つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=pAIp5tPFcbQ
 
 今日も、雨模様。チャリに乗れるのも今月いっぱいだが、雨ではどうしよもない。
話題といえば、毎週みているシネマか、天下国家のことぐらい。それで十分と
心の底から思っている。それとTV観戦のスポーツと、図書館で借りてきた本の
話題と・・・ ふと、居間を見渡すと、デジカメと、腕時計と、iPadと、携帯電話と、
目の前のスマートTVと、iMacのパソコンが目に入る。全てがデジタルである。
如何に、ユビキタスの恩恵を受けているかである。 そして、早朝の電動アシストの
自転車によるポタリング、それで快適に過ごすことが出来ている。 
 面白いといえば面白い日常である。 

・・・・・・
2050, あたりまえなことばかり -6
2006年11月13日(月)
 著者の幸福論もシンプルで解りやすい。幸福など観念でしかない、観念をカタチに求めるから
‘こんなはずではなかった’という結果になってしまうのである。
それはあれ等、軽いタレント同士の結婚の破局をみれば分かることだ。
家庭内を含めると半数以上の夫婦間が破局するのも、このような無知からきている。
まあ、相性もあるが・・・     
幸福論は、格言以外あまりまともには読まないが‘付随してくる感情か、自分を納得させるための
方便’ぐらいにしか考えてなかった。この著では、タレントとか有名人の表層の幸福のカタチは、
動物レベル?ということになるが・・・ コミックとしてしか誰も観ていないか、いやまともに
見ているから恐ろしいのか!    
 ーー
「あたりまえなことばかり」
Ⅳ・ 幸福はどこにあるのか ー ①
何ものでもない心の状態としての幸福というものを、
ほとんどの人は物質に似たものとして人は思い込んでしまう。
人は「思い込みの動物」である。
動物存在として「カタチあるもの」をのみ幸福と思い込むのは自然である。
そのレベルでは、目に見え、触れるもののみが存在する。 生存するために存在する。
しかし動物は、そのような自身のありように自身のありようを問わないであろう。
人間のみが、その生存において、自身の孝・不幸を問う。
このとき、その理由によって孝・不幸は一つの思い込みになる。
  カタチあるものを、カタチない孝・不幸と同じように、
カタチないものを、カタチあるものに孝・不幸を求めてしまう。
カタチなきものを、カタチあるように思い込む、
その思い込まれる思い込みを、通常は「観念」という。
孝・不幸もその意味で観念である。

幸福とは何がしかカタチないものと予感しながら、カタチ無いままにさせて
  おくことが出来ず、何がしかのカタチあるものとして捉えては、捉われる。
  とか例えば、カタチなきものであるはずの「愛情」を求めようとして、
人は結婚や家庭というカタチを求める。
あるいは、カタチなどあろうはずが無い「自由」を求めようとして、
「自由」「自己実現」というカタチを求める。
はたして幸福でない心に、幸福な生活があり得るだろうか。
心は、いわば分母の一のようなもの。
心が不幸であれば、いかなる分子も不幸であろう。
分母が幸福であれば、いかなる分子も幸福であろう。
あれこれの生活のありようなど、所詮は分子的な存在でしかない。

