【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著
まずは〜内容紹介〜より
< 世界中の富裕層のみなさん、お喜びください。完全勝利は目前です。
ただ少々、問題がございます――。世界金融危機で痛手を被ったかに
見えた1%の富裕層。再び立ち上がり、さらなる富を手にした彼らは、
一体どのような手段を取ったのか。『なぜ世界の半分が飢えるのか』の著者
が「報告書」という形をとって、グローバル化された収奪のシステムを暴く。>
ネットに、概要を簡潔にまとめた内容があった。
≪ ・ 多国籍企業が国境を越えて自由貿易および市場主義経済を拡大させる、
グローバリズムの動きがますます急である。これに伴い、世界中で上位1%
への富の集中が著しい。最近は1%どころか、さらに最上位0.1%へ富が集中して、
アメリカの場合には2012年で、純資産が2000万ドル(約20億円)を超える富裕
層上位0.1%の人々の家計に、米国全体の富の23.5%が集中したという。
各国の福祉は切り詰められ、99%の窮乏化は進む一方。誰が一体、
このような事態を引き起こしているのか。
・ 本書は、反グローバリズムの旗手である著者が、1%が委託した、ある架空
の作業部会が作成した架空報告書(今回は2回目の報告書)という寓話形式で、
鋭い皮肉と風刺を用いて、支配している権力者の思考方法と支配メカニズムを
暴き出したもの。架空とはいっても、支配者の論理を知り尽くした著者が、
実証データを駆使し書き上げたものであり、「陰謀論」の批判は全く当たらない。
「スイスの某リゾート地で毎年開かれる1%層のための経済フォーラムが、
秘密部会を設けて世界情勢を分析した内容」とでも想定すればイメージが
ピッタリである。・・ 〜つづく ≫
▼ ここで、「階級闘争があると言いたいなら、そういっていい。しかし戦い
を仕掛けているのは我々の階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ。」と、
ウォーレン・パフェット(世界三位の大富豪)が述べている。たとえば、世界
の85人の手に、世界人口の半数、約35億人分と同じ富が握られている。
仮説の委嘱委員のような人たちは、自分には今もっているものを持つ権利が
あり、他人に恩義を感じる必要がない、貧乏人は事業自得だ、民間セクターは、
公的サービスより常に望ましいと考えているようだ。著者が、「本書は、
事実に基づくフィクションで、信頼おける確実な情報源によるが、実際の
『作業部会』は、存在しない。だから、綺麗ごとを並びたてる必要がないため、
内容は辛らつで、核心をついている。何度も書くが、自民の保守本流はポチ!
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4781,閑話小題 ー怒りの取り扱い方
2014年04月17日(木)
* 怒りの取り扱い方
一昨日こと。家内に「同級会の席や二次会などで、誰かに見られているかも
しれないから気をつけて!」と言われて出かけたが、案の定、二次会のスナック
でハイになっている中、銀行OBと思われる男に「誰かに見られているぞ!」と、
通りすがりに声をかけられた。「うるさい、人のことより自分をみてろ」と、
言えないし。軽さが、そのまま出ていたが。他人ごとではないか?スポーツジム
でも、露骨なイヤミな視線を数ヶ月に一度は感じる。で、悟りが深くなる。
ー悟りとは、平気で死ぬのではなく、平気で生きることーというが、何事も慣れ。
最近、腹が立つとすることがあるが、書くのはやめておく。
ヒト指先で人をさすとき、親指は上(道理)、他の三本は、自分を指している。
哲学でいう認識である。他人の指摘は自分の世界観を言っているに過ぎない、
という自覚がない。ネズミ集団=世間の戯言ネタに、一々怒ってもいられない!
