかなえられなかったこと   ●一つのことを続けると良いことがある   
○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと  ●小事に心を揺るがせないこと
?9 他人に優しくなれなかったこと
            ●優しさを行う難しさ 心の優しい人は後悔が少ない
(字数制限のためカット2015年8月21日)