つれづれに

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 今日のYoutube

 毎日、4時に起きて、随想日記にあげる文章を書き直し、アップ。
そして、翌日分の文章を書き足し、翌々日分の文章もチェックしている。
その後、卓上のダイアリーに前日分の行動記録を書き込み、仏壇に
お参りをして、7時過ぎに、コーヒーと、煎餅と、チーズを食べながら、
新聞とTVをみる。その後、軽い朝食をとって、風呂に入るのが8時過ぎ。
そして、9時過ぎに、再度、仏間にある書斎コーナーに12時近くまで、
ネットサーフィンとか、翌日分の随想日記の文章を書き足したり、
この、コーナーの書き込みをする。 その後から午後のコースに入る。

 こういう毎日が延々と続くが、けっこう、この生活に馴染んでいる。
あと二週間ほどで、冬季(12~3月)までのコースが終了。 今度は、
自転車散歩=ポタリングが、6時過ぎから一時間加わる。何度も何度も
飽きずに同じことを書いているが・・ 

 「はてな」のブログ、3百数十から、一挙に千五百前後に5倍に増えて
二週間近くになるが、減る兆しがない。 何故、一挙に5倍なのか?
誰がみているのだろうか? 書いていて私自身が面白くて納得して
書いているが、焼けのヤンパチの部分が多い・・ 今さらだが、
どうしても本音が出てしまう。社会学を専攻し、その後も、そういった
系統の本を読んできたが、どれもこれも中途半端。 それが、
そのまま、文章として表出しているが、それでも過去分を読み返すと、
訳の分からない自分をみることがある。上から目線の、浮ついた
視線もある。 人を傷つけているはずの文章も多くある。恐ろしいかぎり!

 それもあってか、時々、スポーツジムで、世間話に誘われるが、
どうも、軽い話ができない。 「いやに、今日は寒いですね!」に、
「そうですね・・・」しか、返答できないのである。悪気が無いのは
分かっているようだが、どうもこうもである。 それでも話をすると、
何故か、上から目線の自慢話になっている。
例えば、「先日、土手でスポーツ自転車に乗っているのを見かけましたよ」
に、「冬場を除いて、早朝一時間、信濃川の土手まで、5年以上も雨が
降らない限り習慣づけています」と、何故か自慢っぽい受け答えに!
先日は、「シネマで、同じ映画を観てましたよ」に対して、
「ええ、この三年間、毎週金曜日に観ていて、年間50回に
なります。とにかく、面白くて・・・」 という風に。結局ブログも
同じような上から目線の自慢話になっているのだろう! 
ッタクである! それを連日、1500人に曝しているのだから・・
 考えたら、これも、自慢になっている。これが自慢かどうかは
分からないが!  ブログは、すべからず自慢話というが・・
 そんなことを言っていたら、布団を被って寝てなければならない!
その方が世のため、人のため? 


・・・・・・
2172, 獄中記
2007年03月15日(木)

    (~Q~;)  おはよう~~ファ~              
                         -読書日記
            「獄中記」佐藤優著  岩波書店
    新幹線の通勤の車中に毎日50ページを、延べ10日間かけて読破した。
    読んでいるうちに自分が牢獄に入っているような錯覚をする本である。
    著者の逞しいのは、直ぐに頭を切り替えて読書・勉強の場と、
    割り切ってしまうところである。
    そして、人間としての尊厳を保って哲学的問いに取り組んで、
    62冊の獄中ノートを書いたエネルギーには、驚ろかされた。

この本で国策捜査の恐ろしさの一端を見せつけられた思いである。
冷静に振り返ってみると、鈴木宗男佐藤優は何をしたというのだろか。
「外務省を二人で牛耳って北方領土の二島返還を独断交渉を進めたことが、
国家利益を損ねた」というが、それが犯罪といえるのだろうか?
国家権力の闇の深さ思い知らされた内容である。
戦前の特高と、現在の検察と何が違うというのだろうか。
もっとも、鈴木宗男も出すぎていたことも確かだが。

印象に残っている部分を幾つか抜粋してみる。
ーーーー

    拘置所内での生活は、中世の修道院のようです。
    中世の修道院や大学では、書籍は一冊しか所持することが認められず、
    それを完全に習得するか、書き写した後に次の本が与えられるシステム
    だったそうです。 拘置所もそれにかなり近いところがあります。
    私本については三冊しか房内所持が認められていません。・・・・
    案外、現在の環境で少数の本を深く読む生活も気に入っています。・・・・
    禁固刑ならば、書籍の差し入れと筆記具の使用が認められるとの条件の下で、
    何年でも耐えられるような気がします。  (p40)


