つれづれに

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 昨日の午後は比較的寒さが緩んだので信濃川土手のポタリングをする。
流石に自転車乗りは少ないが散歩の人はチラホラ。 今日も、午後、
天気が悪くなければ行ってくるつもり。

 
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1363, 金に泣く人笑う人 -3
2004年12月26日(日)

ヒモの男の話は暗くはないが、女性の場合は違ってくる。
ヒモにしても、イロにしても結局は浅知恵でしかない。そのイロの話である。
ー抜粋ー
その「イロ」の方は19歳のホステスのP子が典型である。
彼女の素性は悲しい結末から明らかになった。
P子は20数年前に大阪の東淀橋のマンションの一室で絞殺死体で発見された。
16歳の時に親との仲がこじれて大阪に流れてきて、年齢を偽ってホステスになった。
殺された時、7人の異性と毎週関係を持っていた。
月、火、水、木、金、土、日と異なった男が、日ごとに訪ねてきた。
会社役員、自営業、僧侶、公務員、医者等々。
この複数の男が浮かび上がったのは、P子の死後に残された幼い日記の記述と7枚の差し込み式の
表札であった。彼女は毎日「表札」を変えていたのだ。その曜日によって男の表札を
差し変えていた。7人のアホな男達は、自分だけの女と思っていたのだ。
殺害直後の捜査段階で、7人の男は警察に呼ばれて、事情を聴取された。
が、全員にアリバイがあり、犯人は流しの犯行とわかったものの、時効となった。
一人平均5万円を徴収していたというから、夜のホステスの収入も含めて
一ヶ月八十万位を稼いでいたようだ。現在だと300万といったところだろう。
司法解剖の結果、陰部の色素沈着の度合いから、40代の女性とおもわれていたが、
が、結果は二十代ぜんはんであった。相当異性との関係があったことになる。
ヒモは心で稼ぐ、それも偽りー詐りの心である。が、女性は詐リの心と体で稼ぐようなものである。
働かずに暮らしていこうとしたら、それは安楽のことかもしれない。
ヤドカリにしてもカメレオンにしても相当な自己欺瞞に徹する必要がある。
ーーー
ー以上であるが、
このヒモとイロを比較してみると、男女の差が出ている。
女は自分の住居で、表札を差し変えるところがミソである。
あくまで自分の巣である。花と蝶の差である。
男を騙す、女を騙す、という点では二人ともプロである。
いずれにしても、普通の世界とは全く違うものだ。
このヒモの、女のチェーン(ストア?)化が凄い。
それも関西から九州にかけて、それぞれの地域を変えているところがノウハウの真髄である。
ローカルではバレ易いが、リージョナルではバレル確率は少なくなる。
イロの世界は、常人では窺い知れないものがあるのだろう。

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2003年12月26日(金)
996, 戦死者と犠牲者と殉職者ー2
自衛隊と警察 ー
 先々週2日間、NHKの夜のゴールデンタイムに「安全保障・徹底検証」
を放送をしていた。少し観たがバカバカしいので、直ぐにチャネルを変えた。
 警察官の視点から自衛隊をみると、割り切れない部分が多いだろう。
警察は常に危険な中に身を曝しているのに、一度も危険な立場に立ったことも
ない自衛隊が少し危険な立場になるだけ大騒ぎをしているからだ。。
「安全」に対する暴力装置という面で、 
・警察は内部に対する-国家体制を守る為の-暴力装置
自衛隊は外部から国家体制を守る為の暴力装置という役割を果たすのが、その機能である。
 
 自衛隊は、戦後60年近く訓練以外の戦闘で死亡はゼロである。
警察は戦後、何人殉職しただろうか?数千人以上だろう。
見方を変えれば、所詮は自衛隊は犠牲者の立場でしかない。
いざ本業の遂行の立場に立った時に、その半世紀以上の都合の良かった
立場から抜け出れないのだろうか? 自衛隊は誰も死んでないのに、
戦死に対してマスコミが面白おかしく危険をいっている事がオカシイ。
国を守る為に存在しているのが軍隊だろう!
今の自衛隊は「歩行訓練で行ったり来たりして給料を貰っている」だけ。
「国家危急の時に命を張る」のが軍隊の仕事だ。
それがアメリカの国家戦略に組み入れられてもである。
北朝鮮イラクのテロは日本もアメリカも共同の敵である。
そこに行って参戦するのは至極当然である。
 自衛隊が初めて危険に立たされて、何で国全体が揺れなくてはならないのだ。
戦闘が嫌なら軍隊に入らなければよい。戦争は起こるまいと思ってはいっているのが、
大部分だろうが?「大型免許証とクレーン車?の免許をタダで取るために入隊する」
という話を聞いたことがある。
 軍隊は外交の手段でもある。彼等もその位の知識を持っていると思うが。
この狂った国の世論は、狂った視点しか言論できないのだ。
 そう見えているのかもしれないが。

