* ジェネリック家電
 最近、ジェネリック薬品という言葉を聞く。その意味は、「開発した薬が一定期間を経過したことによって特許切れに
なった薬品を、他社が格安で製造販売できるようになった薬」のこと。 ところが、昨日の朝のTVのモーニングショーで、
初めて聞く、「ジェネリック家電」を特集していた。 白物家電などで、型落ち(一世代前)した製品の部品を集めて
半額から10分の1の価格に抑えた専門メーカーの商品である。 取材を受けていたメーカーの売上が、毎年、右上がりに増加
しているという。 去年、20年以上使っていた扇風機が二台、同時に寿命にきたため、家電チェーンの店先に行ってみると、
何と980円、1480円、1980円の扇風機があった。そこで1480円と1980円のを買い、二シーズン使ったが何も問題がない。
何故、ここまで値段の差があるのか不思議だったが、番組をみて納得。 半月前に5年間使ったデジカメが壊れ、新たに
買うことにした。当初からデジカメはカシオにしている。前のもは「絵画変更機能付きなど多機能」で3万円前後だったが、
今度のは7千円。ベースの機能以外、一切ついてないが、画素が800万から1600万画素に増加したもの。 2万円以上の
多機能付きか迷ったが、ベース機能以外は殆ど使っていないので、一番安いのを買った。
デジカメは、日常、肌身離さず持ち歩いていて、携帯電話より私にとっては必要な機能になっている。
デジカメは現在、スマートフォンに組み込まれて、瀕死の状態だが、それにしても安い。
 20年近く前に、新潟のイタリア家具専門店から居間の応接セットを買った。百万円以上はするような高級なものが、
30万円。そこで、社長に聞くと、「これは、実は韓国産。木製部分が韓国産で、鞣し革部分をイタリヤから輸入したもの。
デザインは百万以上の家具を忠実に似せているので、本物と全く同じです!」と。そして、我家の居間に鎮座をしている。
実際のところ、見た目は良いが、実用的ではない。これは「ジェネリック家具」の走りだろう。
 考えてみれば百均も、生活用品を中心にしたジェネリック雑貨。 型落ちや、特許切れで、値段を落とした訳ではないが、
使用目的に絞り込んでトレードオフをしている点では同じ。 5百、千円ならいらないが、百円なら・・
 韓国や中国メーカーの飛躍的成長に、「日本の人材の型落ち?」を取り入れ、格安の製品開発をしていった背景がある。
中間層の収入が減れば減ったで、こういう知恵が出てくる。 
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4231,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー6
2012年10月26日(金)
 ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * コーラは頭痛に効くドリンク剤だった
 ≪1886年アメリカの薬剤師ペンバートンが、アフリカ原産の常緑樹「コーラ」の種子のエキスにコカの葉や香料を加えて、
 頭痛薬「コカ・コーラ」として売り出した。水で薄めて飲めぽ、二日酔いによる頭の痛みなどに効果があったのである。
ある日、二日酔いの客がペンバートンの薬局にやって来た。店員は、いつものようにその場で水で薄めて客に飲ませようとしたが、
あいにく手近なところに水がなかった。そこで、間に合わせに炭酸水で割ったところ、二日酔いの客はすっかり元気になり、
効き目の早さに大喜びしたのである。これが評判を呼んで、シュワッと泡の出るコカ・コーラアメリカ中に広まっていった。
 日本には、1919(大正八)年に輸入されたが、当時の日本人には馴染めない味だったのか、あまり売れず、いったんは発売が
中止になったという歴史がある。再度輸入されるようになったのは第二次大戦後になってからだが、当初は占領軍の兵士や、
その家族用で、一般に広く飲まれるようになったのは1961(昭和三六)年に輸入が自由化されてからのことである。 ≫
   * 緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれももとは同じ葉っぱ