世間教の下世話ネタが、ネズミたちの集団念仏。気の毒といえば、気の毒だが、
こんな??のことを書いている私こそ遥かに気の毒? そのために、ぼんやりの
時間を持たなければ、せっかくの人生は台無しになってしまう。それにしても、
バカなことを書いている、自分に驚いているが。で、ぼんやりする時間が必要。
[・現実の背景にある膨大な漆黒の闇を意識する。・その為に独りの世界を大切
にする。・その時空をつくる為に、閑居の世界を身近に持つ。・働いてばかり
いないで、怠けること。・その中での心の余白を良しとする懶惰の気持ちが鍵] 。
ぼんやり時間のエネルギーこそ、己を包み込む。 怒りは、エネルギーの源。
大事に扱うべきだが、因われないことも重要。・・人生は、面白い玩具で一杯。
老いも、喜怒哀楽も、楽しか! 目を本質から逸らさなければだが。
長岡という出生の地に飲み込まれない知恵こそ、今こそ必要だが、老いは、
その知恵を弱らせる。私の人生は、50歳辺りから二毛作目と思っていたが、
二期作でしかない?(二期作は、同じ農作物。二毛作は、違った作物)
それとも、50歳から三年前まで、二期作目で、その後が、二毛作目?
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4414, ボストン爆弾テロについて
2013年04月17日(水)
* この結末は、どうなる?
ボストン爆発テロ、北朝鮮の関与を誰もが思い浮かべただろう。
アメリカの反政府の団体という仮説も立つが、平城でマラソンが行われた直後、
ボストンのゴールのカメラの多い中で、二つも爆発させたのは脅しの効果として
抜群。他に二つの爆弾が発見されたというから、明らかに何かの警告。
刑事ドラマのシリーズ「相棒」で、東京マラソンを狙った爆弾テロを阻止する
ストーリーがあったが、手口は同じ。とすると近くの国の??と連想するのは
私だけでないはず。 ボストンマラソンといえば、世界で有数の権威ある大会。
そのゴールを狙うとは大胆。それもケリー国務大臣の因縁あるボストンで・・
ミサイル実験の前のデモンストレーション、としては危険すぎる?
今のところ、誰も北の関与を口に出さない。だから恐ろしい。タイミングから
して確率は高い。アメリカが黙って見過ごすか、全面戦争の切り口になるか?
関与していなければ、北朝鮮は震え上がっているはず。これだけ全面戦争と
騒いでいた最中、タイミングが合いすぎ。 覚悟があってだろうがまずは、
この数日が境目だが、数ヶ月後には、全面戦争?が現実味を帯びてきた。
まさかと思っていたが、やはり! その最中、ミサイル発射実験、やるか、
やらないか、見もの。 これで軍事的に一触即発になった。しかしアメリカも
軍事産業立国の要素が強く、得体の知れない国家。さらにシリアもイランも、
アメリカの矛先を北に向けたい思惑もある。またCIAが北の仕業にした先制攻撃
の口実作りも考えられるし、アルカイダがビンラディン殺害の復讐のため、
北朝鮮と見せかけ、全面戦争の‘けしかけ’の可能性もある。どの切り口も
前面戦争の方向。その最中のシナリオ、あの坊やの考えそうなこと。危ない!
アメリカは金がない、中国も新体制が整ってない、欧州危機は深刻だし、
日本は衰弱。 最初のブラックスワンは何から?
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4040, 汚れつちまつた悲しみに ー3
2012年04月17日(火)
7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いて
あった。傍からみた現在の私は、このようだろう。ところが今回の挫折体験の
心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないためか、
若さを失ったためか。青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと
思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。
長年の読書と、経験、人間関係の構築のベースがあったためである。
特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。それとも悲しみを
遥かに超えた多くの体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、
血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。書くということ、書き残した自分
の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。
【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2 2005年04月17日(日) 】
「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、
「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。昔の何度かの挫折を
思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分
ー倒れてしまった悲しみにー
倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる
倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう
倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき
倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす
倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき
倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ
倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは
▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、
数年先になるのだろう。まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。
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3674, 自己を見つめる −2
2011年04月17日(日)
「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をして
みなければ分からないのである。人生は、経験を通してその深みと広さを増す。
自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、暖め
なおすことしか、事実上何処にも存在をしない。良質な経験の積み重ねこそ、
人生を豊かに、実りあるものにする。
ー 第一章 経験 の中より ー
哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。
・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。
したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、
まったく予測することができない。
・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験
するまでは、当の事柄を知ってなかったことを痛感させられるわけである。
つまり私たちは徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、
とガダマーは断じる。
・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の
幻滅を伴うものである。かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語った
ように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。それが経験ということ
であり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。
要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての
計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、徹底的に思い知らされるわけ。
実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の
人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生
というものはない。私たちは、経験において初めて、自己自身と宿命的に向き
合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。
▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。
その境界が自分の限界であった。だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して
行動することが、自分を広く深くする。「自分を見つめる」とは、自分の経験を
見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を
踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では?
