つれづれなるままに

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 2~3ヶ月に、一度くらい、随想日記、まったくテーマが浮かばないことがある。
それでも、何かのテーマを探して書いているうちに、元に戻る。 

 オリンピックの公共施設の、落札率が98パーとか、99パーとかいうのが、
この騒ぎで表立ってしまった。93%で、ほぼ談合といってよいという中でだ。
魚市場の設計変更とかをいっているが、あれも、明らかに?? 
 これが現代で、大手を振って罷り通るのが、日本である。
大手数社が話し合って、「おれ公共工事やらない」と言えば、
何にもできないのが、役所である。 





・・・・・・
2761, 金融危機・中国からの視点
2008年10月26日(日)

産経新聞の【ちゃいな.com】という
産経新聞・中国総局長・伊藤正のコラムが、面白い。
中国も、社会主義が抱えている汚職と、一党独裁の矛盾が噴出。
更に米国の金融危機の余波を受けている。
やはり米国同様に、これから10年間は動乱になる可能性がある。
 その中国の置かれた現状が先週の産経新聞の一面に掲載されていた。
まずは、その内容から・・・・
  ーーー    
 中国が毛沢東の革命路線から改革・開放路線へ転じ、経済発展へスタートを
切ったのは1978年12月。この歴史的転換の主役、トウ小平副首相(当時)は翌1月、
外交関係を正常化した直後の米国を訪問した。トウ氏は経済発展には対外開放が不可欠で、
そのかぎは対米関係にあると考えていた。 トウ氏の外交顧問で訪米に同行した中国の
米国研究の権威、李慎之・元社会科学院副院長が、なぜ対米関係が重要なのか問うと、
トウ氏は明快に答えた。「米国についていった国はみな富強になったではないか」
 このエピソードは、先に連載した「トウ小平秘録」でも紹介したが、このとき、
トウ氏の頭にあったのは、米国市場で巨額のドルを手にした日本だったろう。 
実際、過去30年間、中国は米国を最重要の経済パートナーに、対外貿易を振興、
急成長を続けてきた。 中国式発展方式の特徴は、安価な労働力を武器に外資を導入、
「世界の工場」として輸出で外貨を獲得することにある。特に対米貿易は米側統計
では数年来、年2千億ドル超の出超を続け、世界一の外貨準備高(約1兆8千億ドル)
に大きく寄与している。
 中国の非公式統計によると、中国の国内総生産(GDP)に占める対外貿易依存度は
約70%と異常な高さで、今般の米国発金融危機の影響をまともに受けそうなものだが、
「直接的影響は小さい」と指導者も専門家も冷静だ。 香港の中国系紙「大公報」は
「地球的(金融の)嵐の中で、中国はまれな楽土、安全島」と評し、「英米の自由放任
金融方式の終わり」「米国の金融覇権の没落」によって、中国の発展に「世紀のチャンス
が訪れた」と勇ましい。  どんなチャンスなのか。中国は日本と並ぶ5千億ドル余の
米国債はじめ1兆ドル超の対米債券を保有する。今後予想される米国債追加引き受けを含め、
中国は米国に対する発言力強化をバックに、米国の各種の「理不尽な要求」をはねつける
ことが一つ。その中には台湾問題や人権問題も含まれる。中国では、米国式の市場経済
貧富の拡大などさまざまな矛盾を拡大していることを批判、米国依存からの離脱を主張
するグループが発言力を強めており、彼らは今回の危機を「資本主義の終焉」として、
発展方式の全面転換を主張している。この背景には、対外貿易で利益を上げているのは
外資であり、国内の民族系企業は低迷、低賃金労働を放置してきたことがあった。 
中国外務省傘下の国際問題専門誌「世界知識」最新号は、金融・経済専門家3人の
座談形式で21ページの大特集を組み、金融危機を多角的に分析。その中で、バブル
崩壊を経験した日本の金融界の企業買収などでの素早い動きを評価し、中国が不足して
いる人材の獲得・育成に取り組む必要が説かれる。この特集では、米政府の金融機関への
公的資金投入を「社会主義」と皮肉る発言がある。中国への影響が当面限定的なのは、
金融市場の自由化をせず、中央政府によるさまざまな規制があるためにほかならないが、
社会主義体制下の市場経済という中国のシステムを誇っているかにみえる。
 しかし、中国が抱える問題の多くは、社会主義の政治体制の欠陥に起因している。
しかも世界経済の先行きが不透明な中、中国式発展方式が試練に直面するのはこれから。 
先の座談会のタイトルは「不確定な時代」だった。
 ーーー
 以上だが、米国同様に中国も5~10年は大混乱は、避けられないが、その後の世界の
中心は中国になる。そのときの日本の役割は、蓄積された経営ノウハウと、技術。 
いずれにしても、両国に挟まれ国力は消耗するだろう。

