● 自然界にある美しいデザインの法則
≪ 身の周りに存在する美しく普遍的なデザイン。そこには美しく感じさせる
 数学的法則「黄金比」の法則がある。この黄金比に基づいた形が最も美しいと
言われています。黄金比=1:1.618の比率がもっとも美しい比率といわれる。
 なぜ黄金比には美しいと感じさせるバランスがあるのでしょう?
一つの解釈としては、『自然界のDNAに組み込まれている比率』のようだ。
黄金比とは、2,000年以上の昔、紀元前3世紀頃に活躍した数学者、ユークリッド
が定義したとされる。この黄金比を自然界に存在する法則として数式化したのは、
イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチです。
 バランスのよい縦横比
デザイン的に「見やすい」または「美しい」とされる縦横比。
 ・1 : 1.4 日本建築やハガキ・用紙サイズに用いられる白銀比
 ・1 : 1.6(または5:8)名刺などに用いられる「最も美しい比」とされる比
 ・3 : 2 フィルムカメラで使われる伝統的な縦横比
 ・4:3 PC のディスプレイやアナログテレビの縦横比
 ・16:9 デジタルテレビのハイビジョン映像で使われる縦横比
 ・1:1 正方形  ≫

◎ 正方形、円形、球状など、自然の摂理、バランスの結果だろう。
 認識するかしないかもある… その自然界のことすら殆ど分かってない。
何をしに地球に遊びに来ていることさえも。<で、何しに来たんだ私は?>
――
  
   ●顔の黄金律
 顔の黄金比に必要なポイントのひとつは顔全体のバランス。
 このバランス比率は3つの条件で成り立ちつ。
1.「前髪の生え際から眉間まで」「眉間から鼻の下まで」
「鼻の下からアゴの先まで」 それぞれの比率が1:1:1
2.「目の横幅」の5倍が「顔の横幅」になる
3.「顔の横幅」と「顔の縦の長さ」が1:1.46になる
 
◎ 化ける方も必死。何ごともバランス。そのバランスをとるのが、化粧で
 あり、TPOSでの服飾のバランス。 人は自己満足でしか生きられない動物。
 「自己満足も、ほどほどに」だが、他に手立てはないから始末が悪い!
追)ブログ自体が、そう。 毎日毎日、自己満足で分かったふりをして…
 で、これも偶然、以下の文脈に続いていく。

・・・・・・
5703,つれづれに哲学 〜限界状況 
2016年10月26日(水)
  * ヤスパースの、『限界状況』
 人生には誰もが「山あり谷あり」「晴れの日も、雨の日」もある。
節目には極限を遥かに超えるような事象が嵐のように、押し寄せてくる。
そして、最期に、まさか自分にという『死』が、覆い被さってくる。
それまでの日常では有り得ないような、心の苦悩と、肉体的苦痛が・・ 
その前の猶予期間の極限状況に、孤独と挫折を味わうことになる。 
  〜ネットで、『限界状況』を検索すると〜
ハイデッガーの”ライバル”の哲学者に、ドイツのカール・ヤスパース
(1883〜1969年)がいる。精神病理学者・哲学者・政治評論家などの
さまざまな側面があった。 ヤスパースハイデッガー同様に”ナチス政権” 
に大きく影響された。 妻が”ユダヤ人”であったことや、ナチスに対する 
”反抗”で当時、教鞭をとっていたハイデルベルク大学を追われてしまう・・
その妻が 強制収容所”へ送致されることになり、夫妻は自宅に2人で立て
籠もって抵抗するが、”収容所移送”が決定されてしまい、もはや自殺する
直前まで追い詰められ、その移送予定日が あと数十日程度に迫った1945年
3月30日にアメリカ軍が彼の住むハイデルベルクを 占領したことで収容所
への移送を免れた。この戦争体験が彼の哲学に対して 大きな影響を与えた。