拘置所生活も自分でリズムを作ってしまうと、それなりに楽しいです。
過去数年間、否、十年以上にわたって、腰を据えてしたかったけれども、
時間に追われ、できなかった勉強をするよい機会です。・・・・
外に出て、将来家を建てることになったら、東京拘置所の独房に
そっくりの小部屋を作り、思索と集中学習用の特別室にしたいと考えています。
それくらい現在の生活が気に入っているということです。   (p63-64)

    おそらく、「拘置所は学習と鍛錬の場」と自分で決めてしまったからでしょう。
    食事もおいしく、集中して勉強できる現在の生活を私は心底楽しんでいます。
    保釈の必要ありませんし、接見禁止が続いていたほうが会いたくもない
    面会希望者との会見を断り、気まずい関係になるよりもずっとよいです。(p69)

この制約をどのようにして利点に転換するかをよく考える。
恐らく、記憶力、構想力の強化ということになると思うが・・・。
しかし中世、近世と較べれば、文明の恩恵に浴している。
紙もほぼ無制限に使えるし、図書も十分に入手できる。
ボールペンという文明の利器もあり、夜は電灯の下で勉強できる。
概ね、戦前の学者よりも恵まれた環境にあると見てよい(特にボールペンの点で)(p82)

    ある意味で、拘置所内での生活は、夏目漱石の「それから」における代助、
   「こころ」における先生のような「高等遊民」の世界に似ていると思います。(p112)

私が学術書を精読するときは、同じ本を3回、
それも少し時間をおいて読むことにしています。
第1回目、ノートやメモをとらず、ときどき鉛筆で軽くチェックだけして読む。
第2回目、抜粋を作る。そして、そのとき、内容を再構成した読書ノートを作る。
第3回目、理解が不十分な箇所、あいまいな箇所についてチェックする。
このような読み方をすると、10年経っても内容を忘れることはまずありません。(p.165)

    私も外にいるときには速読で1日1500-2000頁は書物を読むようにしていました。
    私の場合、速読とはペラペラと頁をめくりながらキーワードを焼き付けていく手法。
    目次と結論部分だけを少しゆっくり読みます。
    対象となるテーマが馴染みのものならば、500頁程度の学術書ならば30分、
    一般書ならば15分あれば読めます。
    そして、ワープロで、読書メモ(これは20分くらいかかる)を作ります。
    こうすると1日で1500‐2000頁くらいの書物を読むのもそう難しくありません。
    ただし、対象についての知識のない本については不可能です。
    どんな本でも斜めに読むことができるという意味での速読法がないと思います。
    まずは背景となる知識(「教養」)がどの程度あるかが問題になります。
    この「教養」をつけるという作業が本当にたいへんです。  (p.171)


現下、日本のエリートは自らがエリートである、つまり国家、社会に対して特別の
責任を負っているという自覚を欠いて、その権力を行使しているところに
危険があります。外務省の研修指導で最も苦労したのは、
「研修は自分のためにやっているのではなく、日本国家のために勉強しているのだ。
ロシア語ができず、外交官として語学や任国事情に弱いが故に他人に迷惑を
かけるようでは国益を毀損することになる」
ということを新入省員にいかに納得させるかということでした。
国益に関連する事柄をアカデミズムの成果を踏まえて理解できるような
基礎力を有しているというのは官僚として必要条件なのですが、
これに欠ける官僚が多いというのが霞ヶ関の実態でしょう。理由は簡単です。
ある時点から勉強しなくなってしまうからです。
実力に不安があるから「キャリア」とか「○○省員」であるとかいうブランドで
エリートたる地位を維持しようとするのです。   (p.200-201)

    ーーー
    これだけの能力を見せつけられると、自分能力が惨めに思える。
    内容は、やはりリアルである。
    変な惨めさが無いのは、やはり知識の裏付けがあるためだろう。
    彼の著書は特異の経験という意味で、十年、二十年後まで残るだろう。
    そして、あの女代議士と、小泉も。
   
   後記)後で気がついたことだが、三年前の今日、「獄」というテーマ
    で、この随想日記を書いていた。 面白い偶然の一致である。
                  (^o^)ノ バイ! 
・・・・・・・・・
2006年03月15日(水)
1807, 新書と文庫について
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ~
「いまどきの新書」永江朗著ーを読んでいたら、
新書と文庫について書いてあった。
  
