* ウィトゲンシュタインの『論理哲学考』
                        ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  ー まずは、以下の箇所である。
【 オックスフォードでは、しきりとこの本(『論理哲学論考)が参照されいたけれど、学生は読むように勧められていなかった。
これを理解するには、論理学の技術に習熟する必要があったからである。・・・ 私はこの本に取り組む準備はできていると感じた。 
おそらく、このような本だと知ったときほど驚いたことは、あとにも先にもないのではないだろうか。
オックスフォードでは『論理哲学論考』は常に論理実証主義の基礎をなす文献として挙げられていた。
ところがきちんと読んでみると、その中心テーマは論理実証主義のほぽ対極にあったのである。
 論理実証主義者は、世界に関するあらゆる真理探究を科学に同化させる傾向があり、その結果として、科学を律する基準によって
すべての真理探究活動を判断し、科学的発言に適用されるルールによってすべての発言の妥当性を判断した。 観察か経験によって
立証されるものしか、世界について知ることはできないのであり、確実な論拠を提出できるものしか、有効に、もしくは正当に
語ることはできない。だが重要な事柄はすべて、少なくとも原理上は語ることができるはずである。そして曲がりなりにも語ることが
できるものは、明確に語りうるだろう。『論理哲学論考』は、こうしたこととは正反対に、きわめて重要なもののほとんどはまったく
語ることができず、言葉を使ってもせいぜい示すことができるだけだと言いきっていた。 それは示されうるとしても、語ることは
できないのだ、と。 また、「論理哲学諭考』は科学をあまり評価していなかった。 命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、
すなわち事実と論理にかわる事柄を表現する場合にかぎられる。それ以外の分野では、役に立つというよりむしろ誤解を招きやすいので、
有益というよりむしろ有害となりやすい。このため、私たちにとってきわめて重大な意味をもつ問題はどれもその範囲の外にあることになる。
倫理・道徳・価値観に関する疑問・人生の意味に関する疑問、自我や死の本質に関する疑問、全体としての世界の存在に関する疑問は、
観察にも論理にも解決できない。したがって命題言語が扱えるものではなく、強引に命題言語で処理しようとすれば、行き詰る結果となる。】
▼《『論理哲学論考』は、きわめて重要なもののほとんどはまったく語ることができず、言葉を使ってもせいぜい示すことができるだけだ
  と言いきっていた。それは示されうるとしても、語ることはできないのだ、と。また『論理哲学諭考』は科学をあまり評価していなかった。
  命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、すなわち事実と論理にかわる事柄を表現する場合にかぎられる。それ以外の分野では、
  役に立つというよりむしろ誤解を招きやすいので、有益というよりむしろ有害となりやすい。》 上記の中で、この部分は、非常に
  シビアであり、したり顔で小理屈を述べている学者風の人を一言で切り捨てている。これは哲学の否定でもある。語りえないことを、
  哲学は求めていることになる。論理実証主義者と言語哲学者たちが、この『論理哲学考』をまったく誤解していたことになる。
*「考えられるもの」の範囲を定める。 *語りえないものには沈黙を *言語は「写像形式」によって世界につながっている。
  言語はものや出来事を写し取って名前をつけたもの *言語が対象に意味を持たせる=言語ゲームの始まり、である。
  「言語が語れることだけが思考できる範囲」と彼は言うが、私として、「解釈できる範囲が思考できる範囲」であって欲しいが。
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3456, 渥美俊一氏死去 −2
 2010年09月11日(土)
 一回の追悼文で終わる予定だったが、何か言い足りないので更に書く。
7月21日に亡くなったが、どういう訳か死亡記事を見過ごしてしまった。知人に聞くと日経新聞に小さく載っていたという。
氏の業績から言えば、より大きく取り扱われてよいのだが、既に時代が変ってしまったか? 所詮はスーパーの神様でしかないのか。
早くいえば、流通先進国アメリカをウォッチング、そっくり真似をし、日本の遅れている流通経路に新しいバイパスを創りなさい、
ということである。「大量生産、大量消費の間に、大量流通の仕組みつくりを、それぞれの立場で、新業態をつくること、
それをロマンとして志すべし」は、高度成長期には正しいことであった。その時期、ジャスコや、いとはん(その後、北陸ジャスコ
に勤めていたので、濁流の渦で色いろな現象を目の当たりに見てきた。そしてバブル崩壊。以降、今度は激しい生存競争に晒される。
その中で、長崎屋、マイカル、ダイエー、西武流通グループなどが次々と姿を消していった。 大手で残ったのがジャスコ=イオン、
