つれづれに

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 以下の10年前の大相撲の話である。朝青龍把瑠都白鵬の時代で、
その後の大部分を白鵬が踏ん張っている。 大相撲も、あまりかわりばえがしない。
血気盛んな若者を土俵に縛りつけておけば、何でも有りの、不祥事が起こるほうが
当たり前。 


・・・・・・・・
2006年05月22日(月)
1875, 大相撲・千秋楽
              才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
大相撲は初日と千秋楽が何ともいえない緊張感があって面白い。
今場所は、朝青龍が怪我で休場をしたが、最終的には白鵬が優勝をした。
まあ順当であろう。最近は千秋楽の翌日に、大相撲について書くことが
多くなってきた。この数年間(若乃花貴乃花時代が終わってから)全く
つまらなくなっていたが、最近になって徐々に面白くなってきた。今場所も
以前から比べると空席が少なくなったようだ。日本人、モンゴル人、旧ソ連
のグループの対決が鮮明になり、モンゴル相撲と、トルコ系?レスラーの異種
格闘技の様相が時代にマッチしてきた。ただ若い有望な力士は殆んど外国人力士
の上、幕内上位の半数が外国人力士というのが気になるが。
一部屋に外国人力士一人という制限があっても、段違い?外国人が強いのだから、
その制限をとったら幕内の殆んどが外人力士になってしまう。まだ幕下に強い
外人力士が数人いて、まもなく上がってくる。金髪の把瑠都という力士も、怪我
さえなければ横綱昇進は間違いない。白鵬朝青龍把瑠都の時代が3~5年は続く。
先日、新聞に載っていたが、過去の15日制になってからの全データーを調べると、
7勝7敗の力士の勝率は8割という。その数字は明らかに八百長の存在をあらわして
いる。そのため千秋楽の前日は、翌日の番組発表は幕内の取り組み後になっている。
ただ、最近は携帯があるから?・・・

自信を無くしていた日本人も持ち直してきた。相撲を始めて二年もしない
新入幕の金髪力士が優勝に絡むのだから、相撲の深みとは何?なのか。
ただ、立合いの気合いが大きい要素というのは、他にない格闘技である。

・・・・・・
2969、住まうこととさすらうこと -1
2009年05月22日(金)
   「住まうこととさすらうこと」 ウーテ・グッツォーニ著
                           ー読書日記
  
   *世界という家の中で、住まうこと と さすらうこと
図書館で何気なく手にとって、そのまま二時間以上も近くの机で読み込んでしまった。 
その本の冒頭に芭蕉の『奥の細道』 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。 
舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。」が書かれていた。住まうこととさすらうこと、さすらう
ことと住まうこと。人生を振り返ると、この二つの間を行ったりきたりした。そこで
学生時代の寮生活を思い出してみると、住まうこととさすらうことの重なっている
ことが解る。そして、その後にジャスコに勤務をし、三重、神戸に行き。東京に舞い
戻り、金沢に、住まいさまよい、長岡に舞い戻り、千葉に、そして、再び長岡・新潟に 
住まいさすらってきた。 人はそれぞれが、住まいさまよってきたから、その一言一言が
鋭く心の奥に響いてくるのである。通勤途上に私と同じ年位のホームレスの姿が
「住まうこととさすらうこと」を目の当たりに見せつけられる。
住まうことは、特定の場所に、特定の時間にいることである。
それに対して、さすらいは、動いており、過程にある。異郷の馴染みのない
ものの挑発に実をさらし、その中から身の証を立てていかなければならない。 
その経験が、その人の人生である。住まうことは「より自然に生じたもの」、
より大地に結びついている。それは、「屋内」という閉ざされたなかで、緊密な領域で
くつろぐことである。そこでは、開かれた外を忘れ、ゆったりと落ちつくところである。
しかし、住まいのないさすらいは、ただ落ち着きのないだけ。 住まいがあるからこそ、
さすらいがある。「男はつらいよ」の寅がそうである。 正しく人生は、住まうことと
さすらうこと、である。だから、この本に引き込まれ自分の人生を重ねてしまう。
人間の存在が、住まうことであるなら、それは「世界という住まいー家ー」に
住むことである。天の下、地の上を我が家にしていることを自覚することである。 
逆にさすらいは、つねに新たな未知の空間や辺鄙な地域に行ったとしても
「全体的な世界」を自分の住処にするのである。

・・・・・・・・
2605, 自己愛について
2008年05月22日(木)