ヤスパースは、この経験から”限界状況”をテーマにした思想を構築した。 
 それは、人間には ”限界状況” というものがある。それは
”死” ・・・ 死んでしまう という状況 
”苦” ・・・ 苦しみの状況・ さまざまなことで 苦悩する状況
”争” ・・・ 争い・闘争・戦争の状況
”責” ・・・ 罪を責めること  ”人間の原罪”を責めること    
 これらは人間の”日常生活”を”粉砕” してしまう”人間の運命”と 
されるもの。これは、人間の力、科学の力で克服できない状況。
 ”限界状況”の典型例が”自己の死”である。
ヤスパースは、「人間は普段、”気晴らしなどにふける”ことによって、
すでに”限界状況”の内にあることを 忘れてしまっている・・」とした。
 人間は、その”現実”を”自覚”すると自分自身の“挫折”と”限界”を悟る。
そして なぜ人間には”限界”があるのか?・・ 等々、深く考えることになる。 
また、この状況を”誰にも頼れない”・・と自覚することになり、
それまで感じたことのない”孤独”と”絶望”に 陥る。
 そして、「人間とは 極めて”弱い存在”」と 自覚することになり、
そこで、「人間を”超えたもの”が存在するのではないか?」と考え始める。
それを”包越者”または”超越者”という表現で 表わそうする。
そして、「人間は、その”超越者”と”交わる”ことで「真実の生き方」
である”実存”に 目覚めてゆく」と主張した。 
さらに”交わる”とは”自己開示”を意味しており、各人が自分自身に、
”閉じこもる”ことなく”他者”へと向かい自己自身の存在に対する意識を 
”反省するべき”とも 説いた。 最終的には・・・
”超越的存在”に面することにより、自らの有限的な存在が”反省”させられ
その”超越的存在”に面している自己自身という自分の存在の”確信”が 
得られる。これを ヤスパースは”絶対的意識”と説いたのです。≫

▼ 「業火に焼かれる」とは、よくいったもの。まさに、限界状況の中で
 味わう苦悩。この苦悩を経て、絶対的意識に到達できる。弱い人間には
宗教が必要になる。死を前にして強い人間なぞは存在しない。人間の原罪を
それぞれが真正面から見つめること、そう、「正 中心 一点 無」で、
見続けることが、業火を少しでも和らげてくれる。人生には、四苦八苦、
四楽八楽、感動、感激、至高体験、激怒、業火の雨など、いろいろある。 
 どこ吹く風の少々の天然?が、現に存在している! 自分も?

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5338,構造主義ポスト構造主義 〜�
2015年10月26日(月)
   * 構造主義とは    〜『世界の哲学・思想』小須田健著
 19C末に亡くなったニーチェの思索が「現代哲学」の土台になっている。
第二次大戦後、サルトルとともに広まっていった実存哲学は哲学を超えた
流行現象になった。レヴィ・ストロース文化人類学の領域から構造主義
提起した。これは西洋哲学を根底から揺るがすものだった。社会学を学ぶもの
にとっては、構造主義ポスト構造主義を明確に把握する必要があるため、
ここで取り上げることにした。考えてみれば、社会学とは社会構造と、構成
要素の人間を解明すること。 〜その辺りから〜
≪ 私たちは、自分の意思を伝えるのに日本語という言語を用います。
 言語には特有の文法構造があり、それに即して話さないと何も伝えられない。
つまり私たちは、日本語という言語の構造によってしゃべらされているのです。
初めて英語を学んだとき、兄も弟も「ブラザー」の一語で済ますとは、何と
おおざっぱな言語だと思いませんでしたか? これは、英語が他人をまず同胞