ヨーカ堂だけになってしまった。 その二社も最近、変調をきたしてきている。ジャスコは、大型の郊外型SCの過大投資が重荷に
なって経営を圧迫。 ヨーカ堂も旧態のGMSの整理が遅れている。コンビニのセブン・イレブンが親会社のアメリカ本社を逆買収、
それで何とか、息をついている始末。 悪いことに西武百貨店・ソゴウをグループで買収したことも、大きな問題に発展するだろう。
 そうこうあり、ペガサスの会員企業も三分の二に減ってしまっていた。 今後5年〜10年スパンで、情報化の浸透で、ネットが
流通業の根底からの破壊が劇的に進むと見られる。中抜きの一番のターゲットが、大型店舗になるからだ。
その一つの事例がアマゾンである。私自身の書籍の購買の三分の二がアマゾンになっている。音楽も、ネット販売が主流になっている。
それらの変化を、氏は理解できなかっただろう。 ネット販売が、コンビニや、百貨店の売り上げ総額を上回った事実を氏は、
如何のように見ていたのだろうか。 それにしてもセミナーでの、あの熱気ある言葉は迫力があった。
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3081, 第三の場所
 2009年09月11日(金)
 我われは家と職場だけでは息がつけないので、行きつけの居酒屋やスナックをつくり、学生時代の校友会や、
気の合った飲み友達の会などの自分の世界を広げる。その他にもスポーツクラブやゴルフの会にも参加したりする。
 それがレイ・オルデンバーグがいう「サードプレイス(第三の場所)」である。
「サードプレイス」とは 家(必要不可欠な第一の場所)と 職場(必要不可欠な第二の場所)に加え、
都市に暮らす人々にとっての「必要不可欠な第三の場所」を意味する。 オルデンバーグは「サードプレイス」の代表例として、
イギリスのパブ、フランスのカフェ等を挙げ、それらが自由でリラックスした雰囲気の対話を促進し、都市生活における良好な
人間関係を産み出す重要な空間であるとする。 その特徴を「インフォーマルでパブリックな営み」を促進する場としている。
インフォーマルとは社会的立場を脇に置くことであり、パブリックとは仲間がいて協調する場をいう。 
第三の場は、年齢とか趣味で個々の組み合わせが変わってくる。
 私のベースは、居酒屋・スナック+秘・異郷旅行+図書館・読書+早朝のウォーキング+新幹線通勤の車中などである。
誰もそうだろうが、私も学生時代から現在まで、第三の場所を直ぐに創る習性があった。 家が商売をしていて大家族だったこともあり、
自分の世界を創るしかなかったのである。但し中・高校時は、その余裕は全く無かったが、その分、大学時代に一挙に爆発したようだ。 
ところで8年前にパソコンを始めて、HPを開いてからネットが第三の場所の一つに加えられた。 もしかしたら第四の場所? 
いや、第三の場所か??。 サルトルは、その一つとしてパリのカフェの一角で多くの友人とサークルを作り、オープンな議論をした。
 そうこう考えていたら、人生でみると学生時代が第三の場所だったような気がする。第一の場が両親の影響下の家庭、第二の場が自立後、
そして第三の場が中間の学生時代である。だから現在でも学生時代の友人と会いたくなるのである。学生という身分でスポーツやゼミなどで
日本中から集まった人たちと、酒を飲み、議論をし、旅行などをした。第三の場所に父親に頭を押さえつけられた二世・三世が逃避している
ケースが多く見られる。青年会議所、ライオンズなどである。こういう時期に人間関係を形成する機会という見方もあるから否定は出来ないが、
要は第一・第二・第三のバランス。 場所といえば、時間にも「第三の時間」という言葉が成り立つ。「第三の場所で過ごす時間」である。
 時間と空間と具体的な内容ーTPOの問題と、それを受け止める心(立場)の問題が出てくる。
で、「第四の場所」を想定すると? 「絶対孤独の場」それとも「何かに夢中になっている場」か「忘我の読書」?
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2716, 東京について
 2008年09月11日(木)
家内は東京大好き人間。 私は好きではないが、少なくとも住みたいとは思わない。大都会は確かに情報が集まり、面白いかもしれないが、
何か豊かさの方向を間違ってしまったように思える。私は日本の中央の東京の反対側の日本海の都市で、職は新潟市、住いが長岡市である。
のんびりしているが四季の変化が激しく、地方特有の時間がユックリ流れている。そこには色いろな人生を、活き活きと生きている人が多い。
また夜になれば、そそくさと家に帰り、家人とノンビリと過ごせる。私が千葉で事業を始めて二年後、家の事情で実家のある長岡に帰ろうと
決意した時のこと、仕事上で知り合った友人がいった一言 「何で、その歳で都落ちをするの?」である。その人は、やはり私の故郷の
近くの出身者である。 Uターンを都落ちという言葉に驚いた。あの雑踏の、ビルや車だらけの無機物の塊の、何処がよいのか?
