つれづれに

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 今日のYoutube
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=恐山
http://www.youtube.com/watch?v=PTzgWvq8G0g&feature=player_embedded

30年前に行ったとき、丁度、雨が降りかけていて、色々な遺物が彼方此方にかざられており、
カラスが多くまっていた。何か背筋が寒くなったことを憶えている。山鳴りが聞こえてきて、
地獄絵の中に迷い込んだような気持ちになった。硫黄とゴミの臭いと、カラスの鳴き声、そして、
イタコと暗い顔をした人たち。 写真で見ると、遺物は一切置かれていない。三途の川のイメージそのもの。

    zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
 * 南直哉 恐山菩提寺院代の話

昨夜の18日、BSフジ・プライムニュースに恐山菩提寺の南直哉(じきさい)院代が2時間近く出演し、
「生きる」ということ、「死」について、説いていた。最近、「恐山」出版されたようだ。
東北震災で家族を亡くされた人が多く訪れてくるというが、行方不明の場合、縋る思いで恐山に救いを求めるのは分かる。
院代とキャスターの問答の中で多くの鋭い指摘があった。 
・恐山は感情の器。 ・死は観念、生は感覚。 ・「やりすごす」ことの重要性。(なんとかやっていける方法がくるまで待つこと) 
・人間には存在が認められた経験が必要。最初の動力になる。 子供の頃に、その基盤を両親がつくるが、それが壊れてしまっている。
・自殺は選択の問題。まず生きることを選択すること。転んでも起き上がることが大事、
 自殺したくならないような人生は本来の人生でない。
・あの世があるか?の質問に対し、「その前提に、死後の世界がある、という認識がある。」その前提は何か?と逆に問う。
・最近さかんに「心の時代」というが、どんな時代にも、その時代を生きた人には心があったのであって、いまさら、この時代だけを
「心の時代」と言うのか?「心の時代」と声高にいう人たちは、そう言うことで、「心の時代」という商品を作っているではないか?
 等々だが、訪問者が色いろの遺物を持ち込んでくる。その中に花嫁姿の人形が年に十数持ち込まれる。
10年もすれば百以上になるが、捨てるに捨てられないという。毎年、その人形に拝みに家族がいるからだ。
その花嫁人形も、特注のものばかり。院代の話の奥行は深い。 東北大震災で奥さんがお産のため実家に帰っていて、
亡くなられたヤンキーっぽい若い人の話が、涙を誘う。ただ独りで来たが、哀しみが感じられなかったという。
哀しむまで心が追いついてないのだ。本当の悲しみは時間とともにやってくる。 あっという間の二時間だった。
 それにしても30年近く前に行った恐山は、強烈な印象である。山鳴りと、硫黄の臭いと、
老人の多く入っていた硫黄風呂。それとあちこちに置かれていた遺品。そして、イタコと涙ながらに話している人たち。
目の前に広がる小さな湖。哀しみの感情の器である。