フィジーの思い出 ー5

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 このように旅行を振返ると、無理をしてでも行っておいて良かった。
今では同じ体験でも、同じような受け止めかが出来ないだろう。
過去が泣いている人がいるが、逆に笑いかけてくる人もいる。
 泣いても笑っても同じ空である。それもこれも生きているうちだが!



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1823, 日暮里界隈 -3
2006年03月31日(金)
             才八∋ウ_〆(∀`●) 
 飲み屋の話になると話は、止まらない!
日暮里の・谷中銀座の商店街が、何ともレトロの味がある。
数十軒の商店が両側に並ぶが、空き店舗が一軒も見当たらない。
昼間は観光客で溢れかえっているのだろう。
魚屋、衣料品店、肉屋などパパ・ママストアには商品が満ちていた。
夕方の閉店まぎわの店の雰囲気が何ともいえない情緒がある。
こういう風景に惹かれるのは地方の商店街では、もう失われてしまったからだ。
その通りから一歩はいった処に、情緒ある居酒屋が目に入った。
前までいくと料金が書いてあったが、普通の居酒屋の倍近い。
次男も一緒なので、たまには良いだろうと入った。
25坪ほどの店だが居酒屋にしては高級つくりである。
変わっているのは、店の中央に奥の料理場から人ひとりが商品を出せる
空間のある10席位のカウンターがある。(吉野家のカウンターのような・・)
 サラリーマン風の中年男性が4人飲んでいた。
その入れ替わりに60歳代後半の品の良い旦那様風の人が入ってきた。
何かのキッカケで話を始めたが、
上野周辺で『三河屋』という老舗の葬儀関係の商品を扱う旦那という。       
     ( ・・)つ―{}@{}@{}-   やきとりどーぞー♪
「新潟から来て、東京在住の息子と飲んでいる」というと、
自分の生活圏の文化ー趣味(常磐津・・)とか、町内の話などを面白おかしく
話してくれた。下町文化の話は聞いていても飽きない。
二軒目に入った店なので、あまり注文しなかったためか高くはなかった上に
谷中ならではの雰囲気を充分味わえた。  旦_(。-_-。)いい仕事してますな~
ところでJRの日暮里駅駅周辺の居酒屋は、店構えは良いが殆んど外れである。
下町の為か、朝鮮系の店が多い。宿泊しているホテルに紹介された駅近くの
居酒屋に行ったら、かん酒(前の客が残してアルコールの抜けた酒)を出されたり、
どう計算しても何割か高く後味の悪い思いをしたこともあった。
日暮里界隈というイメージとおりの危ないところもある。
その危なそうなところが面白いのだが!   バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ

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2005年03月31日(木)
1458, はだしの学者ー西江雅之

以前、図書館から借りた西江雅之旅行記「花のある遠景」を読んで、
常識をはるかに超えた生き方に驚いてしまった。
世界を乞食のように放浪して、その土地・土地の言語と文化の研究に従事、
50ヵ国の言語を話す。ハダシの学者といわれるように、目線が現地人になっている。
そのためか、どこの地に行っても誰とでも友人になってしまう。
深い教養があってこそである。
「砂漠で出会った人と、二人で手を取って歩きながら、どちらかが失敗したら
死ぬであろうというギリギリの状況で二月、三月と一緒に過ごしたというような
経験がたくさんある。別れたらもうその人と生涯会えない。
住所を聞こうにも、手紙を書こうにもその人は字が読めないし、書けない。
居所もわからない。そういう経験を何十回も重ねて・・・・・
そのときの思いは言葉では表現できない。いやしたくない」と、
ときには言葉を重ねないことの大切さを述べている。
無理に言葉に置き換えるという作業が、驚きを別のものにしてしまいがちになる。
「外国の何とか村を紹介した本があって、読むと面白かったりするでしょう。
だけど本当は、その村が面白いんじゃなくて、書いた人が面白いんです。
その人は何とか村を面白がれる力があるんです。面白がる力があれば、世界中どこでも
おもしろい。実力のない人は、変わったものでないとよく見えないんです。」
以上の言葉から見ても、その言葉の奥行きの深さを充分に知ることができる。
以前読んだ本の概要を紹介してみよう。
 
