ー庶民は知らないデフレの真実 ー森永 卓郎 (著)
    * 東日本大震災後の第三次震災恐慌が狙い目
  貧乏人が金持ちになるには震災を狙い目? それが数年後の恐慌か、経済大変動というが、御隠居の身で鳥瞰するには
 良いが、知れば知るほど末恐ろしい。 震災恐慌では大部分が被災者になり、弱者になる。金持ちは、海外に資産を移動して
 最小の打撃で済むか、焼け太りになる。しかし、貧乏人にもチャンスがあるはず!と。 まずは、ーその辺りからー
《 関東大震災後に世界恐慌の煽りで、第一次震災恐慌が起こった。そして1995年1月に起こった阪神・淡路大震災から2年後の
 1997年、橋本内閣は?消費税を3%から5%に引き上げ、?特別減税を廃止、?会社員の医療費本人負担を2割から3割に引上げ、
 都合9兆円もの国民負担を断行し、その後14年続くデフレの原因を作ってしまった。恐慌ほどでないにしても、先進国で
 デフレに陥ったのは日本だけ。これを第二次震災恐慌という。そして、この情勢から、早ければ2014年、遅くとも2015年に、
 第3次震災恐慌が日本を襲うだろう、消費税率は2014年4月に8%、遅くとも2015年に10%に引き上げられる。一方で2014年には
 徐々に復興需要のカンフル魂剤が切れる―過去の例を振り返っても震炎恐慌が起こる確率はかなり高いのだ。
 どれだけ資産価格が下がるかを正確に予測することほできない。しかし、第3次震災恐慌は、少なくとも1997年以降に起った
 のと同じくらいのインパクトを持っだろう。1997年から2010年までの13年間で、全国の市街地価格指数に49ポイント下落し、
 日経平均株価は45ポイント下落している。だから、資産価格の半額セールが始まると見てよいだう。・・・》
▼「日本の二つの大震災の数年後に、恐慌か、それに比類する経済大震災が起こった。だから、今回も起こるのでは? 
 それも、来年か、再来年に?」という筆者の論も、ある面、納得できる。アベノミクスの政策をみれば経済震災は至極当然。
 その時どう対処するか? その混乱を中国が虎視眈々と領土を狙っている上に、米国がTPPを隠れ蓑にした郵貯を狙っている。
 「刺激的なことを書いているが、恐慌など起こってないじゃないか!」は、「日本のバブル崩壊後の20年間で何も起こって
 ないじゃないか!」と、似ている。二つの大震災、20以上あった都銀が3つになり、20年のデフレが続き、経済は疲弊。
 世界ブランドの、パナソニックソニー、日立、カシオは地に落ち、ダイエー西武グループが消滅した。それと同じか、
 より激しい経済変動が静かに起こっている。かくいう私も、大波に飲み込まれてしまった。
 偶然だが、以下に金融面でコンサルティングをして貰っていた林さんの著書の感想文があった。この春で、円滑法が
 打ち切りになったが、表立った中小企業の倒産の急増の話はない。どうして?と思うが、消費税の増税を通すため、金融を
 緩めているため。地元の知人の話を聞くと、景気悪化は止まっていない現実がある。株価が上がっているのは、金融緩和
 の資金が実需でなく株式に回っているため。中国との領土問題など戦争の匂いもしてきた。被害者は弱者の大衆になる。
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4274, 「金融円滑法の打ち切りの是非」を 世に問う
2012年11月28日(水)
  「中小企業金融政策の理念」林憲昭著
   * 初めてのアマゾンのレビューへの書き込み
