つれづれに

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 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=0FrCM7OLkGU


 今日は、シネマの日。
政治的なにおいがするが、アカデミーをとった、「アルゴ」の予定。
 http://wwws.warnerbros.co.jp/argo/

写真は野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法ーの中のもの。
これを手帳に張っておくのもよい。 2^3日うちの随想日記のネタになる。
検索をしたら、この名と時計があった。
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000SKJ1U2?tag=hujimineko-22&linkCode=as1

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2537, パリ高級娼婦館女主人の告白 -1
2008年03月15日(土)
  ニューヨーク州スピッツァー知事による買春疑惑が表面化したと昨日のTVで放送していた。
  疑惑は、連邦捜査当局による高級売春組織摘発の中で浮かび上がったもので、
  先月中旬、訪問先のワシントンのホテルにニューヨークから高級売春婦を呼んだ際に、
  売春組織への電話が当局に盗聴され、同知事と特定された、という。
  疑惑を受け「家族を裏切った。家族と州民に謝罪する」と事実上、疑惑を認め辞任の意向。
  2期8年間の州司法長官を経て、2006年、民主党から知事選に出馬し当選。07年1月、
州知事に就任した。州司法長官時代には、売春組織の摘発にも積極的に取り組み、高い評価を得ていた。
  そこで思い浮かぶのが、マダム・クロード著 「愛の法則―パリ高級娼婦館女主人の告白 」である。
 ーこの本の紹介文と著者の履歴からして面白い。
1960年代から’70年代、パリで最高級売春宿を経営していたマダム・クロード。
フランス通の訳者が、その数奇な人生、知られざるフランスの裏面を紹介。
彼女の洗練の秘密は?女性の本当の幸せとは?「パリの粋」が見えてくる一冊。
 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」)
 グリュデ,クロード
1923年、フランスに生まれる。
’62年、友人ナディーヌから売春宿を受け継ぎ、「マダム・クロード」となる。
以後、70年代初めまで、各国の王や大統領、政治家を顧客とし、営業を続ける。
’74年、ある政治家との関係を巡り、クロードの館は閉館へ。
’77年、税金問題から逃れるため、アメリカに渡るが、’85年フランスに帰国したところを逮捕され、
以後4カ月刑務所に収監される。
出所後、2番目のネットワーク作りを開始するが、このことにより、再度刑務所に収監される。
’86年より、PR業、結婚相談所、美容アドバイザーなど様々な仕事に就く。
’94年、自叙伝『madam』(ミシェル・ラフォン社)を出版
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ここの館の顧客名簿には、アラブの王族や欧州の貴族、ケネディー大統領はじめ各国の政治家、
大金持ちが名をつらねていた。ここを足場にフランスを代表する映画女優、皇太子妃や
伯爵夫人にのし上がった娼婦が数多いという。
マダム・クロードは、自身が少女時代に修道院で尼さんから受けた躾を、
街の売春婦に変身プログラムをつくり、整形手術、肌の手入れ、性の技巧、ダイエット、
ファッション、ハンドバックの中味に至るまで微にいり、細にいり指導していったという。
まあ、下手な子女よりもズット品良く仕上げたのだろう。
これを切っ掛けに、この本は見直されるだろう、恐らく!
                          つづく
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2006年03月15日(水)
1807, 新書と文庫について
                おっ w(゜Д゜)w ハァョ~
「いまどきの新書」永江朗著ーを読んでいたら、新書と文庫について書いてあった。
新書が大きく変容しているのを実感していたので、その内容に注目をした。
そこで、それをベースに「新書と文庫について」纏めてみた。
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書店には新書と文庫のコーナーがあるが、新書と文庫は少し前までは、地味な存在であった。
デザインは、書店ごとに統一されていて似たようなもの。テーマも[学術・教養もの]と呼ばれていた。
新書・文庫という形態は、岩波書店岩波新書・文庫が始めたもの。
岩波新書は現代的教養を、岩波文庫は古典的教養を集めた。相手は、主に学生で、学校の先生を
次のターゲットにした。 ところが、最近になり新書が大変身をしてしまった。
多くの出版社が新書を作るようになり、岩波新書中公新書、現代新書の御三家に割ってはいってきた。                             
値段が安いことがうけ、古典的教養書という意味あいは薄れ、軽いエッセイや対談や、趣味的な旅行本、
写真集や、はてはマンガ本的なものまで新書として出版されだした。不景気や印刷技術の向上や物流の
合理化を背景として、何処でも読みやすい小型本としての手軽さが受けてきた。
またデジ・カメや印刷の高度化で安価に写真などが新書に、掲載できるようになったこともある。

本屋も、文庫本のコーナーを拡充して、文庫本を平置きして買いやすくしている。
学生時代買った新書本が今でも自宅の書棚に多く残っている。小型で場所をとらないので残しておけたこともある。
 中公新書加藤秀俊『整理学』、川喜多二郎の『発想法』 講談社の現代新書の立花隆『知のソフトウエア』
岩波新書梅棹忠夫『知的生産の技術』など、懐かしい本が2百冊位が捨てられることなく並んでいる。

かっては古典の代名詞だった文庫が、単行本の普及版、小型版、かつ価格破壊版になってしまった、ということだ。
              ホンジャ o(▽^*)ノ~~マタ~
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2005年03月15日(火)
1442, ホテル・レストランショー
(字数制限のためカット2013年3月15日)
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2004年03月15日(月)  
1076, 《獄》