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3309, 笑われ力 −1
2010年04月17日(土)
「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りた。
「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろして
いることになる。」とは癒しの真髄であり、これまで「フン、この程度モノさ!」
と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組む
とは。お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談
を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。タモリが「電車で、もようして?
有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、
ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、
場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。誰も一度や二度は経験のある?。
私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。
実に自分の欠点、失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。自分より
知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?の人の前では、
躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、
基盤がないと出来るものでない。
まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原壮一郎≫
≪「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。
しかし、ウケを狙えば狙うほど、スベりやすくなるものです。まして、
人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。そこで
「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、
人をネタにするのではなく、自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人
のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、
「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くための
プロセスに過ぎません。大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」を
プロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫
▼ 「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう!
あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、あなたの人生にとって、
大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」
とあり、最後の方には「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。
残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。
この随想日記やブログも早くいえば「笑い」というより自嘲の披瀝。そうでも
思わないと、毎日、アクセクして書いていられない。ある意味、癒しになって
いる。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に捻りを入れるよう
にしている。それも共感を得るような自嘲気味の捻りで締めるように。決して、
この本を読んだぞ!でなく、やっと読みおえた!でないと続かない。
この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、
怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。 そういえばオカマバーの方々、
実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。笑われてナンボの世界か、
珍獣?の世界は。10年以上は行ってないが、歳のせいか気持ち悪いが先にたつ。
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2934,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー2
2009年04月17日(金)
新潟駅前でビジネスホテルという業態モデルを経営しているために、世界恐慌
の影響がストレートになる。初めに、広告、営業活動に対して経費をつめてくる。
二時間以内の出張は日帰りである。インターネットや携帯電話などで情報をやり
とりして出張は可能な限り回数を減らすのは常道である。最近は宿泊ネット販売
が25パーセントなっている。しかも新潟では半額以下の2600〜3000円代前半は
当たり前。当日でも3000円前半なら何時でも取れる状態だから堪ったものでない。
そういう私も、冷蔵庫や洗濯機や大型TV以外は、電気製品、デジタル家電、書籍、
健康食品、ユニクロは、ネット購入。情報は、大型店の店頭で見て、実際に買う
のはネット。2〜3割はまちがいなく廉いからである。リーマン・ブラザーズ
から始った経済危機から世の中は一挙にデフレスパイラルに入った。情報化に
よるフラット化で一物一価の世界になったことも、さらに輪をかけている。
最低価格が実現できないところは、即、退場をさせられてしまう。(客室は、
在庫が限定されているから、まだよいが)ということは、大部分の企業は淘汰
されることになる。 世界は5〜10年と暴風雨が吹き荒れだしたのである。
日本の国力もバブル崩壊後に大きく失われてしまった。アメリカのように資源や
軍事力や知的蓄積がないのである。この金融恐慌は近代資本主義社会の根幹を
揺るがすほどの大事件。4〜500年かけて近代社会がつくり上げてきたのが
中産階級である。その中産階級が中期・長期的に見て消滅しようとしている
というのだから、ただ事ではないのである。1990年前後にソ連と、東欧諸国の
共産社会体制が消滅。そして10年後の2001年9月11日にイスラム原理主義の
アルカイダがアメリカの金融の中心のビルを二つ崩壊させ、2千数百人の
生命を奪いアフガン・イラクの戦争中に入った。そして今度は百年、数百年
に一度といわれる金融恐慌である。これは簡単に解決できるような事態では
なく5〜10年は世界中で想像を絶した多くの経済混乱が発生する。
まさか、これほどの大事件を目撃できようとは思っていなかった。
それも全ての人が直撃する惨事を・・