つれづれに

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  今日のYoutube

 春眠、暁をおぼえず、というが、幾らでも寝ることができる時節になった。
それでも、早朝、4時過ぎると、自動的に起きてパソコンの前に座る。
 いつの間にか、70歳代に入った自分に戸惑う日々である。
父が70歳で末期ガンになり、71歳で亡くなった。
その歳になったのだから、いつ自分が、そうなるか分からない。
今のところ、腰痛を除けば、非常に体調が良いが・・・
 知人友人が、次々と病に倒れていく。 その不安を解消するには、
一日一日を充実させるしかない。 こんな面白く楽しい娑婆を、そう簡単に
去るには、あまりに勿体ない。



・・・・・・
2537, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー1
2008年03月15日(土)
                ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
 ニューヨーク州スピッツァー知事による買春疑惑が表面化したと
昨日のTVで放送していた。疑惑は、連邦捜査当局による高級売春組織
摘発の中で浮かび上がったもので、先月中旬、訪問先のワシントンのホテルに
ニューヨークから高級売春婦を呼んだ際、売春組織への電話が当局に盗聴され、
同知事と特定された、という。 疑惑を受け「家族を裏切った。家族と州民に
謝罪する」と事実上、疑惑を認め辞任の意向。2期8年間の州司法長官を経て、
2006年、民主党から知事選に出馬し当選。07年1月、州知事に就任した。
州司法長官時代には、売春組織の摘発にも積極的に取組み、高い評価を得た。
そこで思い浮かぶのが、マダム・クロード著 「愛の法則?パリ高級娼婦館
女主人の告白 」である。 ーこの本の紹介文と著者の履歴からして面白い。
ー1960年代から70年代、パリで最高級売春宿を経営していたマダム・クロード。
フランス通の訳者が、その数奇な人生、知られざるフランスの裏面を紹介。
彼女の洗練の秘密は?女性の本当の幸せとは?「パリの粋」が見えてくる一冊。 
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」)
 グリュデ,クロード
1923年、フランスに生まれる。
’62年、友人ナディーヌから売春宿を受け継ぎ、「マダム・クロード」となる。
以後、70年代初めまで、各国の王や大統領、政治家を顧客とし、営業を続ける。
’74年、ある政治家との関係を巡り、クロードの館は閉館へ。
’77年、税金問題から逃れるため、アメリカに渡るが、’85年フランスに
 帰国したところを逮捕され、以後4カ月刑務所に収監される。出所後、
 2番目のネットワーク作りを開始するが、このことで、再度刑務所に収監。
’86年より、PR業、結婚相談所、美容アドバイザーなど様々な仕事に就く。
’94年、自叙伝『madam』(ミシェル・ラフォン社)を出版
ーー
ここの館の顧客名簿にはアラブの王族や欧州の貴族、ケネディー大統領はじめ
各国の政治家、大金持ちが名をつらねていた。ここを足場にフランスを代表する
映画女優、皇太子妃や伯爵夫人にのし上がった娼婦が数多いという。
マダム・クロードは、自身が少女時代に修道院で尼さんから受けた躾を、
街の売春婦に変身プログラムをつくり、整形手術、肌の手入れ、性の技巧、
ダイエット、ファッション、ハンドバックの中味に至るまで微にいり、細に
いり指導していったという。下手な子女よりもズット品良く仕上げたのだろう。
これを切っ掛けに、この本は見直されるだろう、恐らく!   ーつづく


・・・・・・
2172, 獄中記
2007年03月15日(木)

    (~Q~;)  おはよう~~ファ~              
                     -読書日記
        佐藤優著  岩波書店

    新幹線の通勤の車中に毎日50ページを、延べ10日間かけて読破した。
    読んでいるうちに自分が牢獄に入っているような錯覚をする本である。
    著者の逞しいのは、直ぐに頭を切り替えて読書・勉強の場と、
    割り切ってしまうところである。
    そして、人間としての尊厳を保って哲学的問いに取り組んで、
    62冊の獄中ノートを書いたエネルギーには、驚ろかされた。