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2002年12月26日(木)
622, パタゴニア旅行記ー8
アルゼンチンとチリの民度の差を感じた。特にアルゼンチンの汚職体質と民度の低さを。
一度アルゼンチンに入りペルノモリノ氷河などの氷河国立公園を行った後にペルーに入った。
その出国にあたり国境警備をしている憲兵隊が、要求をしたこがない書類をバスの運転手に
要求してきた。これは暗にお金を要求していることだという。
拒否をした為に書類を取りにワザワザもとの街に戻り、4時間近くのロスをしてしまった。
また再入国のときもにも同じような事があった。アルゼンチンはそういう体質らしい。
国境を越えると空気が全く変わったのだ。ペルーは資源に恵まれていることも含めて
民度の差が歴然としているのがはっきり判った。
さらにアルゼンチンは国家が破綻をしている状態だった。
国家経済は破綻しているが、国民はドルの箪笥預金を持って自衛をしている。
自国の金よりドルが国内で主に流通しているという。日本の数年先の姿に見えてきた。
昨日たまたま野口悠紀雄のホームページを見ていたら、全く同じ内容のことが書いてあった。
あとでコピーしておく。チリ・アルゼンチンと日本の物価の差は3倍であった。
賃金は10分の1である。そうすると豊かさの差は3倍ある。実際そう思えた。
日本がデフレで騒いでいるが、まだまだ物価は外国に比べて3倍であることは事実である。
当分はデフレは収まらないだろう。
・・・・・
野口悠紀雄のホームページからー
日本とアルゼンチンの違いは何か?
答え:2年。
(すでにかなり膾炙(かいしゃ)している(特に、金融関係者のあいだで)。
原典が外国の雑誌なので、外国人に話しても多分ダメだろう。
もっとも、先日ある大使館の昼食会で話したら、かなり受けた。
なお、私の友人の指摘では、2 年というのは間違いで、正しくは 2 ヶ月だという。
そうだとすると、言うならいまのうちだ。
ある会合で、ある人(政策当局者)が、「アルゼンチンと比べるなんて、
けしからん。失礼だ」と息巻いていた。私は、「本当に失礼ですよね。アルゼンチンに。」
と言いいかけて、危ないところで思いとどまった。
ー上記を説明するとー
2年というのは日本の将来の姿である。アルゼンチンの失業率は30㌫であった。
日本の汚職は絶望的だ。自?党と官僚と企業がつるんだ時間をかけた構造汚職だからだ。
アルゼンチン以下の日本に成り下がったか!!

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2001年12月26日(水)
281、夢日記ー12
夢で景色のあまりの美しさに、よーく見ようとした瞬間消えてしまう。
誰も経験があると思う。変わった夢にこんな夢がある。夢の中で瞑想をしていると、
自分の体がスーと浮き、部屋の天井の近くに漂っている。さらに庭の辺りまで浮いている。
そして下をみて凄い経験をしている自分が信じられない!
浮遊しながらこういう自分が不思議と思っている夢である。
昨夜の夢は、かなり危ない夢であった。「酔って留置場に一晩泊まってきた」
と家内に起こされ説教されている夢であった。
夢の中だが誰かと飲んで後の記憶は全くないのだ。もちろん留置場など
泊まったことがないが、朝起きて記憶のないとき、そういわれてもしかたがない。
前日「男はつらいよ」のなかでそれに近い場面があったのが、
自分の酔っ払いの失敗と重なって夢になったと思うが。
夢は一日100分見るという。そうすると、一年で一ヶ月ちかく夢の世界にいるという。
一生で五年間以上夢を見ていることになる。そうするとそれを如何考えるかは重要だ。
それを記録して自分の潜在意識を覗き込むと、明せき夢(はっきり覚えている夢)
を見る頻度が多くなる。夢は自分の潜在意識の入り口でもある。
夢日記でよく覚えているのは、その直前に非日常の激しい経験をしたあとの
リアクションである。そう考えると他愛のないものとも思う。むしろ忘れてしまって
いる内容こそ深い自分の意識ではないか。
潜在意識下の戯曲化が夢であろう。
夢日記を書くこと、そしてそれを読み返すことは自分と潜在意識との対話になる。
難しくいえば顕在意識と潜在意識の対話といってよい。

・・・・・・
ーある時間の断片
12月26日  1968年
11時起床。
午後から卒論のまとめ。
ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が贈ってくる。
その文面によると、2月21日から出社のようだ。
これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだろう。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。
少し自分の気持を整理をしてみよう。学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。
行くべき方向も見つけた。自分の長所も欠点も把握した。そして自信もついた。
これからはジャスコという会社に入り、先ずはその中で組織にチャレンジを
することになる。そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくては
ならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。
 両親を見てみるがよい。戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。
私もここで社会に旅たつときが来たのだ。自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、
自分の足で一歩一歩。その為には、逆に自分の中に生きなくてはならないのだ。
武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。
私の中のそれを探し出していかなくてはならない。石川にしても、外山にしても、
河村にしても、それぞれが外から見ると大きな宝石が見て取れる。もちろん自分にも
それに負けないものがあるはずである。 最近、「何故何故」という問いかけが、
自分の中に生じてきた。これは哲学的になってきたということだろう。
何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのかなどである。
纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。少し考えすぎだ。