つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=il_qcmd1KPk
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 昨日は、金曜日でシネマをみる日。
カンヌ映画祭に日本から出展に二本の一本に選ばれたというので、
「藁の盾」をみてきたが、これが面白い。 90点というところか。
http://wwws.warnerbros.co.jp/waranotate/index.html

 毎朝のミニサイクリングの電動アシスト自転車、まる3年になる。
パンクは三月に一回、ブレーキも何度か修理、後輪のタイヤは一月前に交換。
6千キロは走ったので、そろそろ寿命に近い。値段の割には当たり!である。
パソコンも、これも秒読みだが・・・ 

 庭の藤の花、昨日、写真を撮ったとき、いま一つ勢いがないと思ったが、
満開と思っていたのが間違いで、今朝が満開。去年は全く咲かなかったのに。
 
・・・・・・
2004年05月19日(水)
1142, 自由について -2
「自由ほど不自由」ということを感じたことを誰もが経験していると思うが?
これは「自由な自己決定」を迫られる「不自由」ということにある。
自由とは主体的であるということだが、その主体ということが怪しいのだ。
主体的と思いこんでいるだけでしかないことに気がついてないのだ。
その主体も外的要素によって規制されているから矛盾が出てくる。
目の前の「自由」が、ちゃんと何かによって規制されていることを嫌というほど、思い知らされていることを。
人生経験の中で主体と思ってきたことも、所詮は限定された世界の泳がされてきた小さな池の魚でしかなかったことを。
主体を「気短」という説がある。なるほど、面白いドキッとする内容である。主体的ということは、気短で、
その結果として目先の判断で動いているだけという。なるほど、そうかもしれないところが、身に沁みる。
自由から、何で気短に行きつくのが不思議であるが。現在の社会の様々な問題の根底の部分に、
「自立した自己」や「自由な主体」などの、幻想が潜んでいるのではないだろうか。
ゆとり教育」とかいうものが、幻想でしかないことを国は気がつき始めた。
国民レベルは、それが幻想ということを初めから知っていたが。
自由は戦いとるもの、積極的な自己目的を追求する姿勢の中にこそある。
「不自由論」という本がある。曖昧な自由論を批判している内容である。
風刺漫画を思い出した。「夫婦が、お互いの首についた紐を握りしめ溜息をついている絵」である。
何とも不自由そうであった。
  ーーーーーー
【-自由について-】

・あまり安価で手に入れたものは軽く扱われる。
自由のように神々しいものが高価でなかったら、実におかしいではないか。  -ペイン
・人間の自由を奪ったものは、暴君でも悪法でもなく、社会の習慣である。  -J・S・ミル
・痩せた自由は肥えた奴隷にまさる。         -イギリスのことわざ
・自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちにあるのであって、
 自由であろうと欲するものが自由なのである。              -エルンスト
・自分自身を支配できないものは自由ではない。              -マッティアス=クラウディス
・自由に気がついていないときこそ、人間は一番自由なのだ。        -ローレンス
・自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。     -バーナード・ショウ
・人間が自由であり得るためには、神があってはならない。         ーシェリング
・自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。        ーサルトル
・真に重大な自由はただ一つです。それは経済的な自由なのです。      -モーム
・我に自由を与えよ。そうでなければ死を与えよ。             -パトリック・ヘンリー
・自由は新たな宗教であり、われらの時代の宗教である。          -ハイネ
・ビロードのクッションの上に大勢で座らされるよりも、カボチャの上に座って、カボチャを自分で占領した方がいい。
                     -ヘンリー・ダビット・ソロー
・自由を愛することは他人を愛することだ。力を愛することは自分を愛することだ。 ーハズリット
・おお自由よ!汝の名においていかに多くの犯罪がなされたことか。      -マダム・ジャンヌ・ローラン
・人は自由を得たのち、いくらかの歳月を経過しなければ自由を用いる方法がわからない。   ーマコーレイ
・世界史とは、自由の意識の進歩以外のなにものでもない。              -ヘーゲル
・自分の好きなように生きている人間は自由である。             ーエピクティタス
・個人の自由も次の点では制限されなければならない。すなわち、他の人達に迷惑をかけてはならない。-J・S・ミル
・アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない。禁じられていたから食べたのだ。 -マーク・トゥエイン

