つれづれに

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 現在、テレビドラマで、「花子とアン」を放映している。
そこのお嬢様学校の浮世離れした女学生の学園生活が面白いが、
こういう方々と、欧州旅行でも同行したが、これがまた...
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 他にも、聖心女子大のグループと九州で二日間にわたり、ご一緒したことがあった。
「うちのオカマが」「オトマが」と話していたが、直ぐには意味が分からなかった。
その後、「お母様」「お父様」を略したものと知ったが。 とにもかくにも、
言葉が綺麗なのと、清潔感と、漂う高貴さに圧倒された。
 で、その一人が総演出をした 『アンドロマック』の観劇に招待され
寮の友人と二人で、聖心女子大に行ってきたが、これが、素晴らしい内容。
その娘を見直したが・・  それもこれも、遥か彼方の、思い出である。 
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その世界と言えば、鳩山の音羽御殿といわれるパーティに、要するに、
壁フラワーとして、寮の先輩に頼まれ、何度か駆り出されたことがあった。 
ただ、黙々と、酒と料理を食べるだけだが、バカバカしいが、面白い経験だった。 
 今度、かみさんが、ここで??女子大OBのパーティに参加するという。
学校は、大事! こと大学に関しては、鶏頭より、少しでも良い牛後の方がよい。
写真は、鳩山一族の政治団体の「友愛」が運営する軽井沢の「友愛山荘」
の何かの集まりの時の写真。寮の先輩夫婦が、山荘を任されていて、
夏休みにアルバイトで手伝いに行っていた。 ここには若い女性が、多く来ていて、
夜には軽いパーティが開かれる。 それが面白くて・・・  
  http://horii86.exblog.jp/7731940/