この本で国策捜査の恐ろしさの一端を見せつけられた思いである。
冷静に振り返ってみると、鈴木宗男佐藤優は何をしたというのだろか。
「外務省を二人で牛耳って北方領土の二島返還を独断交渉を進めたことが、
国家利益を損ねた」というが、それが犯罪といえるのだろうか?
国家権力の闇の深さ思い知らされた内容である。
戦前の特高と、現在の検察と何が違うというのだろうか。
もっとも、鈴木宗男も出すぎていたことも確かだが。

印象に残っている部分を幾つか抜粋してみる。
ーーーー

    拘置所内での生活は、中世の修道院のようです。
    中世の修道院や大学では、書籍は一冊しか所持することが認められず、
    それを完全に習得するか、書き写した後に次の本が与えられるシステム
    だったそうです。 拘置所もそれにかなり近いところがあります。
    私本については三冊しか房内所持が認められていません。・・・・
    案外、現在の環境で少数の本を深く読む生活も気に入っています。・・・・
    禁固刑ならば、書籍の差し入れと筆記具の使用が認められるとの条件の下で、
    何年でも耐えられるような気がします。  (p40)


拘置所生活も自分でリズムを作ってしまうと、それなりに楽しいです。
過去数年間、否、十年以上にわたって、腰を据えてしたかったけれども、
時間に追われ、できなかった勉強をするよい機会です。・・・・
外に出て、将来家を建てることになったら、東京拘置所の独房に
そっくりの小部屋を作り、思索と集中学習用の特別室にしたいと考えています。
それくらい現在の生活が気に入っているということです。   (p63-64)

    おそらく、「拘置所は学習と鍛錬の場」と自分で決めてしまったからでしょう。
    食事もおいしく、集中して勉強できる現在の生活を私は心底楽しんでいます。
    保釈の必要ありませんし、接見禁止が続いていたほうが会いたくもない
    面会希望者との会見を断り、気まずい関係になるよりもずっとよいです。(p69)

この制約をどのようにして利点に転換するかをよく考える。
恐らく、記憶力、構想力の強化ということになると思うが・・・。
しかし中世、近世と較べれば、文明の恩恵に浴している。
紙もほぼ無制限に使えるし、図書も十分に入手できる。
ボールペンという文明の利器もあり、夜は電灯の下で勉強できる。
概ね、戦前の学者よりも恵まれた環境にあると見てよい(特にボールペンの点で)(p82)

    ある意味で、拘置所内での生活は、夏目漱石の「それから」における代助、
   「こころ」における先生のような「高等遊民」の世界に似ていると思います。(p112)

私が学術書を精読するときは、同じ本を3回、
それも少し時間をおいて読むことにしています。
第1回目、ノートやメモをとらず、ときどき鉛筆で軽くチェックだけして読む。
第2回目、抜粋を作る。そして、そのとき、内容を再構成した読書ノートを作る。
第3回目、理解が不十分な箇所、あいまいな箇所についてチェックする。
このような読み方をすると、10年経っても内容を忘れることはまずありません。(p.165)

    私も外にいるときには速読で1日1500-2000頁は書物を読むようにしていました。
    私の場合、速読とはペラペラと頁をめくりながらキーワードを焼き付けていく手法。
    目次と結論部分だけを少しゆっくり読みます。
    対象となるテーマが馴染みのものならば、500頁程度の学術書ならば30分、
    一般書ならば15分あれば読めます。
    そして、ワープロで、読書メモ(これは20分くらいかかる)を作ります。
    こうすると1日で1500‐2000頁くらいの書物を読むのもそう難しくありません。
    ただし、対象についての知識のない本については不可能です。
    どんな本でも斜めに読むことができるという意味での速読法がないと思います。
    まずは背景となる知識(「教養」)がどの程度あるかが問題になります。
    この「教養」をつけるという作業が本当にたいへんです。  (p.171)


現下、日本のエリートは自らがエリートである、つまり国家、社会に対して特別の
責任を負っているという自覚を欠いて、その権力を行使しているところに
危険があります。外務省の研修指導で最も苦労したのは、
「研修は自分のためにやっているのではなく、日本国家のために勉強しているのだ。
ロシア語ができず、外交官として語学や任国事情に弱いが故に他人に迷惑を
かけるようでは国益を毀損することになる」
ということを新入省員にいかに納得させるかということでした。
国益に関連する事柄をアカデミズムの成果を踏まえて理解できるような
基礎力を有しているというのは官僚として必要条件なのですが、
これに欠ける官僚が多いというのが霞ヶ関の実態でしょう。理由は簡単です。
ある時点から勉強しなくなってしまうからです。
実力に不安があるから「キャリア」とか「○○省員」であるとかいうブランドで
エリートたる地位を維持しようとするのです。   (p.200-201)