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 2003年05月19日(月)
775、「ドラッカーとの対話」ー読書日記 -1
【本の内容】
ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。
-感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、
当時「経営者の条件」「創造する経営者」「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。
現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、
この書にであった。小林薫という名も懐かしい。この書の印象的なところを書いてみる。

・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの
 期間にわたっているという。そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。
 これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。
 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、弱点に対しては目をつぶり
 強みを活かすように努めるべきである。
イノベーションも彼の大きなテーマである。
 変化をチャンスとして捉えて、イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、性格ー人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、
自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。
このような急激なIT化による情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが
現代に受け入れられる。
話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。
 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーをコピーしておくが、
焦点を成果にあわせよ、自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の
強みの発見に努めよ、重要事項から始める癖をつけよ、と経営者や上に立つもののあり方が
書いてある。
 この本かどうかは忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべし
というのが彼の変わらぬ主張である。
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ー「経営者の条件」の書評ー
「エグゼクティブ」とは、何も経営幹部だけのことではない。
ドラッカーは本書のなかで、「今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に対し、
実質的な貢献を行うべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである」と述べている。したがって本書で
述べられる内容は、おそらくほとんどの知識労働者に当てはまるものと推測される。本書の主題は、
どうすれば成果を上げられるのか、という1点に尽きる。ドラッカーは、この成果をあげるために
エグゼクティブがなすべきことを、時間の管理、貢献へのコミットメント、人間関係、自分や部下の強みを
生かす方法、仕事の優先順位、意思決定などの視点から解説している。
GMのトップだったアルフレッド・P・スローンや、鉄鋼王カーネギー南北戦争リンカーンを苦しめた
リー将軍らが、いかにして成果をあげたのか、興味深い分析がなされている。
事例が古いのは仕方がないが、その洞察には目を見張るものがある。
目次
第1章 成果をあげる能力は修得できる
第2章 汝の時間を知れ
第3章 どのような貢献ができるか
第4章 強みを生かせ
第5章 最も重要なことから始めよ
第6章 意思決定とは何か
第7章 成果をあげる意思決定とは
終章 成果をあげることを修得せよ
もしこの本を読んでない経営者がいたら、すぐ読むことを勧める。目から鱗のはずだ。

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 2002年05月19日(日)
411,自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3

それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。
ライフワークをきっちりつかまえて、その都度脱皮すればよい。
「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。
ライフワークとは、一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。
そして一生涯を通して脱皮の時期がある。7年説、8年と10年という説がある。
ライフサイクルというが、
・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。
・8年ー16、24、32、40歳・・
・10年ー20,30,40,50年歳と・・
またこういう説がある
1、児童期・青年期  0~22歳
2、成人前期     17~45歳
3、成人中期ー中年期  40~65歳
4、成人後期ー老年期   60歳以降
重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。これと7年説が私の一番納得できる。
その節目ごと、脱皮していく事をいう。「節目を叩け!」という諺があるが。自己実現という言葉がある。
たしかユングの言葉であった。自分のなりたいこと、したいことを実現することをいう。
それも一生涯を通してだが。それを自分の人生という事にならないか。
子狐がここにきて、にわかにそれをつくろうとしている。やらないよりはいいが。
やるなら10年~20年スパンで何をすべきか判断して、それぞれ節目を作り、
やり通すのがライフワークである。
それをやり通すことが、結果として自分の人生という。「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、
そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人をいうのではないか。
 中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。 中学の先生もそれだった。
今度中年クライシスについて書いてみよう。 周囲はその人たちで満ちている。
一ヶ月前、150m先の58歳のご主人が自殺したという。家を新築したばかりなのに!
それにしてもそういうことに無知すぎる!
 
 2001年05月19日(土)
どうも不調
昨日1日このがサイトがひらけなかった。
きのう23時に帰ってきて、文章を書いたが記載出来なかった。これ