・・・・・・・・
2007年10月26日(金)
2397, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー4
                        (*´・ω・)ノはよー
ここで彼が述べていることを野生動物のファミリーとみれば理解しやすい。
父親の役割は子供をつくり、餌を取ってきて、メスと子供を外敵から守る。
これは全ての動物の自然の姿である。 万物の霊長たる人間様は動物とは違う!
というが、その万物の霊長とかいうこと自体、自惚れではないのでは?と、
吾身や社会を省みて思わざるをえない。それと歴史・・・ 父親は父性、母親は
母性の役割があるる! 変態と知能指数の低いのは 別だが・・・
これは世界の何処の社会でも同じことである。一番おかしくなっているのが
アメリカと日本!戸塚宏の次の内容は、現代日本の家庭崩壊の根本問題を指摘。
当たり前のことが当たり前でなくなっているところに問題の深さがある。
 -----
*父性と母性*

こうした小学校時代の教育には、父親の力が不可欠である。
父親が家の方針を決め、母親がそれを補佐する形が理想だ。この形を維持すれば、
子供は父親の言うことを聞くようになる。実はヨットスクールに来る子供たちの
家庭は例外なく父性が弱い。酒鬼薔薇聖斗事件でも西鉄バスジャック事件でも、
犯人の家庭では、父親が弱かった。男女どちらが優れているという話ではない。
役割が違うのだ。「家庭内での男女同権」を唱える人がいるが、家庭で母親が
父親並みの権力を持って何かいいことがありましたか、と問うてみたい。
 無論、何もいいことはないのである。
私は、父親がなすべきことは四つあると考えている。
一つは、子供をつくること。
二つ目は、餌を取ってくること。
三つ目は家族を物理的に守ること。
四つ目は、国を守ることだ。
いきなり愛国心とは、面食らうかもしれないが、父親に愛国心がないと
子供は不安になるのである。自分の数々の経験からこれは間違いない。

人間は群れをなす動物で、男は時として群れのために命を投げ出すことがある。
これは男の本能だ。男は強くなろうとするが、それは自分のためだけではなく、
群れを守るためでもある。群れを守ろうとする気持ちが強い人は、父親が強い
のである。子供たちも己を捨ててチームや社会、国のために働くヒーローが好きだ。
漫画やテレビなどでもそういうヒーローものにひきつけられる。男の子は本能的
にそれを知っているのだ。

いまの日本は、男性が女性化して守ってもらう側になっていることも珍しくない。
群れを守るどころではない。これも教育の悪影響だ。
戦後、男に与えられていた責任感が激減したから、強くなれなくなってしまった。
女は本能的に保護を求める性だが、男が頼りなければ、女が強くなっていくしかない。
しかし、母親はよほど自覚的にならない限り、子どもを強く育てることはできない。
たいていは子供が素直で勉強ができれば、満足してしまう。それではひ弱な偏差値
秀才ができるだけだ。少なくとも群れを守ろうとするような男の子は育てられない。
そろそろ男の論理を家庭にも社会にも取り戻さなければならない。

