閑話小題 ~アメリカの失業率が年度内に30%超え?

f:id:horii888888:20200520050626j:plain

f:id:horii888888:20200520050716j:plain

f:id:horii888888:20200520050812j:plain

f:id:horii888888:20200520050752j:plain

f:id:horii888888:20200520050702j:plain

   * さて始まった怖ろしい現実!
 パンデミックの次に何が怖ろしいかといえば、【世界恐慌】、その次に
発生する【世界大戦】である。 …誰がどうみても、中国の初期対応が大きな
ミスがあった。意図的か否かは分からないが… これは国交断絶ものの火種。
 この新型コロナウイルスによる感染拡大で経済が壊滅的な打撃を受けている
アメリカの4月の雇用統計が5月8日に発表され、失業率は【14.7%】と、1930年代
世界恐慌以降で最悪の水準となった。 予測はされていたが、これは酷い!
  ~米労働省が発表した雇用統計によると~
≪・米国の4月の失業者数は約2050万人。アメリカでは失業者数が4月以降に急増。
 先週だけで440万人が失業保険を申請し、その累計数は2650万人(3月13日での
失業者710万人を加えると3360万人以上)。失業率は20%を超えた... 
・新型ウイルスのパンデミックが始まって以降、過去10年で最悪の経済成長率と、
史上最悪の小売売上高に見舞われている。わずか2カ月前の失業率は3.5%と、
約50年ぶりの低水準だった。
米労働統計局の元局長で、今はコーネル大学産業労働関係学部で教えるエコノ
ミストのエリカ・グロシェン氏は、「歴史的にみて前例のないことだ」と指摘。
「米経済がパンデミックから回復できるよう、人工的にこん睡状態に導入した
ようなものだが、(中略)これほどの急激な失業増加につながってしまった。
現代のどの指標で見ても、これほどの急激な変化はない」。
・2020年下期に入るまでの数カ月間で、失業率は30%にまで達する可能性がある。
戦前の世界恐慌期(33年の約25%)に匹敵する雇用危機となる恐れが指摘
されている。≫
 ―
▼ 日本、韓国、台湾が異常に被害が少ない。それに対し、アメリカ、欧州、
 ロシア、インドの被害が甚大。その二次被害が、周り回って日本も大被災に
なるのは自明。…当然、失業率が20,30%になっていく。平和ボケの日本では
考えられない事態だが、現象として思いもよらないカタチで次々と現れ出る。
怖ろしい限りだが… 島国の日本人には、この危機感が少ない。
まだパンデミックの初期段階なのに、楽観論が消えやしない。

