つれづれに

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 鼻風邪が完治しないので、まだ早朝のポタリングがなし。
腰も、いま一つ軽い鈍痛が続いている。季節の変わり目もある。


・・・・・・
3126、あいうえお言霊修行
2009年10月26日(月)
 「あいうえお言霊修行 」 矢山 利彦 (著)  ー読書日記

  図書館で、何気なく手に取った本。さっそくポストイットに書き写して、
パソコンの画面の下に貼り付けた。「ありがとう」を何万、いや何十万回か言ったが、
最近は言わなくなった。 今度は「あいうえお言霊修行 」として、せめて一万回
いって見ようか。 以下は、アマゾンの
 ー内容紹介ーと 「カスタマレビュー」
《 言葉には気のチカラがこもっています。そのチカラを脳が感じているのです。
言葉には意味だけではなく、本当にチカラがこもっているのです。「うれしい」
「悲しい」・・・。そうした言葉の一つ一つを脳の深い部分が感じ、プラスと
マイナスの言葉に振り分け、そのチカラを身体に伝え、心の文様をつくっている。
気がつかないかもしれませんが、「自分の口から出た言葉」「人から聞いた言葉」に、
私たちの身体と心はつねに反応しているのです。》
 ーカスタマレビューで、ホボ7割方を言い尽くしているので、 そのままコピー
魔法の言葉では、五日市剛さんの『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」』がある。 本書では、
魔法のプラス言葉【あいうえお言霊修行】として、『言葉が心を変え』
『身体を変え』『人生を変える』方法が紹介されている。
●この言葉は、(声に出して)1万回間違わずに唱えれば、確実に変われる強さがある。
●途中でマイナス言葉を言ったら、振り出しに戻って【0:ゼロ】から、始めること。
   [魔法のプラス言葉]
・「あ」は、「ありがたい」 ・「い」は、「いつくしむ」・「う」は、「うれしく」 
・「え」は、「エンジョイ」 ・「お」は、「おおらか」
 [病気になる人、ネガティブ]な人に多い、「が・ぎ・ぐ・げ・ご」思考及び行動
・「が」は、「がんばる」 ・「ぎ」は、「義理・義務」 ・「ぐ」は、「グチる」
・「げ」は、「原理・原則」  ・「ご」は、「ごまかす」
1万回間違わずに唱える行動に動くことで、人生は、積極的なプラス思考となり、
いい方向に変わると考えます。魔法のプラス言葉の第2弾です。 行動に動いて、
損をすることはないでしょう。
 ーー
指回しをしながら、親指から、あいうえお順に回しながら言うのも良いだろう。
栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの」
というのがあった。一時、中年の人が彼方此方でしているのを見かけたが。  
良いと思ったら何でもともかくしてみることだ。でも、一万回も、言えるかな? 
まあ、パソコンの下に貼り付けてあるから、それだけでも良いか?
「がごぎげご」か~、社民党の女党首が、これ! いや他人事じゃないか~ 
そのどこが悪い!とも言えるが。      世界は娑婆娑婆! だもの。
・・・・・・・・・
2761, 金融危機・中国からの視点
2008年10月26日(日)

