つれづれに

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  今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=f1SvcIQfsRg&feature=related

 中国も、新体制が15日より発足する。 日本も、今まで通りには行かないだろう。
尖閣列島に対しては、武力行使をして取りにくる可能性が高いとみてよい。
その時の日本に反撃するだけの覚悟があるかどうか? 得体の知れない
国際世論に頼るしかないのが、日本で、何も出来ないのを中国もアメリカも読んで、
あざ笑われるのが落ち。 情けないが、これしか出来ないのが腑抜けた日本の現状。
 その辺りに自衛隊のクーデターの可能性が出てくるが、その気力もないか?
アメリカも尖閣列島を中国に取られると、面子を失うが、中国のアメリカ国債
売り浴びせで脅されれば何にも出来ない。 まあ、波高しになる。






949, 流通大戦争
2003年11月09日(日)

 長岡と隣接している見附市の今町に5000坪のスーパーセンター
「PLANT5」が開店をした。10月29日に開店をしたがチラシを
まかなかったのでオープンをしている事に気がつかなかった。
規模もさることながら、それぞれのアイテムの多さと値段の安さに驚いた。
 エブリデー・ロープライスをそのまま実践をしていた。
お客の立場からみればアイテム数が多く、廉価であることが第一である。
ただただ「安い、アイテムが多い!」と驚いてしまった。
新潟の郊外にも聖篭の長崎屋の後に入っているが、その一回り大きいものだ。
47台のレジがフル回転をしていた。チラシをまかないで、これだけ入っているのだから凄い。
 
 今月末には同じバイパスの反対側の小千谷市の郊外に「ベイシア」がオーペンする。
これで長岡はSSM(スーパー・スーパーマーケット)のウオロクも含めた三箇所のポイントが、
この数ヶ月でおさえられた事になる。合計で200億である。
20㌫以上?の売上げがいっきょに奪われたことになる。

 一番の影響を受けるのが、勝ち組のジャスコと、スーパー原信と、HC(ホームセンター)の
コメリとムサシである。中越地区が無店地帯であったことが、これで証明された。
流通は車社会になって、いちだんと競争が激しくなった。確かに今の私の商売は厳しいが、
流通の厳しさからみれば全く軽い。ただ真綿で首絞めのところもあるが?!
 といって、このディスカウントが本物かというと、5~10年スパンで終わりで
あることも間違いはない。それにしても圧倒的な廉さには驚いた。

http://www.palge.com/news/h15/5/plant20030509.htm

以前書いた流通関係の文章をコピーする。
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797, 流通業界よりみた時代の変化ー - 2003年06月10日(火)

流通業界の事は度々書いているが、10年前の状態と今を比べると段差に
驚かされる。
ー10年前は、
ダイエー中内功は、まだ他の会社の建て直しをしていた。
西武グループ堤清二もバブルの後始末に入ったところであった。
・マイカルーニチイも創業者の一人小林某が、マイカルシティーとかいう、
 アメニティーなど入れた複合の施設をつくっていた。
・長崎屋も駅前型から郊外にその重点を移そうと必死であった。
ヤオハンは香港に本部を置き中国に出店を始めていた。
・ソゴウも大型店を破竹の勢いで出店していた。
 
 その全てが潰れてしまったか解体である!
時代の変化の激しさを痛感する。
すべて多角化によるエネルギーの分散による競争力の低下で自滅したパターンである。
当時チェーンストアのコンサルタント渥美俊一は現状に近くなる事を予言していた。

今だに元気のよいのが、イトーヨーカ堂ジャスコである。
それと十数年前に一時潰れそうになったユニーである。
今後10年後はどうなっているか?というと、想像すらつかないのが流通の世界である。
もっとも日本そのものがどうなっているのかも想像を絶するが!
経済的大変動に90㌫以上は襲われているはずだ。
愚民の選んだ自民党と官僚の利権維持の為である。
それとアメリカの毒饅頭をタップリ食べさせられたことも背後にある。

若い人は本当に大変だと思う。
大激動時代を生きていかなくてはならないからだ。
話しをもとに戻すと、この情報革命とそれによるグローバル化により
想像もできない流通形態になっいるだろう。
ビジネスの宿泊が3分に1に僅か2~3年で激減する時代である。
当面始まるのが東京周辺の百貨店の淘汰である。
高島屋、東急、松坂屋とか株価欄を見ればいくらでも候補がある。
まだ高島屋みたいに表面化してないところもあるが。
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648, 流通業界を考える - 2003年01月16日(木)

