つれづれに

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 今日のYoutube
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 今朝、早朝サイクリングの道すがら、中学生低学年が50人位が、集団で
チャリで追い越していった。彼らは、あと70年以上、この世に存在するが、
私には10年あるかなしかと思いながらみていた。
あの年齢から55年も経っているから当然だろうが・・・ 
 誰もそうだが、自分が死んでしまえば、その後は存在しない。
生まれる前も、私にとって、この世は存在しなかった。自分が生きている間だけ、
この地球も、宇宙も存在するが、死んでしまえば、それまで。その死も二人称の死を
みてつくられたイメージでしかない。そして、振り返れば、私の生きてきた67年も
夢幻、幻想でしかない。 そうこう考えると、主観的時間の今を生きるしかない。
 等々、考えれば考えるほど、生きてきた時間が愛おしい。
やはり、行き着くところは両親と生きた日々である。人生など短いものだ。
振り返るほど、そう思う。

                       
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2005年05月19日
(木) 1507, 猛女怪女列伝
アナタハンの女王
終戦直後の日本で、このようなドラマがあったと、「新潮45」という
月刊誌のー猛女怪女列伝ーで初めて知った。
 太平洋戦争での敗戦濃厚になった、昭和19年6月から6年間、敗戦を知らない南海の孤島「アナタハン」で取り残された
「男31人、女1人の生活」で、一匹の『女王蜂』比嘉和子をめぐる、壮絶な性と生のもう一つの戦争があった。
その殺戮の中で生き残ったのは20人、残りの12人は、『女王』を争って殺されたり、原因不明な死を遂げたと
生還した兵隊達によって証言されたという。極限の世界で野獣と化した雄どもの命をかけた雌の奪い合いの地獄絵である。
 その比嘉和子も、昭和47年(1972)年に亡くなった。「アナタハンの女王」といっても、昭和20年代後半の話で、
この本を読むまでは全く知らなかった。
 アナタハン島は、サイパン島の北方約117キロにあり、東西の長さ約9キロ、幅3.7キロしかない小島で、
面積は約32平方キロだから、サイパン島の4分の1弱の大きさである。
この時の『女王蜂』をめぐる殺戮劇が、月刊誌「新潮45」4月号に、詳細に書かれていた。
「事実は小説より奇なり」というが、すざましい内容である。
この六年間に、和子は5人の男と正式でない結婚をした。ピストルを所持する`権力者’?に、
強引に娶られたり、争いを恐れた男たちが合議した末、次の夫が指名されたりしたのだ。
そのうち大部分が、明らかに殺害されたり、不自然な事故で命を落とした。
女王をめぐっての殺戮が続く中、遂に和子の『処刑裁判』が開かれた。その時には、32人のうち10人が亡くなっていた。
男達は全員出席した。そして、『敵と戦って死ぬならとにかく、和子をめぐって殺しあうなど許されない。
彼女に死んでもらうことがよい』という結論になった。
その中の一人が彼女に、そのことをこっそりと告げた。そして、彼女はジャングルに逃げた。
その一ヶ月後に、投降を勧めるアメリカの艦が島に近づくと和子は必死に着ているものを脱いで降り続けた。
助かったのだ。そして、その一年後に残った全員が助けられた。
昭和26年から29年にかけて、「アナタハン」ブームが、日本を席捲した。「おしさしぶり」の代わりに
アナタハン」という挨拶が流行り、「女王蜂」「アナタハン」という名前の飲食店も続々登場。
さらに、ハリウッドの巨匠ジョゼフ・フォン・スタンバーグが監督をした「アナタハン」もつくられて
「ライフ」や「ニューヨークタイム」にも採りあげられて世界的にも話題になった。
その後も、彼女は数奇な人生をおくったが、最後は結婚をして穏やかな人生を終えたという。
彼女も戦争の犠牲者の一人であった。

