つれづれに

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http://www.youtube.com/watch?v=1BeI0vzosVA

 例年、この時期のスポーツジムが閑散となる。
蒸し暑さのせいか、何だろう。もう田植えは終わっている・・
 
 考えてみたら、あと10日で今年の半分が過ぎることになる。
殆ど変わったこともなく、月に一回の飲み会と、週一回のシネマと、
図書館。それに週5日のスポーツジム通い。最近の大きい買い物は、
一昨年のiPad位のもの。パソコンも自転車も、ipodもそろそろ買い替え時だが、
我慢すれば、あと1~2年は十分に使える。
 
 

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1539, 秘境探検家の「幸福論」-2
2005年06月20日(月)

この二人の会話には抽象的でない「実感としての幸福感」が伝わってくる。
真・善・美とは何か?
人間は如何あるべきか?
人間は何が可能か?
など難しい話はない。
大自然の中で、ただ自然の中で生き、死んでいく未開の地の人々の
純粋な生き様のなかに、人間としての原点の共通点を見つめている。

ーーー
ー関野
・・・ほとんどの日本人は、本当は景気が悪くて困っているんじゃないよ。
経済という唯一の価値観にがんじがらめに縛られて困っている。
苦しんでいる。景気がよくなったからって解決する問題ではない。

人間が生きていて嬉しい瞬間って、
美味しいものを食べたとか、
子供が成長を実感したとか、
差別されてないとか、
好きなところに住めるとか、
他人の誤解が解けたとか、
そんなところにある。
人類が生まれた時からこれはズット同じである。
ところが、そんな喜びがみんな経済に取り込まれてしまった。
効率よくお金を儲けたら、こんなことみんな上手くいくと思い込んでしまった。
ーーー
ー長倉
「生きている実感がない」という人がいますね。
そういう人は間近で懸命に生きている人を見ていないんじゃないか。
生を実感するということは、自分自身を知ることにつながってくる。
自分を知れば生きる喜びをつかみやすくなるんじゃないか。
アマゾンのアユトン・クレナックは
「人はたった一人の存在だからこそ、人と出会うことに意味がある」
と話していたけど、これは人が在ることの意味をストレートに言い当てている。
ー関野
アマゾンのマチゲンガ族の村にもう30年も通っているんだ。
父親を「トウチャン」、母親を「カアチャン」と呼んでいるんだけれど。
そのトウチャンが死んでしまった。
カアチャンは元気なんだけれど、何というかな、静かに、植物みたいに生きている。
要するに、目的がない。ただ、生きている。
彼らは、「何のために生きているのか」なんて愚問は受け付けない。
「何いってるの」って感じで、質問の意味が理解できない。
どこに行きたい、この先どうしたい、将来こうなりたい、何を求めなくてはとか、
考えたこともないだろうね。
でも今を楽しんでいる。
この人たちには敵わないと思うよ。
ーー
ー長倉
タイ南部の山岳地帯で、イスラム国家建設を夢見て戦うイスラムゲリラと
ちょっとの間、暮らしたことがある。山の中の古びた木造のモスクがあったんです。
入ると、壁に古びた紙が貼ってあった。そこには、
「人はいつか生まれたところに帰っていかなくてはならない」とかかれていました。
この言葉に僕はグッと突き刺さったのです。いろんな国に行き、いろんな人と出遇った。
そして、それぞれの人をしっかり支えている根っこを見た。
彼らが辛くても生きていけるのは、その根っこがあるからだと知り始めた頃でした。
その紙片の言葉によって、「それじゃあこの俺の根っこは何だろう」と、
鋭い問いを突きつけられたように感じたんです。
そんな経験を重ねるうちに、僕の故郷を見る目が凄く変わってきたわけです。
故郷の北海道にも、ぼくが訪ねてきたところと同じように、懸命に生きてきた
人がいるはずだ。そんな人々と故郷の風土が自分を育んでくれたと思うに至った。
そして、故郷は二つとないんだと考えると、故郷に対するいいしれぬ
慈しみの情が湧いてきた。故郷から遠く離れて初めて故郷をみつめることができるようになったんです。
きっと意外なところに、自分にとってかけがえのない大切なものが、無二の存在があるんじゃないか。
ーーーーーー
「西欧的な幸福感に縛られている世界観を一度、冷静に見直してみる時期にあるのではないだろうか」
という二人の問いかけが深く問いかけてくる。それぞれの価値観は、それぞれの地域の土壌の中から
生まれてくるもの。その土壌の中から、根っこが生まれてくる。
しかし、その土壌を冷静に見てみることも必要だろう。グローバル化すればするほど、
それぞれの地区の特性が求められる。それぞれの異質なものを、異質として認めることが要求される。
そして自分が異質に気づくことも重要なことである。
数年前の立川談志のTV旅行ドキュメントが印象的であった。彼が癌に襲われて殆どの仕事を中止した直後、
ベネゼイラのギアナ高地へ行った内容である。全くすることがない彼は、そこで何と落語の稽古を始めた。
挙句のはて、現地のオカアサンをつかまえて、「お前、暇で仕方ないだろう!」という愚問をはっした。
それに対するオカアサンの返事が良い!