・・・・・
1857, HP開設、5周年  -2
2006年05月04日(木)
                  才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 自分の日々の読んだ本や新聞のポイントを書き出し公表し続けた結果、
インプットの吸収力が数倍強くなった。
アウトプットの加工の過程で、知的生産を自動的に促すことになる。
その積み重ねは信じられないぐらい自分を成長させてくれる。
思いをそのまま書いていれば誰かが読んでいるはず。
そして「どこか深いところで自分が自分を納得すればよい」と割り切ることが出来る。
もう一つ良いのは、何年間の同月同日の文章を読み返すことが出来ることだ。
一つの文章を書き上げるのに、テーマ選定を含めると2~3時間がかかる。
5年分を読み返すということは、過去の10~15時間分の自分のエネルギーに
毎日ふれることになる。 これが自分を大きく後押しをしてくれる上に、あとでみる
自分の姿も面白い!過去の自分との対話をすることにもなる上に、忘れてしまった
自分の姿に驚く。また自分の脳を公開していると、他のHPを深く理解できるようになった。
 ーー                        ´ー`)y─┛~~
ふと去年の同日の随想日記を読むと、同じテーマで書いてあった。
さらに一昨年も同じテーマである。去年、一昨年の方が、よほど良い内容である。
だから内容が落とせなくなるのである。
 過去5年分の同月同日の日記を読むことは、同時に内省をしていることになる。 
毎日、自分でもよく続いたものと感心する!が、これらに縛られてしまうのも不安である。
今さらだが!
ところでグーグルが高性能な検索エンジンを提供したことで、ブログは企業やマスコミの
大手HPと、同じ力を持つようになった。それまでは、大手のHPをみていた一般の人が、
検索エンジンを道案内にして、あらゆるHPに直接アクセスするようになった。
検索で大手企業も個人のブログも、同じレベルに扱われるようになった。
これは、大革命といってよい。
 個人の情報の質も公開数が増えるにつれて、飛躍的にアップしてきている。
あらゆる人が、オープン・ソース化を始めたのだ。
オープン・ソース化することによって、外の情報とリンクして世界と結びついた方が
有効であることに気がついたのである。
 今までは、何処かのカフェとかの仲間同士が情報をやり取りする場と同じことが、
検索エンジンのお陰で、ネット上で可能になってきた。
ブログ上のキーワードをクリックすることで一瞬に他のHPのキーワードに
とんでいくようになった。
こうなると、深く情報を追求するのに数秒・数分もあれば、事足りるのだ。
 私のHPも根本的に改造しなくてはならない時期にきているようだが・・
                      ヾ(^ω^*) バイ!
・・・・・・
2005年05月04日(水)
1492, HPを開設して、まる4年
 今日5月4日は、このHPを開設日である。丁度まる4年になる。
海外旅行をしている間を除けば、随想日記をほぼ毎日書いてきた?
一日一つのテーマを取り上げて考えることを、自分に課してきたことになる。
まさか4年も続けられるとは、思ってもいなかった。
久垣啓一の図解WEBというHPに刺激され、
糸井重里が「HPを開いて毎日文章を書き続けている」と知り、
自分も挑戦してみようと決心をした。
初めは1000の文章を書き上げることを目標をした。
書くテーマが全く思い浮かばないことが何度かあった。
ある本に、その時は「全く思い浮かばないことをテーマにしたらよい」
と書いてあった。そして、それをテーマにしたこともあった。
しかし、1000を超えた辺りから苦痛度が少なくなった。
「自分が楽しくなければ気持ちが伝わらない」ということも解った。
書き続けていると、自分をドンドン掘り下っている実感が出てくる。
一度書いた文章は、自分から離れてしまうことも知った。
書き上げてしまえばコピーができるし、パート2,3と掘り下げることも可能になる。
ネット上の発信基地であり、備蓄基地にもなる。
表現できる場を持っているという実感が自分の心を楽にしてくれる。
このHPの開設と維持で、パソコンとインターネットの世界を身近に引き寄せた。
HPの開設を通して、パソコンをマスターするのが本来の動機であった。
「パソコンは、奈良時代に最新のヘリコプターを持ち込んだようなもの」
というが、{全くその通り!}ということも解った。
これに携帯電話とBS/TVなどが連携して時代を変えていることも実感している。
 話は変わるが、3日前に図書館で8冊の本を借りてきた。
そして、一昨日DVDを三枚レンタル店で借りてきた。
8冊の本の2冊と、DVDの1枚に共通点のテーマがあった。
その内容は明日から、この随想日記で取り上げるが、
「いま」についてである。
なぜ、あえてHPの5年目のテーマに「いま」について書くのかというと、
「毎日の、いま」にしか、永遠の入り口・切口がないことが解ったことだ。
その時々の「いま」をパッケージにしている充実感がよい。
「いま」の重要性をつくづく実感するようになった。「いま」は永遠なのである。
いや、「いま」が永遠になっていくのである。
とにかく4年も経った。やはり1000というのが大きい目安であった。
そして、その辺りから大きな変化が出てきた。
次はあと三年の七年が目標である。そして、10年。
ーーーー
たしか去年も同じテーマで、同じような内容を書いたようだが、
内容は全く憶えていない。そして、書き上げた後に去年の文章を読み返してみて、
ほぼ同じことを、一年前にも書いていたことに驚いている。
人間なんぞ、同じことを繰り返し考えているに過ぎないことが、
読んでいてよくわかる。
こんなものか、少しは掘り下げているのか。
一度読んでから、書けばよかったのだろうが。
前の同月同日の文章を貼り付けるのは、いつも書き終わってからだ。