という見方は地方から見た感想になる。それぞれの生きてきた過程もあるから一概には±を軽々しくは言えないが。
長男が、半年前に帰省してきて最近勤め始めた。 そして、Uターンの人を評して曰く、「あの人は○○という会社の落ち武者」
自分を落ち武者と思っているから、いうのだろうが、落ち武者とはそれなりの仕事を成し遂げた武士だろう?と。
都会礼賛が何処かにあるからだろう。 確かに、お金と能力があり、長年住み慣れれば、大都会も良いのかもしれない。
学生時代を含めると首都圏に8年居たが、都会だから良いというより、青年期に都会に居たのが良かっただけ。
(字数制限のためカット 2010年9月11日)
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2007年09月11日(火)
 2352.ベナレス・・・8
  6、輪廻と解脱の思想
 輪廻と解脱という考えは、ウパニシヤッド聖典(奥義書)の中に最初に現れた思想である。
過去の善悪の業(もともとの意味は行為)が現在の果報を生じ、現在の業が未来の果報を招くというように、われわれの生死は
繰り返し続いていく。古代の思想家の大半は、このような輪廻の世界に存在すること自体を苦であると考え、いかにして
輪廻の束縛から解放されるか、すなわち解脱できるかを最大の問題とした。彼らにとつて解脱とは、自我の本質とされる
アートマン(我)が宇宙を成り立たせている根本原理、すなわち万有に遍在する力であるブラフマン(梵)に合一することである。
しかし、庶民一般にとつてはこのような思想はいささか難しく、普通は死後天界におもむくことと考えられている。
現在の生が過去の生の結果であるという考え方は一見宿命論的に思えるが、輪廻の大海で生死を繰り返すのも、またその連鎖を
断ち切つて解脱を獲得するのもすべては自己の行為にもとついている。いわば執看を離れた努力主義精進主義こそが、
ヒンドゥー教徒にとっての理想的な行動原理となつている。解脱は日々の正しい行いの蓄積によつてこそ達成さる。
ーー
輪廻と解脱。まあ、解りやすい因果応報の内容である。この位の制約をつけておかないと、
征服者の支配はインド大陸の中では不可能なのだろう。宗教による縛りとは考えたものである。
これで3000年支配してきたのだから、奇跡といえば奇跡である。 
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2006年09月11日(月)
1987, デジタル一眼レフカメラ−1           おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
 ー字数制限のためカット09年09月11日ー
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2005年09月11日(日)
1622, 戦略的思考について
「戦略」については、書いたことがあったが。不況の真っ只中に、それに対して戦略的な手をうってきたのかというと、問題がある現在?
あまり偉そうなことも書けないが。まあ、いいだろう!理屈は理屈である。 戦略的思考とは、「自分に対する質問と、その答え」であり、
その飽くなき繰り返しの中での練り上げのプロセスをいう。質問に、その大きな要素が含まれている。
ー私の手帳に「戦略的質問」がポストイットに書いて貼ってある。(どの本から書き抜いたか憶えていないがドラッガー?)
・現在おかれている事態は何だろうか?        -What
・それは何故そうなったのですか?         −Why
・現在うっている手は、本当によいのだろうか?
・そのためには何故を何回質問しましたか?     ー最低5回繰り返しまたか?
・それは、『自分の強み』を生かしたものですか?  −その自分の強みとは何ですか?
・今後、どうなっていくのですか?
