つれづれに

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=2baWiDI_v8A

  今朝は、朝から雨模様。 
 ここで解散風が吹いてきた。 何のための解散?
G7などで、消費税の2%のアップの確約をしたが、どうも景気の様子から、
どうも無理とみて、解散をして、国民の総意で、否定されたという手順が必要と
読んでのことしか、考えられないが・・・ アベノミクスなど、直ぐに頓挫が
表立つから、その前に総選挙をして体裁を整えようとするしかないということ!
 
 

・・・・・・
2415, 閑話小題
2007年11月13日(火)
才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b──
 *古着の処分*

今まで、古い背広を思い切って処分をした記憶がない。
いや、数年前にしたつもりであったが、よく見たらまだ?着もあった。
全てが以前まで事務所の近くにあった「花菱」というチェーン店のもの。
(ここは一度サイズをとると、生地の選択で注文服が買えるシステムの店)
中途半端な値段のものばかりで、比較的高いものは使い尽くしているので残ってない。
中途半端のものは中途半端の使い方のため、納戸に吊るされたまま残っていた。
私の癖の「安物買いの銭失い!」が、20数年の背広の姿に現れていた。
花菱だけを使っていたことの弊害もあるが・・・ 
現在の背広は、ほぼ無地の濃紺か黒で、素材も、軽く、地がシッカリしたものが主流。
それまでの二度と着ないと確信したものを思い切って古着屋に持っていった。
コートも含めてガソリン代になるかならないかであったが、少しでも金になっただけもよい。

今回、公害型の古着屋に売りに行ったのは初めだが、彼らの買い入れのシステムが面白い。
「店頭で売れる商品と、どうにもならない商品を分けて、売れないものは一?一円という。
全部で1500円だったが、まだまだ物理的に使えるものを‘一応売った’という、
気持ちの安らぎになる。 しかし、あまりの安さに防寒コートを一枚持ち帰ってきた。
 処分するにつけ実感したのは、良いものを丁寧に使うことだった。
この三年、背広を買ってないので買わなければならなが、
それでも、以前の背広でも、まだことたりるが・・・
 --
 
 *始めての共産党(推薦)への投票*

箱物行政を批判して当選した市長が三選された。
本来は地方首長は二選で身を引くべきである。
建設業者を代表にした業者に取りこまれるからである。
前市長の箱物行政を批判をして当選しながら、今度は平然と手の裏を返す姿は、
呆れる以前の話である。
共産党以外誰も立候補をしない地元長岡は、貧すれば鈍する最低の事態である。 
誰も分かっているが、何も言えないほど地元経済は最悪の状態ということである。
新潟駅の再開発も実際のところは必要はない。
しかし、当方はそれが命戦なら感謝するしかないのも事実である。
                ΒΥΕ.._〆(´U_`*) モフフッ !

・・・・・・・・
2006年11月13日(月)
2050, あたりまえなことばかり -6
           \(≧ロ≦\)オハヨウ! サン

    著者の幸福論もシンプルで解りやすい。
    幸福など観念でしかない、観念をカタチに求めるから
    ‘こんなはずではなかった’という結果になってしまうのである。
    それはあれ等、軽いタレント同士の結婚の破局をみれば分かることだ。
    家庭内を含めると半数以上の夫婦間が破局するのも、このような無知からきている。
    まあ、相性もあるが・・・ 幸福論は、格言以外あまりまともには読まないが、
    ‘付随してくる感情か、自分を納得させるための方便’にしか考えてなかった。
    この著では、タレントとか有名人の表層の幸福のカタチは、動物レベル?になるが・・
    コミックとしてしか誰も観ていないか、いやまともに見ているから恐ろしいのか!   
 ーー
「あたりまえなことばかり」
?・ 幸福はどこにあるのか ー ?

何ものでもない心の状態としての幸福というものを、
ほとんどの人は物質に似たものとして人は思い込んでしまう。
人は「思い込みの動物」である。 動物存在として「カタチあるもの」をのみ
幸福と思い込むのは自然である。そのレベルでは、目に見え、触れるもののみが存在する。
生存するために存在する。
しかし動物は、そのような自身のありように自身のありようを問わないであろう。
人間のみが、その生存において、自身の孝・不幸を問う。
このとき、その理由によって孝・不幸は一つの思い込みになる。

    カタチあるものを、カタチない孝・不幸と同じように、
    カタチないものを、カタチあるものに孝・不幸を求めてしまう。
    カタチなきものを、カタチあるように思い込む、
    その思い込まれる思い込みを、通常は「観念」という。
    孝・不幸もその意味で観念である。