先回書いた「最近みる夢」で、自分の夢を分析して驚いたのは、自分の心の
奥の本質を、そのまま提示されたことである。夢に出てくる「海」が「自己愛」
の象徴で、海底の牢獄でもがいている己の姿に、我ながら驚いた。
ユングの地下の象徴の夢に近い。 その夢の中には、自己逃避、不安、自己愛、
それに囚われもがいている自分、そして、死などなど、多彩な内容が重なっている。
これは、私個人というより、人間の本質を提示していると言える。
(いや、勝手に、そう解釈したとも言えなくないか?)
そこで、行き着いた「自己愛」とは何か?を調べてみた。
ーー
 真の自己愛とは、奥深い自分に忠実であるということ。自分が深く納得して
いる自己愛でなければ、ナルシストの姿かたちの表面的なものに過ぎない。
キリスト教の教えのように、真の自分を愛するように隣人を愛しなさいという、
自己愛である。自己愛という言葉は、「私さえよければ」という利己主義とは
まったく違う。あるいはまた、自己愛は自分の魅力を感じて自分自身が好きで
あると思われることもあるが、本当はそれとも違う。 その区別を見わける
ために、本当の自己愛の条件をあげてみる。自己愛とは、自分が認められたり、
周りから褒められたりすると、喜ぶ。これが自己愛です。
 生きていくうえで、他者の存在は絶対に必要で、そのため自己愛と同じよう
に他者愛を持つことも必要となる。常に自分が一人ではない、と認識したうえで、
自己愛を持つことが、健康な自己愛といえる。その極端な「自己愛性人格障害者」
の特徴として、次のようなものがあげられる。
・ 自分は偉くて、重要人物だと思っている。この幻想に限度がない。
・ 自分は特別であり、優れている人にしか理解されないと信じている。
・ 過剰な賞賛を求め、特権意識が異常に強い。
・ 相手を自分の目的にしか利用せず、相手に共感することがない。
・ 自分の身体の不快にとても敏感でオーバーに反応する。
 ー 以上だが、
ごくごく至近に、その傾向の強い人がいる。
女性の本質だから、仕方が無いだろうが。いや、誰の心の奥にも、酷似して
傾向が隠れている。自己愛性人格障害者の特徴に一言を書き加えれば、誰にも
当てはまることだ。そうすると、仏教の四苦八苦の世界の煩悩の最たる要素が
極端の自己愛ということになる。しかし、それは人間を大きく動かすエネルギー
の元ともいうことも出来るのである。生物の遺伝子は自己愛ーエゴそのものという。 
自然体とは、エゴ丸出しということも出来る。キリストも、「己を愛するように
隣人を愛しなさい」と言っており、己を犠牲にして隣人を愛しなさい、とは
教えてないのである。           ーつづく

・・・・・・・・・
2007年05月22日(火)
2240, ヤバいぜっ!デジタル日本
    ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕 
               高城剛著  集英社  ー読書日記
ー表紙裏に書いてある内容ーから
ヤバいとはvery badとvary coolのWミーニング。世界各地を飛び回る著者が、
情報最先端の事象を紹介しつつ日本人の知らない日本と日本人を論じる。
世界から取り残されてしまったIT戦略をこのままにしていいのか?
国家ブランド戦略をきちんと立てなくていいのか?
日本が世界に広めたハイブリッド車のように、異なる要素を組み合わせて
新しいスタイルを創ろう、それこそが日本人の得意分野で、世界から
「クールでヤバい」と評価されるはずじゃない? 日本への憂慮と愛が溢れる、
元気の出る本。今後10年間のデジタル社会の変化を予言する書でもある。
著者は、これからの近未来はPCではなく「携帯電話」を情報の受・発信装置
として駆使するライフスタイルが主流となり、そのTrendは日本が主導する」と予言。
「携帯で電話しながらメールを書いてるのは日本人くらい凄いらしい」
Googleは基本的にただの情報整理屋」と断定している。デジタル社会に乗り
遅れないために日本が行うべき事として使い方(ライフスタイル)志向で携帯電話の
機能・Design・Softを開発し、デジタル社会のプラットホームにするような国家戦略を
練っていくべきと論じている。グーグルに対しての見方には異論があるが、
それでも携帯電話が主流になるとは、成る程と思うが・・・
 ーー
ーまずは面白そうな部分を