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2004年05月19日(水)
1142, 自由について -2
「自由ほど不自由」ということを感じたことを誰もが経験していると思うが?
これは「自由な自己決定」を迫られる「不自由」ということにある。自由とは主体的であるということだが、
その主体ということが怪しいのだ。主体的と思いこんでいるだけでしかないことに気がついてないのだ。
その主体も外的要素によって規制されているから矛盾が出てくる。目の前の「自由」が、ちゃんと何かによって
規制されていることを嫌というほど、思い知らされていることを。
人生経験の中で主体と思ってきたことも、所詮は限定された世界の泳がされてきた小さな池の魚でしかなかったことを。
主体を「気短」という説がある。なるほど、面白いドキッとする内容である。 主体的ということは、気短で、
その結果として目先の判断で動いているだけという。なるほど、そうかもしれないところが、身に沁みる。
自由から、何で気短に行きつくのが不思議であるが。現在の社会の様々な問題の根底の部分に、
「自立した自己」や「自由な主体」などの、幻想が潜んでいるのではないだろうか。「ゆとり教育」とかいうものが、
幻想でしかないことを国は気がつき始めた。国民レベルは、それが幻想ということを初めから知っていたが。
自由は戦いとるもの、積極的な自己目的を追求する姿勢の中にこそある。
「不自由論」という本がある。曖昧な自由論を批判している内容である。
風刺漫画を思い出した。「夫婦が、お互いの首についた紐を握りしめ溜息をついている絵」である。
何とも不自由そうであった。
  ーーーーーー
【-自由について-】
・あまり安価で手に入れたものは軽く扱われる。
 自由のように神々しいものが高価でなかったら、実におかしいではないか。   -ペイン
・人間の自由を奪ったものは、暴君でも悪法でもなく、社会の習慣である。    -J・S・ミル
・痩せた自由は肥えた奴隷にまさる。                  -イギリスのことわざ
・自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちにあるのであって、
 自由であろうと欲するものが自由なのである。                -エルンスト
・自分自身を支配できないものは自由ではない。                -マッティアス=クラウディス
・自由に気がついていないときこそ、人間は一番自由なのだ。          -ローレンス
・自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。       -バーナード・ショウ
・人間が自由であり得るためには、神があってはならない。           ーシェリング
・自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。          ーサルトル
 
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2003年05月19日(月)
775、「ドラッカーとの対話」ー読書日記 -1
【本の内容】
ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。
  ー感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、当時「経営者の条件」
「創造する経営者」「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、この書にであった。小林薫という名も懐かしい。
この書の印象的なところを書いてみる。
・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの 期間にわたっているという。
 そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。
 これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、
 弱点に対しては目をつぶり強みを活かすように努めるべきである。
イノベーションも彼の大きなテーマである。
 変化をチャンスとして捉えて、イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、性格ー人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。このような急激なIT化による
 情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが現代に受け入れられる。
話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーを
コピーしておきますが、焦点を成果にあわせよ、自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の強みの
発見に努めよ、重要事項から始める癖をつけよ、と経営者や上に立つもののあり方が書いてある。 この本かどうかは
忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべしというのが彼の変わらぬ主張である。

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2002年05月19日(日)
411,自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3
 それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。ライフワークをきっちりつかまえて、
その都度脱皮すればよい。「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。
ライフワークとは、一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。そして一生涯を通して脱皮の時期がある。
7年説、8年と10年という説がある。
ライフサイクルというが、
・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。
・8年ー16、24、32、40歳・・
・10年ー20,30,40,50年歳と・・
またこういう説がある
1、児童期・青年期  0~22歳
2、成人前期     17~45歳
3、成人中期ー中年期  40~65歳
4、成人後期ー老年期   60歳以降

重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。これと7年説が私の一番納得できる。
その節目ごと、脱皮していく事をいう。「節目を叩け!」という諺があるが。
自己実現という言葉がある。たしかユングの言葉であった。
自分のなりたいこと、したいことを実現することをいう。
それも一生涯を通してだが。それを自分の人生という事にならないか。
子狐がここにきて、にわかにそれをつくろうとしている。やらないよりはいいが。
やるなら10年~20年スパンで何をすべきか判断して、それぞれ節目を作り、やり通すのがライフワーク。
それをやり通すことが、結果として自分の人生という。「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、
そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人をいうのではないか。
 中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。中学の先生もそれだった。
今度中年クライシスについて書いてみよう。周囲はその人たちで満ちている。
一ヶ月前、150m先の58歳のご主人が自殺したという。家を新築したばかりなのに!
それにしてもそういうことに無知すぎる! 
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 2001年05月19日(土)
どうも不調
昨日1日このがサイトがひらけなかった。
きのう23時に帰ってきて、文章を書いたが記載出来なかった。
これか