産経新聞の【ちゃいな.com】という産経新聞・中国総局長・伊藤正のコラムが、
面白い。中国も、社会主義が抱えている汚職と、一党独裁の矛盾が噴出。更に
米国の金融危機の余波を受けている。やはり米国同様に、これから10年間は動乱
になる可能性がある。その中国の置かれた現状が先週の産経新聞の一面に掲載
されていた。まずは、その内容から・・・・
  ーーー    
 中国が毛沢東の革命路線から改革・開放路線へ転じ、経済発展へスタート
を切ったのは1978年12月。この歴史的転換の主役、トウ小平副首相(当時)
は翌1月、外交関係を正常化した直後の米国を訪問した。トウ氏は経済発展には
対外開放が不可欠で、そのかぎは対米関係にあると考えていた。
トウ氏の外交顧問で訪米に同行した中国の米国研究の権威、李慎之・元社会科学院
副院長が、なぜ対米関係が重要なのか問うと、トウ氏は明快に答えた。
「米国についていった国はみな富強になったではないか」
 このエピソードは、先に連載した「トウ小平秘録」でも紹介したが、このとき、
トウ氏の頭にあったのは、米国市場で巨額のドルを手にした日本だったろう。 
実際、過去30年間、中国は米国を最重要の経済パートナーに、対外貿易を振興、
急成長を続けてきた。中国式発展方式の特徴は、安価な労働力を武器に外資を導入、
「世界の工場」として輸出で外貨を獲得することにある。
特に対米貿易は米側統計では数年来、年2千億ドル超の出超を続け、世界一の
外貨準備高(約1兆8千億ドル)に寄与している。
 中国の非公式統計によると、中国の国内総生産(GDP)に占める対外貿易
依存度は約70%と異常な高さで、今般の米国発金融危機の影響をまともに
受けそうなものだが、「直接的影響は小さい」と指導者も専門家も冷静だ。
 香港の中国系紙「大公報」は「地球的(金融の)嵐の中で、中国はまれな楽土、
安全島」と評し、「英米の自由放任金融方式の終わり」「米国の金融覇権の没落」
によって、中国の発展に「世紀のチャンスが訪れた」と勇ましい。  
どんなチャンスなのか。 中国は日本と並ぶ5千億ドル余の米国債はじめ
1兆ドル超の対米債券を保有する。今後予想される米国債追加引き受けを含め、
中国は米国に対する発言力強化をバックに、米国の各種の「理不尽な要求」
をはねつけることが一つ。 (字数の関係でカット、09年10月26日)
・・・・・・・・
2007年10月26日(金)
2397, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー4
                     (*´・ω・)ノはよー
ここで彼が述べていることを野生動物のファミリーとみれば理解しやすい。
父親の役割は子供をつくり、餌を取ってきて、メスと子供を外敵から守る。
これは全ての動物の自然の姿である。万物の霊長たる人間様は動物とは違う!
というが、その万物の霊長とかいうこと自体、自惚れではないのでは?と、
吾身や社会を省みて思わざるをえない。それと歴史・・・ 父親は父性、
母親は母性の役割があるる! 変態と知能指数の低いのは 別だが・・・
これは世界の何処の社会でも同じことである。一番おかしくなっているのが
アメリカと日本! 戸塚宏の次の内容は、現代日本の家庭崩壊の根本問題を
指摘している。当り前のことが当り前でなくなっているところに問題の
深さがある。
 -----
*父性と母性*

こうした小学校時代の教育には、父親の力が不可欠である。
父親が家の方針を決め、母親がそれを補佐する形が理想だ。
この形を維持すれば、子供は父親の言うことを聞くようになる。
実はヨットスクールに来る子供たちの家庭は例外なく父性が弱い。
酒鬼薔薇聖斗事件でも西鉄バスジャック事件でも、犯人の家庭では、
父親が弱かった。男女どちらが優れているという話ではない。
役割が違うのだ。「家庭内での男女同権」を唱える人がいるが、
家庭で母親が父親並みの権力を持って何かいいことがありましたか、
と問うてみたい。無論、何もいいことはないのである。
私は、父親がなすべきことは四つあると考えている。
一つは、子供をつくること。
二つ目は、餌を取ってくること。
三つ目は家族を物理的に守ること。
四つ目は、国を守ることだ。
いきなり愛国心とは、面食らうかもしれないが、父親に愛国心がないと
子供は不安になるのである。自分の数々の経験からこれは間違いない。
人間は群れをなす動物で、男は時として群れのために命を投げ出す
ことがある。これは男の本能だ。男は強くなろうとするが、
それは自分のためだけではなく、群れを守るためでもある。
群れを守ろうとする気持ちが強い人は、父親が強いのである。子供たちも
己を捨ててチームや社会、国のために働くヒーローが好きだ。漫画やテレビ
などでもそういうヒーローものにひきつけられる。
男の子は本能的にそれを知っているのだ。いまの日本は、男性が女性化して
守ってもらう側になっていることも珍しくない。群れを守るどころではない。
これも教育の悪影響だ。戦後、男に与えられていた責任感が激減したから
強くなれなくなってしまった。女は本能的に保護を求める性だが、男が頼り
なければ、女が強くなっていくしかない。しかし、母親はよほど自覚的に
ならない限り、子どもを強く育てることはできない。たいていは子供が素直で
勉強ができれば、満足してしまう。それではひ弱な偏差値秀才ができるだけだ。
少なくとも群れを守ろうとするような男の子は育てられない。そろそろ男の論理
を家庭にも社会にも取り戻さなければならない。もっとも子供の教育に関して、
家庭でできることはそんなに多くない。人間教育について親がやれることは
限られている。親は、子供に安心して帰れる場所を作って、外に送り出しさえ
すればいい。外で子供は人間性を高めるトレーニングをしてくる。
しかしトレーニングというのは厳しい。まいってしまうことだってある。
そのときに帰って安らげる場所、安心できる場所としての家庭を作ってやる
ことだ。子供はそこで安定する。それには母親とともに、強い父親が必要。
進歩とは、自分の価値があがることである。価値を獲得すれば、本能的感情
としての喜びが生じ、この喜びから理性的感情の幸福、感謝が生まれる。
感謝は人から与えられたときに生じるが幸福は自分で獲得したときの感情。
だから幸福になるには、自分の力でするしかない。子供たちを幸福にする
こととは、進歩させる力を教育によって身につけさせることである。
いまの教育は、その根本を間違えている。進歩させる力を育てるどころか、
奪っているのである。
ーーーー
家庭がシッカリしているということは、それぞれの役割分担が、
あるべき姿であるということである。父親や、母親になってない両親の子供
は、欠陥が出て当然である。それぞれが違う家庭文化を携えて新たな家庭を
つくるのは、簡単なことではない。何処かに歪みが出て当然、しかし、
こと子供教育は最低の知識と常識が求められる。「こころの旅」や、
この戸塚宏の本などが「そういう子供」をつくらないためにもお勧めである。     

・・・・・・
2006年10月26日(木)
2032, 「私」のための現代思想  -16  
      おはよ~!(~O~)ふぁ・・ さむい!