実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。
一般小売店と地方百貨店はほぼ壊滅。その流れが都心の百貨店にきている。
そごう百貨店の倒産、西武流通グループの解体と西武百貨店の再生法。
東急もしかり。三越の不祥事の連続の事態。
これからは高島屋の隠れた問題が吹き出るはずである。

百貨店といっても、その実体は不動産業でしかない。
問屋とアパレル業やメーカーの場所貸しでしかない。
それに優勝劣敗の管理を加えている位だ。
当然、スーパーや大手専門チェーンに侵食される運命だった。

その勝ち組であったスーパーがおかしくなり始めた。
イカル・長崎屋・九州の覇者の壽屋ヤオハンの倒産である。
ダイエーは解体過程、西武流通グループは完全解体、西友外資
買収された。原因は多角化の失敗である。
アメリカのNO・1であったスーパーのKマートが去年倒産したが、
これはシアーズの生活総合業の真似によるエネルギーの分散の為である。

ダイエーは、野球やリクルートとホテルなどの多角化が本体のエネルギーを
そぎ落としてしまった。他もそうだっだ。
勝ち組と見られるヨーカ堂ジャスコは売り上げ経費率が25~28㌫も
あり、近々大量出店を見込まれるウォールマートの16㌫の2倍近い。
10年後の流通図が、この数字に全て暗示されている。
この2つが合併しても16㌫にそぎ落とす事は無理だ。

傍で見ている分には面白いが、これから始まる大競争時代を象徴している。
解体と再統合の繰り返しの始まりだ。

これは今の銀行の先行を明確に現しいている。
地銀以下レベルは40年前の日本の流通業に酷似している。
どう収れんされていくのか? 今年からその再編成が始まる。
これは日本の根底の再編成になる。
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516,デフレと流通大乱 - 2002年09月11日(水)

夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。
店内を3~40分歩いて帰ってくると、1時間の散歩コースに
丁度よいからだ。クーラーもきいているし面白いし。

それにしてもお客が少ない。
商品はそんなに悪くはない。ただこれはという商品は
ヨーカ堂と比べると少ない。
ニーズ商品は悪くはないが、ホット商品が少ない。
でも安いし、面白い事は確かだ。

家内もダイエーヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。
それにしても消費物価が信じられないくらい安いのに驚く。
300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。

これでは洗濯屋が悪くなるはずである、洗濯代の方が高くつくのだ。
誰もわかっていることだ。

「バーミアン」というスカイラークが展開を始めた中華料理屋も、
ここに来てやっと本物になり始めてきた。
イタリヤ料理の「サエゼリア」の価値に近づいている。

とにかく安い、味はまあまあだが価値は充分感じる。
チェーン店評論家?として、この2つと、マクドナルド、家具のニトリ
ユニクロ無印良品、100円ショップ、しまむら、吉野屋、
居酒屋の一部に、日本にも本物が出始めてきた。
デフレに強い業態で、ロアーポピュラープライス専門店グループだ。

それにしても大手GMSのチェーンの盛衰が凄い。
・西武流通、ダイエーグループの実質解体。
・長崎屋、マイカルーニチイ、ヤオハン、九州最大の寿やの倒産。百貨店だが,そごうの倒産。

総合店が苦戦している構造になっている。本来GMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア)
は専門部門を束ねたものであるはずだが、組織がそれについていけないのだろう。

アメリカでは、10年前の雄であったK-マートが倒産。今はウオールマートの時代だ。
西武流通グループから西友を買い取って日本に乗り込んでくる。

ジャスコとイトーヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない相手だ。ジャスコは、
この3年間荒利をこのままにして人件費を20㌫減らすという。正社員は3年間殆んど入れないという。
それも可能かどうか???実際は不可のはずだが??

ところが下げたとしても、20㌫以上人件費の比率がウオールマートより高いという。
創業者の元会長が「あと3年で準備ができないときはジャスコも危ない」と、警告を発している。

流通は渦中でなく、横でウオッチングしていると面白いが、渦中で働く人は阿修羅の世界だろう。
デフレが更にこれに拍車をかけているからだ。時代の変わり目だ!!
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575, つれづれに学生時代のこと ー2  
2002年11月09日(土)

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、
これからの午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。午後はその時に
見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。「コペルニクス的視点の大逆転、
『人生に何を求めるのでなく、人生が何を求めているか』の追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を余白でなく、新しいページの
書き込みの過程として捉えると解る。その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要ということだ。
その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。別に難しい事をいっていない。
両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。