・・・・・・・・
2004年06月20日(日)
1174, 哲学についてー6
ー経験主義哲学ー
合理主義に対してイギリスとアイルランドから経験主義哲学が生まれた。
合理主義の「理性をとおしてのみ知識が得られる」という主張に対して、
「現実世界の知識は感覚器官をとおして得られる」という論である。
感覚による経験を絶対視する考え方は、合理主義に対してあまりにも対極にあるが、
アメリカとイギリスなどの英語圏では現在の主流になっている。
ジョン・ロックがいみじくも残した言葉がある、
「いかなる人にとって知識もその人の経験を超えることはできない」
経験主義は「人間は物体の観察可能な性質と運動しか観察できないのだから、それを
理解する為にはその性質をとおす以外ない」というロックの認識論が基本になっている。
「現実世界についての理解は感覚をとおした経験から導き出される」というのが経験主義の中心になった。
彼は自由主義的な民主主義の基礎づくりに貢献した思想家であった。
ロックは、アメリ独立運動とフランスの革命に、大きな影響を与えた貢献は大きい。
アイルランド出身のバークリーも経験主義者として、大きな位置を占めている。
「意識の内容は、その意識の主体にとって、経験されることのすべてである」
それ以外のことは、存在していることさえわからないという、いまでは当たり前のことを
合理主義に対する一番いたいところをついた。経験主義の哲学者としては何といってもヒュームである。
彼は人間を「感覚の束」としてとらえている。彼はロックと同じく現実世界についての知識は、
自分自身についても、他人についての経験も、実際の経験を通してしか得られないと主張した。
我々が内省をするとき、頭に出てくるのは、感覚をとおして得た経験や思索、感情、記憶からである。
「私とは感覚の束である」という彼の言葉あまりに有名である。
心理学でいう観念連合ということである。私たちの行動は欲望や情念によって目的が決められる。
理性が介入してくるのは、目的を達成する為の手段を選び、適応する段階になってからである。
「理性は情念の奴隷」も、ヒュームが残した言葉である。
そして18世紀末から、ドイツ圏において古代ギリシャの時代に匹敵する哲学が開花していくのである。
                     つづく
・・・・・・
2003年06月20日(金)
807, 心の構造進化ー書き続けるということ
 少し難しい話をすると、社会学者のレビィ・ストロースは、人間社会の基本形を
「時計仕掛け型」と「蒸気機関型」に分けた。
・「時計仕掛け型」の社会は実質的に歴史を持たず、構造変化をしない社会
 ー南アメリカのアマゾン奥の部族の人達やアフリカのマサイや・・・・・
・「蒸気機関型」は我々の社会のように進化をしていく社会をいう
 この両者の違いを、ストローは「書く」ことによるとしている。
ーといって、「どちらが文化的に優れているかというとむしろ『時計仕掛け型』ではないか!」
といえるが、この問題は違う時に考えてみる。
 社会だけでなく私たちの心も言葉にして書かない限り「時計仕掛け型」である。
内語を書きとどめることによって、人間の心も言葉との相互作用によって、構造進化を始める。
 二年間書き続けてつくづくそれを実感する。
 この随想日記を書き始めて、何かが大きく変わっているのを実感する。
毎日書いていて解るのだが、大体が過去の話である。ということは、過去のことしか書けないのだ。
未来のことも書けるが、結局は過去の前提の上での未来でしかない。せめて夢か予定の一部だけでしかない。
書くことで、過去の自分を見つめ直すことによって、心の構造進化をしている。
 もし、過去を無理してふりかえないようにしているなら、心に蓋をしていることになる。
このように書き出すことによって、心の中の曇りやその奥にある光に気がつく。
その意味では、二年以上毎日書き続けたおかげで自分を見つめなおすことができた。
心がどんどん構造進化ー私の場合は構造変化だがーをしているのを実感する。
そして書くこと自体が面白くなる?! 毎日が一語一会になったしまう。
しかし、いつもネタさがしにキュウキュウとしているが。
(注)ストローズ ークロード・レヴィ=ストロース
 フランス生まれの文化人類学者(1908-まだ生きている)。
構造主義」のリーダーとなった人。あらゆる民族の神話を分析することによって、
浮かび上がってくる「構造」を発見することによって、未開社会も、われわれの社会と
なんら変わらないではないか、と考える。
しかし、彼の神話解釈はそこに共通する「構造」があることを前提としているので
しばしばうさんくさい(と感じる)。

・・・・・・・
2002年06月20日(木)
443, 見せ金ーブランド志向心理
ヤクザが1万円札を財布にビッシリ入れ見せびらかす。詐欺の手口の応用である。俗にいう見せ金である。
中学の同級会で久々に出てきた男がまったく同じ事をしていた。 普段金に困っているから、
逆に故郷に帰ってきたときぐらい金を持っている振りをしたくなるのがミエミエである。可愛いものだが。
銀座で永くクラブのマネジャーをしていた人の「人の見分け方」の話。
「高価な服装、靴、時計で身を固めている人が一番危ない!ツケはできない」という。
外見が金持ちに見える人は、成金とかバブルの成り上がりの人が多い。
実用本位の質素の服装をしている人が一番信用できるという。
何回か会社を潰した人が再び会社を興し、少しうまくいくとベンツに髭に皮ジャンに高級クラブ、
お決まりのコース。そして数年後夜逃げ、身辺でいくらでもある。
すぐに逆上せ上ってしまう。結局は事業はそれをしたかったための手段でしかなかったのだ。
それと同じ事が、スナックで見かけるやり手ブスの中年女。
ブランド品を上から下まで飾りつけ、香水の匂いを撒き散らす姿は喜劇。