新書が大きく変容しているのを実感していたので、その内容に注目をした。
そこで、それをベースに「新書と文庫について」纏めてみた。

 ーー
書店には新書と文庫のコーナーがあるが、
新書と文庫は少し前までは、地味な存在であった。
デザインは、書店ごとに統一されていて似たようなもの。
テーマも[学術・教養もの]と呼ばれていた。

    新書・文庫という形態は、岩波書店岩波新書・文庫が始めたもの。
    岩波新書は現代的教養を、岩波文庫は古典的教養を集めた。
    相手は、主に学生で、学校の先生を次のターゲットにした。 
    ところが、最近になり新書が大変身をしてしまった。
    多くの出版社が新書を作るようになり、岩波新書中公新書
    現代新書の御三家に割ってはいってきた。
                       
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
                       
値段が安いことがうけ、古典的教養書という意味あいは薄れ、
軽いエッセイや対談や、趣味的な旅行本、写真集や、
はてはマンガ本的なものまで新書として出版されだした。

不景気や印刷技術の向上や物流の合理化を背景として、
何処でも読みやすい小型本としての手軽さが受けてきた。
またデジ・カメや印刷の高度化で安価に写真などが新書に、
掲載できるようになったこともある。

    本屋も、文庫本のコーナーを拡充して、
    文庫本を平置きして買いやすくしている。
    学生時代買った新書本が今でも自宅の書棚に多く残っている。
    小型で場所をとらないので残しておけたこともある。
    中公新書加藤秀俊『整理学』、川喜多二郎の『発想法』
    講談社の現代新書の立花隆『知のソフトウエア』
    岩波新書梅棹忠夫『知的生産の技術』
    など、懐かしい本が2百冊位が捨てられることなく並んでいる。

 かっては古典の代名詞だった文庫が、
 単行本の普及版、小型版、かつ価格破壊版になってしまった、
 ということだ。
              ホンジャ o(▽^*)ノ~~マタ~
・・・・・・・
2005年03月15日(火)
1442, ホテル・レストランショー

店舗ショーに続いて、毎年のこの時期に有明ビッグサイト
4日間にわたって開かれる。 先週、日帰りで見学してきた。

店舗ショーと同じく、癒し系のラジウム石を使ったサウナや、
化粧水を使ったエステなどが目立った。
日本人は疲れているのだろうか?
それとも女性の立場が強くなり、そういう出費には目がないのだろうか?
これも一過性であろうが、時代が変わったのもあろう。
合理的な考えが進む一方、体や心の癒しには平気で大金をつかう。

私自身も大型薄型TVやDVD,そしてソフト関係にはお金を使う。
その反面、外食や飲み代や日用品や衣料には非常にシビアになった。
出店していた音響メーカーの「ボーズ」の、30万近いオーデオを買ってしまった。
こういう世界も、技術革新がドンドン進んでいるようだ。

ベーカリーの世界も日進月歩のようで、冷凍パンを、そのままレンジで
焼き上げてしまう技術が開発され、パートでもクロワッサンやデニッシュを
焼き上げることが可能になった。
街のレストランなどが、焼きたてのパンを70~100万円の器械で、
気楽に出せるようになった。

ホテルが一般的に不況で、新たなサービスを付加して客を取り込もうと
している。ベッドもシングルベッドの下に、もう一つのベッドが
収納してあって、家族ずれのお客にも即応できるものなどが、目についた。
また、防犯カメラなども多く展示されていた。

・・・・・・・
2004年03月15日(月)  
1076, 《獄》

昨日、何げなく朝日新聞の社会欄を開いたら、<獄>が大きく載っていた。
内容は山本譲二元代議士の獄中の体験談であった。
刑務所の服役の体験談を読んだことがあったが、直視できない異常な世界である。
体験談の文章によると、収監された晩は一晩中誰もが泣き過ごすという。

政治とは清濁併せ呑む世界であり、奇麗事の世界とは違う。。
犯罪になるかどうかは、「洗浄を幾つか通して政治資金を集める体制があるか、
無いかの差でしかない」のも事実である。
全ての政治家は、一歩間違えると監獄が待っているといえる。

