つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=DjwQKFl7T-o

 隣地のプレハブ工事が完成したようだ。
あとは、前の空地の駐車場?の、コンクリートうちか、
ブロックでの整地になる。 週末か来週に引越しになる?
騒音は、プレハブのため耳栓をするほどでなかった!

100M先の20反?の田圃をつぶした住宅地も、完成間近で、
坪当たり33万辺りだろう。道路と共有部分を含めて一区画80坪として、
100世帯になるが、それほどとは思えない。近くの風景が劇的に変わる。


・・・・・
1700, 人生の価値についてー2
2005年11月28日(月)                (*´o)*ゞふぁぁ

このHPの維持も、「退屈と不安の解消が目的か?」と、問われれば、
「目的ではないが、手段である」が答えになる。
退屈に対して、これだけ赤裸々に抉っているのも珍しい。
「小人閑居して不善をなす」というが、閑居に対する姿勢が
小人かどうかを決めるのだろう。閑居は何か悪いように錯覚するが、
逆に最も大事なことである。
アラブの遊牧民は、閑居を第三の時間ー瞑想( ̄^ ̄
(仕事と遊びと、休みの時間)として、一番大事にしている。  
第104節の「人生の退屈そして不安 」でさらに、生きるとは何かを
さらに掘り下げている。何ヶ所か抜粋してみる。
                       φ(・_・)
 ードストエフスキーはシベリアの徒刑地で、
   懲役の労働が囚人達に苛酷なのは、仕事の内容のつらさではないという。
    つらさという点では農民の方がよほど苛酷なはずだ。
     しかし、農民には自分のために働いているという目的がある。
      だが懲役の労働には目的も意味もない。
       それが刑罰の刑罰たるゆえんである。

 ー彼は囚人達が「意味の無い労働」でない、
   例えば家を建てる仕事を与えられると、
    にわかに夢中になり、生き生きしてくるさまを伝えている。
     強制労働で立派な家を建てても、賞金がもらえるわけではないし、
      刑期が短くなるわけでもない。
       それでも囚人達は少しでも具合よく、良い家を仕上げようと
        一生懸命になるという彼の深い観察のうちに、人間の生きる目的
         ということの秘密が宿っているのではないだろうか。」 
          この節で、人間の日々の行動に何らかの目的があることの
           重要性が説かれている。
    ∥┓  ((  
  (_)   匚P 
   ━┻    
 ードストエフスキーは次のようにいう。「もしも囚人に、一つの手桶の水を他の手桶にあけ、
それをまた逆に始めの手桶にあけたり、砂を搗いたり、あるいはまた、土の山を一つの
場所から他の場所へ移し、それをまた元へ戻すというようなことをさせたら・・・・
     囚人はきっと四、五日も経ったら首を吊るか、
      でなければむしろ死んでそんな侮辱や苦痛から逃れようと思って
       どんな罪でも犯すだろうと思う」     ヽ(゚Д゚;)ノ!!  
 ーわれわれの暮らしや仕事もまた、つきつめて考えると
  「一つの手桶の水を他の手桶にあける」
   作業の繰り返しのようなものだと自嘲せずにいられぬ一面をも具えている。
    しかしそれを刑罰とも感じないし、苦痛とも感じないのは、
     我々が鈍感だからということもあるが、毎日の活動の中に、
      なにか物を作る行為にも似た行為によって自分で自分を生かす目的なり
       意味なりをいつの間にか黙って自ずと見出して、その日その日の自分を
        無言のうちに支えているからだともいえるであろう。」

以上からみて 人間が生きるということは、
  ・死を直視するのを避けられる生活で
   ・「時間を短く過ごす」事の出来るような行動を求めて    
    ・その中に意味や価値を見いだせる行動と思い込んでいるに過ぎない
      ということになるが、
       人生をかけたライフワークの裏面は、
        そんなところかもしれない。
                        (^┰^;)ゞ
   ・・・・・・・
  ・・・・・・・
  