    ーーー
    これだけの能力を見せつけられると、自分能力が惨めに思える。
    内容は、やはりリアルである。
    変な惨めさが無いのは、やはり知識の裏付けがあるためだろう。
    彼の著書は特異の経験という意味で、十年、二十年後まで残るだろう。
    そして、あの女代議士と、小泉も。
   
   後記)後で気がついたことだが、三年前の今日、「獄」というテーマ
    で、この随想日記を書いていた。 面白い偶然の一致である。
                  (^o^)ノ バイ! 
・・・・・・・・・
2006年03月15日(水)
1807, 新書と文庫について
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ~
「いまどきの新書」永江朗著ーを読んでいたら、
新書と文庫について書いてあった。
  
新書が大きく変容しているのを実感していたので、その内容に注目をした。
そこで、それをベースに「新書と文庫について」纏めてみた。

 ーー
書店には新書と文庫のコーナーがあるが、
新書と文庫は少し前までは、地味な存在であった。
デザインは、書店ごとに統一されていて似たようなもの。
テーマも[学術・教養もの]と呼ばれていた。

    新書・文庫という形態は、岩波書店岩波新書・文庫が始めたもの。
    岩波新書は現代的教養を、岩波文庫は古典的教養を集めた。
    相手は、主に学生で、学校の先生を次のターゲットにした。 
    ところが、最近になり新書が大変身をしてしまった。
    多くの出版社が新書を作るようになり、岩波新書中公新書
    現代新書の御三家に割ってはいってきた。
                       
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
                       
値段が安いことがうけ、古典的教養書という意味あいは薄れ、
軽いエッセイや対談や、趣味的な旅行本、写真集や、
はてはマンガ本的なものまで新書として出版されだした。

不景気や印刷技術の向上や物流の合理化を背景として、
何処でも読みやすい小型本としての手軽さが受けてきた。
またデジ・カメや印刷の高度化で安価に写真などが新書に、
掲載できるようになったこともある。

    本屋も、文庫本のコーナーを拡充して、
    文庫本を平置きして買いやすくしている。
    学生時代買った新書本が今でも自宅の書棚に多く残っている。
    小型で場所をとらないので残しておけたこともある。
    中公新書加藤秀俊『整理学』、川喜多二郎の『発想法』
    講談社の現代新書の立花隆『知のソフトウエア』
    岩波新書梅棹忠夫『知的生産の技術』
    など、懐かしい本が2百冊位が捨てられることなく並んでいる。

 かっては古典の代名詞だった文庫が、
 単行本の普及版、小型版、かつ価格破壊版になってしまった、
 ということだ。
              ホンジャ o(▽^*)ノ~~マタ~
・・・・・・・
2005年03月15日(火)
1442, ホテル・レストランショー

店舗ショーに続いて、毎年のこの時期に有明ビッグサイト
4日間にわたって開かれる。 先週、日帰りで見学してきた。

店舗ショーと同じく、癒し系のラジウム石を使ったサウナや、
化粧水を使ったエステなどが目立った。
日本人は疲れているのだろうか?
それとも女性の立場が強くなり、そういう出費には目がないのだろうか?
これも一過性であろうが、時代が変わったのもあろう。
合理的な考えが進む一方、体や心の癒しには平気で大金をつかう。

私自身も大型薄型TVやDVD,そしてソフト関係にはお金を使う。
その反面、外食や飲み代や日用品や衣料には非常にシビアになった。
出店していた音響メーカーの「ボーズ」の、30万近いオーデオを買ってしまった。
こういう世界も、技術革新がドンドン進んでいるようだ。

ベーカリーの世界も日進月歩のようで、冷凍パンを、そのままレンジで
焼き上げてしまう技術が開発され、パートでもクロワッサンやデニッシュを
焼き上げることが可能になった。
街のレストランなどが、焼きたてのパンを70~100万円の器械で、
気楽に出せるようになった。

ホテルが一般的に不況で、新たなサービスを付加して客を取り込もうと
している。ベッドもシングルベッドの下に、もう一つのベッドが
収納してあって、家族ずれのお客にも即応できるものなどが、目についた。
また、防犯カメラなども多く展示されていた。