・・・・・・
6639,閑話小題 ~面白いAI化の現象 -3
2019年05月20日(月)
   * AI化と、『ルーシー』について
 AI化の結果、人間の脳力の行きつく先は、以前みた映画『ルーシー』の姿。
 『ムーアの法則』がある。
<大規模集積回路LSI IC)の製造・生産における長期傾向について論じた
1つの指標であり、経験則 ... 部品あたりのコストが最小になるような複雑さは、
毎年2倍の割合で増大してきた。短期的には、この増加率が上昇しないまでも、
現状を維持することは確実>
 逆にみると、10年で100倍、20年で1万倍、1億倍になる。その結果、ネット上
で流通する情報量は飛躍的に増加。また情報機器は日々、飛躍的進化をとげて
いる。8年前に会社清算をして、シガラミから解放されて、新しい生活習慣を取り
入れたため、自由度が飛躍的にのびた。これは、デジタル機器の御蔭もある。
10数年前、この情報革命を「20万年来の変革」との表現を「大げさ」と、心の
底で思ったが、今では『生命誕生40億年来の変革期』の言葉をスンナリと
受止めている。とにかく面白くなった。世界中の人たちが、『ルーシー』になって
しまったのである。 情報化は、人を幸せにするのだろうか? 私は、「する!」
と信じている。10年、20年前と何が違うかというと、「自由感」が全く違う。
60歳までに人生を凝縮して生きたこともある。今までと違った情報機器の進化
の結果の能力は、世界の脳をネットで結び付けた。スマートフォン、スマート・
TVなどが、その一例である。 それが世界を滅ぼす可能性も充分、考えられる。
問題は、その能力を拙い権力者が握られてしまう危険。「世界の人々がルーシ化」
すると、如何なるでしょう? これまでの常識に囚われない「自由度」を持つ
反面、その自由度は、多重人格者などの疾患を持つ人たちを多く抱える社会を
もたらすことになる。 <酒も博打も女も知らず 百まで生きてる馬鹿なやつ>
 の逆さま版の生き方、 < よく遊び よく働き よく学ぶ >一群。
< 自由を味わい こころ平和に 囚われない人 >
これは、自分から求めないと、妄想でも結構。 所詮はアッと間のこと。
 ところで、先週末のTVの『YouTube』は、野生動物のドツボに嵌った野生動物
救場面の始終の記録ものを幾つか。これが何とも… 感動させられた。
 さて、チャリダ―!  一人静かに、楽しいことで! 一期一会だもんね。
・・・・・・
5541,閑話小題 ~ 『ルーシー』
2016年05月17日(火)
   * 『ルーシー』
 先日、『ルーシー』をTVの再放送で観たが、半年に一回位は放映されている。
もう4~5回はみている。私も微細だが、何か面白い特殊能力がある。誰も、
個々に特殊能力、いや脳力があるが、気づかず見逃しているだけ。この映画、
見る度、その面白さが増していくのも珍しい。それにしても映画は面白い! 
  ~まずは、その内容から~ 【ストーリー】
≪ マフィアの闇取引に巻き込まれたルーシーは、特殊な薬が入った袋を体に
 埋め込まれ運び屋にされてしまう。しかし、体内で薬が漏れたことで彼女の
脳機能は驚異的に覚醒。脳科学者ノーマン博士が見守る中さまざまな能力が
超人的に目覚める一方、少しずつ人間性が喪失、自ら制御できなくなっていく。
『レオン』や『ニキータ』などクールなヒロイン像を打ち出してきたリュック・
ベッソン監督と、スカーレット・ヨハンソンが初めて組んだアクションスリラー。
 体内に埋め込まれた特殊な薬が漏れたことで脳機能が驚異的に覚醒し、
人間離れした能力を発揮し始めるヒロインの暴走を描く。通常は10%程度しか
機能していない脳が、100パーセントへ向かって覚醒していくヒロインを見守る
脳科学者役に、オスカー俳優モーガン・フリーマンがふんする。≫
▼ 西アフリカを南に下っていく道すがら、面白いところがあると立寄った
 数軒のテントの店が、全て呪いに使う小道具だけを扱う店だった。当時は、
民度が低いアフリカの地方の一現象と見ていたが、どうだろう、案外に効果が
あるのかもしれない。変と思われるかもしれないが、この5年間、いや人生の
節目ごと、直接、私の心の傷口を蹴り上げてきた人の8~9割が人身事故か、
大病か、ごく近い親族が倒れ寝たきりとかになる。あとの1~2割は、それが
入ってこないだけと思っていたが、その数人が、ごく最近…? 自分でも
恐ろしい? 元もと不幸な性格の人が、他者の傷口に、自分の傷口の血を擦り
付けるため、それが膿んで、自分の傷口の毒が悪化するため。こんな映画を
数回も見るため、因果をつけた筋書きをしているだけとしても、実際に、何か
あるのでは?と…。 人を恨ばま、穴二つ、いや多数! 逆に、恨まれている
憶えは数限り? それでも何とか、健康に?生きている。毛沢東スターリン
ヒットラーなど、狂い死にしてよいはずだが、そうでもない。 とすると、
これは私の創作した馬鹿話!がオチ。 でも不思議だが、娑婆は妄想である。