*以下の部分には深く考えさせられた
ー私たちのあらゆる行為や価値は《私》によって支えられるものでしかなく、
さらに《私》は<他者>によって支えられています。そうされることで、この世界で
確実なものになります。<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生する。
また《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築していく上での
基本的な要素であるという。
・「私」が、<他者>に「呼びかける」ことによって、その<他者>において、
 《私》の存在の引き受け」が発生。
・また「他者」の呼びかけに応じることは、相手を引き受けることになる。
・<他者>を‘もてなす’ことによって世界は広がっていく。人に呼びかけ、
 呼びかけに応じ、そして他者をもてなすこと、これが世界を大きくすることと
いうことだが・・ 何か一番私にかけていたような気がするが、呼びかけ、呼びかけ
に応じることが、私の世界を大きくするということが・・・ 対象にもよるが、
ライオンズ、ロータリーにでも入ることも世界を広める意味で重要?
その置かれた環境と状況の中で、それぞれの目的が自分に適うなら、それが
自分の世界として適正な選択になるということか。他者にも色いろある。 
世界の大自然も他者である。自分が関係する事物、人物すべて他者である。
情報を取るプロセスで、対象からの呼びかけに応じていくのであるから。

 ーーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 -?
  ー<世界>をつくるー
 *<世界>を引き受ける者として生きる
前にも述べたが、私たちのあらゆる行為や価値は《私》によって支えられる
ものでしかなく、さらに《私》は<他者>によって支えられています。
そうされることで、この世界で確実なものになります。この場合の引き
受けられ方には、愛するものとして、子供として、友人だけでなく、敵として、
憎悪の対象としてなど様々です。ここで<他者>による引き受けは、呼びかけ
によって発生するということを思い出してください。「私」の存在(=《私》)
は、<他者>による呼びかけによって確実なものとなりますが、
「呼びかけられた」側の「私」も、必ず<他者>に対して呼びかけているはず。 
つまり、ここで「私」は、<他者>の存在を引き受けているということです。
こうした《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築していく
上での基本的な要素です。その一方で、「私」を道具としてしか扱わない<他者>
も存在します。この場合、「了解不可能な<他者>としてのあなたの存在」を
引き受けないというだけでなく、単に道具や装飾品や遊具としての認識している
だけの状態が現れます。出会う人がすべて、充分に《私》の存在を引き受ける
<他者>となるわけではありません。存在の引き受けには強度が存在し、
強弱があります。 《私》の存在が希薄であるとき、<私>の「超越確実言明」
も希薄になります。それは、《私》という「基盤」を失うからです。
私たちは「共存の場」において、役割演技を行います。
(以下は字数の関係でカットー2007年10月26日)
                       *^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye  
・・・・・・・・・
2005年10月26日(水)
1667, おい、どうすんだ、定年後!-1

ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー
私たちの世代も、そろそろ定年に入ってきた。そして耳に入ってくる話は、
全く気力を失ってしまった男達の話である。20年近く参加している、ある会に
出席したところ、その会員の数名がシンポジュウムを開くパンフレットを配っていた。
何か私には積極的に勧めてはいなかったようだ。私にとって今さらの内容という
ことを知っているからだろう。「定年後の生き方、過ごし方」がテーマだったが、
彼らは何を言おうというのか?ところで先週の土曜日、図書館である月刊誌をみると
ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちーというレポートがあった。
なかなか面白い切実な問題だった。
ーその内容といえば、
あるビルの一Fの焼き鳥屋に午後5時を過ぎると、20人ほどの男たちが焼き鳥を
分け合いながら酒を飲んでいる。「船橋市時活村」のメンバーだ。地元の友達の
いない、熱中できる趣味のない、ボランティアをするでもない、行くあてのない
定年退職者が、居場所と仲間を求めて集う。1996年から9年経つという。 
村民は現在、280名を数える。地元に根っこのない、ベッドタウンを中心に
住んでいる連中だ。会社を辞めたあと、家の中でゴロゴロしている人達である。
年代は50代後半から70歳位まで。そこでは自己紹介をする時、どこどこに住んで
いる誰さん位しか紹介しない。二時間もしないうちにお開きなる。一人平均1500円。
・入村料は一万円、年会費5000円(二年目からは3000円)
・昼は20種類位あるゲームの何かをするスポーツ関係が多い。 
 ウォーキング、親父の料理講習会・・・
・夕方になると、焼き鳥屋に集って酒を飲む
・ほぼ毎日おこなわれている
・退会者は現在のところいない
                 -つづく
・・・・・・・・
2004年10月26日(火)
1302, まさか、地元で大地震!-3