・・・・・・・
2004年03月15日(月)  
1076, 《獄》

昨日、何げなく朝日新聞の社会欄を開いたら、<獄>が大きく載っていた。
内容は山本譲二元代議士の獄中の体験談であった。
刑務所の服役の体験談を読んだことがあったが、直視できない異常な世界である。
体験談の文章によると、収監された晩は一晩中誰もが泣き過ごすという。

政治とは清濁併せ呑む世界であり、奇麗事の世界とは違う。。
犯罪になるかどうかは、「洗浄を幾つか通して政治資金を集める体制があるか、
無いかの差でしかない」のも事実である。
全ての政治家は、一歩間違えると監獄が待っているといえる。

この文章を読むと、刑務所だけは入りたくないと思う。
別世界のことではない。ある日思わず、交通事故をおこして動転して轢き逃げを
しないとも限らない。
それとも酒を飲んでいて、隣の客と喧嘩をしてとか・・・・

asahi.comを検索したら、この文があったので貼り付けておきます。

ーーーーーー
-以下は朝日新聞に載っていた内容である。
■《獄》「詫び状」が扉を開けた

看守に促され、栃木県の黒羽(くろばね)刑務所の分厚い鉄扉を抜けると、
妻真由美さん(39)の姿が目に飛び込んできた。
 02年8月13日午前5時。
 刑務所近くの空き地でまんじりともせず4時間をすごした妻は、
 いまにも泣き崩れそうだった。目が合うと駆け寄ってきた。
「お帰りなさい。長い間、ご苦労さまでした」抱きとめることができなかった。

 1年2カ月。隔てられた面会室のアクリル板が目の前にあるかのような錯覚に
 山本譲司さん(41)はまだ、とらわれていた。
「苦労はそっちだと思うよ」 看守を横目にそう答えるのが精いっぱいだった。

 東京郊外の妻の実家に着くと、軒先に、1人砂遊びしている息子がいた。
 到着を知った義母(62)は1歳半になった孫を抱き上げると、
 山本さんの胸に押し込んだ。
「パーパ。パーパ」  罪の重さと、待ちわびてくれていた人のいる幸せとを、
 体全体で受け止めた。

        □    ■

 衆院議員による秘書給与の詐取という「申し開きのできない」狡猾(こうかつ)
 な犯罪で受けた判決は、懲役1年6カ月の実刑だった。

 早稲田大を卒業後、現在の民主党代表の菅直人氏の秘書を経て、26歳で都議に
 当選した。衆院に転じて2期目。独自の都市政策を掲げ、「民主党ホープ」と
 持ち上げられ始めたさなかの蹉跌(さてつ)だった。01年6月、罪を認め服役した。

 配役(はいえき)先は、刑務所内でもほかの受刑者や見学者の視線にさらされる
 ことのない隔離舎房―知的障害や重い身体障害のある受刑者たち50人のための
 施設だった。
 「大変なんてもんじゃないよ、あそこは。汚物まみれでね……」
 看守は、そこに世話係の一人として赴く山本さんを哀れんだ。

 その通りだった。ろうそくの色分けやひも結びなど繰り返される軽作業に付き添い
 ながら、食事や風呂の介助もする。
 漂う悪臭に吐き気を催しながら、房の床や壁にこびりついた汚物をつめではぐ。
 週に2度、たった10分の楽しみだった入浴は、湯に汚物が浮かんでいることも
 珍しくなかった。

 出所後は、保護司のもとへ月に2回、顔を見せて近況を知らせ、息子と向かい合う
 ほかは何をするでもなく数カ月が過ぎた。
 手元には毎日のように妻から届いた手紙300通と、その返信、それに独房で
 書き連ねた日記があった。

 自らへの戒めと、かつて1票を投じてくれた人々への詫(わ)び状として、
 経験のすべてを記そう――そう意を決し、2階の一室にこもった。
 400字詰めで6千枚。推敲(すいこう)を重ねて800枚にまとめた原稿は
 昨年末、『獄窓記』(ポプラ社)として結実した。

 著書は思いもかけず、閉ざされがちな世間への扉を押し広げた。
「だれも語らず、伝えられることのなかった刑務所での障害者の処遇のありようを
 あなたは初めて記した。話を聞かせてもらえないか」

