つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=OydMkgAPmIg

 こうして娑婆の喧騒から離れ、独り書斎でジャズを聴きながら読書とパソコン三昧も
慣れてしまうと、違った刺激が欲しくなる。で、映画館に週一、行ったり、TVで映画の
録りだめだめを見たり・・・ YOUTUBEも、けっこう面白いのがある。
 早朝のミニサイクリングと、週二回のSJのヨガが精神の安定によい。
ヨガはほぼ休むことなく通って14ヶ月になる。50年、60年かかって固まった足腰を
自己マッサージをして直しているような。それでも段々、解れてきている。

 そういえば、このHPを解説して、まる12年になる。随想日記を一回だけ数分遅れで書き上げな
かった以外、休んだ記憶はない。旅行中も、誰かに頼んで書きだめたものを、毎日、アップして
もらっていた。けっこう、書きだめを読むのも面白いもの。未来の自分に向けて書いて、過去の
自分の文章を読むのも、奇妙である。

・・・・・・
1492, HPを開設して、まる4年
2005年05月04日(水)

今日5月4日は、このHPを開設日である。丁度まる4年になる。
海外旅行をしている間を除けば、随想日記をほぼ毎日書いてきた?
一日一つのテーマを取り上げて考えることを、自分に課してきたことになる。
まさか4年も続けられるとは、思ってもいなかった。
久垣啓一の図解WEBというHPに刺激され、糸井重里が「HPを開いて毎日文章を書き続けている」と知り、
自分も挑戦してみようと決心をした。初めは1000の文章を書き上げることを目標をした。
書くテーマが全く思い浮かばないことが何度かあった。ある本に、その時は
「全く思い浮かばないことをテーマにしたらよい」と書いてあった。
そして、それをテーマにしたこともあった。しかし、1000を超えた辺りから苦痛度が少なくなった。
「自分が楽しくなければ気持ちが伝わらない」ということも解った。書き続けていると、自分を
ドンドン掘り下っている実感が出てくる。一度書いた文章は、自分から離れてしまうことも知った。
書き上げてしまえばコピーができるし、パート2,3と掘り下げることも可能になる。
ネット上の発信基地であり、備蓄基地にもなる。表現できる場を持っているという実感が自分の心を
楽にしてくれる。
このHPの開設と維持で、パソコンとインターネットの世界を身近に引き寄せた。
HPの開設を通して、パソコンをマスターするのが本来の動機であった。
「パソコンは、奈良時代に最新のヘリコプターを持ち込んだようなもの」というが、
{全くその通り!}ということも解った。
これと携帯電話とBS/TVなどが連携して時代を根こそぎ変えていることも実感している。
 話は変わるが、3日前に図書館で8冊の本を借りてきた。そして、一昨日DVDを三枚レンタル店で借りてきた。
8冊の本の2冊と、DVDの1枚に共通点のテーマがあった。その内容は明日から、この随想日記で取り上げるが、
「いま」についてである。
なぜ、あえてHPの5年目のテーマに「いま」について書くのかというと、「毎日の、いま」にしか、
永遠の入り口・切口がないことが解ったことだ。その時々の「いま」をパッケージにしている充実感がよい。
「いま」の重要性をつくづく実感するようになった。「いま」は永遠なのである。
いや、「いま」が永遠になっていくのである。とにかく4年も経った。やはり1000というのが大きい
目安であった。そして、その辺りから大きな変化が出てきた。次はあと三年の七年が目標である。
そして、10年。
ーーーー
たしか去年も同じテーマで、同じような内容を書いたようだが、内容は全く憶えていない。そして、
書き上げた後に去年の文章を読み返してみて、ほぼ同じことを、一年前にも書いていたことに驚いている。
人間なんぞ、同じことを繰り返し考えているに過ぎないことが、読んでいてよくわかる。
こんなものか、少しは掘り下げているのか。一度読んでから、書けばよかったのだろうが。
前の同月同日の文章を貼り付けるのは、いつも書き終わってからだ。
・・・・・・
2004年05月04日(火)
1127, ホームページを開いて3年
 今日で、ホームページを開設し、随想日記を書き始めてマル3年になる。だいたい二年が
続けるかどうかの分岐点になるという。まる3年も、分岐点であることも間違いはない。
毎日書き続けるのは本当に!シンドイが、あとで振り返った時に続けていた方が良かったと
後悔するのが解っているので、止めるに止めれないのも事実である。
といって、そのつかうエネルギーは膨大である!常に、何かに急きたてられているような気分である。
もっとも、その位のほうが良いのかもしれないし、10年~20年後に振り返った時に残っているのは
入れたエネルギーの文章だけかもしれない。いやそれすら、残っていないかもしれない。
三年で、書きたいと思うことは殆んど書いたという実感がある。遺言書といってもよい。
自分自身にプラスになるのは、手に取るようにわかる。特に毎日の随想日記は、自分の背骨が一本、
日々の生活に入った感じだ。
毎日、思ったことや、考えたことを文章化することは、まったく違う領域に自分が入ってしまう。
それを、さらに公開するとなると、自分のノートに書き出しているのとでは全く違ってくる。
同月同日の一年前・二年前書いた文章を毎日コピーしながら読み返すと、何か不思議な感覚になる。
今日からは三年前の文章も毎日読むことになるが、まったく忘れているから何か変な感覚になる。
知らない自分を見ているような、内省をしているような感覚である。
話は変わるが、ホーム・ページを開くキッカケを書いてみる。パソコンを手元に置いても、
どう使ったらよいか迷っていた矢先に久恒啓一氏の「インターネット勉強法」の中の「ホームページ」
の勧めを読んで、パソコン教室に通ってHPつくりに入った。その本には、HPつくりは「自分の墓場つくり」と
書いてあったのが印象的であった。なるほど三年経ってみて、書きたいことを全部書き出してしまった実感がある。