 2004年11月28日(日)
1335, 「おカネの発想法」
      ー読書日記-2
 ー前回に続いて、印象的なところを抜粋してみるー
 ーおカネが本物かニセモノかという点は、実は本質論ではないのです。
そのおカネが受け取ってもらえるのか、それとももらえないのか、
というところに、おカネであるか否かを峻別する本質があるという
その性質がおカネにとって最も重要な「一般受容性」なのです。
 おカネが増えるとしたら、それはそのおカネを使ってビジネスをする人がいるから増えるのです
 ー株式会社の株式を所有していると、万が一倒産したときに投資がパーに
なってしまうということを「リスク」と呼んでいるのであれば、
株式会社に勤めることはもっと大きな「リスク」である。
 おカネの発想法に基づく株式投資
・どの株式会社がうまくいくかわからないから、いろいろな株式会社に
 分散投資することによって、 全部が全部ダメになるということのないようにしよう
・二〇銘柄に分散→「転職してみたい会社の株式」がお勧め
株式投資における究極の目的は、おカネを儲けることではないのです。
株式投資の究極の目的は、人を動かすパワーを手に入れるということ。
ーおカネというツールに頼らないコミュニケーション能力を持っている人は
おカネが要らないということなのです。
おカネがなくとも、他人を動かせる人には、おカネは不要なのです。
おカネに頼らなくとも、自分の好きなモノが手に入る人には、おカネは要らない。
めざすべき究極の姿は、「自分自身がおカネになる」ということ。
コミュニティとか、仲間とか、人望とか、信頼性とか、信用というモノは、おカネと同じなのです。
そういうおカネをどういうふうに獲得していくのかが極めて重要なのです。
おカネは、インフレで価値が減ってしまいますが、コミュニティとか、仲間とか、人望とか、
信頼性とか、信用というモノは、インフレによって影響を受けません。
逆に、そういうときこそ、真価が発揮されるに違いありません。
『金持ち父さん貧乏父さん』の教えには反してしまいますが、
まずは仕事をしておカネを稼ぎながら、自らを鍛えなければなりません。
何も他のことは考えずに一二〇%の力を現在の仕事に注ぎ込むべきである。
節約ができる人は、意志が強い人です。自分の行動を自分でコントロールできる人です。
外部の雑音や他人の行動に惑わされることなく、自分の意志を貫ける人です。
そして、意志が強いということは、財産形成で成功するために不可欠の要素なのです。
複利を味方につけられるかどうかが、あなたの財産形成の成否を決定づける。
財産形成のメインエンジンは、仕事からの収入→最も重要な投資は自己投資。
財産形成のスピードをアップするためには、仕事で成功することが一番重要(中略)
株式を売買する前に、まずは自分を磨く――それが財産形成の王道です。
ーーー
ー以上が抜粋である。
書き写すに(前回分を含めて)2時間近くかかったが、戒めのためだ。
日本にバブルを起こさせたのも、アメリカの強引な景気浮揚と称して大幅な日銀発行を
押し付けためである。そして、株価の操作で日本株の暴落を図ったり、
連銀のドル操作などで日本を骨抜きにしたのもアメリカの操作である。
さらに自国に都合の良い格付け機関をつくって、日本の株価を叩き落していった。
そして、その美味しいところを買いあさっている。
我われの国庫から、アメリカの国債を買わされて、その国債の価値を落とすのだから、
「インチキ・ルーレットで胴元が操作をして全て巻き上げている」ことと、どこが違うというのか。
アメリカの従属国家として、第二次大戦後に恩恵を受けてきたことも事実である。
日本が二分割されて北朝鮮のようになっていたことを考えれば、
これでも仕方がないのか?という、日本独特の諦念がある。
アラブが怒るのもわかる。世界の石油の決済の殆ど全てがドルでおこなわれている。
アメリカの紙切れで、石油が全て持ち出されているのだから。
彼等の質の悪さ?も手伝って、それをモノの再生産に投資できない事情もある。
その対極の日本も、稼いだ金をドルとアメリカ国債に半強制的に替えられているに
すぎない。アラブの人たちと大して変わりはないのだ。ユダの世界戦略の一環でしかない。
ー以上であるが、80対20の法則でいう殆どの要点はここに書いた。
あとは、本屋の立ち読みで充分である。但し、その意味を噛み砕いての話だが。