≪ お茶といえぽ緑茶、紅茶、ウーロン茶など、さまざまな種類のものがある。しかしルーツは一つなのである。
ではこれらのお茶は何が違うのかというと、製造方法が違うのだ。 製造過程で・葉の発酵具合を変えることで、まったく違う
種類のお茶になるのである。一般的に、緑茶は発酵させず、若葉を蒸してもんだり妙ったりして作られる。ウーロン茶は
半発酵させた茶で、青茶ともいう。そして充分な発酵を経て作られるのが紅茶である。ウーロン茶や紅茶は発酵させる過程で、
独特の風味や香りが生まれるというわけだ。≫
 ▼ コーラも、お茶も一種の軽い興奮剤。空腹を誤魔化すに適していたのだろう。
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3866, 嘘みたいな本当の話 ー4
2011年10月26日(水)
          「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
  * 黒い瞳
 新聞が配達される頃、たいがい目が覚める。我家の犬が決まって吠えるからだ。昼間でも家の外に人の気配がすると、
玄関に走り出し吠える。家を守ってでもいるつもりなのか、内弁慶で、大きな犬の前ではこそこそ逃げる。
やっぱり飼い主に似るのだろうか。その日は何か予感がして、近道を通った。父が入院している病院に向かっていた。
病室に入ると父は人工呼吸器につながれる瞬間であ.った。自然死でとお願いしていたのに。言葉を発しようとしたが、
得意げな医師の表情に、口をつぐんだ。父は九州男児で、職人気質。よく叱られたが、いまは言葉を発することもなく、
微動だにせず機械と息を合わせ続けていた。が、二十五日後、その瞬間はやってきた。重い足を引きずるかのような音と共に
機械は動きを止めた。ドラマでは何度も見ていたが、パルス音と共に波形が小さくなる様を他人事のようにただ眺めていた。
父の法要が済み、一段落した頃、通りがかりのペットショップで一匹の犬とたまたま目が合う。茶色のトイプードルが
我が家にやってきた。とにかくやんちゃで、言うことをきかない腕白坊主。その後、ブリーダーから送られてきた血統書を見て、
思わず声が出た。「一月二十八日」彼の誕生日は、父が人工呼吸器に繋がれた、まさにその日であった。
これを書いている最中、視線を感じて振り向くと、真ん丸の黒い瞳でじっとこちらを見ている彼がいた。 兵庫県 光安清登
 ▼ 10数年前の話になるが、夕方の5時半に偶々寺院の仏像がTVの映像に映し出されていた。その時に居間の障子越しから
  夕陽が仏像を照らした。それが偶然にしては出来すぎの神秘的な混合になった。もしかして今日は何の日か?、ハッとした。
  父親の命日の5月30日をスッカリ忘れていた。 両親の命日を忘れたことは後にも先にも、それっきり一度もない。
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3501, 10−10−10 ー�
2010年10月26日(火)
 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 スージーウェルチ (著)
  「何かが始るとき、そして終わるとき、人は立ちすくむ」。
 その時、目先に捉われて、感情が乱れ、思考停止になり、絶望に陥ってしまう。 が、そんな節目にこそ、10-10-10は
 未来に目を向けてくれる。そして未来から節目を見直す思考を促す。それも3つのスパンで問題に光を当てることになる。
 そこで、自分の価値観は果たして何だろうか、自分のシガラミとは何かを気づかせてくれ、人生の優先順位を考えるきっかけになる。 
 また自分に必要なもの、必要なことは何かを見極めるチャンスを与えてくれる。それが自分の潜在意識の囁きに耳を澄ますことになる。 
 未来=10年後だけでなく、現在=10分後・10日後にどうなっている?の視線も重要である。目先、とにかく冷静沈着が必要とされる。
 ここで「10・10・10」を、<バーチャル・コンサルタント>と擬人化して質問を発することを勧めている。