・・・・・・
2004年05月04日(火)
1127, ホームページを開いて3年
 今日で、ホームページを開設し、随想日記を書き始めてマル3年になる。
だいたい二年が続けるかどうかの分岐点になるという。
まる3年も、分岐点であることも間違いはない。
毎日書き続けるのは本当に!シンドイが、あとで振り返った時に続けていた方が
良かったと後悔するのが解っているので、止めるに止めれないのも事実である。
といって、そのつかうエネルギーは膨大である!
常に、何かに急きたてられているような気分である。
もっとも、その位のほうが良いのかもしれないし、10年~20年後に振り返った
時に残っているのは入れたエネルギーの文章だけかもしれない。
いやそれすら、残っていないかもしれない。
三年で、書きたいと思うことは殆んど書いたという実感がある。遺言書といってもよい。
自分自身にプラスになるのは、手に取るようにわかる。
特に毎日の随想日記は、自分の背骨が一本、日々の生活に入った感じだ。
毎日、思ったことや、考えたことを文章化することは、まったく違う領域に
自分が入ってしまう。それを、さらに公開するとなると、自分のノートに
書き出しているのとでは全く違ってくる。
同月同日の一年前・二年前書いた文章を毎日コピーしながら読み返すと、
何か不思議な感覚になる。今日からは三年前の文章も毎日読むことになるが、
まったく忘れているから何か変な感覚になる。
知らない自分を見ているような、内省をしているような感覚である。
話は変わるが、ホーム・ページを開くキッカケを書いてみる。
パソコンを手元に置いても、どう使ったらよいか迷っていた矢先に
久恒啓一氏の「インターネット勉強法」の中の「ホームページ」の勧めを読んで、
パソコン教室に通ってHPつくりに入った。
その本には、HPつくりは「自分の墓場つくり」と書いてあったのが印象的であった。
なるほど三年経ってみて、書きたいことを全部書き出してしまった実感がある。
その意味が分りすぎるほどわかった。はじめは1000回、次に3年と目標をたててきた。
1100回目から、あまり気張らずにリラックスをして楽しもうと割り切った。
逆にそれが良かったようで、それからは肩の力が抜けたようだ。
これからは、趣味として、お遊びのHPとして変身するつもりである。
それまでは、かたく考えすぎていたようだ。
あまり他人から理解しがたいタイプなので、丁度よい手段なのだろう。
それにしても、クソ真面目に、毎日書いているものだ。

・・・・・・
2003年05月04日(日)
760, いかに生きたか いかに生きるか
 去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー
シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。文章が鮮明で、半世紀以上前の情景が
アリアリと浮かび上がってくるすばらしい文章である。
小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、舟橋和郎の人物が何ともいえない
文章で浮かび上がってくる。
  ー以下の通り書き写した。
 明治大学文芸科の教室で初めて小林秀雄さんの講義を受けた時の情景を、
私は忘れる事ができない。・・・かなりせかせかと、誇張すれば
「肩で風をきって」入ってきた。
そして安いタバコを取り出して一本くわえた、そしてマッチをすり、
うまそうに、フッーと煙を吐いてから、おもむろに、
「何か質問をしたまえ」と、言った。学生たちは面食らった。
「文学に限らない。どんな分野でもよい」
誰も手をあげるものはいなかった。
「質問がなければ、僕は帰るよ」と、タバコをポケットにしまいかけた。
あわてて学生の一人が手をあげた。
「先生、あのう(しばらく声がなくて)乃木大将は本当に偉いのでしょうか?」
見当はずれの質問のように思われて、私は思わず失笑しそうになったが、
小林さんがどう答えるか固唾をのんだ。
「そうだね、乃木さんか・・・ウム・・・あの人は偉い人だよ」
返ってきた言葉は単刀直入、極めて自信ありげに聞こえた。
「乃木さんって人はね、少尉時代に軍旗の騎手をやっていたんだ。
丁度西南戦役のときでね、彼はそこで軍旗を敵に奪われるという失敗をしでかした。
これは取り返しのきかない失態でね、それは天皇の象徴なんだ。
乃木は当然切腹ものだと覚悟をした。ではいつ腹を切ろうか、彼は悩んだ。
そして明治天皇崩御された時に、み跡を追って切腹しよう、
そう心に決めた。これで乃木さんはスパッと人生を割り切ったんだ。
人間が若い時に自分の人生の最後をきめてしまう事は容易ならぬことだよ。
どうかね君たち、こういう人を偉い人と言うより他はないだろう、そう思わんかね」
そういって小林さんは満足そうにタバコの煙を吐いた。
学生たちは文字通りケムに巻かれたように、茫然自失の面持ちであったが、
正直ショックを受けた。というより心底惚れてしまった。
小林秀雄という先生の目の高さに惚れたのだ。
私は講義の度に自分の脳みそが少しずつ柔らかくなるような気がした。