幸福とは何がしかカタチないものと予感しながら、
カタチ無いままにさせておくことが出来ず、
何がしかのカタチあるものとして捉えては、捉われる。とか「、
例えば、カタチなきものであるはずの「愛情」を求めようとして、
人は結婚や家庭というカタチを求める。
あるいは、カタチなどあろうはずが無い「自由」を求めようとして、
「自由」「自己実現」というカタチを求める。

    はたして幸福でない心に、幸福な生活があり得るだろうか。
    心は、いわば分母の一のようなもの。
    心が不幸であれば、いかなる分子も不幸であろう。
    分母が幸福であれば、いかなる分子も幸福であろう。
    あれこれの生活のありようなど、所詮は分子的な存在でしかない。

ここで問題のなるのは、「私」とは、では誰のことなのか。
他人と比べての孝・不幸であるところの「私」とは誰なのかの問題になってくる。
「私は私である」「私は個人である」とは、
「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。
この限り「私」とは、一つの観念なのである。

   人は自分を「個人」と思い込むことによって「幸福を個人の領域」に押し込んでしまう。
   財産や地位など有形のものも等しく「個人の所有」とみなして、その所有を幸福と思う。
   したがって、このとき「私」と「幸福」との間に、定義に大きな懸隔があることになる。
   所有者は所有物ではないからだ。 主体の「私」は、客体の「幸福」ではない。
   「『私』は『幸福』でない」、つまり「私は幸福ではない」のことになる。
   個人がそれを所有するという仕方で人は幸福であり得ないのが、
   幸福は所有物でない理由よりも、むしろ「私」は個人であるという理由によっている。

もっと言うならば「私」というものは「ない」。
「ない」ものが何かを所有することなどできない。
その理由で、人は「私は幸福になりたい」という仕方では幸福になることはできない。
「私は私である」「私は個人である」「私は存在する」という「私」をめぐる長い思い込みは、
さらに「私は死ぬ」「人生は一度きりである」、「だから私は幸福でなければならない」
などの観念へと分岐し、いよいよ我をかきたてる。
「死後、幸福なる」という奇妙な観念は、その一種といえよう。
 ーー
 
    字数の関係で、次回になるが、内容は仏教の滅私の世界になってくる。
   まあ哲学も、宗教も重なりはあって当然だが、「私」を考えると尽きることはない。 
  {「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めて
   しまった我われの思い込みである。この限り「私」とは、一つの観念なのである。}
   の部分も深く考えてみる必要がある。
   超越確実言明の「私は私、他人は他人」は、思い込みでしかなかった、ということ?
   これに気づいた時、誰もが慄然とするのだろうが、誰も気が付かないうちに
   生前に戻ってしまう?
               (。^0^。)ノ  サイナラ!
・・・・・・・・
2005年11月13日(日)
1685, ザ・マインドマップ-3    -読書日記
                  (~O~)ふぁ・・                   
ー技術的ルールとして、
1、強調
  ・中心イメージを置く
  ・絵を使う
  ・中心イメージには3つ以上の色をつかう
  ・イメージと言葉を立体的にする 
  ・感覚にうったえる-視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など
  ・字、線、イメージの大きさに変化をつける
  ・スペースを整理して使う
  ・適当な余白を残す    (ρ_-)
2、連想
  ・色を使う
  ・矢印→をつかう枝の中で、あるいは枝を越えて連結させる時など
  ・記号を使う      (-_ゞ
3、わかりやすく          ( ̄□ ̄)!!
   ・一本の線にキーワードを一つだけにする
   ・文字はきれいに、はっきりと書く
   ・キーワードを線上に描く
    言葉を肉とすると、線は「骨」である。
    線はマインドマップの構造をつくり、
    見た目を整えて、わかりやすく、記憶しやすいものとなる。
   「線」を加えることで、連想がさらに広がることになる。
  ・単語と線を同じ長さにする単語同士を近くに配置するのは、連想を促すルールである。
  ・線は、中心イメージから伸びる大きな枝や他の枝から伸ばす
    マインドマップ上の線をつなげることは、
    脳の中の思考を結びつけることになる。
    線は、矢印、曲線、輪、円、楕円、△などに変形してもよい。
  ・中央ラインを太くする     ♪~(=^ε^= )
    中央ラインが強調されると、脳の中心にあるアイデアが重要だという
    信号をすぐに受け取る。この作業を続けていくうちに、実は、
    周辺のアイデアの方が重要だったと気づくことがあったとき、
    そのアイデアを太くかこむだけでよい。有機的な線が、視覚的面白さを生む。
  ・イメージはできるだけ解りやすく描く
  ・紙は自分の前に水平に置く横長のマインドマップの方が、
    縦長よりも、自由と空間が多く、みやすい。
  ・文字はできるだけ、水平に書く    (~O~)ふぁ・・
4、自分のスタイルを発展させる
  ・以前よりプラス一を心がける
  ーーー
 以上であるが、
  何回か実行しては、いつも元に戻ってしまうのは
  本や新聞・雑誌がほぼ過去のパターンで、
  知らないうちに引き戻されてしまうからだ。
   それより本当にわかっていないからか?  (◎-◎;)!!
            さよなら ヾ(^-^)ゞ              
ーーーーーーー
2004年11月13日(土)
1320, 2000年前のポンペイ -3
 小プリニウスの「手紙」-1

ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。
何かの偶然の一致だろう。ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。
歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、発掘が始ったのが18世紀の半ば。
そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。
まだ発掘してないところが多くあるという。
歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。
当時まだ17歳だった青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。
その文章を読んでいると、その一言一言が身に沁みる。

その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官としてナポリ湾岸の町ミセヌムに
駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウス(61年頃~112年頃)である。
歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、
ローマ帝国内の美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談となっている。
この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、
2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。

ーー
プリニウスの「手紙」 ー6月16日の手紙

 伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くように
とのご依頼を受け、私はとても嬉しく感じました。
というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、
彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。

恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、他の被害にあった住民や
美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。
しかし、それに加えてあなたの著書に書き留められるとすれば
伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。

私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、
あるい、は価直のある文章を書く能力を神から与えられた人は恵まれた人であり、
しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、
そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。
というわけで、私はあなたの御依頼をお引き受けいたします。
いや、むしろこちらから進んで手紙を書かせて頂きます。

 伯父はミセヌムにいて、船団の指揮をとっていました。
異様な形の巨大な雲が現れたことを母が伯父に知らせたのは、
9月の第1日より9日前(8月24日)の第7時(午後1時)頃のことでした。
伯父は日光浴と冷水浴をしてから軽い食事をとった後で、ちょうど仕事の最中でした。
///字数の制限の関係上、あとは、分類か、当日分を見てください
                - つづく
 ・・・・・・・・
2003年11月13日(木)
953, 腰痛ー2

 腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。
いつも季節の変わり目に出るが、私は寒さで体を冷やしてしまうのが一番の原因である。
いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。
今のところ時間をかけて暖めるしか方法はない。
間接的には、パソコンと寒さがあるが散歩の後、屈伸とストレッチをしたのが悪かったようだ。
腰痛について書こうと思って過去の随想日記を調べたら、去年の連休後に
書いていた。五月の連休後も例年腰痛が出るのだが、今年はどういうわけかなかったが。

 腰痛になると何もする気が起きなくなる。また一回一回ごの痛みの内容が微妙に違う。
しかし今まで一回も医者がかりはない。経験上、暖めていると長くて10日で大体
直ってしまうからだ。 その治療法を40年近くしている。
インターネットで調べたら、腰痛にも色いろある。
デスクワークの人や、お産や生理が原因であったり、内臓の負担からくるものや、
運動のやりすぎ、等々ある。 今朝おきたら3分の1位に痛みが減っていた。
全治四日の予測が当たっていたようだが、どうなることやら。

 ーーーーーーー
401, 腰痛 - 1
2002年05月09日(木)

昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落しをしていて腰痛になってしまった。
母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、それがそのまま遺伝したようだ。
腰の骨が本当に左右にずれるのである。その時の痛みは言葉に言いがたく脂汗がにじみ出る。
大体が季節の変わり目に出る。

その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、
精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。
散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。
人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。
何かあったら歩くのが一番自然だ。
腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。
その結果、人類共通の持病になってしまった。 歩行がその対策によいことは、
15年続けての実績で解る。 しかし完治はしない。

腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。
(母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。
医者には一度もかかったことはない。 あとは腰痛と仲良くしていくしかない。

・・・・・・・
579,ある時間の断片ー11
- 2002年11月13日(水)
1968年 9月29日ー日曜

8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。気持ちもすっきりした。
午後は3時間、明日のための準備の読書だ。
そういえば最近寮の他の人との距離が出てきたようだ。
仕方がないのかもしれないが、あまり開放をしていると自分の世界が保てない。
彼らは彼らの価値観があるのだ。 当然のことだが、20数年お互いに違う道を
歩いてきたのだから仕方がないことだ。これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。
そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。

1968年 9月30日ー月曜

8時10分前起床、学校に出発をする。 武澤ゼミに参加する。
武澤先生に皮肉を言われたー少なくとも私のいい加減さを指摘されたと感じた
-気持ちだけは積極的になっているが、その実はやっていることはいい加減だということだ。
ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。 気持ちが落ち着かず中途半端であった。

校庭であった奥野と中野と話をする。
試験がその後あった、ここは出ないと思っていたところが出てしまった。
もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらいだろう。
兼子と池袋駅まで一緒であった。 バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。
帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。 少しの時間だが食事をして話をする。

何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの動揺が残っている。
現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。
それと就職のことがーこのまま就職してよいのだろか?
今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?