この文章を読むと、刑務所だけは入りたくないと思う。
別世界のことではない。ある日思わず、交通事故をおこして動転して轢き逃げを
しないとも限らない。
それとも酒を飲んでいて、隣の客と喧嘩をしてとか・・・・

asahi.comを検索したら、この文があったので貼り付けておきます。

ーーーーーー
-以下は朝日新聞に載っていた内容である。
■《獄》「詫び状」が扉を開けた

看守に促され、栃木県の黒羽(くろばね)刑務所の分厚い鉄扉を抜けると、
妻真由美さん(39)の姿が目に飛び込んできた。
 02年8月13日午前5時。
 刑務所近くの空き地でまんじりともせず4時間をすごした妻は、
 いまにも泣き崩れそうだった。目が合うと駆け寄ってきた。
「お帰りなさい。長い間、ご苦労さまでした」抱きとめることができなかった。

 1年2カ月。隔てられた面会室のアクリル板が目の前にあるかのような錯覚に
 山本譲司さん(41)はまだ、とらわれていた。
「苦労はそっちだと思うよ」 看守を横目にそう答えるのが精いっぱいだった。

 東京郊外の妻の実家に着くと、軒先に、1人砂遊びしている息子がいた。
 到着を知った義母(62)は1歳半になった孫を抱き上げると、
 山本さんの胸に押し込んだ。
「パーパ。パーパ」  罪の重さと、待ちわびてくれていた人のいる幸せとを、
 体全体で受け止めた。

        □    ■

 衆院議員による秘書給与の詐取という「申し開きのできない」狡猾(こうかつ)
 な犯罪で受けた判決は、懲役1年6カ月の実刑だった。

 早稲田大を卒業後、現在の民主党代表の菅直人氏の秘書を経て、26歳で都議に
 当選した。衆院に転じて2期目。独自の都市政策を掲げ、「民主党ホープ」と
 持ち上げられ始めたさなかの蹉跌(さてつ)だった。01年6月、罪を認め服役した。

 配役(はいえき)先は、刑務所内でもほかの受刑者や見学者の視線にさらされる
 ことのない隔離舎房―知的障害や重い身体障害のある受刑者たち50人のための
 施設だった。
 「大変なんてもんじゃないよ、あそこは。汚物まみれでね……」
 看守は、そこに世話係の一人として赴く山本さんを哀れんだ。

 その通りだった。ろうそくの色分けやひも結びなど繰り返される軽作業に付き添い
 ながら、食事や風呂の介助もする。
 漂う悪臭に吐き気を催しながら、房の床や壁にこびりついた汚物をつめではぐ。
 週に2度、たった10分の楽しみだった入浴は、湯に汚物が浮かんでいることも
 珍しくなかった。

 出所後は、保護司のもとへ月に2回、顔を見せて近況を知らせ、息子と向かい合う
 ほかは何をするでもなく数カ月が過ぎた。
 手元には毎日のように妻から届いた手紙300通と、その返信、それに独房で
 書き連ねた日記があった。

 自らへの戒めと、かつて1票を投じてくれた人々への詫(わ)び状として、
 経験のすべてを記そう――そう意を決し、2階の一室にこもった。
 400字詰めで6千枚。推敲(すいこう)を重ねて800枚にまとめた原稿は
 昨年末、『獄窓記』(ポプラ社)として結実した。

 著書は思いもかけず、閉ざされがちな世間への扉を押し広げた。
「だれも語らず、伝えられることのなかった刑務所での障害者の処遇のありようを
 あなたは初めて記した。話を聞かせてもらえないか」

    □    ■

 今年2月初め、編集者経由でファクスが届いた。刑事事件を起こした知的障害者
 弁護で知られる副島(そえじま)洋明弁護士(57)からだった。

「失礼ながら、刑務所に入ってくれたあなたに感謝したい」
 
 かけた電話で、面識もない弁護士はのっけからこう言った。
 5日後の昼、戸惑いながら自宅近くの駅の改札で落ち合った。

 お互いの現況、刑事裁判で知的障害者の置かれている現実、刑務所に送られた
 彼らの多くが身寄りがないまま満期出所になること……。塀の入り口までを担う
 弁護士と、その中で過ごした山本さんの話は尽きることがなかった。

 日付が変わりそうなころ、副島さんが言った。
「あんた、知っているかなあ。僕が事件を担当した……30歳ちょっとの男で……」
 
 しばらく説明を聞いた後、山本さんは口を開いた。

 「彼の介助をやっていたのはこの僕です。絵を描いている時の笑顔が忘れられず、
 今でも夢に出てきます」

 副島さんは携帯電話をつかんだ。

 「阿部さん! 僕たちがその後を一番心配していた彼のことが初めてわかった」

 携帯の相手は、東京都八王子市にある知的障害者施設「八王子平和の家」(50人)
 の施設長をしている阿部美樹雄さん(49)だった。

 事件は、自立に向けて一歩を踏み出そうとした彼が平和の家を出て間もなく起きた。
 あてにできる家族もなく、好意で受け入れてくれた滞在先を抜けて街をさまよう
 うちに、一軒の貸家に何事かを叫びながら火を放った。
 母親が失踪(しっそう)するなど家庭の事情が一段と複雑になっていた時だった。

