つれづれに

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  今日のYoutube

 今年も、あと三月、災害も小さな噴火が続いた以外は騒いだほどでないが、
異常気象は続いている。世界的にみれば、中東からの難民の欧州への
本格的移動である。 ビデオが現場の生々しい窮状を世界に発信するため
各国が打ち捨てておくことが出来なくなった。背景には、やはり情報化がある。

 中国発の世界恐慌が表立つところだったが、何とか、抑えているが、
これも、どうなることか。

 私も、『古希』をむかえて、老いを実感してきた。
一番上の姉の連添いが86歳で亡くなり、身近にも死が忍び寄ってきた。


・・・・・・
2011年09月30日(金)
3840, iPadと、アプリ、あれこれ ー2
 雑誌や本などの電子化で、出版物の概念そのものが根底から変わる。
要は無料である。デジタル化は著作権の有名無実化を意味する。 
青空文庫というアプリは、数百冊のフリーの本がある。学生時代に読んだ、
芥川龍之介有島武郎夏目漱石森鴎外などの懐かしい本が無料で何時でも
読める。 雑誌以外で初めて買ったのが『松岡正剛の書棚』というデジタル本。
全体の書棚のレイアウトと、それぞれの棚が写真に載っており、それに沿って
松岡の文章が書いている。 面白いのは、完成したばかりの東京駅直ぐ隣に
ある丸善ビル(書店)に、同じ書棚のスペース(60坪)が公開されている。 
そこの写真が、この本のベースになっている。 松岡正剛といえば、
「千夜千冊ブログ」という読書感想専門のブログがある。5~6年前から、
この書評を読んでいるが非常にわかりやすい。~その辺をネットで調べると
【「千夜千冊」は、2000年2月から執筆を開始、2004年の『良寛全集』で1000に
 達したが、それ以降から現在までも続いている。・・ 2009年10月に、
丸善丸の内本店に、松岡正剛プロデュースによる松丸本舗をオープン。
ショップ・イン・ショップという形態で、松岡をはじめとする著名人の
書斎を再現した本棚など、その斬新な店舗づくりが話題を呼んでいる。 
2010年7月には『松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦』が発売された。】とある。 
上京のおりに是非とも行ってみたいが、書店のあり方も大きく変わっている。
ネット書店は、こういう考え方をベースにレイアウトが構築されるのが理想。
iPodが根こそぎ、音楽配信のあり方を変化させたが、その波が今度は
出版界にもやってきている。去年からiPadなどタブレットPC端末の
爆発的普及から始った。パソコンは、その場で書評や解らない単語を調べる
ことが可能である。それと指先を開いたり縮めたりで字の大小を変えることが
出来る。これが読む方からしたら非常に良い。雑誌などは、パラパラと全体を
俯瞰出来るところが良いが、下の欄にページを次々とスクロールできるので
遜色ない。近い将来、検索で、あらゆる本の中の情報に辿りつける時代が
来ることは間違いない。そうなると著作権の問題が出てくるが、そ
れがニーズなら、その問題はクリアされるしかない。 
  ・・・・・・・
2010年09月30日(木
3475, 迫るハイパーインフレの危機 ー2
 この時期に社会主義者の管首相と仙谷に政権を与えていることは最悪の事態
と見るべきである。彼らは大きな政府と称し、収入減少を甘くみて財政赤字
積み増している。それ以前に、この借金体質を作り上げてきたこれまでの日本
は、もう後がなくなってきている。著者の藤巻健史だけがハイパーインフレ
警告してきたのではない。多くの経済学者と評論家が10年以上も前から、
警告を発しつつけている。それでもハイパーについては大っぴらには書けない
ようで、大新聞では殆ど論評されてない。
 以下は、藤巻健史の前回の続きである!
  * 市場主義に背を向けてきた日本
  * 自分の財産は自分で守る
 ( 字数の関係でカット12年09月30日 )
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2009年09月30日(水)
3100,強請りの類
 この商売をしていると、数年に一度は、その手の専門職が強請りをしてくる。
小さなのを入れれば毎年である。(字数の関係でカット11年09月30日) 
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2008年09月30日(火)
2735, 学校 
山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他に「学校」もよい。
それぞれに味があるが、この後20年近く撮られてない。
 その中で特に、?が良い。
横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、
その少年は『冒険の旅に出る』との書き置きだけを残して一人家を出る。
目標は九州・屋久島の縄文杉という設定。彼がそこにヒッチハイクで乗り継いで
いくプロセスで多くの経験をしていく。初めから最後まで観客にハラハラ
させられる場面がつづくが、その少年は、その経験を通して成長していく。
そして最後は、登校拒否を乗り越えて学校に行くことになる。 
 一番感動的な場面をあげてみる。
≪ ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離
 トラックに乗せて貰う。彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に少年を
連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。一晩泊めてもらい話すうちに
心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で鹿児島港まで送ってもらうことに
なった大介は、別れ際に、その青年から侍の絵とともに次の詩を書いた