もっとも子供の教育に関して、家庭でできることはそんなに多くない。
人間教育について親がやれることは限られている。親は、子供に安心して帰れる
場所を作って、外に送り出しさえすればいい。外で子供は人間性を高めるトレーニン
をしてくる。しかしトレーニングというのは厳しい。まいってしまうことだってある。
そのときに帰って安らげる場所、安心できる場所としての家庭を作ってやることだ。
子供はそこで安定する。それには母親とともに、強い父親が必要なのだ。

進歩とは、自分の価値があがることである。価値を獲得すれば、
本能的感情としての喜びが生じ、この喜びから理性的感情の幸福、感謝が生まれる。
感謝は人から与えられたときに生じるが、幸福は自分で獲得したときの感情である。
だから幸福になるには、自分の力でするしかない。子供たちを幸福にすることとは、
進歩させる力を教育によって身につけさせることである。いまの教育は、
その根本を間違えている。進歩させる力を育てるどころか、奪っているのである。
ーーーー

家庭がシッカリしているということは、それぞれの役割分担が、あるべき姿である
ということである。父親や、母親になってない両親の子供は、欠陥が出て当然である。
それぞれが違う家庭文化を携えて新たな家庭をつくるのは、簡単なことではない。
何処かに歪みが出て当然、しかし、こと子供教育は最低の知識と常識が求められる。
「こころの旅」や、この戸塚宏の本などが「そういう子供」をつくらないためにも
お勧めである。      「エッ!もう、遅い」 失礼しました。 
                SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・
2006年10月26日(木)
2032, 「私」のための現代思想  -16  
      おはよ~!(~O~)ふぁ・・ さむい!

*以下の部分には深く考えさせられた
ー私たちのあらゆる行為や価値は、《私》によって支えられるものでしかなく、
さらに《私》は<他者>によって支えられています。そうされることで、この世界
で確実なものになります。<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生する。
また《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築していく上での
基本的な要素であるという。 
 ・「私」が、<他者>に「呼びかける」ことによって、その<他者>において、
  《私》の存在の引き受け」が発生。
 ・また「他者」の呼びかけに応じることは、相手を引き受けることになる。
 ・<他者>を‘もてなす’ことによって世界は広がっていく。 人に呼びかけ、
  呼びかけに応じ、そして他者をもてなすこと、これが世界を大きくすること
  ということだが・・

何か一番私にかけていたような気がするが、呼びかけ、呼びかけに応じることが、
私の世界を大きくするということが・・ 対象にもよるが、ライオンズ、ロータリー
にでも入ることも世界を広める意味で重要? その置かれた環境と状況の中で、
それぞれの目的が自分に適うなら、それが自分の世界として適正な選択になる
ということか。 他者にも色いろある。 世界の大自然も他者である。自分が
関係する事物、人物すべて他者である。情報を取るプロセスで、対象からの
呼びかけに応じていくのであるから。

 ーーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 -�
  ー<世界>をつくるー
 *<世界>を引き受ける者として生きる

前にも述べたが、私たちのあらゆる行為や価値は《私》によって支えられる
ものでしかなく、さらに《私》は<他者>によって支えられています。
そうされることで、この世界で確実なものになります。この場合の引き
受けられ方には、愛するものとして、子供として、友人だけでなく、敵として、
憎悪の対象としてなど様々です。ここで<他者>による引き受けは、呼びかけに
よって発生するということを思い出してください。「私」の存在(=《私》)は、
<他者>による呼びかけによって確実なものとなりますが、「呼びかけられた」
側の「私」も、必ず<他者>に対して呼びかけているはずです。 つまり、
ここで「私」は、<他者>の存在を引き受けているということです。
こうした《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築していく
上での基本的な要素です。 その一方で、「私」を道具としてしか扱わない
<他者>も存在します。この場合、「了解不可能な<他者>としてのあなたの存在」
を引き受けないというだけでなく、単に道具や装飾品や遊具としての認識している
だけの状態が現れます。出会う人がすべて、充分に《私》の存在を引き受ける
<他者>となるわけではありません。存在の引き受けには強度が存在し、
強弱があります。《私》の存在が希薄であるとき、<私>の「超越確実言明」
も希薄になります。それは、《私》という「基盤」を失うからです。
私たちは「共存の場」において、役割演技を行います。そして、役割は
「相互関係秩序」によって規定されます。 そのとき、その場にいる人たちを、
その役割によってのみ認識するのではなく、「了解不可能な他者」として
認識することが出来るかどうかが、重要になる。役割によってのみ認識される
とき、私たちは「主人」になり「奴隷」になるのです。
    そのいずれもが、私たちにおける「《私》の存在」を危うくします。
*信じる力
(以下は字数の関係でカットー2007年10月26日)
  *^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye  

