つれづれに

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今日のYoutube

 今朝は、曇っていたが、早朝のポタリングは大丈夫。

 昨日は、貴兄の葬式の香典返しで貰った「カタログ」にあった
折りたたみ式自転車が送られてきた。早速、30分近くかけて
組み立てた。車の後ろに常時置いておき、気が向いたら近郊の公園に
車で行って、そこからミニサイクリングをするのも… 大人の玩具?





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3866, 嘘みたいな本当の話 ー4
2011年10月26日(水)
       「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
  * 黒い瞳
 新聞が配達される頃、目が覚める。我家の犬が決まって吠えるからだ。
昼間でも家の外に人の気配がすると、玄関に走り出し吠える。家を守ってでも
いるつもりなのか、内弁慶で、大きな犬の前ではこそこそ逃げる。
やっぱり飼い主に似るのだろうか。その日は何か予感がして、近道を通った。
父が入院している病院に向かっていた。病室に入ると人工呼吸器につながれる
瞬間であった。自然死でとお願いしていたのに。言葉を発しようとしたが、
得意げな医師の表情に、口をつぐんだ。父は九州男児で、職人気質。
よく叱られたが、いまは言葉を発することもなく、微動だにせず機械と息を
合わせ続けていた。が、二十五日後、その瞬間はやってきた。重い足を引きずる
かのような音と共に機械は動きを止めた。ドラマでは何度も見ていたが、パルス
音と共に波形が小さくなる様を他人事のようにただ眺めていた。父の法要が済み、
一段落した頃、通りがかりのペットショップで一匹の犬とたまたま目が合う。
茶色のトイプードルが我が家にやってきた。とにかくやんちゃで、言うことを
きかない腕白坊主。その後、ブリーダーから送られてきた血統書を見て、
思わず声が出た。「一月二十八日」彼の誕生日は、父が人工呼吸器に繋がれた、
まさにその日であった。これを書いている最中、視線を感じて振り向くと、
真ん丸の黒い瞳でじっとこちらを見ている彼がいた。 兵庫県 光安清登
▼ 10数年前の話になるが、夕方の5時半に偶々寺院の仏像がTVの映像に
映し出されていた。その時に居間の障子越しから夕陽が仏像を照らした。
それが偶然にしては出来すぎの神秘的な混合になった。もしかして今日は
何の日、ハッとした。父親の命日の5月30日をスッカリ忘れていた。 
両親の命日を忘れたことは後にも先にも、それっきり一度もない。


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3501, 10-10-10 ー②
2010年10月26日(火)

  「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」
                     スージーウェルチ (著)
 何かが始るとき、そして終わるとき、人は立ちすくむ」。その時、目先に捉われて、
感情が乱れ、思考停止になり、絶望に陥ってしまう。 が、そんな節目にこそ、10-10-10は未来に
目を向けてくれる。そして未来から節目を見直す思考を促す。それも3つのスパンで問題に光を当てる
ことになる。 そこで、自分の価値観は果たして何だろうか、自分のシガラミとは何かを気づかせてくれ、
人生の優先順位を考えるきっかけになる。また自分に必要なもの、 必要なことは何かを見極めるチャンス
を与えてくれる。 それが自分の潜在意識の囁きに耳を澄ますことにもなる。 
 未来=10年後だけでなく、現在=10分後・10日後にどうなっている?の視線も重要である。
目先、とにかく冷静・沈着が必要とされる。
 ここで「10・10・10」を、<バーチャル・コンサルタント>と擬人化して質問を発することを
勧めている。我が内なる「10・10・10」が、この緊急の事態(質問)の答えは何だろうか?と。
