ある時間の断片
 12月10日 1968年
 
昼の13時に起床。 姉の突然の來京で、また予定が狂ってしまった。あと二週間で卒論を書き上げなくてはならない。 
どういうことだ、これでは間に合わないではないか。 あと二週間では無理である。 どうしようか。
おまけに就職予定のジャスコオカダヤに提出しなくてはならない論文がある。
これは来年に一月十五日が期日である。 姉の千葉にいる優子さんのところで数日篭るしかない。
図々しいが仕方がないか。 明日優子さんに電話で打診である。それと姉の正子さんに満足できたか電話をしてみよう。
深井のところに電話をする。彼いわく「今度の会(聖心女大のグループと、松村と深井と私との会)、
来たかったら来い、来たくなかったら来なくてもよい」とのことだ。
先日の件で強く言いすぎたためか、他に何か思惑でもあるのか。
ところが、すぐに電話で「やっぱり来い」との命令口調だ。何を考えているのだ。行かないことにした。
それに時間的・物理的に無理である。 まあこういうときは、アマリ頭にこないことだ。
私の道は彼達とは違う。 自分に対して誠実であれば、こういう無礼なことに対して気にしないで済む。
このように怒っているのは自分に誠実になりきれないことか。何か毎日毎日がギリギリである。

・・・・
ー2003年12月10 日記
「深井義明」のことを書く。

10年位前に脳梗塞で亡くなってしまった。 あとで聞いた為、葬式に出席できなかった。
「新橋しの田寿司」の四十数店舗の寿司屋チェーンの息子で、「ある時間の断片」の中に度々出てくる。
私の結婚式に出席してくれた学生時代の友人だ。 日記を読み返して、ある時期によく寮に来ていた。
彼とは、欧州旅行で親しくなり、亡くなる直前まで接点があった男である。
最後に会ったのが、チェーン理論のペガサスクラブのセミナーで箱根の小涌園であった。
その時に学生時代のある秘密を私の打ち明けてくれた。
共通の知り合いの女性に結婚を申し込み振られてしまったことだ。
まあ、美女に野?で不釣合いで、当然のことだ。ところが、その女性に共通の友人も結婚を申し込んでいたという。
私にすれば20数年後に知った「え〜まさか!」という驚きであった。
 わたしら三人と、合コンで一泊二日のドライブをした。相手方は「雲の雲の上の人」に見えた。
将来のことで頭がいっぱいで、余裕は全くなかった。
無傷は私だけだったのか、そして私は二人のダシに使われていたのか?
後先出会った女性ではナンバーワンとは思っていたが、自分の恋愛対象など考えられなかった。
母親にどういうタイプが良いのかと言われたとき、その人の写真を見せた。
それを見た人が今の家内の話を持ってきた。 あの時代のことが、改めて思い出された。
 それと、父親に対して「社内クーデター」を起こして強引に社長になったことも打ち明けた。
「その時父親が泣いていた」と話してていた。自分が考えていたことを実行したが全て失敗してしまった。
頭の中の理想でしかなかったのだ。その時になって初めて自分のした事の重大性に気がついたという。
最後とも思っていなかったのだろうが、心の秘密を10分ぐらいの立ち話で全て話した。
何か虫の知らせがあったのだろう。 人には色いろ心の傷があるものだ。