・・・・・・・・・
2005年10月26日(水)
1667, おい、どうすんだ、定年後!-1

ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー
私たちの世代も、そろそろ定年に入ってきた。そして耳に入ってくる話は、全く
気力を失ってしまった男達の話である。20年近く参加している、ある会に出席
したところ、その会員の数名がシンポジュウムを開くパンフレットを配っていた。
何か私には積極的に勧めてはいなかったようだ。私にとって今さらの内容という
ことを知っているからだろう。「定年後の生き方、過ごし方」がテーマだったが、
彼らは何を言おうというのか? 
ところで先週の土曜日、図書館である月刊誌をみると
ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー 
というレポートがあった。なかなか面白い切実な問題だった。

ーその内容といえば、
あるビルの一Fの焼き鳥屋に午後5時を過ぎると、20人ほどの男たちが焼き鳥
を分け合いながら酒を飲んでいる。「船橋市時活村」のメンバーだ。地元の友達
のいない、熱中できる趣味のない、ボランティアをするでもない、行くあての
ない定年退職者が、居場所と仲間を求めて集う。1996年から9年経つという。 
村民は現在、280名を数える。地元に根っこのない、ベッドタウンを中心に住んで
いる連中だ。会社を辞めたあと、家の中でゴロゴロしている人達である。
年代は50代後半から70歳位まで。そこでは自己紹介をする時、どこどこに住んで
いる誰さん位しか紹介しない。二時間もしないうちにお開きなる。一人平均1500円。
・入村料は一万円、年会費5000円(二年目からは3000円)
・昼は20種類位あるゲームの何かをするスポーツ関係が多い。 
 ウォーキング、親父の料理講習会・・・
・夕方になると、焼き鳥屋に集って酒を飲む
・ほぼ毎日おこなわれている
・退会者は現在のところいない
                 -つづく
・・・・・・・・
2004年10月26日(火)
1302, まさか、地元で大地震!-3

その時は、「震度6地震とは、こういうことか!」という思いと、
「神戸ほどでないな!」、「性質(たち)の悪い地震ではない!」と考えた。
それと同時に「「新幹線大事故の可能性が大きい」と、心配になった。

新幹線の不通は会社(ホテル)の経営に直ぐ跳ね返ってくる。震源の近くを
200キロで走っていれば、当然大惨事になる。時間から考えると、当然可能性がある。
(私が乗っている新幹線の時間帯からみて、その辺にいるはずであった)
下りの‘とき’が震源地を200キロで走っていたと、その後知った。脱線で済んで
本当に良かったというのが実感。大事故なら数ヶ月は復旧しないだろうから、
経営にとって大問題になる。もしかしたら、一週間程度で済まない可能性もある。

専門家の話では、「この程度で済んだのは奇跡に近かった」とか。百数十人の生命
が奇跡的に助かったのだ。あと数分ずれていたら、対向車の新幹線が衝突した可能性
もあったという。当分は、この地震のほとぼりが済むまで新幹線の乗客は激減するだろう。 
昨日の株価が下がったのも、景気に台風と地震が景気に少なからず影響を与えると
読んだからだ。本当に他人事ではない、今週の宿泊は半減するだろう。