    □    ■

 今年2月初め、編集者経由でファクスが届いた。刑事事件を起こした知的障害者
 弁護で知られる副島(そえじま)洋明弁護士(57)からだった。

「失礼ながら、刑務所に入ってくれたあなたに感謝したい」
 
 かけた電話で、面識もない弁護士はのっけからこう言った。
 5日後の昼、戸惑いながら自宅近くの駅の改札で落ち合った。

 お互いの現況、刑事裁判で知的障害者の置かれている現実、刑務所に送られた
 彼らの多くが身寄りがないまま満期出所になること……。塀の入り口までを担う
 弁護士と、その中で過ごした山本さんの話は尽きることがなかった。

 日付が変わりそうなころ、副島さんが言った。
「あんた、知っているかなあ。僕が事件を担当した……30歳ちょっとの男で……」
 
 しばらく説明を聞いた後、山本さんは口を開いた。

 「彼の介助をやっていたのはこの僕です。絵を描いている時の笑顔が忘れられず、
 今でも夢に出てきます」

 副島さんは携帯電話をつかんだ。

 「阿部さん! 僕たちがその後を一番心配していた彼のことが初めてわかった」

 携帯の相手は、東京都八王子市にある知的障害者施設「八王子平和の家」(50人)
 の施設長をしている阿部美樹雄さん(49)だった。

 事件は、自立に向けて一歩を踏み出そうとした彼が平和の家を出て間もなく起きた。
 あてにできる家族もなく、好意で受け入れてくれた滞在先を抜けて街をさまよう
 うちに、一軒の貸家に何事かを叫びながら火を放った。
 母親が失踪(しっそう)するなど家庭の事情が一段と複雑になっていた時だった。

 副島さんや阿部さんは、法廷で服を脱ぎながら奇声を発する彼について
 「受刑は不可能」と訴えた。「こんな法廷は初めてだ」。
 裁判長は戸惑いながらも3年ほど前、長期の服役を言い渡した。
 黒羽刑務所に入ったことはわかったが、弁護士といえども消息を知るすべはなかった。

 2月半ば。彼が取り結んでくれた縁を機に、山本さんは平和の家を訪れ、
 かつて彼がにこやかに耕していた野菜畑に立った。

 「自分の存在に確信を持てない知的障害者に、不条理な環境が幾重にも重なった時、
 不幸にも事件に結びついてしまうことがある。それは私たちの責任です。
 障害に前科が加わってしまうと受け入れ先はまず、ない」と阿部さんは言った。

 山本さんは幼児のように語りかけてきた彼の言葉を思い出していた。
「山本さん、ずっとお友達でいてね。また一緒にお絵描きしようね」

 刑を終えた障害がある人たちを、受け入れる特別な施設ができないか――
 3人の構想は、会合を重ねるなかで静かに動き始めている。

 その一端を担うことになった山本さんは、時給千円の支援スタッフとして
 平和の家に通う。ベテラン職員にも見劣りしない手慣れた介助はいま、
 山本さんの生活の張りであり、糧でもある。(角田 克)

・・・・・・
2003年03月15日(土)
710,「逆さ仏」の時代

 親が子供の葬式を出す意味である。
戦前生まれの人は、成人までに自然食で育った。

しかし戦後インスタントラーメンが丁度出始めた頃から防腐剤の入った
食品が出始めた。また農薬の散布で毒入りの農産物を口にするようになった。
農家は出荷する農作物と自分たちが食べるー農薬なしの農作物を分けているとも聞く。
最近の人間の骨は腐らないという、防腐剤がたっぷり骨に入っているためだという。
 
 上記の理由で、20年位前に西丸震哉が40歳寿命説を言い出した。
先日も親戚の人が98歳で亡くなったが、7人の子供のうち3人が亡くなっていた。
逆さ仏も今は珍しくない時代になってしまった。

 ある薬局を経営をしている人から、絶対に缶物は口にしないことと教えてもらった。
それと内臓物ー焼き鳥やタラコーや白砂糖やカップヌードルなども毒を口にしている
のと同じとか。緩慢なる毒殺をされているのだろう。
その意味ではスーパーの食品売り場は毒物売り場そのものだ。
少しでも注意をしていれば、その量を減らす事はできる。