その質問を明確にすれば、答えの何割かは自然と内から出てくる。それはガイドでもある。そこで、
「長期的視点で現在何を準備すべきか、中期的なら何を準備すべきか、そのため現在の具体的行動は何か」
を冷静に考えることが可能になる。少なくとも問題に対して前向き思考になる。 彼女は、これを「人生管理
ツール」という。人は闇にいる時、そこに、そのまま留まってしまう傾向が非常に強くなっている。 
問題に対して、この思考を繰り返しているうちに、人生の優先順位を並びかえる作業をしている。 
 経営は、それを年中考えることだが、慣れは、それを忘れさせる。 しかし10-10-10をツールとして
使えれば、気楽に長期思考も短期思考もしていることになる。 著者は女性の直感で、10-10-10と単純な
三つのスパンで考える方法に気づいたこと、そのことが、素晴らしいのである。そして3つのスパンで単純に、
具体的に考えるほど、気づかなかったこと、漠然としていたことが姿を現してくる。ここまで、シンプル化
するには膨大のエネルギーを注ぎ込んでいる。間違いなく、これは卓越した決断の思考法である。
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3126、あいうえお言霊修行
2009年10月26日(月)
 「あいうえお言霊修行 」 矢山 利彦 (著)  ー読書日記
 図書館で、何気なく手に取った本。さっそくポストイットに書き写して、パソコンの画面の
下に貼り付けた。「ありがとう」を何万、いや何十万回か言ったが、最近は言わなくなった。 
今度は「あいうえお言霊修行 」として、せめて一万回をいって見ようか。以下は、アマゾンの
 ー内容紹介ーと 「カスタマレビュー」
《 言葉には気のチカラがこもっています。そのチカラを脳が感じているのです。言葉には意味だけではなく、
本当にチカラがこもっているのです。「うれしい」「悲しい」・・・。そうした言葉の一つ一つを脳の深い
部分が感じ、プラスとマイナスの言葉に振り分け、そのチカラを身体に伝え、心の文様をつくっているのです。
気がつかないかもしれませんが、「自分の口から出た言葉」「人から聞いた言葉」に、私たちの身体と心は
つねに反応しているのです。》
 ーカスタマレビューで、ホボ7割方を言い尽くしているので、そのままコピーしてみるー
魔法の言葉では、五日市剛さんの『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」』がある。  本書では、魔法のプラス言葉
【あいうえお言霊修行】として、『言葉が心を変え』『身体を変え』『人生を変える』方法が紹介されている。
●この言葉は、(声に出して)1万回間違わずに唱えれば、確実に変われる強さがある。
●途中でマイナス言葉を言ったら、振り出しに戻って【0:ゼロ】から、始めること。
   [魔法のプラス言葉]
・「あ」は、「ありがたい」 ・「い」は、「いつくしむ」 ・「う」は、「うれしく」 
・「え」は、「エンジョイ」 ・「お」は、「おおらか」
   [病気になる人、ネガティブ]な人に多い、
  「が・ぎ・ぐ・げ・ご」思考及び行動
・「が」は、「がんばる」 ・「ぎ」は、「義理・義務」 ・「ぐ」は、「グチる」
・「げ」は、「原理・原則」  ・「ご」は、「ごまかす」
1万回間違わずに唱える行動に動くことで、人生は、積極的なプラス思考となり、いい方向に変わると
考えます。魔法のプラス言葉の第2弾です。 行動に動いて、損をすることはないでしょう。
 ーー
指回しをしながら、親指から、あいうえお順に回しながら言うのも良いだろう。
栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」というのがあった。
一時、中年の人が彼方此方でしているのを見かけたが。  良いと思ったら何でもともかくしてみることだ。   
 でも、一万回も、言えるかな? まあ、パソコンの下に貼り付けてあるから、それだけでも良いか?