 以前、金融に関してコンサルティングをしてもらっていた林さんが、新著を出された。何冊目になるだろうか。
 そこで一度、アマゾンのレビューを書いてみたいと思っていたので、投稿してみた。赤裸々な事態を曝してよいものか、
 どうか考えたが、実名を出すわけでなく、今さらと思い投稿した。 ーまずは、その内容からー
≪ 昨年の3・11直後、事業を断念して1年8ヶ月経ち、少し気持ちが落ち着いた矢先、以前、読んだことのある著者の、
この本を見つけました。9・11以来、売り上げが三分の二になり、血の滲む思いでリストラを断行し、何とか目安が
ついた矢先にリーマンショックで、さらに半分、合計で三分の一まで激減。それでも金融円滑法と、雇用調整給付金で、
何とか持ちこたえていました。しかし、あと半年〜1年で資金が底をつくのが目に見えてきた矢先に東北震災が発生。
その直後に前倒しで会社を整理した。
それでも複雑な思いがあります。 大きな肩の荷が下りて本当に良かった、という思いと、重大な経営ミスをしたわけでなく
震災ともいえる経済津波で長年培ってきたの事業が消滅した無念さがあります。大不況の中、大多数の中小企業は血の滲む
思いで踏ん張っていますが、来年の三月で金融円滑法の打ち切りになります。 著者が現場の窮状を目の当りにし、
可能な限り弱い立場に置かれた中小企業を、この非常事態に擁護すべき、という熱い思いが、伝わってきます。 
 来春このまま金融円滑法の打ち切られた場合、数千、数万の中小が大きな岐路に立たされることは、私の経験からしても
間違いありません。しかしグローバル化の時代、3年も猶予を与えられたので打ち切りも致しかたがない、のも道理です。 
悪いことに再来年には消費税の増税が控えています。 ここで1〜2年、更に引伸ばしても同じでは? というのも、
既に事業から退いたから言えること。私の事業フィールドが地方だったこともありますが、地域経済の冷え込みは、
想像を絶しています。著者の指摘で中小企業の金融政策関係者に大きく取り上げられ中小企業の助けになることを望みます。 
私が、3・11以降、あのまま事業を続けていたらと思うと背筋が寒くなります。 経済的大津波は、外海から内海に向けて
押し寄せて来ているのが、私の目には見えています。 私は償却前赤字を事業断念の目安にしました。 情報化と、
グローバル化による生産の国内から海外へのシフトによる空洞化と、物価と資産のデフレの中小企業への直撃が、
この異常事態を引き起こしています。それを割り切り諦めるか、最後の最後まで踏み止まるか、難しい問題です。
 小泉の改革は、あまりに大手銀行よりで、私の経験からしても酷いものでした。その方向に、自民党が政権を
とった時に戻るとしたら、恐ろしい結果が待っているはずです。その中で、丁度良いタイミングで世に問うている
素晴らしい中小企業擁護論です。多くに金融関係者に是非とも読まれることを勧めることが出来ます。≫
 ▼ 昨夜、TVで「来春の『金融円滑法の打ち切り』後は、弾力的に対応する」というコメントが流されていた。
  この著書が大きく影響したのか、タイミング的に同じだったのか? 世情の厳しさは、止まることはない。
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3899, 国債クラッシュ
2011年11月28日(月)
       「国債クラッシュ―震災ショックで迫り来る財政破綻 」 須田 慎一郎 (著)
  ◎ 国債金利2%で発生 ?