 あるホテルの人から聞いた話だが「離婚調停でホテル住まいの母子が半年間
三食インスタント物を部屋で食べていた」と聞いたことがあった。
聞いていて背筋が寒くなってしまった。

・・・・・・・・・
2002年03月15日
旅行中につき書き込みなし

・・・・・・
<お笑い>  「血縁関係」

「父さん母さん、おれ結婚するよ!肉屋のローズがOKの返事をくれたんだ」
ジミーは有頂天だったがその夜、父に呼ばれた。
「ジミー、お前に言わなければならないことがある。
実は肉屋のローズは、お前の腹ちがいの妹だ。父さんは若い頃、
ちょっと魔が差してしまったんだ。母さんには内緒だぞ」

ジミーのショックは相当なものだったが、若さで立ち直り新しい恋を見つけた。
「父さん母さん、おれ結婚するよ!パン屋のデイジーがOKの返事をくれたんだ」
でもその夜、ジミーはまた父に呼ばれた。
「ジミー。パン屋のデイジーもお前の腹ちがいの妹だ。
父さんな、魔が差した時期が長かったんだ。母さんには内緒だぞ」

二度目となるとさすがにジミーは父を恨み、母に言いつけることにした。
「母さん聞いてよ。ローズもデイジーも僕の腹違いの妹なんだ。
これじゃ僕、結婚できないよ…」

「まあ!」 母は驚いたが、やがて微笑んだ。

「安心しなさい。ジミー、あなた父さんの子じゃないから」


・・・・・・・・・・
2537, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー1
2008年03月15日(土)
                ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
 ニューヨーク州スピッツァー知事による買春疑惑が表面化したと
昨日のTVで放送していた。疑惑は、連邦捜査当局による高級売春組織
摘発の中で浮かび上がったもので、先月中旬、訪問先のワシントンのホテルに
ニューヨークから高級売春婦を呼んだ際、売春組織への電話が当局に盗聴され、
同知事と特定された、という。 疑惑を受け「家族を裏切った。家族と州民に
謝罪する」と事実上、疑惑を認め辞任の意向。2期8年間の州司法長官を経て、
2006年、民主党から知事選に出馬し当選。07年1月、州知事に就任した。
州司法長官時代には、売春組織の摘発にも積極的に取組み、高い評価を得た。
そこで思い浮かぶのが、マダム・クロード著 「愛の法則?パリ高級娼婦館
女主人の告白 」である。 ーこの本の紹介文と著者の履歴からして面白い。
ー1960年代から70年代、パリで最高級売春宿を経営していたマダム・クロード。
フランス通の訳者が、その数奇な人生、知られざるフランスの裏面を紹介。
彼女の洗練の秘密は?女性の本当の幸せとは?「パリの粋」が見えてくる一冊。 
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」)
 グリュデ,クロード
1923年、フランスに生まれる。
’62年、友人ナディーヌから売春宿を受け継ぎ、「マダム・クロード」となる。
以後、70年代初めまで、各国の王や大統領、政治家を顧客とし、営業を続ける。
’74年、ある政治家との関係を巡り、クロードの館は閉館へ。
’77年、税金問題から逃れるため、アメリカに渡るが、’85年フランスに
 帰国したところを逮捕され、以後4カ月刑務所に収監される。出所後、
 2番目のネットワーク作りを開始するが、このことで、再度刑務所に収監。
’86年より、PR業、結婚相談所、美容アドバイザーなど様々な仕事に就く。
’94年、自叙伝『madam』(ミシェル・ラフォン社)を出版
ーー
ここの館の顧客名簿にはアラブの王族や欧州の貴族、ケネディー大統領はじめ
各国の政治家、大金持ちが名をつらねていた。ここを足場にフランスを代表する
映画女優、皇太子妃や伯爵夫人にのし上がった娼婦が数多いという。
マダム・クロードは、自身が少女時代に修道院で尼さんから受けた躾を、
街の売春婦に変身プログラムをつくり、整形手術、肌の手入れ、性の技巧、
ダイエット、ファッション、ハンドバックの中味に至るまで微にいり、細に
いり指導していったという。下手な子女よりもズット品良く仕上げたのだろう。
これを切っ掛けに、この本は見直されるだろう、恐らく!   ーつづく