手紙をもらう。『 大介君へ/ 草原のど真ん中の一本道を/あてもなく浪人が
歩いている/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて草原を突っ切る/
早く着くことなんか目的じゃないんだ/雲より遅くてじゅうぶんさ/
この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ/はっぱに残る朝露/
流れる雲/小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない/だから浪人は
立ち止まる/そしてまた歩きはじめる/   日向国浪人 大庭登 』。
 母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考えとったの。
おばさん、ちっとも気づかんかった」と、号泣する。別れ際、彼女はフェリー
のチケットを大介に渡し、彼の肩を強く抱きしめた。屋久島に行かなくても
よくなっていたが、フェリーのチケット買って貰ったこともあり屋久島に渡る。
その少年は島で出会った登山客の金井真知子に同行を頼んで縄文杉までの登山
に挑む。険しい山道を真知子に励まされながら進み、ついに縄文杉に到達する。 
その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は真知子に勧められて家に電話を
入れる。出たのは妹だった。彼女は兄の快挙を喜ぶと共に母が毎日泣いている
ことを伝えてくれた。 妹のことを真知子に問われるまま話す少年に、
真知子は「一人前になるというのは、ありのまま自分を受け入れることから
始まるんじゃないかな」と話す。≫
 --
 恐らく、この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。
少年期には、誰も大きな傷を受ける。それは一生の傷になる。しかし、それを
抱えて一人道を歩くのが人生。自閉症の青年の詩の一節、「この星が浪人に
くれるものを見落としたくないんだ」がドキッとさせられる。何度も観たが、
その都度、考えさせてくれ、後味のよい気持ちを残してくれた映画である。
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2735, 学校 ?
2008年09月30日(火)
 山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他には「学校」もよい。
それぞれに味があるが、この?の後に20年近く撮られてない。
 その中で特に、?が良い。
横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、
その少年は『冒険の旅に出る』との書き置きだけを残して一人家を出る。
目標は九州・屋久島の縄文杉という設定である。
彼がそこにヒッチハイクで乗り継いでいくプロセスで多くの経験をしていく。 
初めから最後まで観客にハラハラさせられる場面がつづくが、その少年は、
その経験を通して成長していく。そして最後は、登校拒否を乗り越えて
学校に行くことになる。 一番感動的な場面をあげてみる。
  --
 ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離
トラックに乗せて貰う。彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に
少年を連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。
一晩泊めてもらい話すうちに心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で
鹿児島港まで送ってもらうことになった大介は、別れ際に、その青年から
侍の絵とともに次の詩を書いた手紙をもらう。
『大介君へ/ 草原のど真ん中の一本道を/あてもなく浪人が歩いている/
ほとんどの奴が馬に乗っても/ 浪人は歩いて草原を突っ切る/早く着くこと
なんか目的じゃないんだ/雲より遅くてじゅうぶんさ/ この星が浪人に
くれるものを見落としたくないんだ/葉っぱに残る朝露/流れる雲/
小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない/だから浪人は立ち止まる/
そしてまた歩きはじめる/ 
 母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考え
とったの。おばさん、ちっとも気づかんかった」と、号泣する。  
別れ際、彼女はフェリーのチケットを大介に渡し、彼の肩を強く抱きしめた。
 屋久島に行かなくてもよくなっていたが、フェリーのチケット買って
貰ったこともあり屋久島に渡る。 その少年は島で出会った登山客の
金井真知子に同行を頼んで縄文杉までの登山に挑む。険しい山道を
真知子に励まされながら一歩一歩進み、ついに縄文杉に到達する。
 その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は真知子に勧められて
家に電話を入れる。出たのは妹だった。彼女は兄の快挙を喜ぶと共に、
母が毎日泣いていることを伝えてくれた。妹のことを真知子に問われる
まま話す少年に、真知子は「一人前になるというのは、ありのまま
自分を受け入れることから始まるんじゃないかな」と話す。
--
この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。
少年期には、誰も大きな傷を受ける。それは一生の傷になる。
しかし、それを抱えて一人道を歩くのが人生。自閉症の青年の詩の一節、
「この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ」が、
ドキッとさせられる。何度も観たが、その都度、考えさせてくれ、
後味のよい気持ちを残してくれた映画である。