ーーーー
「花のある遠景」
 西江雅之著 (旺文社文庫
 副題は「東アフリカの裏町から」である。

アフリカであっても、普段多くの人間は街に住んでいる。
働いてもいるし、食事もするし、酒も飲むが、しかしほぼ働いていない。
この旅行記で出てくる女たちは娼婦である。彼女らは著者にとっては、
性の相手対象ではなく、キクユ語の先生であり友達である
(著者は、言語学者文化人類学の研究をしている)。
彼女らは娼婦だからといって、娼婦的な陰鬱さが全く無い。
さわやかさまで感ぜられるほど、さばさばいている。
この本の内容は日本では考えられないことがほとんどだ。
彼らにとって、それがなんでもない日常でしかないのだ。
旅行をしているというと、じゃあ俺も一緒にいこうという。
荷物持ちでも何でもいいから雇ってくれ、と。
西江は中古車を買って、運転手を雇って旅行しようと思い立つ。
雇った運転手に車を修理してもらい、出発する段になって雇った運転手の男が、
じゃあ荷物をとってくるから待てという。もってきたのは帽子とズボンだけ。
しかもそのズボンを、この部屋で帰るまで預かってくれという。
バッグも金もなんにも無い。面白そうだからただその話に乗ろうというのだ。
そういう動機の方が自然で面白い。本当に着の身着のまま。他に何が必要か。
恐らく真剣には考えていない。考えたところで仕方が無いのだ。
お前が行こうとしているところに俺の婚約者がいる。
久しぶりに会えるというので大変にはしゃいでいる。ところが着いたとたん、
そこで偶然知り合った女と仲良くなってどこか消えてしまう。
彼女と会うのはまた今度でいいや。出発する時には何にも悪びれる様子もない。
ーーー
まあ、こんな感じでアフリカの原住民の生活が、そのまま正直にリアルに書いてある。
そのため読んでいて、引き込まれてしまうのだ。
読んでいると、現地にタイムスリップしたような気分になってしまうから不思議である。
その運転手と、突きつめた自分と何処が違うというのだろう。何も違わないのだ。
ー著者の概略は検索で調べたら以下の通りであるー

西江雅之(にしえ・まさゆき)。
昭和12年、東京生まれ。言語学文化人類学者。
主に東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島で言語と文化の研究に従事。
多数の言語を話し、土地の人々の生活に容易に溶け込む研究態度で
"ハダシの学者"との異名を持つ。
また、現代芸術とのかかわりも深く、美術、音楽活動 への参加も多い。
教育面では、過去30年の間に東京外国語大学東京大学東京芸術大学
早稲田大学などで文化人類学または言語学の講義で教壇に立った。
第二回「アジア・アフリカ賞」受賞(1984)。
専門書の他に、エッセイ集『花のある遠景』、 『東京のラクダ』、『異郷をゆく』、
半生記『ヒトかサルかと問われても』、
対談 『ヒトの檻、サルの檻-文化人類学講義』などがある。
平成13年11月には、JTB旅行文化賞記念出版として『自選紀行集』が刊行される予定。
また、多くの高校・中学の国語教科書にエッセイが採用されている。
 
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2004年03月31日(水)
1093, ユビキタスの時代ーIH式炊飯ジャー

数年前TVのコマーシャルで、すし屋がご飯炊きを陰でIH炊飯ジャー
炊いているのを放映していた。
先日、その炊飯ジャーを買って食べたところ、本当にコマーシャルのように
寿司屋のシャリにそっくりに炊き上がっていた。
一粒一粒たっているようなご飯に出来上がっていた。
「今まで食べていたご飯はなんじゃい!」というのが実感である。
20年以上前のジャーと比べるのだから、当然といえば当然だが。
数年前に寿司屋でTVと同じ場面に出くわしたことを思い出した。
シャリが美味しいので褒めたら、炊飯ジャーで炊いたと女将がいっていた。
電子レンジと冷蔵庫も20年使っているが、両方とも当時15~20万もしたもの。
今は5分の1になってしまった。機能も含めると10分の1といってよい。
それにしても、我家の電気器具の物持ちがよいのに驚く。
それが当たり前なのかもしれないが、20年前と今の電化商品は全く別物といってよい。
PDPTVやDVDやビデオやカメラや携帯電話などの技術開発は素晴らしい。
電気売り場に行く度に、その進化に目をみはってしまう。
ユビキタスが、その背後にあるのだろう。高度の技術が身近な家庭や職場に、
どんどん使われだした時に時代は激変を始めるのだろう。