その意味が分りすぎるほどわかった。はじめは1000回、次に3年と目標をたててきた。1100回目から、
あまり気張らずにリラックスをして楽しもうと割り切った。逆にそれが良かったようで、それからは肩の力が
抜けたようだ。これからは、趣味として、お遊びのHPとして変身するつもりである。
それまでは、かたく考えすぎていたようだ。あまり他人から理解しがたいタイプなので、丁度よい手段なのだろう。
それにしても、クソ真面目に、毎日書いているものだ。
・・・・・
2003年05月04日(日)
760, いかに生きたか いかに生きるか
 去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー
シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。文章が鮮明で、半世紀以上前の情景がアリアリと
浮かび上がってくるすばらしい文章である。小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、
舟橋和郎の人物が何ともいえない文章で浮かび上がってくる。
  ー以下の通り書き写したー
 字数制限でカットー2013年5月4日ー
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2002年05月04日(土)
 396, 光の旅人
三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。
昨年の9・11に最も救いを求めていたアメリカで、10月にNO.1にヒットに記録された映画という。
ー内容は
「初夏のニューヨークのグランドセントラル駅が不思議な光につつまれた。
雑踏の中に黒いサングラスの男が現れた。彼.プロート(P)は自分を、惑星K-パックスから
来たと主張し精神病院に送られる。医師マークは的確に宇宙の謎を語るその男に興味をひかれ、
K-パックスと宇宙のなぞを突き止めようと治療をする。その男は医師に治せない患者に対し癒しを与えていく。
そしてそのおとこPに夢療法を始めたところ、その男は実在していた。
流れ者に妻子を殺されところを見たその男は、流れ者を殺し入水自殺をして行方不明になっていた。
その男にたまたま地球にきて、その身体を捜していたKーパックス人が
のり移っていた事実が?そしてかれPは最後にはK-paXに帰るのだが・・・?」まあこんな内容だ。
次の小説?に丁度これに近い内容を考えていたので、この偶然の一致に唖然とした。
私の場合、「精神病の患者がやはり、宇宙の星の話を始める。
そしてそこの詳しい内容を話すのだが、あまりものリアルさに患者仲間たちが
その世界に入ってしまう。先生には絶対秘密のその空想?の世界。そこが実際あるのか?、
それともカルト教団のようにたんに空想の世界か?
彼らは治療薬をためたり盗んで、それを自分たちの治療に応用する。
そして驚異的な回復をしていく。そして全員が退院をして・・・・・・・・・・」
こんな内容で、7割位同じ内容であった。ユングの「意味のある偶然の一致」か?
たまたま知人がシネマのパンフレットを前日に持ってきたのを見た。
それまでは「ロード・オブ・ザリング」を見るつもりであった。
これにしようという案に、家内は普段は反対するが、今回に限り?賛成をした。
私のこの私小説?は全くボツになってしまった。いや基本から考え直して、再度組み立てろということか?
大体考える事は一緒か?いや世界にはプロがいて、その程度のことは書いている。
趣味でストーリーを遊んでいればよい。
・・・・・・・
2001年05月04日(金)
ウオーキングについて
 7~8年前より1日平均15000歩、歩ている。土日曜祭日は23000歩 は歩く。
気功、屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。
趣味をとうりすぎてライフワークになってしまった。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けていくのがよくわかる。
日経新聞のコラムで1日7~8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、上には上があるものだ。
10年前に書いた文章をコピーしてみる。->->                   
 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
 (江藤淳の“夜の紅茶”をもじったものだが)
 ①早朝(4時半~5時半)起床  ②近くを一時間散歩 ③テレビ体操 
 ④瞑想 ⑤家族全員のお祈り ⑥食事 ⑦風呂と続く。
 特に散歩が非常により。 山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
 季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
 この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、酒量が激減した事だ。
 健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
 時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
 また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
 早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して自ら挑戦してみた事だ。
 彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。1時間半10km歩くという。
 そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。
 夜のつきあいは一切断っている。これが逆に考える時間と、