話は変わるが、母が亡くなって初めて、たまたま仏壇周りの両親の写真と、
遺品を整理した日に大地震が起こるのも何か因縁めいている。
「その時間に、引きつけられて整理をしたのだろうか?」と考えてしまった。
葬式用?の大きなロウソクも、ついでに倉庫にしまった。
それが、その日のうちに必要になるのも因縁めいている、面白いものだ。
仏壇の中のモノが(地震で)全て外に投げ出され、石灯篭が全て倒れるのだから、
因果に結びつければ、亡くなった両親が怒ったと思ってしまうのも仕方がないか。

歩いて数分の長岡高校と、長岡大手高校の前には多くの自動車が停車をしていた。
避難をするために駐車しているのだが、何か非現実的な思いである。
私も自宅に電気が通じてなければ、近くの避難所に行っているか、
新潟のホテルで過ごしているであろう。 やはり危ない事態なのだろう。
数時間前の深夜、震度3~4の地震があった。まだまだ予断は許せない事態。

・・・・・・
2003年10月26日(日)
935,『年収300万時代を生き抜く経済学』  森永卓郎著 (光文社) 
(字数の関係でカット、08年10月26日)

・・・・・・・・
561, ある時間の断片ー6
-2002年10月26日(土)
   1968年 9月18日
8時10分前に起床、すぐに学校に行く。夏休みあけ後久しぶりだ。
事務管理を聴講後、石川、奥野など5人と池袋の駅近くの喫茶ウイーンで話をする。
それぞれが自分の道や将来を模索している姿が自分と重ねって、独自性が逆に
見えて面白い。その後いったん寮に帰る。6時半に新宿の紀伊国屋で待ち合わせる。
歌舞伎町のB&Bで飲む。3人で6000円で高いが気分が高揚をして面白い。
その後三浦というスナックに行く。以前と変わってないが家庭的雰囲気である。
何とかという以前店で顔見知りの女性と踊る。ここも面白い、3人で3000円
であった。奥野が気分が悪くなり、急遽自分の部屋で3人で泊まることになる。
私は帰省中の佐々木さんの部屋で泊まる。
  ーーー
  1968年 9月19日
翌日も三人で午後の3時までいろいろの事を話をする。
何か今日も予定どうり卒論が書けない。頭の中に最近熱中して読んだ、
精神論の言葉が駆け巡る。言っていることと、やっていることと違いが大きすぎる。
ファイトファイト、自分の潜在の力よ!!

 9月20日
8時10分前に起床、8時15分に学校に行く。
人事管理の授業後、奥野と兼子と食事、その後図書館で卒論のまとめをする。
15時にゼミに出席、我々の就職先の説明をゼミの全員に報告する。
ゼミ終了後、武澤先生と4年生全員と話し合う。内容は夏休みのこととか、
各々の性格のことを話し合う。その後近くで食事後、帰寮後再び食事に出る。
そこで寮の先輩で代議士の秘書をしている永田さんと出会う。
唯我独尊の彼独特の考え方があまりに独善的だ。 自分で自分の枠をはめている。
それと原因を常に自分以外に求めているが疑問だ。 寮に帰ると、新橋シノダ
寿司の息子でヨーロッパで親しくなった深井が遊びにくる。一時間ぐらい話し
合って帰っていく。スカイラインのGTだ。何かツマラナソウナ顔をしていた。
不安でたまらない感じだった。夜半の一時に寝る。

・・・・・・・・
[199] トレード.オフ  2001/10/26

トレードとは野球のトレードである。5名トレードすれば、5名首を切らなくて
はならない。これがオフである。ビジネスホテルのもっと合理化できる業態を考えた。
カットできるもの、和室、会議室、ツウィンである。そのぶんシングルの部屋数をとる。
これがトレードオフである。ホット商品を早くコストカットして、安く、大量に生産、
売り抜ける。その時まずやるのが、トレードオフである。まずはこれが基本である。
 (字数の関係でカット、08年10月26日)