 我が内なる「10・10・10」が、この緊急の事態(質問)の答えは何だろうか?と。その質問を明確にすれば、答えの何割かは
 自然と内から出てくる。それはガイドでもある。そこで、「長期的視点で現在何を準備すべきか、中期的なら何を準備すべきか、
 そのため現在の具体的行動は何か」を冷静に考えることが可能になる。 少なくとも問題に対して前向き思考になる。
 彼女は、これを「人生管理ツール」という。 人は闇にいる時、そこに、そのまま留まってしまう傾向が非常に強くなっている。 
 問題に対して、この思考を繰り返しているうちに、人生の優先順位を並びかえる作業をしている。 
 経営は、それを年中考えることだが、慣れは、それを忘れさせる。 しかし10−10−10をツールとして使えれば、気楽に長期思考も
 短期思考もしていることになる。 著者は女性の直感で、10−10−10と単純な三つのスパンで考える方法に気づいたこと、そのことが、
 素晴らしい。そして3つのスパンで単純に、具体的に考えるほど、気づかなかったこと、漠然としていたことが姿を現してくる。
  ここまで、シンプル化するには膨大のエネルギーを注ぎ込んでいる。間違いなく、これは卓越した決断の思考法である。
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3126、あいうえお言霊修行
2009年10月26日(月)
 「あいうえお言霊修行 」 矢山 利彦 (著)  ー読書日記
 図書館で、何気なく手に取った本。さっそくポストイットに書き写して、パソコンの画面の下に貼り付けた。
「ありがとう」を何万、いや何十万回か言ったが、最近は言わなくなった。 
今度は「あいうえお言霊修行 」として、せめて一万回をいって見ようか。 以下は、アマゾンの
 ー内容紹介ーと 「カスタマレビュー」
《 言葉には気のチカラがこもっています。そのチカラを脳が感じているのです。
言葉には意味だけではなく、本当にチカラがこもっているのです。「うれしい」「悲しい」・・・。
そうした言葉の一つ一つを脳の深い部分が感じ、プラスとマイナスの言葉に振り分け、そのチカラを身体に伝え、
心の文様をつくっているのです。気がつかないかもしれませんが、「自分の口から出た言葉」「人から聞いた言葉」に、
私たちの身体と心はつねに反応しているのです。》
 ーカスタマレビューで、ホボ7割方を言い尽くしているので、そのままコピーしてみるー
魔法の言葉では、五日市剛さんの『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」』がある。  本書では、魔法のプラス言葉
【あいうえお言霊修行】として、『言葉が心を変え』『身体を変え』『人生を変える』方法が紹介されている。
●この言葉は、(声に出して)1万回間違わずに唱えれば、確実に変われる強さがある。
●途中でマイナス言葉を言ったら、振り出しに戻って【0:ゼロ】から、始めること。
   [魔法のプラス言葉]
・「あ」は、「ありがたい」 ・「い」は、「いつくしむ」 ・「う」は、「うれしく」 
・「え」は、「エンジョイ」 ・「お」は、「おおらか」
   [病気になる人、ネガティブ]な人に多い、
  「が・ぎ・ぐ・げ・ご」思考及び行動
・「が」は、「がんばる」 ・「ぎ」は、「義理・義務」 ・「ぐ」は、「グチる」
・「げ」は、「原理・原則」  ・「ご」は、「ごまかす」
1万回間違わずに唱える行動に動くことで、人生は、積極的なプラス思考となり、いい方向に変わると考えます。
魔法のプラス言葉の第2弾です。 行動に動いて、損をすることはないでしょう。
 ーー
指回しをしながら、親指から、あいうえお順に回しながら言うのも良いだろう。
栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」というのがあった。
一時、中年の人が彼方此方でしているのを見かけたが。  良いと思ったら何でもともかくしてみることだ。   
 でも、一万回も、言えるかな? まあ、パソコンの下に貼り付けてあるから、それだけでも良いか?