昨日、何げなく朝日新聞の社会欄を開いたら、<獄>が大きく載っていた。
内容は山本譲二元代議士の獄中の体験談であった。刑務所の服役の体験談を読んだことがあったが、
直視できない異常な世界である。体験談の文章によると、収監された晩は一晩中誰もが泣き過ごすという。
政治とは清濁併せ呑む世界であり、奇麗事の世界とは違う。犯罪になるかどうかは、「洗浄を幾つか通して
政治資金を集める体制があるか、無いかの差でしかない」のも事実である。全ての政治家は、一歩間違えると
監獄が待っているといえる。この文章を読むと、刑務所だけは入りたくないと思う。
別世界のことではない。ある日思わず、交通事故をおこして動転して轢き逃げをしないとも限らない。
それとも酒を飲んでいて、隣の客と喧嘩をしてとか・・・
asahi.comを検索したら、この文があったので貼り付けておきます。
-以下は朝日新聞に載っていた内容である。
■《獄》「詫び状」が扉を開けた

看守に促され、栃木県の黒羽(くろばね)刑務所の分厚い鉄扉を抜けると、
妻真由美さん(39)の姿が目に飛び込んできた。
 02年8月13日午前5時。
 刑務所近くの空き地でまんじりともせず4時間をすごした妻は、
 いまにも泣き崩れそうだった。目が合うと駆け寄ってきた。
「お帰りなさい。長い間、ご苦労さまでした」抱きとめることができなかった。
 1年2カ月。隔てられた面会室のアクリル板が目の前にあるかのような錯覚に
 山本譲司さん(41)はまだ、とらわれていた。
「苦労はそっちだと思うよ」 看守を横目にそう答えるのが精いっぱいだった。
 東京郊外の妻の実家に着くと、軒先に、1人砂遊びしている息子がいた。
 到着を知った義母(62)は1歳半になった孫を抱き上げると、山本さんの胸に押し込んだ。
「パーパ。パーパ」  罪の重さと、待ちわびてくれていた人のいる幸せとを、体全体で受け止めた。
        □    ■
 衆院議員による秘書給与の詐取という「申し開きのできない」狡猾な犯罪で受けた判決は、
 懲役1年6カ月の実刑だった。早稲田大を卒業後、現在の民主党代表の菅直人氏の秘書を経て、26歳で都議に
 当選した。衆院に転じて2期目。独自の都市政策を掲げ、「民主党ホープ」と持ち上げられ始めたさなかの蹉跌。
 01年6月、罪を認め服役した。配役先は、刑務所内でもほかの受刑者や見学者の視線にさらされることのない
 隔離舎房―知的障害や重い身体障害のある受刑者たち50人のための施設だった。
 「大変なんてもんじゃないよ、あそこは。汚物まみれでね……」
 看守は、そこに世話係の一人として赴く山本さんを哀れんだ。
 その通りだった。ろうそくの色分けやひも結びなど繰り返される軽作業に付き添いながら、食事や風呂の介助もする。
 漂う悪臭に吐き気を催しながら、房の床や壁にこびりついた汚物をつめではぐ。
 週に2度、たった10分の楽しみだった入浴は、湯に汚物が浮かんでいることも珍しくなかった。
 出所後は、保護司のもとへ月に2回、顔を見せて近況を知らせ、息子と向かい合うほかは何をするでもなく数カ月が過ぎた。
 手元には毎日のように妻から届いた手紙300通と、その返信、それに独房で書き連ねた日記があった。
 自らへの戒めと、かつて1票を投じてくれた人々への詫(わ)び状として、 経験のすべてを記そう――そう意を決し、
2階の一室にこもった。 400字詰めで6千枚。推敲(すいこう)を重ねて800枚にまとめた原稿は昨年末、
『獄窓記』(ポプラ社)として結実した。
 著書は思いもかけず、閉ざされがちな世間への扉を押し広げた。
「だれも語らず、伝えられることのなかった刑務所での障害者の処遇のありようを
 あなたは初めて記した。話を聞かせてもらえないか」
    □    ■
  字数の関係でカット(2008年03月15日)
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2003年03月15日(土)
710,「逆さ仏」の時代
 親が子供の葬式を出す意味である。戦前生まれの人は、成人までに自然食で育った。
しかし戦後インスタントラーメンが丁度出始めた頃から防腐剤の入った
食品が出始めた。また農薬の散布で毒入りの農産物を口にするようになった。
農家は出荷する農作物と自分たちが食べるー農薬なしの農作物を分けているとも聞く。
最近の人間の骨は腐らないという、防腐剤がたっぷり骨に入っているためだという。
 上記の理由で、20年位前に西丸震哉が40歳寿命説を言い出した。先日も親戚の人が98歳で
亡くなったが、7人の子供のうち3人が亡くなっていた。逆さ仏も今は珍しくない時代になってしまった。
 ある薬局を経営をしている人から、絶対に缶物は口にしないことと教えてもらった。
それと内臓物ー焼き鳥やタラコーや白砂糖やカップヌードルなども毒を口にしているのと同じとか。
緩慢なる毒殺をされているのだろう。その意味ではスーパーの食品売り場は毒物売り場そのものだ。
少しでも注意をしていれば、その量を減らす事はできる。
 あるホテルの人から聞いた話だが「離婚調停でホテル住まいの母子が半年間三食インスタント物を
部屋で食べていた」と聞いたことがあった。聞いていて背筋が寒くなってしまった。

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2002年03月15日
旅行中につき書き込みなし
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<お笑い>  「血縁関係」
「父さん母さん、おれ結婚するよ!肉屋のローズがOKの返事をくれたんだ」
ジミーは有頂天だったがその夜、父に呼ばれた。
「ジミー、お前に言わなければならないことがある。実は肉屋のローズは、お前の腹ちがいの妹だ。
父さんは若い頃