つれづれに

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今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=_okrOC_Ua-E&feature=related

  年の瀬もつまってきた。起きる事件も何か世知辛いものばかり。
 年齢もあるのだろうが、ワクワクするような面白そうなこともない。
 一応、朝から晩までやることはあるが、別にしてもしなくても良いこと。
 今回の選挙の各党の公約も、選挙に受からんがために並べ立てた綺麗ごとばかり。
 欲がある分、その底の浅さが透けて見えてくる。この選挙民に、この政治家。

  別に欲しいものもないし、取りだてて行きたい旅行先もない。
 欲がないのも考えもの。まあ、淡々と一日一日を過ごすだけ、ということ。



今日の随想日記カット分
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966, 悪口についての一考察 -2
2003年11月26日(水)

どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉がある。
しかし、悪口は楽しいのである。これが人間の悲しい性である。
4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。
片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を言っていた
のがミエミエであった。
そして「人の悪口は楽しい!」といっている姿に唖然とした。
そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口である。

 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。
虚飾などどうでもよい?見えるのは裸の猿の狂った姿である。
大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。
人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。
さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近くも読み続けているから
知らないうちに外部化しているのだろう。
表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。
同級生のスナックのママに説教をされたが、その道の専門家いやアマチュア
ということは知らないようだ。

 ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。
ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライドなど
微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。
ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、
「悪口はいけません」とのたまう。
この二面性を持っているのが人間の姿である。
悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。

ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー
「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっているような奴」
「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」「痴呆迷死」
「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」「たかり」
「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス
 悪口はまるで無尽蔵である。

嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に渦巻いている
ドブから発するガスである。
 
 ーインターネットで調べた内容をコピーしておきます。
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「悪口をやめよ 」
ヤコブ4:11~12
箴言26:17~28
マタイ5:21~24

皆川尚一牧師

悪口をやめよ
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、
自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。
もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。
しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、
救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、
いったい、何者であるか(ヤコブ4章11~12節)。

 「兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない」(11節)。
 ここで「悪口を言う」(カタラロー)というギリシャ語は「逆らう」(カタ)
という語と「言う」(ラロー)という語が合わさって出来た合成語で、
「逆らって言う」とか「反対して言う」という意味です。
しかし、この語の使い方は、面と向かって相手に逆らって言うのではなくて、
今そこにいない人の悪口を言う場合に使われます。

だから日本語では「陰口(かげぐち)をきく」とか「中傷する」とか「ざんげんする」
とか言います。顔と顔を合わせて相手に反対したり、悪口を言ったりする場合には、
相手の人は自分の考えを説明したり、自分のやり方を弁明したり、相手に反論したり
できますから、ある程度公平だと言えるでしょう。

しかし、今そこにいない人のことを悪く言う場合には、言われる人は弁明できず、
反論も出来ませんから、悪いうわさは毒ガスのように人から人へと伝わります。
二、三人のヒソヒソばなしやいわゆる井戸端会議からゴシップが流され、
話に尾ひれがついて、あること無いことが発展して人の名誉が汚され、信用が失われ、
せっかく築かれかけた良い人間関係が壊れていくのです。だから陰口ほど質(たち)
の悪いものはありません。

  しかし、クリスチャンになってもこの悪い行いは、なかなか改まらない人が多く、
このために教会の親しい交わりが汚されるので、使徒ヤコブは、
特にクリスチャンお互い同士が陰口をきかないで、愛の交わりを育てるのに
心を配って行こうと呼びかけているのです。
そこで大切なことは陰口をきくのは恐ろしい罪だということを認識する必要があります。
それは「神の律法に違反する罪」と「神の大権を犯す罪」の二つです。

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592,ーこころにのこった詩ー2 - 2002年11月26日(火)

 ー兄弟      びーと たけし

兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれていってくれた

初めて見た外国の映画は何か悲しかった

ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ

兄ちゃんが、後で入ってきた、タバコを吸っている人達に

殴られて、お金をとられた

帰りのバス代が一人分しかなく

兄ちゃんが僕をバスに押し込もうとした

僕はバスから飛び降りた

兄ちゃんと歩いて帰った

先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた

僕も泣きながら歩いた

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これを読んで子供のころの出来事を思い出した
詩的に書いてみるー