 副島さんや阿部さんは、法廷で服を脱ぎながら奇声を発する彼について
 「受刑は不可能」と訴えた。「こんな法廷は初めてだ」。
 裁判長は戸惑いながらも3年ほど前、長期の服役を言い渡した。
 黒羽刑務所に入ったことはわかったが、弁護士といえども消息を知るすべはなかった。

 2月半ば。彼が取り結んでくれた縁を機に、山本さんは平和の家を訪れ、
 かつて彼がにこやかに耕していた野菜畑に立った。

 「自分の存在に確信を持てない知的障害者に、不条理な環境が幾重にも重なった時、
 不幸にも事件に結びついてしまうことがある。それは私たちの責任です。
 障害に前科が加わってしまうと受け入れ先はまず、ない」と阿部さんは言った。

 山本さんは幼児のように語りかけてきた彼の言葉を思い出していた。
「山本さん、ずっとお友達でいてね。また一緒にお絵描きしようね」

 刑を終えた障害がある人たちを、受け入れる特別な施設ができないか――
 3人の構想は、会合を重ねるなかで静かに動き始めている。

 その一端を担うことになった山本さんは、時給千円の支援スタッフとして
 平和の家に通う。ベテラン職員にも見劣りしない手慣れた介助はいま、
 山本さんの生活の張りであり、糧でもある。(角田 克)

・・・・・・
2003年03月15日(土)
710,「逆さ仏」の時代

 親が子供の葬式を出す意味である。
戦前生まれの人は、成人までに自然食で育った。

しかし戦後インスタントラーメンが丁度出始めた頃から防腐剤の入った
食品が出始めた。また農薬の散布で毒入りの農産物を口にするようになった。
農家は出荷する農作物と自分たちが食べるー農薬なしの農作物を分けているとも聞く。
最近の人間の骨は腐らないという、防腐剤がたっぷり骨に入っているためだという。
 
 上記の理由で、20年位前に西丸震哉が40歳寿命説を言い出した。
先日も親戚の人が98歳で亡くなったが、7人の子供のうち3人が亡くなっていた。
逆さ仏も今は珍しくない時代になってしまった。

 ある薬局を経営をしている人から、絶対に缶物は口にしないことと教えてもらった。
それと内臓物ー焼き鳥やタラコーや白砂糖やカップヌードルなども毒を口にしている
のと同じとか。緩慢なる毒殺をされているのだろう。
その意味ではスーパーの食品売り場は毒物売り場そのものだ。
少しでも注意をしていれば、その量を減らす事はできる。

 あるホテルの人から聞いた話だが「離婚調停でホテル住まいの母子が半年間
三食インスタント物を部屋で食べていた」と聞いたことがあった。
聞いていて背筋が寒くなってしまった。

・・・・・・・・・
2002年03月15日
旅行中につき書き込みなし

・・・・・・
<お笑い>  「血縁関係」

「父さん母さん、おれ結婚するよ!肉屋のローズがOKの返事をくれたんだ」
ジミーは有頂天だったがその夜、父に呼ばれた。
「ジミー、お前に言わなければならないことがある。
実は肉屋のローズは、お前の腹ちがいの妹だ。父さんは若い頃、
ちょっと魔が差してしまったんだ。母さんには内緒だぞ」

ジミーのショックは相当なものだったが、若さで立ち直り新しい恋を見つけた。
「父さん母さん、おれ結婚するよ!パン屋のデイジーがOKの返事をくれたんだ」
でもその夜、ジミーはまた父に呼ばれた。
「ジミー。パン屋のデイジーもお前の腹ちがいの妹だ。
父さんな、魔が差した時期が長かったんだ。母さんには内緒だぞ」

二度目となるとさすがにジミーは父を恨み、母に言いつけることにした。
「母さん聞いてよ。ローズもデイジーも僕の腹違いの妹なんだ。
これじゃ僕、結婚できないよ…」

「まあ!」 母は驚いたが、やがて微笑んだ。

「安心しなさい。ジミー、あなた父さんの子じゃないから」