「がごぎげご」か~、社民党の女党首が、これ! いや他人事じゃないか~ そのどこが悪い!とも言えるが。
                                  世界は娑婆娑婆! だもの。
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2761, 金融危機・中国からの視点
 2008年10月26日(日)
産経新聞の【ちゃいな.com】という産経新聞・中国総局長・伊藤正のコラムが、面白い。
中国も、社会主義が抱えている汚職と、一党独裁の矛盾が噴出。更に米国の金融危機の余波を受けている。
やはり米国同様に、これから10年間は動乱になる可能性がある。
 その中国の置かれた現状が先週の産経新聞の一面に掲載されていた。まずは、その内容から・・・・
  ーーー    
 中国が毛沢東の革命路線から改革・開放路線へ転じ、経済発展へスタートを切ったのは1978年12月。
この歴史的転換の主役、トウ小平副首相(当時)は翌1月、外交関係を正常化した直後の米国を訪問した。
トウ氏は経済発展には対外開放が不可欠で、そのかぎは対米関係にあると考えていた。
 トウ氏の外交顧問で訪米に同行した中国の米国研究の権威、李慎之・元社会科学院副院長が、なぜ対米
関係が重要なのか問うと、トウ氏は明快に答えた。「米国についていった国はみな富強になったではないか」
 このエピソードは、先に連載した「トウ小平秘録」でも紹介したが、このとき、トウ氏の頭にあったのは、
米国市場で巨額のドルを手にした日本だったろう。実際、過去30年間、中国は米国を最重要の経済パートナー
に、対外貿易を振興、急成長を続けてきた。中国式発展方式の特徴は、安価な労働力を武器に外資を導入、
「世界の工場」として輸出で外貨を獲得することにある。
  (字数の関係でカット、09年10月26日)
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2007年10月26日(金)
2397, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー4
                        (*´・ω・)ノはよー
ここで彼が述べていることを野生動物のファミリーとみれば理解しやすい。父親の役割は子供をつくり、
餌を取ってきて、メスと子供を外敵から守る。これは全ての動物の自然の姿である。 万物の霊長たる
人間様は動物とは違う!というが、その万物の霊長とかいうこと自体、自惚れではないのでは?と、
吾身や社会を省みて思わざるをえない。それと歴史・・・ 父親は父性、母親は母性の役割があるる! 
変態と知能指数の低いのは 別だが・・・ これは世界の何処の社会でも同じことである。
一番おかしくなっているのがアメリカと日本!
 戸塚宏の次の内容は、現代日本の家庭崩壊の根本問題を指摘している。
当たり前のことが当たり前でなくなっているところに問題の深さがある。
 -----
 *父性と母性*
こうした小学校時代の教育には、父親の力が不可欠である。父親が家の方針を決め、母親がそれを補佐する
形が理想だ。この形を維持すれば、子供は父親の言うことを聞くようになる。実はヨットスクールに来る
子供たちの家庭は例外なく父性が弱い。酒鬼薔薇聖斗事件でも西鉄バスジャック事件でも、犯人の家庭では、
父親が弱かった。男女どちらが優れているという話ではない。役割が違うのだ。「家庭内での男女同権」を
唱える人がいるが、家庭で母親が父親並みの権力を持って何かいいことがありましたか、と問うてみたい。 
無論、何もいいことはないのである。
 私は、父親がなすべきことは四つあると考えている。
一つは、子供をつくること。     二つ目は、餌を取ってくること。
三つ目は家族を物理的に守ること。  四つ目は、国を守ることだ。
いきなり愛国心とは、面食らうかもしれないが、父親に愛国心がないと子供は不安になるのである。
自分の数々の経験からこれは間違いない。人間は群れをなす動物で、男は時として群れのために命を
投げ出すことがある。これは男の本能だ。男は強くなろうとするが、それは自分のためだけではなく、
群れを守るためでもある。群れを守ろうとする気持ちが強い人は、父親が強いのである。子供たちも
己を捨ててチームや社会、国のために働くヒーローが好きだ。漫画やテレビなどでもそういうヒーロー
ものにひきつけられる。男の子は本能的にそれを知っているのだ。いまの日本は、男性が女性化して
守ってもらう側になっていることも珍しくない。群れを守るどころではない。これも教育の悪影響だ。
戦後、男に与えられていた責任感が激減したから強くなれなくなってしまった。女は本能的に保護を
求める性だが、男が頼りなければ、女が強くなっていくしかない。しかし、母親はよほど自覚的に
ならない限り、子どもを強く育てることはできない。たいていは子供が素直で勉強ができれば、満足
してしまう。それではひ弱な偏差値秀才ができるだけだ。
 (字数の関係で中間カット、10年10月26日)
ーーーー
家庭がシッカリしているということは、それぞれの役割分担が、あるべき姿であるということである。
父親や、母親になってない両親の子供は、欠陥が出て当然である。それぞれが違う家庭文化を携えて新たな
家庭をつくるのは、簡単なことではない。何処かに歪みが出て当然、しかし、こと子供教育は最低の知識
と常識が求められる。「こころの旅」や、この戸塚宏の本などが「そういう子供」をつくらないためにも
お勧めである。      「エッ!もう、遅い」 失礼しました。 
                SeeYou**(○´ω`○)ノ
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2006年10月26日(木)
 2032, 「私」のための現代思想  -16   おはよ~!(~O~)ふぁ・・ さむい!