図書館で何気なく手にした本だが、来年暮れの具体的な国債暴落のシュミレーションが生々しい。この本の出版日が今年の6月末。
それからして4〜5月に書かれたもの。半年間の流れは、この本のシュミレーションより危機の度合いは激しい。ギリシャ危機で
世界恐慌一歩手前まで行ってしまい、イタリアがIMFの実質管理入りし、そしてスペインとハンガリーが危険水域まできた。
さらに一番安全とみられていたドイツ国債が三分の一も売れ残ってしまった。 日米より遥かに健全?と思われているドイツ国債
売れ残りには世界中が唖然とした。それならば日本は?の連想になる。この本のシュミレーションは一年後の11月から12月の想定。
この本を読み始めた直後に、ある人からメールが入り、石角完爾『ファイナル・クラッシュ』(朝日新聞出版)が、シビアに現在の
日本の危機が書いてあると教えてくれた。また昨日の関西系TVの政治経済を話題にしたバラエティーでも、この本を取り上げていた。
 アマゾンの書評を読んでみて、こちらの方がよりシビアなので早速、購入することにした。
 ー「国債クラッシュ」のアマゾンの内容紹介からー
 2012年12月、ついに「その日」がやって来る。大震災が「財政破綻」の引き金をひく戦慄のシナリオを詳細シミュレーションで検証。
3.11大震災以降、日本の抱える「財政破綻」という"時限爆弾"のタイマーは、確実に時を刻むスピードを上げている。国債の大暴落が
円・株・債券の全面安という、空前の「日本売り」を引き起こす戦慄のシナリオを詳細シミュレーションで徹底検証。
 〜印象的な部分を、書き出してみると・・・
*「具体的には長期金利2%が、実質的な[国債クラッシュ]の目安。その数値に達成した場合、為替では、現在の様相がウソのように
 円安にぶれていき、それによる価値の目減り分を嫌った資産の海外逃避が、いっせいに進み、円安の底なし沼にはまる」」
*「マーケットには現実を正確に把握する力もなければ、結果を見通す眼力もない。マーケットには不安に駆られやすく臆病で、
 かつ利己的な心理があり、それに従った場当たり的な判断があるだけ」
*「国は国民から税金を取れないがために、国債を発行して『借りる』という形でお茶を濁してきた。国民は税金さえ取られなければ、
 国の借金体質には寛容だった。・・・そして危機が訪れるや、企業や個人は自己防衛のため、いっせいに日本売りに乗る・・・」
*「日本国債アメリカ国債は、よく見ると連動している。アメリカの金利が上がり出すと、それにつれて国債金利も上がる。
 と同時に、連動して日本の国債と銀行金利も上がるとすると、2%など直ぐにでも上がっても不思議でない。」
▼ 何か不気味な風が日本を覆い始めている。それも来年の今頃のシュミレーションが具体的な物語風に書かれているのをみると、
 不気味というより、恐怖を感じる。それも半年前に書かれた時は、ドイツの国債が三分の一も売れ残るなど著者も思いもよらぬこと。
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3534, エコポイントの駆込み購入の愚!
2010年11月28日(日)
 * エコポイントは目先延命の劇薬、それが切れる来年は? 
 少し考えれば分ることだが、「エコポイントの駆け込み購入」で、このところ家電チェーンが賑わっている。
しかし、この騒ぎが終われば値崩れが起きて、このポイント以上に値下がりをするのは火を見るより明らか。
元もとエコポイント制度そのものが、恐慌に対する延命のためのカンフル剤で、目先の苦痛を避けるためのもの。
しかし来年の前半には、この前倒しの反動が大きくなる。薄型TVは典型的な相場商品、大きく値崩れをするのは火を見るより明らか。
そういう批判がないのは、マスコミがメーカーから広告を貰っているため。地デジ化は来年の7月、その間に大きく値下がりは
当然のこと。その上に世界的恐慌の火の手が更に大きくなる。 他人事ではない、当方は460台のTVの買い替えがある。
来年7月の瀬戸際ほど安くなる、と仮説を立てたところ、このことに気づいたのである。エコポイントは、間接的には住宅、
家電、自動車メーカーに対する間接的援助ではないか。そのピエロが、それで買いに走っている大衆。決して穿った見方ではない。
誰も気づかないだけで、これはこれで良い。それを声高にいうこともない。国家にとって目先の失業と倒産を避けなければならない。
しかし来年は、この反動で、日本経済は大きく落ち込むことになる。 「来年、怖い!」が、キーワードか。
デフレ・スパイラルが更に大きくなる。総中流が、総下流社会に墜ちていく。しかし、総下流が大部分なら、それが普通になり、
中流ではないか。 ブラックジョークになるが、それが社会主義の理想とするところ。格差のない清貧の社会。
  (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日)
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3159,金を通して世界を読む  −2
2009年11月28日(土)
 「金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)