 P-21 ?TVを処分することを勧める!ー
情報ダイエットの方法として、思い切って何かをやめるとしたら何だろう。
情報量の多い、インターネットか携帯電話、そしてテレビ。
その中で一つやめるとしたら、あなたは何を選択しますか?
どれもやめられないとう人がほとんどだろう。僕は、テレビを数年前にやめた。
モニターを数台持っているが、チューナーを接続していない。一週間で見る
テレビの時間はゼロである。もちろん、サッカーもオリンピックも見ない。
正確に言うと見られない環境にある。朝一時間くらいついていたり、夜1~2時間
ついていて、テレビの音声を聞いていることが多い。一日3時間、週に21時間、
テレビとともに暮らしていることになる。これをやめれば、約一日使える時間が
増えることになる。週8日。これは大きな変化である。もし本気で情報ダイエット
に取り組もうとするなら、ネットオークションでTVを売るか、友人にあつかって
もらうことを勧める。

 P-24 ー未来のないゲームー
この数年で、ゲーム業界が不振に陥っている。一般的には、携帯電話に市場を
取られた、次世代機を持っている、などいうものだった。プレーステーションで
ゲームの頂点を迎えた。実際に、マイクロソフトからもX-box360と呼ばれる
次世代機が発売され、僕も使ってみたが、映像がきれいになった程度で、欲しい
ものではなかった。 わかりやすく言えば、iPodほど価値観をかえるものではない。
オンラインで音楽を入手して、それを一万曲ハードディスクに詰め込んで、外に
持ち出す。音楽の入手を一貫して提案できたのはアップル社だけであった。・・・
では何故ゲームをやらなくなったのか?僕はこの数年来、「街の構造がゲーム化
したから」と答えている。簡単に言えば、ドラゴンクエストなどでポイントを
貯めたりレベルを上げることより、家電量販店のポイントやマイレージを稼ぐ方が
楽しくて現実的で、美少女ゲームをやるより、出会い系サイトのほうが楽しいと
いうことだ。ITが普及したことで、実写がゲーム化したことも大きい。
大金をかけた架空の箱庭のゲーム・コンテンツが、現実社会に根ざしたちょっと
したメールに負けているのだ。時代はブログのような発信可能なメディアへと
シフトしているのだ。大情報化になってしまって時間がなくなったのである。
非現実的なものに触れる時間は、まず第一に削られることになった。 
それがゲームである。

ーーーーーー
解)これを読んでいて、全くと思う。 私が40数回いった秘境ツアー、あれは
旅のゲーム化である。それも、その地域を熟知している専門代理店の企画に乗った
バーチャルに近いものである。その道の専門家からいったらあれは偽もの。 
しかし、お客はそれでいいのである。詳細は帰ってきてから、TVや図書館に
ある写真集や、冒険家の本を読み返せばよい。リスクは負いたくないし、
タンザニアなど危険すぎて単独旅行などできない。なら企画モノに乗ればよい
のである。情報は幾らでもある、それを元にいかに構造を組み立てるかが、
個人個人に求められる時代ということである。日本は、その点では非常に知恵
のある人種。可能性は幾らでもある時代になってきたということか!
              ヾ(・ω・`)ノバイヾ(・ω・`)ノバイ

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2005年05月22日(日)
1510, ご自愛のほどー2

この本は仕事も家庭も愛するひとりの女性が、長年の経験と知恵と、大切にして
きたことを娘のために綴った、詩のような言葉である。 著者は、この本を完成
させてまもなく、命まで本にこめて亡くなってしまう。そう思って読むと、また
どの一行も深く感じるものである。彼女が亡くなった後で、娘が自費出版を続けて
いたのが、出版会社に目がとまり、多くの読者に読まれるよになった。
多くの人が、自分を愛することに疎いだけでなく、むしろ憎んでいるように
思われて仕方がない。まず、ありのままの自分を、ふかく、ちゃんと、しずかに、
ゆったり、愛することが必要である。「着飾った他人向けの自分が好かれる」
ことよりズット大事なのに。
 ーーーー
自分を ありのままに愛してみたらふりかえることが できるようになった。
自分が混乱していたときのことを闘っていたときのことをかなしみに打ちのめ
されていたときのことをそして こう思うようになったのだ。
ーそれらもまた わたし自身の姿であり 愛するに値するものだ。
 ーーーー
自分を深く愛してみたら心を思いきり広く 開けはなてるようになった。
そして この世をおおう苦しみもかなしみも 受けいれられるようになった。
 ーーーー
以下は字数の関係でカットしました。