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2003年03月31日(月)
726, 結婚式で思う

私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。
 一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけ。
そのうち結婚式だけが、祝福されるているのが自覚できる。
「人生は結婚式で道半ば」ともいう。それで人生の大半が決定してしまうからだ。
当たりか外れは神のみぞ知るである。
今はジミ婚になってきて「社会の体面や家どうしの対面」というより
「本人同士のお祝い、かつメルクマール」という面が強くなってきている。
以前よりは結婚式に対しては、気楽な式になったようだ。
若い二人が夢を持っての門出を祝うのは気持ちのよいものだ。
 
つぎは葬式である。本来葬式はお祝いであるべきだ。
その人が人生を終えて、無に帰っていくのを送る儀式である。
人生の卒業式である。悲しみであると同時に、その人にとって大きい意味を持つ。
参列して思うのは、その人の生き様がそのまま現れていることだ。
その厳粛な雰囲気がなんともよい。
その人の「魂と社会と世間がそのまま圧縮されている」といってよい。
人が一人亡くなるのは、その人の積み重ねた人生が無に帰ることである。
ごくわずかな身内の人達の心のこもった葬式が好きである。
それぞれの社会的なものもあろうが、今は生き残った人の体面の場になっている。
葬式もそれぞれの残されたものの価値観があるから、とやかくいう問題ではないが。
最近は葬式に出席すると、いつも遺影を常に自分の顔に当てはめて考えてしまう。
その目で会場の人達を見ると、何ともいえない気持ちになる。
「死んでしまえばお終いよ!」と。

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2002年03月31日(日)
362,ある思い出-慈善

中学の頃の話である。隣にMという一家がいた。
そこに一歳年上のカッチャンという遊び友達がいた。その家の裏に倉庫があった。
そこに乞食のような生活をしている親娘が住んでいた。母親が肺病で、私のある姉に
あの家の近くに近寄らないように言われていた。
カチャンの母親が気の毒がって面倒を見ているという。
カッチャンの父親は数年前亡くなり、母親とカッチャンとその姉と3人の家族であった。
今考えるとカッチャン一家は、その生活を維持するのに精一杯の筈だ。
その苦しい中、その親子を面倒見ていたのだから大変だったろう。
ところが彼女(母親)が癌で、なくなってしまった。神も仏もあるものかである。
残されたカッチャンと姉さんは、おじさんと同居する事になった。
その肺病の母親もまた二年後亡くなった。そして娘は施設に引き取られていった。
その事を今から20年前に、何かの拍子に思い出した。そのMという人の心に気がついた。
どういう気持ちでその苦しい生活の中、その人を面倒を見ていたのか。
そしてその中で死を迎えた時の本人の気持ちは、いかなるものだったのか?
人間の一番大事なことは何であるのか?
それとは関係なく、現実は非情に動く。「愛は世界の中心である」
という言葉がわかるが、反面本当かとも疑問が湧く。
人生で最後残るのは、そういう愛の行為か。
少なくともカッチャンと姉さんには、深く残っているのではなかろうか?
それとその娘の心に!

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<お笑い>
[殿の姉の死]☆☆☆
この小話は7~8年前に仕入れたが、一番気に入っている1つである。
  ーー 
殿様と家老が話をしているところに家老の家来が緊急にと、
青い顔して耳打ちをした。
‘殿(家老)の姉ぎみが亡くなった’と。
家老はてっきり殿様の姉と、勘違いをしてしまった。
それを聞いた殿は、うろたえ城内は大騒ぎ!
しかし、その後家老の姉と判明した。
家老に殿は怒り心頭、
「無礼千万な!わしの姉を勝手に殺しおって、打ち首!」と刀を振り上げた!
その瞬間ハッとして、刀をしまった。
‘わしには姉がいなかった!’
今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。
1999.4.14~4.24

<お笑い> [破れ傘 ] ☆☆
 ある男 夜 山道に 迷っていたところ 一軒の家があった。
1人の綺麗な後家さんふうの女が 気持ちよく 泊めてくれた。
夜中よからぬ気持ちになり、ついつい夜這いにおよんだ。
どうしてもうまくいかずそのまま寝込んでしまった。
狐に化かされたのだ。 朝 山道に一人転がっていたのだ。
そして  そこに一本の破れ傘が落ちていた。
  男曰く、‘どうりでさせないわけだ’