ここで問題のなるのは、「私」とは、では誰のことなのか。
そして他人と比べての孝・不幸であるところの「私」とは誰なのかの問題になってくる。
「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった
  我われの思い込みである。 この限り「私」とは、一つの観念なのである。
人は自分を「個人」と思い込むことによって「幸福を個人の領域」に押し込んでしまう。
財産や地位など有形のものも等しく「個人の所有」とみなして、その所有を幸福と思う。
したがって、このとき「私」と「幸福」との間に、定義に大きな懸隔があることになる。
所有者は所有物ではないからだ。
主体の「私」は、客体の「幸福」ではない。
 「『私』は『幸福』でない」、つまり「私は幸福ではない」のことになる。
個人がそれを所有するという仕方で人は幸福であり得ないのが、幸福は所有物でない
  理由よりも、むしろ「私」は個人であるという理由によっている。もっと言うならば
  「私」というものは「ない」。「ない」ものが何かを所有することなどできない。
その理由で、人は「私は幸福になりたい」という仕方では幸福になることはできない。
「私は私である」「私は個人である」「私は存在する」という「私」をめぐる
  長い思い込みは、さらに「私は死ぬ」「人生は一度きりである」、
「だから私は幸福でなければならない」などの観念へと分岐し、いよいよ我をかきたてる。
「死後、幸福なる」という奇妙な観念は、その一種といえよう。
ーー 
字数の関係で、次回になるが、内容は仏教の滅私の世界になってくる。
まあ哲学も、宗教も重なりはあって当然だが、「私」を考えると尽きることはない。 
 { 「私は私である」「私は個人である」とは、
「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。
この限り「私」とは、一つの観念なのである。  } の部分も深く考えてみる必要がある。
超越確実言明の「私は私、他人は他人」は、思い込みでしかなかった、ということ?
これに気づいた時、誰もが慄然とするのだろうが、誰も気が付かないうちに生前に戻ってしまう?

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2004年11月13日(土)
1320, 2000年前のポンペイ -3
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2003年11月13日(木)
953, 腰痛ー2
 腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。
  いつも季節の変わり目に出るが、私の場合は寒さで体を冷やしてしまうのが一番の原因である。
  いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。 今のところ時間をかけて
  暖めるしか方法はない。間接的には、パソコンと寒さがあるが散歩の後、屈伸とストレッチを
  したのが悪かったようだ。 腰痛について書こうと思って過去の随想日記を調べたら、去年の
  連休後に書いていた。五月の連休後も例年腰痛が出るのだが、今年はどういうわけかなかったが。
 腰痛になると何もする気が起きなくなる。また一回一回ごの痛みの内容が微妙に違う。
  しかし今まで一回も医者がかりはない。 経験上、暖めていると長くて10日で大体直って
  しまうからだ。その治療法を40年近くしている。
 インターネットで調べたら、腰痛にも色いろある。デスクワークの人や、お産や生理が
  原因であったり、内臓の負担からくるものや、運動のやりすぎ、等々ある。
  今朝おきたら3分の1位に痛みが減っていた。全治四日の予測が当たっていたようだが、
  どうなることやら。
 ーーーーーーー
401, 腰痛 - 1
 2002年05月09日(木)
昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、腰痛になってしまった。
母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、それがそのまま遺伝したようだ。
腰の骨が本当に左右にずれるのである。
その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。 大体が季節の変わり目に出る。
その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、 精神的肉体的両面の
  健康のすべての対策になっている。 散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。
人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。 何かあったら歩くのが一番自然だ。
腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。
その結果、人類共通の持病になってしまった。 歩行がその対策によいことは、
  15年続けての実績で解る。しかし完治はしない。 腰痛が出はじめたら、ホッカイロを
  その部分に当てるのが一番効果がある。(母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で
  直るからだ。 医者には一度もかかったことはない。あとは腰痛と仲良くしていくしかない。

・・・・・
579,ある時間の断片ー11
- 2002年11月13日(水)
1968年
9月29日ー日曜
8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。 気持ちもすっきりした。
午後は3時間、明日のための準備の読書だ。
そういえば最近寮の他の人との距離が出てきたようだ。
仕方がないのかもしれないが、あまり開放をしていると自分の世界が保てない。
彼らは彼らの価値観があるのだ。当然のことだが、20数年お互いに違う道を歩いて
  きたのだから仕方がないことだ。これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。
そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。
1968年  
9月30日ー月曜
8時10分前起床、学校に出発をする。 武澤ゼミに参加する。
武澤先生に皮肉を言われたー少なくとも私のいい加減さを指摘されたと感じた
-気持ちだけは積極的になっているが、その実はやっていることは、いい加減だということ。
ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。 気持ちが落ち着かず中途半端であった。
校庭であった奥野と中野と話をする。試験がその後あった、ここは出ないと思っていた
  ところが出た。もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらいだろう。
  兼子と池袋駅まで一緒であった。 バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。
帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。 少しの時間だが食事をして話をする。
何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの動揺が残っている。
現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。それと就職のことがーこのまま
  就職してよいのだろか? 今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?