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2003年11月28日(金)
968, 「企業の人間的側面」
 学生時代の日記に、この本をゼミの教材で読まされていたことが書いてあった。
マクレガーの著書で、当時は経営書として多く読まれていた本であった。
X論・Y論という人間管理に対する考え方がテーマである。
ーX論は主に肉体労働者を管理をする方法
ーY論は知識労働社に対する管理の方法 と記憶していた。
Ⅹ論は性悪説が、Y論は性善説が根底にある。
X論とはー人間は本来怠け者で、目を離せば仕事をしないものである。
 従って、常に厳格な管理監督をしていなくてはならない。
Y論とはー人間は目標とそれに対する方法を与えれば率先して仕事をするものだ。
当時これを読んで非常に納得をしたことを憶えている。
Y論も、人による。
X論に適応する人種が間違って権限を持つと、それを利用して手を抜くことに
全てのエネルギーを使うからだ。
公務員はその典型で、マネジメントという視点が全くなくなってしまう。。
そのことは社会主義の破綻が全て証明している。
反面、X論に縛られたら組織の硬直化がさけられない。
競争原理を入れて、Y論に適応した人材を厳選をしないと命取りになってしまう。
当時、経営書といえば、この本の他に思い浮かぶのは
ドラッガーの「現代の経営」「経営者の条件」「断絶の時代」「創造する経営」
マックス ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などである。
ーインターネットで調べたⅩ・Y論をコピーしておきます

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「X理論とY理論」
 Sage, G. H. は、コーチと選手の関係が権威主義的に形成されることについて、
ピジネスの組織における「科学的マネジメント」がスポーツの世界に及ぼされたもの
として見ている。「科学的マネジメント」は人間の本性を悪であり、なまけものであり、
刺激によって方向付けられるもの(X理論)と見なし、それゆえ強力なリーダーが組繊し、
目標を達成する責任を持たなけれぱならないとしている。そして、リーダーは命令し、
働く者の活動をコントロールし、彼らの行動を組繊の要求するものに合わせるように
修正するという役割を持つものとされる。
 このような「科学的マネジメント」に基づく組繊においては、選手は組繊の目標を
達成するための道具として捉えられる。そこでは、「決定は、費用効果の分析後、
コーチによってなされ、選手は組繊の目標達成のためにコーチの意志に従うことを
期待している」というコーチと選手の関係が形成される。
 Sage, G. H. は、このような「科学的マネジメント」に基づくコーチー選手関係を
否定し、「人間関係によるマネジメント」を提唱している。それによれぱ、
人間は本来的に受身の存在ではなく、動機や責任を引き受ける能力を持ち、
機会が与えられれぱ有効な決定をなしうる存在(Y理論)と考える。
よってリーダーは「組織の状態や手順を整備することによって、人が、組繊の目標に
対して自らの努力を向けることで彼ら自身の目標を達成できるようにしなけれぱならない」
という役割を担うこととなる。Sage, G. H. は、この「人間関係によるマネジメント」を
「気紛れな独裁的統制よりも個性と自由を強調する現代の価値と倫理により調和している」
ものとし、コーチと選手の関係について次のように述べている。
 「コーチは、総合的チームプログラムはチームの選手の要求や願望に優先すると、
当然のことのように思ってはならない。個人の選択は、チームのそれと同等に
考慮しなければならない。チームの目標とそこに到達する方法はチームの全員によつて
作りあげられなけれぱならない。コーチは、本質的なものに対する自らの権威を
制限しなけれぱならないし、専制的な意志によって選手を威圧してはならない。」

・・・・・・
594, パソコンの恩恵
- 2002年11月28日(木)