・・・・・・・・・
2004年05月22日(土)
1145,「デフレ・スパイラル」について

 資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。 そこで、
 デフレについて、調べてみた。現在の世界の経済は、有史以来三度目の
 大きな屈折点にある。 21世紀はデフレの世紀になるだろう。
・経済の第一の屈折点は、10000年前の農業革命である。人類が定住を始めて物々
 交換市場が成立した時点。
 第二は16世紀の欧州でおきた中世荘園制度から資本主義への脱皮。
 三度目は1980年代からおこり現在まで至っているデフレ革命である。
 ー情報革命による、コスト削減と一物一価に集約さていくプロセスで
 物価は下がり続ける。特に日本は深刻である。
・安価な労働力を(日本の25?30分の1)豊富に持つ隣国・中国の輸出供給力がある、
 欧州にとっては東欧・旧ロシアが、それに当たる。
・資産バブルの清算がまだ終わってない80年代の上昇分の反動が必要になったが、
 まだ土地の時価総額1500兆円は名目国内総生産の約三倍、イギリスの一倍に
 対してまだまだ地価は差がある。
・デフレ解消にはまだ10年20年以上はかかる。 いやまだまだで今世紀は
 かかるのだろう。
 
 デフレス・パイラルはまだまだ続くことは間違いはない。
特に地価は日本では、更に半分以下になると予測される。 現在の日本は、
戦前の昭和19年か20年の前半の終戦前夜に酷似している。終戦というより敗戦。
 現在、中国関連とIT関連で少し景気は上向いているように錯覚しそうだが、
実態は全く違うといってよい。とくに消費を引っ張ってきた団塊の世代が、
社会の中心から外れようとしている。経済は年齢構成の問題であるというから、
日本は特に絶望的である。
 
・・・・・・・・・・・
2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年

 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの店の3階に
住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)に転居。
それが転機であった。 あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。
丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。 ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!そうするとコツが解るし
面白みが出てくる」 そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点
近くを取った。 それからコツが解りかけてきた。とにかく数人のライバルに
負けたくないと思って勉強した。 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験
があるはずだ。一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。また家庭内では
いろいろな問題を抱えていた。母親が重度のノイローゼーになっていた。
二人の息子(兄)の不幸の死と、仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。
医者にも見放されそうであった。 何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。
今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。母はその後3年間の
死闘後、一人立ち上がってきた。身近で見ていても子供なりに、分った。
そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。
それだけ悩みが深かったことが分る。商売を続ける事は、すざましいことだ。

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ーその頃の政治や社会的出来事としては、

日ソ国交回復 参宮線列車転覆の惨事 弥彦神社惨事 砂川基地闘争 
メルボルン・オリンピック  
ーことば(流行語・話題の発言)は「一億総白痴化」(大宅壮一
「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」「太陽族」(石原慎太郎の小説
太陽の季節」から)「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から)
「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」「もはや戦後ではない」(中野好夫
ー音楽ー
・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表)
 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ 
 ラジオの声に 健やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一二三

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2002年05月22日(水)
414, サッカー直前の馬鹿話!

一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、開催地の
ホテルが深刻な?悩みというのを放映していた。一年前の説明会で25パーの
紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な! それなら逆に、他の一切の代理店の予約
もとらないで、落穂拾いの方針に切り替えた。黙っていても、溢れたお客が
流れてくるのを拾ったほうが有利に決まっている。どこかの国の訳のわからない
総代理店、何の保障がない。昨日のTVで、それに合わせて開業予定のある
ホテルが、設備を代理店の言うままに追加投資。それが直前になって90パーが
解約されてしまったという。泣くになけない状態とTVで責任者が嘆いていた。
何処かの県?の旅館組合の代表が、この時期に毎年やる他のイベントがそれを
嫌がり、他の県に移った。むしろ普通の月よりマイナスだと、間抜け顔をして
言っていた。少し考えれば、幾らでも知恵が出てきそうなものを! 普段の月
より、一割も稼動が増えるかどうかのレベルの話。去年、プレの大会があった為、
前年並みで終わる可能性がある。ただなんとなく街に人が多い感覚で終わるだろう

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2001年05月22日(火)
チャレンジ100

60歳までに50回 外側?異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。
ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーも
つかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。年三回というと家内の分も含め
ると2百万余かかる。ゴルフはやらず、居酒屋スナックは4000円以下、
もちろん国内旅行は一切行かず、更に日本に居たとしての生活代がかからない事
を考えると、それだけでプラマイゼロである。数年前かいた履歴を一昨日
書き加えた。好きでない人間には金まで払って何をやってんだと思うだろう。 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ           ・06
「34」メキシコ                 2001.01
(以下、字数の関係でカット2,008年5月22日)