住宅価格下落を予測して、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》を中心としたファンドを始めるという。
彼が3〜5年スパンで金に「兆」単位を投資するというから、2〜3倍以上の高騰を予測しているはず。 
銀も一年前から高騰を始め、年に90パーセント以上も値上がりをしているから、金はまだ40パーセントだから、
50パーセントの値上がりと考えることができる。 そうはいかないのが相場の世界である。まあ、どうなることやら。
 ーこの本の中で、含蓄の深い部分を抜粋してみるー 
 日本で最も金が売れる地域といえば、京都である。 店舗の面積坪当たり最大の金小売店も京都にある。
京都には宗教法人が多く、資産も蓄積されている。 長年歴史の波にさらされてきたからこそ、スイス流の
「最後に頼りになるのは金」という考えも強いようだ。 ある金ディーラーが縁あって某名刹の住職と面談したときのこと。
住職曰く「金は先の大戦でもそのまま残り、資産として破損することはありませんでしたな」。 ディーラー氏答えて
「はあ、第二次大戦でも京都は空襲を免れましたしね」。 住職「なにをおっしゃる。私の申しているのは応仁の乱のことです」。
各県別に見ても、金が売れる地域というのは必ずしも県庁所在地とは限らない。 現代の経済行政の中心地より、城下町であった
都市のほうが資産のストックは多いようだ。 郡山より会津山形市より米沢、青森市より津軽、というようなあんばいである。
 (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日)
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2794.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・3
2008年11月28日(金)
【第二の法則】
  なんでも鵜呑みにするな!人間は鵜ではない。
「世間において 常織とみなされていることに対して、疑問を呈する勇気を忘れてはならない。
  健全な猜疑心こそ、ものごとの裏に潜む本質を見極める近道である 」    ロバート・ルービン
「誰もが同じように考えているときは、一人として真剣には考えていないものである」 ウォルター・リップマン 
「貴殿の理論が狂っている、つまり突飛であるかという点では、我々の意見は一致している。
  だが、正解になる可能性があるほど狂っているかについては、意見がわかれている。
  私の直感では、まだ十分に狂っているようには思えないのだが」       ニールス・ボーア
「二つの文化のうち、それぞれの半分だけ足しても、一つの文化は 生まれてこない」 アーサー・ケストラー
「半分の真実といえば聞こえはいいが、本当は真っ赤なウソである」     ユダヤの掟
「権力とは 究極の媚華である」                 ヘンリー・キ・ソシンジャー
「違うよ。そうじゃないんだ。君は、思考していない。ただ、論理に支配されているだけなんだ」 ニールス・ボーア
「嘘には三つの種類がある。 ウソ、 真っ赤なウソ、 そして統計である」 ベンジャミン・ディズレイリ
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何事も、自分の頭で一度は精査することが必要である。それが、考えることになるのだ。考えない方が良い人が多いが。
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2007年11月28日(水)
2429, 20世紀を生き、21世紀を覗き見て    (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 大よそ半世紀少しを20世紀に生き、世界の色いろな変化を見てきたが、明治・大正生まれの人は、その感慨は更に深いだろう。
この20数年間、憑かれたように秘境ツアーで地球の果て?を見てきて、自分の庭とは言わないが、デズィニーランドのように
世界の文明と自然を見ることができたのが最大の収穫である。21世紀になって、携帯電話やパソコンによる情報革命の大きな
変動を見るにつけ、何と恵まれためぐり合わせが良かったと信じられない思いである。情報化が良いか悪いかは二の次に置いて、
これだけの知識・情報が世界を駆け巡る事態はSFの世界に迷い出た思い。 20世紀と対比できるから言えるのだろうが。
恐らく数百年、いや数千年の経験を60年余りの時間の中で味わったのである。その不思議である。21世紀は、やはり違う世界である。
それも想像を遥かに超えた。その結果だろうか?、この数年から哲学が面白くなってきたのである。この地球の大自然の由来は、
宇宙の果ては、130数億年前のビッグバンは何故おきたのか、それ以前は何があったのか、人間の6千年の文明史はどのように
なっているのか、等々、疑問が噴出してからである。地球を見てまわり、少なからず人生経験を積み人類の遺産の文化や文明を見てきた。
そして、知れば知るほど、知らないことの多さと不思議の多さに呆然とする。それらを考えること(哲学をすること)で、
少しずつ理解できると哲学者は言う。「死んでしまえば、それが何だった」としてもである。少し地球に存在し、少し認識したということ? 