以上であるが、なかなか良い含蓄のある内容である。貼ってから、自分で自問自答したかといえば、ほぼしていないが。
「自分のおかれている事態は何だろう?」という質問を考えてみると、全てに、根本問題が噴出してくる。
この歳になれば、誰も似たりよったりだろうが。そして、この問題の答えがそう簡単に見つかるわけがない。
問題に対して『正中心一点無』なって自問自答を、し続けるしかない。       ーつづく
以前書いた『戦略について』をコピーしておきます。
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「戦略について 」
ー少し難しい問題を定義してみる しかし一番大事な問題である。
・時代の流れを認識して  ・限定された資源を
・自己の強みを認識して  ・集中して投下を決めるー選択
その為に
・戦略を良質な情報に触れて、じっくり考える事。
 決済、権限を委譲する事。
・戦略を考える基本は他人と違う事,自己の強みに集中する事。。
・旧習を壊す事  ・戦略を考えることに集中する事。 ・ひたすら、1人で考える事。
戦略とは  −キーワード
・長期的ー継続し続ける     ・革新的−革新の継続
・集中的ー革新ポイントへ集中し ・統合的ー集中のために要素を揃える
ペガサスクラブの4C主義も同じ
 チャンス     ー機会の開発
 チャレンジ    ー挑戦
 コンペテテーションー闘い
 チェンジ     −変化し続ける
その為には
 4S主義をとる
 スペシャリゼーション  −特殊化
 シンプリフィケーション −単純化
 スタンダデゼーション  ー標準化
 セグメンテーション   ー限定化
人生もまったく同じである。
・自分の持っている材料から、自分の課題とチャンスをさがす。
・その中から課題と最重要な重点課題を見つける
・そこより戦略を構築ー自動的に戦術を具体的に見つける
・実施をするー習慣化をする。
・継続して執拗に   この結果がライフワークの構築となる。
 今朝家内から聞いた話、
−自分の知人の知り合いが定年になり、家にいるが何もしないという。
 犬の散歩とTVゲーム以外に。 私の答えーその人実は何もできないんじゃないか? 
 家内ー実は私も同じ意見なの。私ー指示待ちで、誰も指示してくれないだけじゃないか?   
私ならー年単位、月単位、週単位、日単位で日程を立てる。中心は週単位を最重要にする。
その計画に考えて考えて考え抜く。これが戦略である。その為に本屋と図書館に通う。
時には東京の神田の本屋を回る。そしてパソコン教室に行き、インターネットのやり方と
ホームページの作り方を勉強する。幾らでもあるが。まあいいか、人は人の生き方があるだろうから。
理屈の割りに大した人生でなかった?そういえばそうだ!
・・・・・・・
2004年09月11日(土)
 1257, オーストリア旅行記ー4
ーパプスブルク家の人たちのことを書いてみる。
パプルブルク家は、オーストリアを統治した640年の間、多くの人たちで
時代時代を彩った。日本の徳川幕府の二倍の間、よく続いたものだ。
主な名前をあげてみると
・パプスブルク家の基礎を固めた「ルドルフ1世」−13世紀
プラハの王城で閉塞して芸術を愛でた「ルドルフ2世」−16世紀半ば
・近代オーストリアの基礎を作った辣腕女帝の「マリア・テレジア」−18世半ば
・実質最後の皇帝「フランツ・ヨーゼフ1世」
・ヨーゼフ皇帝の皇后で、悲劇と美貌の伝説をうんだ「エリザベート」 などをあげる事ができるが、
 マリー・アントワネットの母のマリア・テレジアと、エリザベートをあげてみる。
ーまずは、エリザべート。
19世紀の欧州で最も美しいと称えられ、「シシィ」の愛称でも知られた。
彼女のことをロシアの提督は「すべての士官は老いも若きも皆、エリザベートに恋をしてしまった。
比類なき美しさと、近寄りがたい品格を持ち、いかなる時も皇妃としての威厳を備えている」と述べたという。
彼女はたとえ礼儀作法を習わなくとも、品格を生まれつきもっていた。
エリーザ・ベトは子供の頃から、芸術に関心を持ち、絵画や語学、作詞などに才能をしめした。
しかし誰もが羨むような皇妃として生活は、幸せではなかった。愛する子供達は、生まれると同時に姑である
大公妃ゾフィに取りあがられ、一日に一時間、監視付にしか会わせてもらえなかった。
そして、その姑の溝はますます大きくなり、自分の中に閉じこもるようになり、乗馬や作詞などにのめり込んでいった。
その中で、彼女がとりわけ愛したのは旅であった。彼女は自分の美をも深く愛し時には栄養失調になるほど食事制限をした。
そのような生活の中に、突然不幸がおこった。息子の皇太子のルドルフが若き男爵令嬢と心中事件をおこして、
自らの命を絶ってしまった。この時から、彼女は公式の時だけでなく、常に喪服を着るようになる。
そして、あてども無い旅がより頻繁になる。しかし62歳になった年に、彼女はあっさり暗殺されて劇的な生涯が閉じられてしまう。
王宮には二人のヨーゼフ1世とエリザベート肖像画が大サロンに飾られてあった。そこは永遠な二人の魂が漂っているようであった。
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2003年09月11日(木)
 890, バックナンバー 4