(家族)かどうかという観点で捉えるのに対して、日本語は目上か目下かという
観点を重視するという違いを反映しているのです。 つまり言語が異なれば、
社会構造も異なるのです。 今でこそ私たちは、時代や文化が違えば見方も
異なることを当然だと思っています。しかし、その態度は学生紛争のころなら
日和見だと自己批判を迫られたでしょうし、戦前の日本なら天皇をないがしろ
にする非国民だと弾劾されたかもしれません。このように自分の生きる時代の
価値観としての諸構造からは誰も自由になれないことを教えてくれたのが
構造主義」です。構造主義は、フランスで生まれた20世紀後半を代表する
思想的潮流です。この思想は当初から、狭義の哲学とは無縁な様々な学問が
集まって展開された点に、大きな特徴があります。
 構造主義の祖はスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールであり、
フランスで構造主義のロ火を切ったのは文化人類学レヴィ・ストロース
かつて構造主義の四天王と呼ばれた人物を見てみても、精神分析学者である
ジャック・ラカン、文芸批評家のロラン・バルトマルクス主義者のルイ・
アルチュセール、思想史家のミシェル・フーコーと、哲学者は一人もいない。
 また、一口に構造主義といっても共通の見解や綱領もありません。
ただ彼らの仕事には、共通の特徴があったのです。それまでは、人間の社会的・
文化的営みを考る上で、そうした制度を創った人間が中心に置かれていました。
これに対して、彼らはその活動を根底で規定し方向づける「構造」こそ大きな
意味があると考え、その構造を様々な領域で探究したのです。
 ストロースやラカンは、五〇年代からその探求を開始していましたが、
構造主義そのものが世間的に知られるようになったのは、レヴィ・ストロース
が『野生の思考』(1962年)を出版したのをきっかけに生じたサルトルとの論争
によってでした。『野生の思考』は、それまで非合理とみなされたいわゆる
未開人の神話的思考が、西洋近代の科学的思考に劣るどころか、感性的表現で
世界を組織化する「具体の科学」だと主張して、西洋近代の理性中心主義への
反省と西洋中心的発展史観の解体を促しました。ただ彼の意図は、単に西洋の
論理を相対化することでも、未開の思考を賞賛することでもなく、人類に普遍的
な論理性や心性の構造を探りだすことにありました。レヴィ・ストロースは、
その最終章でサルトルの思想が西洋近代社会の人間像だけをモデルにした理論
構築だと批判しました。西洋近代は、歴史は人間の手で自由に創造されるもので
あり、人類は幾多の困難や矛盾を乗り越えつつ進歩していくという歴史観
基づいていました。構造主義は、そんな人間主体の全面的自由を疑ったのです。
この論争は反響をよび、実存主義から構造主義への世代交代を印象づけました。
しかし、統一的な学派でなかった構造主義は、七〇年代以降記壕論的探究や
ポスト構造主義へと拡散していくことになります。≫
▼「人々の活動を根底で規定し方向づける『構造』こそ大きな意味がある」と、
 未開人の神話的思考から、欧米の理性中心主義を疑った。これは、それまで
無批判だった欧米主義を根こそぎ、揺らがす出発点になった。その社会構造が、
ネット社会の到来で根こそぎ揺らいでいる。ネット社会の構造とは如何なる
ものか、どの方向に向かうのか? 面白そうだが、先は限られている。 
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4973,閑話小題 ーよい先生とは
2014年10月26日(日)
 * 「数学科」より「子ども科」へ!   