――――
5544,閑話小題 ~悪口は泥棒より悪いって知っていた?
2016年05月20日(金)
      
      ー「泥棒と悪口と、どちらが悪いか」三浦 綾子(作家)
                  『人間学入門』(致知出版社)より
  * 軽度のサイコパスだとさ
 以前、この道理を知ったとき、そこまで悪口が罪悪とは思ってなかったこと
もあって、驚いてしまった。大家族の中で育ったためか、本能的に、悪口や、
他人の誹謗中傷を言うことがタブーか知っていた。一番立場の弱い末っ子が、
まず身につけるしかない自己防御のなせる業である。それが、進級、進学に
つれて、育った環境などにより、弱者に対する虐めや、悪口を言う人の比率が
増えていった。 学校、職場、一般社会も、階層があって、そのコントロール
として、誹謗中傷と悪口が、大きな働きをしていた。 それを筆者がズバリ、
泥棒より悪口が、悪いと断じるから・・  ~その辺から
≪・時折、講演で話すんですが、「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。
私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。
大事にしていたものや、高価なものを取られても、生活を根底から覆される
ような被害でない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、
泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。だけど、人に悪口を
言われて死んだ老人の話や少年少女の話は、時折、聞きます。
「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べる
のよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、
という話があります。
・それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に強烈なショックを受けた時
に生れる確率が高いと聞いたことがありますが、ある妻は小姑に夫の独身時代
の素行を聞き、 さらに現在愛人のいることを知らされた。
それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。
この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、
生まれたのは精神薄弱児だったそうです。 恐ろしい話です。私たちの何気なく
言う悪口は人を死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。
泥棒のような単純な罪とは違うんです。 それなのに、私たちはいとも楽しげに
人の悪口を言い、 また、聞いています。 そしてああきょうは楽しかった、
と帰っていく。 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。
・もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、
泣いたりする。 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口をきかなくなる
のではないでしょうか。 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が
立つはずです。そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。
私たちは自分を罪人だとは思っていない。 罪深いなどと考えたりしない。
「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。 私たちはたいてい
そう思っています。 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。≫
▼ これを読んだのは、20年前になる。元もと、噂話や、他人の中傷誹謗に
 興味がなかったが、大家族の中では、第三者の話題はタブーに近かった。
学生時代も、殆ど、批評はすれど、批判をしないのが通り相場。いい大人が、
悪口など、男が廃るという空気があった。しかし、自分が人を使う立場になると、
飴と鞭のムチを、知らず知らず使いだしていた。知人に噂話を売りにした人が
何人か存在するが、耳を塞ぎたくなるほど聞くに堪えない。長年、かかって顔が
暗く澱み、声まで変質している。あれ、万引き常習者になるが、これも悪口か・・ 
――――
2016/04/07
愛と孤独 ―池田晶子の言葉 ~⑤
    『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著)
                    < 孤独の味わい方 >
  * 他人の悪口が気になる人へ
《 人間には、自分の中の気になるものを、自分の外に見つけ出すという妙な
 癖があります。自分の中のそれが気になるからこそ、他人の中のそれが気に
なるのですね。 よくあるでしょう、誰かの悪口を言っているその人が、
自分が悪口を言っているその人にそっくりだということが。つまり、人間は、
自分の中にあるものだけを他人の中に見る。裏返せば、人間は、自分の中にない
ものを、他人の中に見ることはできない。当然ですよね、だって、ないものは、
ないんだから。ないものは、気になるはずがないんだから。 》~『人生は愉快』
 ☆ 時間薬の効果で言えることだが、5年前の会社清算の一連が、当事者と
しての内なる記者の目線でみえた現象の面白さは格別であった。
 プラモデルの趣味の人に、それが壊れたとて、喪失感は少ない。それは、
楽しんだ結果でしかないから。所詮、悪口とは、その人間そのものの影!
――――
2003/11/25
965, 悪口についての一考察
 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。
しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。
昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ-スの松井は中学校二年生以来、
悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目
している部分もあるが)
それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。
本音でいうと
 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には
 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。
 痴呆名士志向の子狐的人間である。  地方で頑張っている人はこういう
 傾向が強いから始末が悪い。自分より肩書きや収入が多い人間には媚び
へつらい、下の人間には尊大な人だ。 仕方ないのは解っているが。
「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。
  人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。
 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。
 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。
  ~辞典には
 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)
 いう言葉」とある。
 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。
 悪口とは事実に反してと書いている。
 