 *以下の部分には深く考えさせられた
ー私たちのあらゆる行為や価値は《私》によって支えられるものでしかなく、さらに《私》は<他者>に
よって支えられています。そうされることで、この世界で確実なものになります。<他者>による引き
受けは、呼びかけによって発生する。また《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築
していく上での基本的な要素であるという。
・「私」が、<他者>に「呼びかける」ことによって、その<他者>において、《私》の存在の引き受け」
 が発生。
・また「他者」の呼びかけに応じることは、相手を引き受けることになる。・<他者>を‘もてなす’
 ことによって世界は広がっていく。 
人に呼びかけ、呼びかけに応じ、 そして他者をもてなすこと、これが世界を大きくすることだが・・
何か一番私にかけていたような気がするが、呼びかけ、呼びかけに応じることが、私の世界を大きく
するということが・・・ 対象にもよるが、ライオンズ、ロータリーにでも入ることも世界を広める
意味で重要? その置かれた環境と状況の中で、それぞれの目的が自分に適うなら、それが自分の世界
として適正な選択になるということか。 他者にも色いろある。世界の大自然も他者である。自分が関係
する事物、人物すべて他者である。情報を取るプロセスで、対象からの呼びかけに応じていくのであるから。
 ーーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 -?
  ー<世界>をつくるー
 *<世界>を引き受ける者として生きる
前にも述べたが、私たちのあらゆる行為や価値は《私》によって支えられるものでしかなく、
さらに《私》は<他者>によって支えられています。そうされることで、この世界で確実なものになります。
この場合の引き受けられ方には、愛するものとして、子供として、友人だけでなく、敵として、憎悪の対象
としてなど様々です。ここで<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生するということを思い
出してください。「私」の存在(=《私》)は、<他者>による呼びかけによって確実なものとなりますが、
「呼びかけられた」側の「私」も、必ず<他者>に対して呼びかけているはずです。つまり、ここで「私」
は、<他者>の存在を引き受けているということです。こうした《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、
<世界>を構築していく上での基本的な要素です。その一方で、「私」を道具としてしか扱わない<他者>
も存在します。この場合、「了解不可能な<他者>としてのあなたの存在」を引き受けないというだけでなく、
単に道具や装飾品や遊具としての認識しているだけの状態が現れます。
(以下は字数の関係でカットー2007年10月26日)           *^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye  
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2005年10月26日(水)
 1667, おい、どうすんだ、定年後!-1
ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー
私たちの世代も、そろそろ定年に入ってきた。そして耳に入ってくる話は、全く気力を失ってしまった
男達の話である。20年近く参加している、ある会に出席したところ、その会員の数名がシンポジュウム
を開くパンフレットを配っていた。何か私には積極的に勧めてはいなかったようだ。私にとって今さらの
内容ということを知っているからだろう。「定年後の生き方、過ごし方」がテーマだったが、彼らは何を
言おうというのか?  ところで先週の土曜日、図書館である月刊誌をみると
ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー というレポートがあった。
 なかなか面白い切実な問題だった。
ーその内容といえば、
あるビルの一Fの焼き鳥屋に午後5時を過ぎると、20人ほどの男たちが焼き鳥を分け合いながら酒を飲む。
船橋市時活村」のメンバー。地元の友達のいない、熱中できる趣味のない、ボランティアをするでもない、
行くあてのない定年退職者が、居場所と仲間を求めて集う。1996年から9年経つという。 村民は現在、
280名を数える。地元に根っこのない、ベッドタウンを中心に住んでいる連中だ。会社を辞めたあと、
家の中でゴロゴロしている人達である。年代は50代後半から70歳位まで。そこでは自己紹介をする時、
どこどこに住んでいる誰さん位しか紹介しない。