            〜『大丈夫、なんとかなるさ』近藤勝重著より
なかなか、示唆のある内容である。 ーまずは、その辺りから 
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
それは中学1年の英語リーダーで先生にニューヨークの地名の意味を質問した
ことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか!」と怒声を上げたと
いうのだ。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したこと
はない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある
学校で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが
自分の仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることでは」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」を
教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがて子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子は、答える。
「先生に習うようになってから、自分が好きになったんです」
『こころのチキンスープ』で知った話だが、その先生の言葉をぼくなりに
想像してみた。こんな感じではないか。「エディ正解まであと一歩よ。
公式はちゃんと使えているわ。あなたならきっとできる」 ≫
▼ 学生時代に「人事管理」「キリスト教倫理」「経営学」など、影響を
 受けた教授は、その科目を超えた、「青年学」だったようだ。 授業を通じ、
これからの人生を如何に生きるか、どうあらねばならないか、を教えていた。
そう、専門課程を通してベースになる教養の必要性を教えていたようだ。 
現在の私の学問は、一度、子どもにたち返って、原点から考え直すこと。
自分を子供に見立てた「子ども学」が、私の科目である。純真な気持ちで哲学や
文学を通して、どうしようもない自分を学び直す、学びとすれば、何かが見えて
きそうだ。現実に溺れたまま、この歳まで生きてきた男が、急にガンを宣告され、
それまでの生き方そのまま自分に問われる。そして、それまで生きてきた姿
そのままで、死んでいく。これは、全ての人に当てはまること。この数年来、
死ぬ時に、両親と手をつないで雲の彼方に上っていくイメージを作り上げてある。
とすると、「子供学」を通した「死生学」になる。「もっともっと楽しんで
おけば良かった」と、それでも後悔するはずだから、一日一日を大事にし、
楽しむことが、いま与えられた課題になる。「いま現在、実行している!」
という内なる声は、勘違い! それにしても、毎日が面白いが・・
 まだまだ、楽しみが足りない!ということ。 
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4606, 閑話小題 ージェネリック家電
2013年10月26日(土)
   * ジェネリック家電
 最近、ジェネリック薬品という言葉を聞く。その意味は、「開発した薬が
一定期間を経過したことによって特許切れになった薬品を、他社が格安で製造
販売できるようになった薬」。ところが、昨日の朝のTVのモーニングショーで、
初めて聞く、「ジェネリック家電」を特集していた。 白物家電などで、型落ち
(一世代前)した製品の部品を集め半額から10分1の価格に抑えた専門メーカー
の商品。 取材を受けていたメーカーの売上が、毎年、右上がりに増加している
という。 去年、20年以上使っていた扇風機が二台、同時に寿命にきたため、
家電チェーンの店先には、何と980円、1480円、1980円の扇風機があった。
そこで1480円と1980円のを買い、二シーズン使ったが何も問題がない。
何故、ここまで値段の差があるのか不思議だったが、番組をみて納得。半月前に
5年間使ったデジカメが壊れ、新たに買うことにした。当初からデジカメは
カシオにしている。前のものは「絵画変更機能付きなど多機能」で3万円前後
だったが、今度のは7千円。ベースの機能以外、一切ついてないが、画素が
800万から1600万画素に増加したもの。 2万円以上の多機能付きか迷ったが、
ベース機能以外は殆ど使っていないので、一番安いのを買った。デジカメは、
日常、肌身離さず持ち歩いていて、携帯電話より私にとっては必要な機能。
デジカメは現在、スマートフォンに組み込まれて、瀕死の状態だが、それに
しても安い。20年近く前に、新潟のイタリア家具専門店から居間の応接セット
を買った。百万円以上はするような高級家具が、30万円。そこで、社長に
聞くと、「これは、実は韓国産。木製部分が韓国産で、鞣し革部分をイタリヤ