それが存在の不思議を問う存在論になり、認識の意味を問う認識論になる。我われは地球に、遊びに、働きに、
そして学びに来ているのである。「よく遊び、学び、学べ」とは、よく言ったものである。         (((。・-・)从ホンジャ
・・・・・・・・・
2006年11月28日(火)
2065, あたりまえなことばかり −16
  b(^o^)d おっ W(^O^)W  はよー! ー♪
この女哲学者よりも、私のほうが「心の中で生きているとは、どういう意味か」という内容に関しては、
深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、
色いろな体験をしているからだ。父の場合、父の方の心理そのものになったり、母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。
{全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」に存在するのではない。記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、
まさに上記のとおりである。「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、寒気がしたのを憶えている。
ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。
「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。
「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。
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他者の死はなぜ悲しいのかー?
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*心の中で生きているとは、どういう意味なのか? 肉体として存在しないけれど、記憶として存在する他者は、その限り「存在する」。
この存在の意味を考えてみよう。死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、死んだ人はあの世にいると納得したのでは
なかったか。心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。彼は「今」どこにいるというのか。
  ー2009年11月28日ー字数制限のため削除ー
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2005年11月28日(月)
 1700, 人生の価値についてー2  (*´o)*ゞふぁぁ
このHPの維持も、「退屈と不安の解消が目的か?」と、問われれば、「目的ではないが、手段である」が答えになる。
退屈に対して、これだけ赤裸々に抉っているのも珍しい。「小人閑居して不善をなす」というが、閑居に対する姿勢が
小人かどうかを決めるのだろう。閑居は何か悪いように錯覚するが、逆に最も大事なことである。
アラブの遊牧民は、閑居を第三の時間ー瞑想、仕事と遊びと、そして休みの時間)として、一番大事にしている。   
第104節の「人生の退屈そして不安 」でさらに、生きるとは何かをさらに掘り下げている。
 何ヶ所か抜粋してみる。                 φ(・_・)
 ードストエフスキーはシベリアの徒刑地で、
   懲役の労働が囚人達に苛酷なのは、仕事の内容のつらさではないという。
    つらさという点では農民の方がよほど苛酷なはずだ。しかし、農民には自分のために働いているという目的がある。
      だが懲役の労働には目的も意味もない。 それが刑罰の刑罰たるゆえんである。
 ー彼は囚人達が「意味の無い労働」でない、例えば家を建てる仕事を与えられると、
    にわかに夢中になり、生き生きしてくるさまを伝えている。
     強制労働で立派な家を建てても、賞金がもらえるわけではないし、刑期が短くなるわけでもない。
       それでも囚人達は少しでも具合よく、良い家を仕上げようと一生懸命になるという彼の深い観察のうちに、
        人間の生きる目的ということの秘密が宿っているのではないだろうか。」 
    この節で、人間の日々の行動に何らかの目的があることの重要性が説かれている。
 ードストエフスキーは次のようにいう。
 「もしも囚人に、一つの手桶の水を他の手桶にあけ、それをまた逆に始めの手桶にあけたり、砂を搗いたり、あるいはまた、
   土の山を一つの場所から他の場所へ移し、それをまた元へ戻すというようなことをさせたら・・・・
     囚人はきっと四、五日も経ったら首を吊るか、でなければむしろ死んでそんな侮辱や苦痛から逃れようと思って
       どんな罪でも犯すだろうと思う」     ヽ(゜Д゜;)ノ!!
  (以上、字数制限のためカット 2010年11月28日)
・・・・・・・
2004年11月28日(日)
1335, 「おカネの発想法」 ー読書日記−2
 ー前回に続いて、印象的なところを抜粋してみるー
 ーおカネが本物かニセモノかという点は、実は本質論ではないのです。
   (以上、字数制限のためカット 2010年11月28日)

                            • -

2003年11月28日(金)
968, 「企業の人間的側面」
以下は字数の関係でカット