二時間もしないうちにお開きなる。 一人平均1500円だった。
・入村料は一万円、年会費5000円(二年目からは3000円)
・昼は20種類位あるゲームの何かをするスポーツ関係が多い。ウォーキング、親父の料理講習会…
・夕方になると、焼き鳥屋に集って酒を飲む
・ほぼ毎日おこなわれている
・退会者は現在のところいない         -つづく
・・・・・・・・
2004年10月26日(火)
1302, まさか、地元で大地震!-3
 その時は、「震度6地震とは、こういうことか!」という思いと、「神戸ほどでないな!」、
「性質(たち)の悪い地震ではない!」と考えた。それと同時に「「新幹線大事故の可能性が大きい」と、
心配になった。新幹線の不通は会社(ホテル)の経営に直ぐ跳ね返ってくる。震源の近くを200キロで
走っていれば、当然大惨事になる。時間から考えると、当然可能性がある。(私が乗っている新幹線の時間帯
からみて、その辺にいるはずであった) 下りの‘とき’が震源地を200キロで走っていたと、その後知った。
脱線で済んで本当に良かったというのが実感。大事故なら数ヶ月は復旧しないだろうから、経営にとって大問題。
もしかしたら、一週間程度で済まない可能性もある。専門家の話では、「この程度で済んだのは奇跡に近かった」
とか。百数十人の生命が奇跡的に助かったのだ。あと数分ずれていたら、対向車の新幹線が衝突した可能性も
あったという。当分は、この地震のほとぼりが済むまで新幹線の乗客は激減するだろう。昨日の株価が下がった
のも、景気に台風と地震が景気に少なからず影響を与えると読んだからだ。本当に他人事ではない、今週の宿泊
は半減するだろう。話は変わるが、母が亡くなって初めて、たまたま仏壇周りの両親の写真と、遺品を整理した
日に大地震が起こるのも何か因縁めいている。「その時間に、引きつけられて整理をしたのだろうか?」と考えて
しまった。葬式用?の大きなロウソクも、ついでに倉庫にしまった。それが、その日のうちに必要になるのも
因縁めいている面白いものだ。仏壇の中のモノが(地震で)全て外に投げ出され、石灯篭が全て倒れるのだから、
因果に結びつければ、亡くなった両親が怒ったと思ってしまうのも仕方がないか。
歩いて数分の長岡高校と、長岡大手高校の前には多くの自動車が停車をしていた。
避難をするために駐車しているのだが、何か非現実的な思いである。私も自宅に電気が通じてなければ、
近くの避難所に行っているか、新潟のホテルで過ごしているであろう。 やはり危ない事態なのだろう。
数時間前の深夜、震度3~4の地震があった。まだまだ予断は許せない事態である。
・・・・・・
2003年10月26日(日)
935,『年収300万時代を生き抜く経済学』  森永卓郎著 (光文社) 
(字数の関係でカット、08年10月26日)
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561, ある時間の断片ー6
-2002年10月26日(土)
  1968年 9月18日
8時10分前に起床、すぐに学校に行く。夏休みあけ後久しぶりだ。事務管理を聴講後、石川、奥野など
5人と池袋の駅近くの喫茶ウイーンで話をする。それぞれが自分の道や将来を模索している姿が自分と重ねって、
独自性が逆に見えて面白い。その後いったん寮に帰る。6時半に新宿の紀伊国屋で待ち合わせる。歌舞伎町の
B&Bで飲む。3人で6000円で高いが気分が高揚をして面白い。その後三浦というスナックに行く。
以前と変わってないが家庭的雰囲気である。何とかという以前店で顔見知りの女性と踊る。ここも面白い、
3人で3000円であった。奥野が気分が悪くなり、急遽自分の部屋で3人で泊まることになる。
私は帰省中の佐々木さんの部屋で泊まる。
 ーーー
 1968年 9月19日
翌日も三人で午後の3時までいろいろの事を話をする。何か今日も予定どうり卒論が書けない。頭の中に
最近熱中して読んだ、精神論の言葉が駆け巡る。言っていることと、やっていることと違いが大きすぎる。
ファイトファイト、自分の潜在の力よ!!      
    9月20日
(字数の関係でカット、09年10月26日)
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[199] トレード.オフ  
 2001/10/26
トレードとは野球のトレードである。5名トレードすれば、5名首を切らなくてはならない。これがオフ。
ビジネスホテルのもっと合理化できる業態を考えた。カットできるもの、和室、会議室、ツウィンである。
そのぶんシングルの部屋数をとる。これがトレードオフである。ホット商品を早くコストカットして、
安く、大量に生産、売り抜ける。その時まずやるのが、トレードオフである。まずはこれが基本である。
 (字数の関係でカット、08年10月26日)