 最近の傾向として、読書日記と映画日記が多く占めるようになっている。
ネタがなくなると、図書館や本屋で「何か読書日記として書くに適当な本」を探している自分に気が付くことが度々。
 一瞬で消え去る考えや気持ちを( ..)φメモにする習慣を身に付けた効果も大きい。
旅行先で撮る写真に似ている。またバックナンバーのテーマを見ているだけで、内容の80?を思い出す。
  ー字数制限のためカット09年09月11日ー
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2002年09月11日(水)
 516,デフレと流通大乱
夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。店内を3〜40分歩いて帰ってくると、1時間の散歩コースに丁度よい。
クーラーもきいているし面白いし。それにしてもお客が少ない。商品はそんなに悪くはない。
ただこれはという商品はヨーカ堂と比べると少ない。ニーズ商品は悪くはないが、ホット商品が少ない。
でも安いし、面白い事は確かだ。家内もダイエーヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。
それにしても消費物価が信じられないくらい安いのに驚く。300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。
これでは洗濯屋が悪くなるはずである、洗濯代の方が高くつくのだ。 誰もわかっていることだ。
「バーミアン」というスカイラークが展開を始めた中華料理屋も、ここに来てやっと本物になり始めてきた。
イタリヤ料理の「サエゼリア」の価値に近づいている。 とにかく安い、味はまあまあだが価値は充分感じる。 
チェーン店評論家?として、この2つと、マクドナルド、家具のニトリユニクロ無印良品、100円ショップ、
しまむら、吉野屋、居酒屋の一部に、日本にも本物が出始めてきた。デフレに強い業態で、
ロアーポピュラープライス専門店グループだ。それにしても大手GMSのチェーンの盛衰が凄い。
・西武流通、ダイエーグループの実質解体。
・長崎屋、マイカルーニチイ、ヤオハン、九州最大の寿やの倒産。
・百貨店だが,そごうの倒産。
総合店が苦戦している構造になっている。本来GMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア)
は専門部門を束ねたものであるはずだが、組織がそれについていけないのだろう。
アメリカでは、10年前の雄であったK−マートが倒産。今はウオールマートの時代だ。西武流通グループから
西友を買い取って日本に乗り込んでくる。ジャスコとイトーヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない相手だ。
ジャスコは、この3年間荒利をこのままにして人件費を20?減らすという。
正社員は3年間殆んど入れないという。それも可能かどうか???実際は不可のはずだが??
ところが下げたとしても、20?以上人件費の比率がウォールマートより高いという。
創業者の元会長が「あと3年で準備ができないときはジャスコも危ない」と、警告を発している。
流通は渦中でなく、横でウオッチングしていると面白いが、渦中で働く人は阿修羅の世界だろう。
デフレが更にこれに拍車をかけているからだ。 時代の変わり目だ!!
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2001年09月11日(火)
 [141] (日本的)カースト制度−3
まず地方のカースト制をさらに書く! 地方の平均的なプチブルをみてみると、資産が大体5億が目安。
老舗が10億が上クラスの老舗企業。個人の年収が2000〜3000万。会社も3000〜一億あたり。
この辺りが地方カーストの上部になる。それも7〜8年つづけているかが基準となるそこに地銀の頭取を頂点としているのが面白い。
お医者さんに、坊主に校長先生。会計士に弁護士、後はどうでもいい。母が面白い話を聞いた。嫁に来た時に父に聞いたそうだ。
母「この家は金持ちなの?」 父「う〜ん’7万ある。」その時代の長岡の基準で5万が金持ちだったそうだ。72年前の話だ。
1万倍か5000倍かというところか。そうするとやはりそんなとこか。話を元に戻す。日本の官僚とその体制の官僚社会主義者の崩壊の話。
その大本が大蔵省、その次が外務省その次が通産とか。大蔵官僚が今までの日本的社会主義体制の大要。
先日書いた長期国策銀行ー日本勧業銀行、潰れた長期信用銀行を頂点とした銀行ピラミッドができている。
都銀、地方銀行第二地銀、あとは信金ーとつずく。テリー伊藤が革命的な本書いた。「大蔵に検察は手を入れることができない。
予算を減らされるから。」検察はカースト制度を当然と信じていた。しかしよくみたら犯罪の巣窟であった。それが先年の大蔵官僚の大量逮捕。 
そして今外務官僚に対象が移った。ほとんどが内部告発である。さすが外務、キャリアは捕まってない。
いまは情報機器が発達している。精巧なカメラやパソコンで直ぐに検察マスコミに送られてしまう。
ソ連社会主義崩壊と一緒だ。あれは情報手段を一般大衆が手に入れたため始まった。これからますます混乱は当分続く。