小学校の低学年の頃、兄と歩いていた
兄が急に頭に手を当てた

帽子を取ると頭が血だらけだった
兄はそれを見て泣き出した
帽子に穴があいていた

すぐに誰かが空気銃を撃ったのが解った
近くに不良の中校生がいた
彼だろうと思った

兄の手をひいて帰った
その問題は大きくはならなかった
それから10年経ってその少年は殺人事件をおこした

ざまみろと思った

・・・・

この文章を考えて寝たため昨日の朝
ビートたけしの兄弟の夢をみた。
夢の中の対談で私が司会者だった。

たけしが兄にふざけて昔貸した200円を返せという。
また二人で読んでいる新聞を取り合いをしている。
兄弟でいつの間にコントをしている。
それがこの詩のように仲がよいのだ。

何か失われた家族を見ているようであった。
また自分の脳の想像力の凄さ単純さに驚かされる。
自分でいっているのだから間違いがない。

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238,)糸井重里のインタネット的 - 2001年11月26日(月)

彼の著書の「インターネット的」が面白かった。
買おうとしていたところ、たまたま図書館にあったのを
借りてきて読んだ。買うほどでないが読む価値が充分あった。

ーまとめてみると、

 インターネットのキーワードが4つあるという
1、[リンク]ージョイント的のつながりとは違うという。
  ジョイントは‘問いに対する答え’のように交互の繋がりをいうが、
リンクは問いに対していろいろな答えがある、それを有機的に
つながっていくことが可能なのがリンクという。
  それぞれのホームページのお気に入りのコナーから、
  新しいページに行き、 そこからまた新しいページにリンクしていける。
これがまず一番の特性。
2、[シエア]ーおすそ分け、情報の無条件の提供である。
そうでなくては誰も見てくれない。自分の利益を考えることは大事だが、
それを無条件に公開して与える。
3、[フラット]ーたいらー公平無名性に情報をやりとりすることが大事で、
  そこには肩書きも、立場も意味がなさない。
4、[グローバル]ー民族や国の枠を超える、世界的な視点になってくる。
以上のリンク、シェア、フラット、グローバルの4っがキーワードだ。

自分でこういうホームページをつくって、何のためと自分で自問自答する
ことがある。自分の経験・体験・知識・考えを知らせる事と、
問い掛けることである。

毎日目に見えない何人に向って,語りかけを実際しているように書く。
それには虚飾をすて本音で書かないと、すぐ見るる方も書くほうも飽きてしまう。

本音で書き続けると、本音の中にある虚飾に気づくことがある。
今までの日記(ノートに書いていた日記)より、深くなっていく部分と、
やはり観られている為に本音をカモフラージュしている部分が出てくる。

また内容のイイカゲンさは排除しなくてはならない。
その為集中を自分に課せることが必要になる、これが最大の収穫だ。

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ある時間の断片 
          1968年
11月26日
9時15分に起床。
10時半に学校へむかう。川崎と待ち合わせて、ノートを借りる。
食事後川崎と「サルビア」へ行き話す。「昔の彼女に会って婚約を知り、
再び結婚を前提で付き合いたい」といったという。聞いていて馬鹿馬鹿しくなってきた。
「身勝手もいい加減にしろ」と思ったが、口には出さなかった。
試験勉強をする為に、独りで図書館に行き、その後再び川崎と食事をする。
帰寮後、川崎に借りた本をうつしていると、駒村が来る。 少し彼と話す。
その後、炊事場で米林から、南波嬢と蒲生が何とやらと聞く。
本当かどうか解らないが、もしそうなら南波嬢もその程度の人かと失望をする。
佐藤に知られなければ良いのにと心配だ。佐藤は気が多い男だからだ。

その後、大妻の宮本さんがくる。彼女から、その女性が「清田」さんと聞かされる。
何回か会ったことがあるが、別に何とも思ってなかったが。確かにスゴイ美人である。
しかし、それを鼻にかけているのが気になる。逃げる理由も無いが、追いかける理由も無い。
宮本さんも面白い人だ。間中君の「自他とも認める何」だから気楽に傍に寄せているが。
彼女が帰った後に、食事に行く。その後、集中して勉強。夜半0時に米林がくる。
佐藤嬢とのノロケを聞かされる。彼は今は女性のことしか頭がないみたいだ。不安なのだろう。
それにしても、シモの具体的なことを何故言いたがるのか理解できない。

後記 2003年11月26日
 
 書き写していると当時をアリアリと思い出すものだ。
そして、よくもまあ、色いろのことがあったものだ。
何事も忘れるから生きていけるのだろう。
日記に書いてなければほぼ全てを、忘れていることだ。
過去を振り向かないことを自分に課してきたが、このように思い出すのも面白いものである。