その時は、「震度6地震とは、こういうことか!」という思いと、
「神戸ほどでないな!」、「性質(たち)の悪い地震ではない!」と考えた。
それと同時に「「新幹線大事故の可能性が大きい」と、心配になった。
新幹線の不通は会社(ホテル)の経営に直ぐ跳ね返ってくる。震源の近くを
200キロで走っていれば、当然大惨事になる。時間から考えると、当然可能性がある。
(私が乗っている新幹線の時間帯からみて、その辺にいるはずであった)下りの
‘とき’が震源地を200キロで走っていたと、その後知った。脱線で済んで本当に
良かったというのが実感。大事故なら数ヶ月は復旧しないだろうから、経営に
とって大問題になる。もしかしたら、一週間程度で済まない可能性もある。
専門家の話では、「この程度で済んだのは奇跡に近かった」とか。
百数十人の生命が奇跡的に助かったのだ。あと数分ずれていたら、対向車の新幹線
が衝突した可能性もあったという。当分は、この地震のほとぼりが済むまで新幹線
の乗客は激減するだろう。 昨日の株価が下がったのも、景気に台風と地震が景気
に少なからず影響を与えると読んだからだ。本当に他人事ではない、今週の宿泊は
半減するだろう。話は変わるが、母が亡くなって初めて、たまたま仏壇周りの両親
の写真と、遺品を整理した日に大地震が起こるのも何か因縁めいている。
「その時間に、引きつけられて整理をしたのだろうか?」と考えてしまった。 
葬式用?の大きなロウソクも、ついでに倉庫にしまった。それが、その日のうちに
必要になるのも因縁めいている面白いものだ。仏壇の中のモノが(地震で)全て
に投げ出され、石灯篭が全て倒れるのだから、因果に結びつければ、亡くなった
両親が怒ったと思ってしまうのも仕方がないか。歩いて数分の長岡高校と、
長岡大手高校の前には多くの自動車が停車をしていた。避難をするために駐車して
いるのだが、何か非現実的な思いである。私も自宅に電気が通じてなければ、
近くの避難所に行っているか、新潟のホテルで過ごしているであろう。 
やはり危ない事態なのだろう。数時間前の深夜、震度3~4の地震があった。
まだまだ予断は許せない事態である。

・・・・・・
2003年10月26日(日)
935,『年収300万時代を生き抜く経済学』  森永卓郎著 (光文社) 
(字数の関係でカット、08年10月26日)

・・・・・・・・
561, ある時間の断片ー6
-2002年10月26日(土)
   1968年 9月18日
8時10分前に起床、すぐに学校に行く。夏休みあけ後久しぶりだ。
事務管理を聴講後、石川、奥野など5人と池袋の駅近くの喫茶ウイーンで
話をする。それぞれが自分の道や将来を模索している姿が自分と重ねって、
独自性が逆に見えて面白い。その後いったん寮に帰る。
6時半に新宿の紀伊国屋で待ち合わせる。歌舞伎町のB&Bで飲む。
3人で6000円で高いが気分が高揚をして面白い。
その後三浦というスナックに行く。以前と変わってないが家庭的雰囲気。
何とかという以前店で顔見知りの女性と踊る。ここも面白い、3人で
3000円であった。奥野が気分が悪くなり、急遽自分の部屋で3人で
泊まることになる。私は帰省中の佐々木さんの部屋で泊まる。
  ーーー
  1968年 9月19日
翌日も三人で午後の3時までいろいろの事を話をする。
何か今日も予定どうり卒論が書けない。頭の中に最近熱中して読んだ、
精神論の言葉が駆け巡る。言っていることと、やっていることと違いが
大きすぎる。ファイトファイト、自分の潜在の力よ!!      
    9月20日
(字数の関係でカット、09年10月26日)
・・・・・・・・
[199] トレード.オフ  2001/10/26

トレードとは野球のトレードである。5名トレードすれば、5名首を
切らなくてはならない。これがオフである。ビジネスホテルのもっと
合理化できる業態を考えた。カットできるもの、和室、会議室、ツウィン。
そのぶんシングルの部屋数をとる。これがトレードオフである。
ホット商品を早くコストカットして、安く、大量に生産、売り抜ける。
その時まずやるのが、トレードオフである。まずはこれが基本である。
 (字数の関係でカット、08年10月26日)