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2007年09月30日(日)
2371, え? なに! 何で?
          才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) オハァァァァァァ♪

新潟駅内の「ヨドバシカメラ」のカードをファイナンス付のカードに
切り替えてほしい! 切り替えれば大きい特典があるというので書類一式
を書いて送った。ところが先週になってソニーファイナンスの審査部から
電話が入り、「年金を貰ってますか?」という問い合わせが入ったので、
貰ってませんと返事をした。ところが一昨日「審査で融資付のものは今回は
申し込みを受理できません」いう手紙が来た。 
今まで一度もなかったので、非常に不愉快な気分になってしまった。
年齢からみて年金を貰ってないのが問題なのか? 私がブラックというのか?
満額貰えるのが一年数ヶ月後であるので、今受給しないのは当然である。

しかし何で私が不適応? カード会社に対して返済遅延もないし、
キャッシングそのものをしたことがない。カードは一回払いにすると現金払い
より有利という理由だけで使っているだけである。「何で?」という電話を
ソニーファイナンスにしたところ、「そういう質問には答えられません」
という素っ気無い返事。 その手紙を読んでから一日中不快感が残る。
年金受給の年齢を審査が把握してないのか?もちろん、幾つかカードを持って
いるが、こんなことは初めて。60歳過ぎたら一般的には、年金受給者なのか? 
それにしても不愉快も極まりない。これからは一切ソニーの製品を買うことを
やめることにした。還暦を越えると年々、娑婆から排除されていくのか?
(字数の関係でカット08年09月30日)

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006年09月30日(土)
2006, 私の酒の自主規制とは

   おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
たしか以前にも書いたことがあるが、酒の失敗の積み重ねから
長年かけて作りあげてきた「自己規制」を書き出してみた。
驚いたのは、多くのルールを積み重ねてあったことだ。そりゃそうだ、
酒の失敗がなければ、私の人生はもっともっと豊かであったはずである。
キチガイ水を脳に送り込むのだから、自主規制をしなければならない。
・自宅で日本酒は飲まない
・外で一人酒は飲まない(特に散会の後・・)
・自棄酒飲まない(不味い酒は飲まない)
・女性と二人で酒を飲まない
・2日続けての飲み会は断る(飲み会は集中するが・・)
・午前様でも、歩いて帰る
・酒の肴は肉類(焼き鳥は除く)を食べない
・午前様は避ける(最近になって加えた)
・一期一会のつもりで徹底的に楽しむ
・地方名士様が集まる店には行かない
・客単価5000円以上の店には行かない
・他の客の固有名詞の名前を出す店には行かない
・ボトルは絶対に置かない
・ヤクザ系の店(ピンク系)には行かない。
・マイナス系の人間集まる飲み会は避ける
  大体は守っているが、一昨日は午前様で幾つかを違反・・
 (散会以後の一人酒、午前様、タクシーで帰宅、イチゲンの店が
 御名士様の来る店、等々) 酒は注意すべし! 十年、いや二十年は
 命を縮めたか? 緩慢なる自殺の手段ということ!「酒たばこ飲まずに
 100まで生きた馬鹿がいる」というが・・
    
  ーーー
 書いた後に「100まで生きた馬鹿がいる」で検索をしたところ、
自分のHPの文章が出てきた。そして、内容といえばこの文に類似であった。
まったく・・ボケ!この程度の者かお前は! しめの文章[[酒の飲まず
100まで・・・」というとこまで、 同じときている!
さらに4年以上前の文章の方が出来が良いときているから・・
 
 ・・・
2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2  
 -酒飲みの作法ー

女か酒か博打どれか一つは、癖の悪いものがあるものだ? 
私の場合それが酒だ。かなり危ないことが多くあった。警察沙汰に
ならなかったっことが不思議なくらいだ。それでも最近は2年に一度は?