「がごぎげご」か〜、社民党の女党首が、これ! いや他人事じゃないか〜 そのどこが悪い!とも言えるが。
                                    世界は娑婆娑婆! だもの。
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2761, 金融危機・中国からの視点
 2008年10月26日(日)
産経新聞の【ちゃいな.com】という産経新聞・中国総局長・伊藤正のコラムが、面白い。
中国も、社会主義が抱えている汚職と、一党独裁の矛盾が噴出。更に米国の金融危機の余波を受けている。
やはり米国同様に、これから10年間は動乱になる可能性がある。
 その中国の置かれた現状が先週の産経新聞の一面に掲載されていた。まずは、その内容から・・・・
【 中国が毛沢東の革命路線から改革・開放路線へ転じ、経済発展へスタートを切ったのは1978年12月。
 この歴史的転換の主役、トウ小平副首相(当時)は翌1月、外交関係を正常化した直後の米国を訪問した。
 トウ氏は経済発展には対外開放が不可欠で、そのかぎは対米関係にあると考えていた。
 トウ氏の外交顧問で訪米に同行した中国の米国研究の権威、李慎之・元社会科学院副院長が、
 なぜ対米関係が重要なのか問うと、トウ氏は明快に答えた。「米国についていった国はみな富強になったではないか」
 このエピソードは、先に連載した「トウ小平秘録」でも紹介したが、このとき、トウ氏の頭にあったのは、
 米国市場で巨額のドルを手にした日本だったろう。 実際、過去30年間、中国は米国を最重要の経済パートナーに、
 対外貿易を振興、急成長を続けてきた。
 中国式発展方式の特徴は、安価な労働力を武器に外資を導入、「世界の工場」として輸出で外貨を獲得することにある。】
  (字数の関係でカット、09年10月26日)
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2007年10月26日(金)
2397, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー4
                        (*´・ω・)ノはよー
ここで彼が述べていることを野生動物のファミリーとみれば理解しやすい。父親の役割は子供をつくり、餌を取ってきて、
メスと子供を外敵から守る。これは全ての動物の自然の姿である。 万物の霊長たる人間様は動物とは違う!というが、
その万物の霊長とかいうこと自体、自惚れではないのでは?と、吾身や社会を省みて思わざるをえない。 それと歴史・・・
父親は父性、母親は母性の役割があるる! 変態と知能指数の低いのは 別だが・・これは世界の何処の社会でも同じことである。
一番おかしくなっているのがアメリカと日本! 戸塚宏の次の内容は、現代日本の家庭崩壊の根本問題を指摘している。
 当たり前のことが当たり前でなくなっているところに問題の深さがある。
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 *父性と母性*
こうした小学校時代の教育には、父親の力が不可欠である。父親が家の方針を決め、母親がそれを補佐する形が理想だ。
この形を維持すれば、子供は父親の言うことを聞くようになる。実はヨットスクールに来る子供たちの家庭は例外なく父性が弱い。
酒鬼薔薇聖斗事件でも西鉄バスジャック事件でも、犯人の家庭では、父親が弱かった。男女どちらが優れているという話ではない。
役割が違うのだ。「家庭内での男女同権」を唱える人がいるが、家庭で母親が父親並みの権力を持って何かいいことがありましたか、
と問うてみたい。 無論、何もいいことはないのである。
 私は、父親がなすべきことは四つあると考えている。
一つは、子供をつくること。 二つ目は、餌を取ってくること。 三つ目は家族を物理的に守ること。 四つ目は国を守ることだ。
いきなり愛国心とは、面食らうかもしれないが、父親に愛国心がないと子供は不安になるのである。
自分の数々の経験からこれは間違いない。人間は群れをなす動物で、男は時として群れのために命を投げ出すことがある。
これは男の本能だ。男は強くなろうとするが、それは自分のためだけではなく、群れを守るためでもある。
群れを守ろうとする気持ちが強い人は、父親が強いのである。子供たちも己を捨ててチームや社会、国のために働くヒーローが好きだ。
漫画やテレビなどでもそういうヒーローものにひきつけられる。 男の子は本能的にそれを知っているのだ。いまの日本は、
男性が女性化して守ってもらう側になっていることも珍しくない。 群れを守るどころではない。これも教育の悪影響だ。
戦後、男に与えられていた責任感が激減したから強くなれなくなってしまった。女は本能的に保護を求める性だが、男が頼りなければ、
女が強くなっていくしかない。しかし、母親はよほど自覚的にならない限り、子どもを強く育てることはできない。
たいていは子供が素直で勉強ができれば、満足してしまう。それではひ弱な偏差値秀才ができるだけだ。