から輸入したもの。デザインは百万以上の家具を忠実に似せているので、
本物と全く同じです!」と。そして、我家の居間に鎮座をしている。
実際のところ、見た目は良いが、実用的ではない。これは「ジェネリック家具」
の走りだろう。考えてみれば百均も、生活用品を中心にしたジェネリック雑貨。
型落ちや、特許切れで、値段を落とした訳ではないが、使用目的に絞り込んで
トレードオフをしている点では同じ。5百、千円ならいらないが、百円なら・・ 
韓国や中国メーカーの飛躍的成長に、「日本の人材の型落ち?」を取り入れ、
格安の製品開発をしていった背景がある。
中間層の収入が減れば減ったで、こういう知恵が出てくる。 
・・・・・・
4231,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー6
2012年10月26日(金)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * コーラは頭痛に効くドリンク剤だった
1886年アメリカの薬剤師ペンバートンが、アフリカ原産の常緑樹「コーラ」
 の種子のエキスにコカの葉や香料を加えて、頭痛薬「コカ・コーラ」として
売り出した。水で薄めて飲めぽ、二日酔いによる頭の痛みなどに効果があった。
ある日、二日酔いの客がペンバートンの薬局にやって来た。店員は、いつもの
ようにその場で水で薄めて客に飲ませようとしたが、あいにく手近なところに
水がなかった。そこで、間に合わせに炭酸水で割ったところ、二日酔いの客は
すっかり元気になり、効き目の早さに大喜びしたのである。これが評判を呼んで、
シュワッと泡の出るコカ・コーラアメリカ中に広まっていった。
日本には、1919(大正八)年に輸入されたが、当時の日本人には馴染めない味
だったのか、あまり売れず、いったんは発売が中止になった歴史がある。
再度輸入されるようになったのは第二次大戦後になってからだが、当初は占領軍の
兵士や、その家族用で、一般に広く飲まれるようになったのは1961(昭和三六)年に
輸入が自由化されてからのことである。 ≫
   * 緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれももとは同じ葉っぱ
≪ お茶といえぽ緑茶、紅茶、ウーロン茶など、さまざまな種類のものがある。 
 しかしルーツは一つなのである。ではこれらのお茶は何が違うのかというと、
製造方法が違うのだ。 製造過程で、葉の発酵具合を変えることで、まったく
違う種類のお茶になるのである。一般的に、緑茶は発酵させず、若葉を蒸して
もんだり妙ったりして作られる。ウーロン茶は半発酵させた茶で、青茶ともいう。
そして充分な発酵を経て作られるのが紅茶である。ウーロン茶や紅茶は発酵
させる過程で、独特の風味や香りが生まれるというわけだ。≫
▼ コーラも、お茶も一種の軽い興奮剤。空腹を誤魔かすに適していた。
 ・・・・・・・
3866, 嘘みたいな本当の話 ー4
2011年10月26日(水)
       「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
  * 黒い瞳
 新聞が配達される頃、目が覚める。我家の犬が決まって吠えるからだ。
昼間でも家の外に人の気配がすると、玄関に走り出し吠える。家を守ってでも
いるつもりなのか、内弁慶で、大きな犬の前ではこそこそ逃げる。
やっぱり飼い主に似るのだろうか。その日は何か予感がして、近道を通った。
父が入院している病院に向かっていた。病室に入ると人工呼吸器につながれる
瞬間であった。自然死でとお願いしていたのに。言葉を発しようとしたが、
得意げな医師の表情に、口をつぐんだ。父は九州男児で、職人気質。
よく叱られたが、いまは言葉を発することもなく、微動だにせず機械と息を
合わせ続けていた。が、二十五日後、その瞬間はやってきた。重い足を引きずる
かのような音と共に機械は動きを止めた。ドラマでは何度も見ていたが、パルス
音と共に波形が小さくなる様を他人事のようにただ眺めていた。父の法要が済み、
一段落した頃、通りがかりのペットショップで一匹の犬とたまたま目が合う。
茶色のトイプードルが我が家にやってきた。とにかくやんちゃで、言うことを
きかない腕白坊主。その後、ブリーダーから送られてきた血統書を見て、
思わず声が出た。「一月二十八日」彼の誕生日は、父が人工呼吸器に繋がれた、
まさにその日であった。これを書いている最中、視線を感じて振り向くと、
真ん丸の黒い瞳でじっとこちらを見ている彼がいた。 兵庫県 光安清登
▼ 10数年前の話になるが、夕方の5時半に偶々寺院の仏像がTVの映像に
映し出されていた。その時に居間の障子越しから夕陽が仏像を照らした。
それが偶然にしては出来すぎの神秘的な混合になった。もしかして今日は
何の日、ハッとした。父親の命日の5月30日をスッカリ忘れていた。 
両親の命日を忘れたことは後にも先にも、それっきり一度もない。