酒で失敗したことで、かなり自分の人生で失ったことが多い。
しかし全然後悔していないのも、それだけ酒が好きということだろう。
更に失った以上に、失ったことで逆に得ていることのほうが多い??
子狐との喧嘩はむしろ??、いやしないほうがいいか?!

酒席はお茶の世界と同じで、一会一期で飲んでいる。
ボトルを入れる人の気持ちが解らない。従って、非常に楽しい思い出
が山ほどある。ただ飲みすぎて身体を壊さないように、自己ルール化
をしてある。-30数年の痛飲からの知恵である
 タブーとしてー自己規制
・一人酒 a 一人で気にった店を探して入るプロセスを楽しむ酒
     b なじみの店に一人通う酒-
・自宅での日本酒の晩酌  ーこれが一番危ない、蓄積される 。
            自宅で飲んで二日酔いしてる馬?がいる
        ーその代替として7~8年前より紹興酒に切り替えた
・誘い酒ー こちらから誘わない
・二日続けての酒席ー どうしても重なるが
・自棄酒ー面白くない時の憂さ晴らしの酒 -不快さがより深くなる
・子狐との同席ー最近これだけは十分気をつけているつもりだが・・
・人の噂、悪口を話題にしないー 子狐どもの子狐たらしめているもの
・女性と2人だけで飲むことー家内は除くーよった勢いで???
・23時を目途とする
 
実際の酒乱はこんなもんじゃないと聞く。軽症と思っているが。 
一応許容範囲か?? 記憶が全く無くなるという、はじめは言い訳と
思っていたが。 実際経験してみて、嘘でないことが解った。
「酒飲まずタバコを吸わず100まで生きた馬鹿がいる!」
というが、どうであろうか?

・・・・・・・
2005年09月30日(金)
1641, 37年前の自分へ返信ー2

卒業間じかの22歳の自分が、37年後の自分から手紙を貰った夢をみた設定で
書いた手紙はどんなものか。貰ったとしたら、夢の中としても面白いだろう。
ソフィーの世界」の物語のようだが。インナーチルドレンに対する心の
癒し(幼児期の心の傷を治す)に似たものになる。
ぶっつけ本番で書いてみる。それでは、当時の自分に戻って語りかけてみる。

ー1968年の私から、2005年の私への返信ー
手紙を読んでいて、何か狐に包まれたような気持ちです。恐らく、これは夢だと
思います。夢と解っていても敢えて、返信を書いてみます。むしろその方が気楽。
何か自分の潜在意識が夢で私を誘導して私の全てを覗いているような気持ちです。
貴方の手紙は、何かユングの視点で深い地下世界からの声が語りかけられた
ようでした。

現在の私は、とにかく大揺れで自分を見失いがちの日々です。 
これから社会に出るには、あまりにも基礎知識が希薄というのが、日々の不安を
大きくしています。その不安と不足を、ここでどのように立て直してよいか
解りません。卒業間じかになって、学生時代に学んでおくべきことの不足部分が
大きかったことに自信を失っているのです。おそらく武澤ゼミの影響と、
卒論を書いているプロセスで、不足部分を見せつけられたためだと思います。
本心を正直に日記にも書けないのは、自我の殻が分厚く取巻いていて、真の自分が
吐露できないのです。精神の極限の綱の上で、落ちないようにバランスを
とることに精一杯なにです。

それにしても、今という時はすごい瞬間ということも理解しています。
少しの判断が人生を大きく左右するからです。あなたの手紙から、60歳近くの
貴方を窺い知ることはできませんが、興味があります。しかし、知らない方が
良いのかも知れません。多くの人生経験の上に立って、このようなコンタクトを
してきているのですから、色いろあったのだと思います。ただ貴方のこと、
こじんまりとした人生を送るとは思いません。夢の中でも、37年後の世界は
想像すらつきません。ただ平凡な人生だけはおくりたくありません。

誰にも明かしたことはないのですが、私は事業を幾つか起こして成功させて、
その事業に価値をつけた状態で売り抜けるプロセスでキャリアをつけていく
事業家としての人生をおくりたいのです。 
夢の中で、夢を語るなんて変な感覚ですが。     ー つづく