 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。
 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。
 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても
 叩かれないことになる。
  ☆ 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。
・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく
 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に
 人を殺す。
・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。
 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。
 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。
・悪口にも色いろある。
 本人に面と向かっていう悪口と
 陰でいう悪口がある。
・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、
 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ!
 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、
 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 
 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』            
                         ー続く
ーーーー
2003/11/26
966, 悪口についての一考察 -2
 どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉があると。
しかし、悪口は楽しいのである。これが人間の悲しい性である。
4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。
片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を
言っていたのがミエミエであった。そして「人の悪口は楽しい!」といって
いる姿に唖然とした。そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口だが。
 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。
虚飾などどうでもよい?見えるのは裸の猿の狂った姿である。
大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。
人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。
さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近く読み続けているから
知らないうちに外部化しているのだろう。
表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。
同級生のスナックのママに説教をされたが、その道の専門家いやアマチュア
ということは知らないようだ。
 ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。
ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライド
 など微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。
ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、
「悪口はいけません」とのたまう。
この二面性を持っているのが人間の姿である。
悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。
ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー
「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっていうような奴」
「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」
「痴呆迷死」「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」
「たかり」「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス
 悪口はまるで無尽蔵である。
嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に
渦巻いているドブから発するガスである。
 
 ー インターネットで調べた内容をコピー ー
  「悪口をやめよ 」
 ヤコブ4:11~12
 箴言26:17~28
 マタイ5:21~24
  ー皆川尚一牧師ー
 悪口をやめよ!
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、
自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。
もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者である。
しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、
救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、
いったい、何者であるか(ヤコブ4章11~12節)。
 「兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない」(11節)。
 ここで「悪口を言う」(カタラロー)というギリシャ語は「逆らう」(カタ)
という語と「言う」(ラロー)という語が合わさって出来た合成語で、
「逆らって言う」とか「反対して言う」という意味です。
しかし、この語の使い方は、面と向かって相手に逆らって言うのではなくて、
今そこにいない人の悪口を言う場合に使われます。
だから日本語では「陰口をきく」とか「中傷する」とか「ざんげんする」とか
言います。顔と顔を合わせて相手に反対したり、悪口を言ったりする場合には、
相手の人は自分の考えを説明したり、自分のやり方を弁明したり、相手に
反論したりできますから、ある程度公平だと言えるでしょう。しかし、今そこ
にいない人のことを悪く言う場合には、言われる人は弁明できず、反論も
出来ませんから、悪いうわさは毒ガスのように人から人へと伝わります。
二、三人のヒソヒソばなしやいわゆる井戸端会議からゴシップが流され、
話に尾ひれがついて、あること無いことが発展して人の名誉が汚され、信用が
失われ、せっかく築かれかけた良い人間関係が壊れていくのです。だから陰口
ほど質(たち)の悪いものはありません。
  しかし、クリスチャンになってもこの悪い行いは、なかなか改まらない
人が多く、このために教会の親しい交わりが汚されるので、使徒ヤコブは、
特にクリスチャンお互い同士が陰口をきかないで、愛の交わりを育てるのに
心を配って行こうと呼びかけているのです。そこで大切なことは陰口をきく
のは恐ろしい罪だということを認識する必要があります。
それは「神の律法に違反する罪」と「神の大権を犯す罪」の二つです。