つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=P_nD-ivJzVI

 昨日、再びパンク。後輪のタイヤをチューブごと替えた。6千キロも走れば仕方がない。 
自転車を乗り換えようかと思っていたが、あと一年乗ることにした。

 マスコミ、ボストン爆弾テロ、北の可能性を一切、触れてないが、直後に
北のミサイル発射実験を取り扱うことで、臭わせる手法。一つ間違えば編集者の首が飛ぶ。

 北も好きなことが言えなくなった。ミサイルも果たして飛ばせるのか。
この数日、どう出るか見もの。 





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1475, 汚れつちまつた悲しみに-2
2005年04月17日(日)
「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、「倒れてしまった悲しみに」
 という詩を書いてみた。昔の何度かの挫折を思い出しながら。 -作成時、2005年4月16日 20時20分

ー倒れてしまった悲しみにー

倒れてしまった悲しみに
今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに
今日も嵐が吹き荒れる

倒れたしまった悲しみは
たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは
たとえば黒い血海のよう

倒れてしまった悲しみは
たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは
あなたの愛に気づくとき

倒れてしまった悲しみは
夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは
倒した人を思いだす

倒れてしまった悲しみは
光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは
独りの自分に出会うとき

倒れてしまった悲しみは
悲しい悲しい悲しみよ 
悲しい悲しい悲しみよ

倒れてしまった悲しみは
倒れてしまった悲しみは
倒れてしまった悲しみは

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2004年04月17日(土)
1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 -3
 第二章 愛のレッスン
・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかでただ一つの真実である。
永続をするただひとつのものである。 愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、
力の美しい部分、自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。
・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。それはあらゆる障害を
とりのぞくことである。自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、
実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。
神に会うことができたら、神は「おのれに愛をあたえたか、人に愛をあたえたか?人からの、
おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、
人を愛することによって身に付いていく。神はわれわれに、愛し、愛される無限の機会をあたえてくれる。
・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。
子供の頃、わたしたちはお行儀よくしていれば、いい成績をとれば、オバアチャンにやさしくしてあげれば、
手をよく洗えば、「愛してもらえる」ことを学んできた。愛されようと努力はしたが、それが条件つけの愛であり、
にせものの愛であったことに気がつかなかった。いちいち他人から是認を必要とするような愛を
本当の愛とよべるだろうか?自分自身への慈しみの心を持つことが、本当の愛の第一歩である。
 あなたはたましいによい栄養をあたえていただろうか?
自分を愛している人は、何をするにも顔にほほえみを浮かべている。
それをすることがうれしくて、たましいが歌をうたっているのだ。
そうすべきだと教えられきたような行為ではなく、そうしたいからしている行為である。
たましいに栄養をあたえる行為とは、もしかして、休日でも早起きを
してなにか「有益な」ことをするのではなく、ただのんびりと寝ていることかもしれない。
・「愛にツいてないのです」と彼は答えた。
「何人かの女性を愛そうとしました。相手を幸福にしようと努力をしました。
ほんとうです。相手を幸福にしよう努力もしました。」
わたしはかれに質問をしました。かれにとっては、まったく意外な質問だったらしいのです。
「もし愛が、相手の女性を幸福にするものでなかったとしたら?そんなこととは無関係に、
ただ傍にいるだけが愛だとしたら?相手を幸福にするという思い込みすてて、ただ傍にいることが、
長い目でみたら、相手を幸福にすることになると考えてみたら?」
人生には浮き沈みがある。愛する人がかかえる問題をすべて解決してあげることはできないが、
そばにいることなら、できなくはない。長い目でみればいちばんの愛のしるしではないだろうか。 
・・・・・・・・・・・・
2003年04月17日(木)
743,『金持ち父さんの子供はみんな天才』-2
              読書日記
抜粋ー6
父は話をつづけた。「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。
ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、ランプの中に押し込められた精霊を見つけたように、
私たちもみんな自分の中にランプの精を見つけることが出来る。天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、
与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」「ランプの精が見つかると、精がおまえらにこう聞く。
『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、
 二つ目は自分の才能を愛するものや親しい者たちだけに与えること、
 三つ目は自分の才能をみんなに与えることー  さあどれを選ぶ?』
「この世界に天才はあふれるほどいる。私たちはみな天才さ。
問題は、たいていの人がその才能をランプの中に閉じ込めたままにしていることだ。
才能を自分のためだけや愛する人だけに使おうとする人が多すぎる。
ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中から出てくる。
つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ効果を発揮するんだ」
以下はホームページからのコピーである。
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2002年04月17日(水)
379,外国人犯罪
一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。
NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。取材攻勢で家にはいられないという。
外国人の犯罪らしい。ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。
発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。
ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。休業の張り紙は出せないらしい。
外国人がトラックで全て持ち出すという。
10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。
犯罪もグローバル化になってきた。平気で殺すから恐ろしい。
同席していた1人はセコムに近じか入るという。
自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。
8000円が少し高いが