つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=kPU3Cg7LdTU

 一月ほど前か、現在の自分と、娑婆とやらに対し、底知れぬ可笑しさを感じて、
知らずに独り腹から笑っていた。 で、恐らく、これで節目を乗り越えたようだ。
こういうのをアップスケール(脱皮)というのだろう。 独り万歳である。
 あとは、心置きなく流しの遊びの世界で我を忘れればよい。
割り切るのに、やはりまる二年。
節目として、4分割の最後のシリーズ・・ 心の還暦になる。
競馬の最後の直線。これからが勝負どころ、なのだろう。


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770、 私が二十歳の頃-時代背景
2003年05月14日(水)

20歳の頃の話は、半年前に「学生時代のこと」のテーマで書いた。
今回は、その時代背景はどんなであったかを書いてみる。
・二十歳の前年の1965年、米軍がベトナムの爆撃を開始、ベトナム戦争が二年目であった。
ベトナム戦争反対運動と学生運動がピークに向かっていた。また中国で文化大革命運動が始まっていた。
 高度成長の始まりもあり、騒然とした雰囲気であった。
アメリカ大統領がジョンソンで、日本は佐藤栄作が首相二年目に入っていた。
ビートルズが来日。
・尺貫法が廃止される。
・TV では『おはなはん』が放映、『笑点』がこの年に開始された。
 他には『サンダーバード』『ウルトラマン』『銭形平次』があった。
・漫画では『巨人の星』『意地悪ばあさん』があった。
・流行歌では、「星影のワルツ」「君といつまでも」「夢は夜ひらく」
 「霧氷」「バラが咲いた」「こまっちゃうな」「思い出のワルツ」
 などポップスの全盛期であった。
 翌年は「ブルーシャドー」「小指の思い出」相良直美の「世界は二人のために」
「夜霧よ今夜もありがとう」「女の波止場」など、名曲がつづいた。
・スポーツでは巨人は堀内恒夫が入団で、44イニング無失点の記録をつくった。
 君原がボストンマラソンで優勝した。
 社会人ラグビーでは、八幡製鉄が4連覇を果たした。
・新宿に西口ができた。西口の浄水場の近くをバイトで何回か通ったことが懐かしい。
 こう書いていると次々と当時の記憶が蘇ってくる。
振り返ってみると、高度成長期の真っ只中で日本が未来に向かって
光り輝いていたようだ。音楽も漫画も夢のあるものが多い。
半年前にこの頃の事を書いたものをコピーしておきます。
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2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っているようだ。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
現在と変わらない自分と、全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。
学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどのことがあった。
脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。20代30代は誰でもそうだが、私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。
武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と結構恵まれていたのは時代の背景もあった。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。
当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を
しようかという内容と、その批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。
そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
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2002年11月09日(土)
575, つれづれに学生時代のこと ー2
現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあるように思える。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの午後の
人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、人生が何を求めているかの追求」である。
人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの
過程として捉えると解る。その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要ということだ。
その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。両親がそれをしっかりやって死んでいった。