毎日飽きずに、こうも書けるか種明かしをしよう。パソコンのおかげなのである。
会社の机の上と、自宅の居間のパソコンの存在のおかげだ。
パソコンが無かったら絶対に不可能である。
何か思いついたときパソコン内のメモ帳に書きこむ。それに気楽に書き足していくのである。
最後に適当にテーマを書いて保存しておく。反対にテーマを思いついたら、
まずはテーマと思いついたことを2~3でも書いておく。
特に一番リラックスしている夕食前後に面白いテーマやキーワードが出てくる。
10秒もしないうちに書ける休止状態にしておき、遊び感覚で打ち込む。
これで飛躍的に文章力と量が増えたのだ。その場が一瞬に書斎に変わるのだ。
更にパソコンのよいことは修正と追加が軽くできることだ。
順序も考えないで、思いついた事が打ち込めるのだ。後で順序を並べ替えればよい。
そのプロセスは思考である。そうするとパソコンは思考機械になる。
これが紙に書くとそれ自体で気分が重くなる。さらに書きなぐっていると、
頭が混乱してくるのだ。勿論大切な事だが。
ポイントはテーマなどは後で面白おかしく書き換える事だ。
毎日書き続けて解ったことは推敲の回数を重ねるほど文章は良くなって
いくことだ。文章上達はそれしかないといってよい。
それがパソコンの場合簡単にできるのである。
話しは変わるが随想日記の最大の読み手は実をいうと私なのだ。
数ヶ月前のある日の随想日記を突然ランダムに呼び出して、毎日のように
読んでいる。その都度、こんなことを書いていたのかという驚きがある。
これは自己対話をしていることである。あるいは自分を深耕していることにもなる。
これもパソコンだからできる。書斎に移動して読む必要はない。
我が家には書斎はない、いや必要ないのだ??
この一年半で、自分の文章力が飛躍的に向上した。
これは毎日文章を書き続けたことと推敲を毎日重ねたおかげである。
その最大の武器がこのパソコンである。それとホームページのおかげだ。
誰かとつながっているという動機づけがあったからである。パソコンは知的玩具です。
痴的にもなるが?!

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[241] 健康法
- 2001年11月28日(水)
1、私の健康法の基本はウオーキングである。年平均15000歩である。
  実際大変であるが、習慣化をしてしまえがそうでもない。
2、次は毎朝の風呂と、そこでやる足マッサージ。
 右(左)の手の指で、左(右)の足の指の間を合掌し絞り上げるが、
 かなり刺激的で、呼吸をしながらやる。次がコメカミと目の周囲のマッサージ。
3、夕食前のヤクルトと、健康食品(胚芽米の酵素と、パイウオーターに
プロポリスを入れたドリンク)それと、基本として肉料理より魚料理を食べるよう心がけている。
4、砂糖とカンジュースを飲まないようにしている。
5、ものごとをあまりクヨクヨ考えない。
6、合わない人とか、いやな事は極力避ける。
7、昼に30分アルファーはの出る音楽を聴く。
8、あと海外旅行が精神によい。年2~3回行っていると、毒を吐き出る。
 ただお腹九分目目まで食べないときが済まないのが悪い癖だ。
 毎日アルコールを飲む事も良くない。
  そういえば川柳を思い出した
 [健康法 人に説いて 先に逝き]
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昨日はカミサンと長岡の居酒屋・笑笑で飲む。三日続けて飲んだ。
この連休どこも行かないし、いいじゃないかと理屈をつけて。
一昨日は前日0時まで飲んでいたため、酔い止めの薬を薬局で飲んだ、
かつ二軒目以降は梅割を飲んでいたため無事。もし早死にするなら、
私の場合の飲みすぎだ。

・・・・・・
11月28日   
1968年
午後「人事管理」の試験、まるで解らない。
論文形式の方は、書くのが億劫になり、いい加減な文章を書いて提出をする。
その後喫茶店に行った後、川崎と「嵯峨」で酒を飲む。
話題が寮のことになり、寮生の同期の佐藤と飲むことを約束をする。
対照的な二人の間で飲むのも面白そうだ。
帰寮後、明日のゼミの課題のマクレガーの「企業の人間的側面」を明方の4時まで読む。
両親の従業員に対する人間観はX論に当てはまることに気がつく。
Y論は自分自身にあてはめ、X論は従業員に当てはめるということ?