ー以上であるが、乃木のそのときの深奥の決心が素晴らしい。
その時から全てがその瞬間ー明治天皇の死の瞬間ーに絞られた。
その視点より全てをみていたのだろう。
少なくとも彼の「無私の精神」の原点といってよい。
「いかに生きるか いかに生きたか」は
「いかに生きるかは いかに死ぬか」に行き当たる事例である。

・・・・・・
2002年05月04日(土)
 396, 光の旅人
三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。
昨年の9・11に最も救いを求めていたアメリカで、
10月にNO.1にヒットに記録された映画という。
ー内容は
「初夏のニューヨークのグランドセントラル駅が不思議な光につつまれた。
雑踏の中に黒いサングラスの男が現れた。
彼.プロート(P)は自分を、惑星K-パックスから来たと主張し精神病院に送られる。
医師マークは的確に宇宙の謎を語るその男に興味をひかれ、
K-パックスと宇宙のなぞを突き止めようと治療をする。
その男は医師に治せない患者に対し癒しを与えていく。
そしてそのおとこPに夢療法を始めたところ、その男は実在していた。
流れ者に妻子を殺されところを見たその男は、流れ者を殺し入水自殺をして
行方不明になっていた。その男にたまたま地球にきて、その身体を捜していた
Kーパックス人がのり移っていた事実が?そしてかれPは最後にはK-paXに帰るのだが・・・?」
まあこんな内容だ。

次の小説?に丁度これに近い内容を考えていたので、この偶然の一致に唖然とした。
私の場合、「精神病の患者がやはり、宇宙の星の話を始める。
そしてそこの詳しい内容を話すのだが、あまりものリアルさに
患者仲間たちがその世界に入ってしまう。
先生には絶対秘密のその空想?の世界。そこが実際あるのか?、
それともカルト教団のようにたんに空想の世界か?
彼らは治療薬をためたり盗んで、それを自分たちの治療に応用する。
そして驚異的な回復をしていく。そして全員が退院をして・・・・・・・・・・」
こんな内容で、7割位同じ内容であった。ユングの「意味のある偶然の一致」か?
たまたま知人がシネマのパンフレットを前日に持ってきたのを見た。
それまでは「ロード・オブ・ザリング」を見るつもりであった。
これにしようという案に、家内は普段は反対するが、今回に限り?賛成をした。

私のこの私小説?は全くボツになってしまった。
いや基本から考え直して、再度組み立てろということか?
大体考える事は一緒か?
いや世界にはプロがいて、その程度のことは書いている。
趣味でストーリーを遊んでいればよい。

・・・・・・・
2001年05月04日(金)
ウオーキングについて

 7~8年前より1日平均15000歩、歩ている。土日曜祭日は23000歩 は歩く。
気功、屈伸、地蔵様へのお参り、瞑想、太陽視、呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。
趣味の領域から、ライフワークに入ってしまった。酒を多く飲みすぎた時など毒素が
抜けていくのがよくわかる。日経新聞のコラムで1日7~8万歩も歩いている人の文章を
読んだ事があるが、上には上があるものだ。
10年前に書いた文章をコピーしてみる。->->                   
 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
 (江藤淳の“夜の紅茶”をもじったものだが)
 �早朝(4時半~5時半)起床
 �近くを一時間散歩
 �テレビ体操
 �瞑想
 �家族全員のお祈り
 �食事
 �風呂と続く。
 特に散歩が非常により。
 山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
 季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
 この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、酒量が激減した事だ。
 健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
 時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
 また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
 早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して自ら挑戦してみた事だ。
 彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。1時間半10km歩くという。
 そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。
 夜のつきあいは一切断っている。これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
 山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。