「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)  
 
 以下の人たちの哲学を一通り理解し、ダイジェスト的に説明出来れば一応、哲学の歴史の一端を理解出来たことになる。
 対象が哲学の初心者に向けられているので、門前の小僧にとってシンプルで分かりやすい。
  ーはじめにーより
≪  本書に登場する哲学者と、哲学史上の位置づけは、以下のとおりである。
  ①哲学は、ソクラテスからはじまる。
  ②近代西洋社会を支えたのは、デカルト、カント、へーゲルの哲学である。
  ③根本的な近代批判を展開したのは、マルクスフロイト、二ーチェである。
  ④二〇世紀の哲学を構築し直したのは、フッサールベルクソンウィトゲンシュタインである。
  ⑤二〇世紀の哲学を反転させたのは、スピノザハイデガーメルローーポンティである。
   ※スピノザは一七世紀の人間であるが、影響という意味でここに配置されている。
  ⑥二〇世紀哲学は、実存主義構造主義の対立、つまりサルトルと、ソシュール、レヴィストロースの対立に代表される。
  ⑦二一世紀の哲学は、フーコーデリダドゥルーズからはじまる。
  一般的な哲学入門書と似たような構成をとっているが、確固たる哲学の教義体系に必ずしも沿ってはおらず、「近代」以前の哲学や
 西洋以外の哲学についてもあまり言及していない。また、哲学の知識や技術を伝授するような目的で書かれたものでもない。
 ここで言う「哲学」とは、今生きている私たちの「常識」的な考えの「見直し」。「常識」を「否定」「非難」しているわけではない。
 あくまでも「見直し」は、哲学で言うところの「批判」である。その結果、あなたがこれまでの「常識」と違った考え方を
 持てるようになったならば、本書の目的は達成されたことになる。もちろん、「常識」も大事である。
 鵜呑みにするのがよくないだけである。いろいろと考えた末に、「常識」的な考えに立ち戻ってもかまわない。 
 「常識」以外にも別の視座を持ち、力強く二一世紀を生き抜けるよう、願ってやまない。  ≫
 ▼ この近代哲学の区分けも分かりやすい。著者は、常識的考えの「見直し」という点を強調しているが、哲学は本来そういうこと。
   共通するのは、あくまで入門書のため。現在ギリシャが経済を含め破綻しているが、欧米の行き詰まりの象徴である
   ギリシャ哲学の行き着いた果て。人間の心の奥には不安、悩みが常に沸きあがっている。目先の安易の解決を図ろうとせず、
   一度、世間的常識から手を切ることだ。勝手なエゴイズムにならないようにしながら、考え抜いて肯定的に生きるべきである。
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3707, ジャズについて −5
2011年05月20日(金)
       ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 ジャズといえば、日本人の私にとって、「アルカポネがいた20世紀初めの大都会の下町の酒場で、マフィアとか、
チンピラの屯している中で、数人の演奏者が奏でている曲」というイメージがある。 実際に、ジャズの歴史に残る巨人たちは、
そこから名をなすことになる。以下の三人も、ジャズに興味が薄い私でも知っている名前である。
  * "不良の巣窟"に生まれたホーキンス、レスター・ヤングカウント・ベイシー
【 p・189ー アメリカ中西部のミズーリ州カンザス・シティ、まさに‘不良の巣窟’だった街に目を移してみよう。
アメリカでは二〇年から三三年までは禁酒法の時代だった。禁酒法はかえってアル・カポネに代表されるギャングを生む土壌をつくった。
カンザス・シティは、こうしたギャングたちが経営する密造酒場やダンスホールが栄えた街で、ジャズもまたそうした場所を
賑わせることになる。カンザス.シティのジャズを代表するのが、コールマン・ホーキンス(一九〇四〜一九六九)とレスター・ヤング
(一九〇九〜一九五九)という、スタイルがまったく対照的だったテナーサックス奏者の二大元祖だろう。ホーキゾスは、アップテンポの
曲では豪快に荒々しく、バラードでは甘く柔らかく、低音域から高音域まで緩急自在なトーン・コントロールで、サックスを単なる
伴奏楽器からソロをとれる楽器へと押し上げた。 三〇〜四〇年代のニューヨークでは、たいていのテナー奏者がホーキンスを手本とした。
 一方、レスター・ヤングは、同時代人としてホーキンスの色に染まらなかったところに、その独自性がある。
彼はニューオリンズ、メンフィス、ミネアポリスと渡り歩いて・カンザス.シティのカウント.ベイシー楽団で頭角を現わす。
そのテナーサックスは、ホーキンスのリズミカルな力強さよりも、まろやかでメロディアスなフレージングを特徴とした。
二人ともスウィング・ジャズ時代に全盛期を迎えたが、のちのビバップ時代のアーティストとも共演している。
ホーキンスのテナーは、スウィングの衰退後しばらく鳴りをひそめていたものの、五〇年代後半、ジャズの復古ブームとともに蘇り、
力強い豪快なトーンの健在ぶりを示してビバップ派を驚かせた。しかし晩年は深酒に溺れ、栄養失調による餓死同然の状態で最期を迎える。
 レスター・ヤングはシンガーのビリー・ホリデイ(一九一五〜一九五九)との共演でも知られ・ビバップ時代以降は、スタン・ゲッツ
はじめとするクール派の白人アーティストの間に熱狂的な信奉者を生んだ。彼は軍隊生活で人種差別にあったことなどから
その神経を病み、やはり酒とドラッグの助けを借りることが多くなって、晩年のセッションはしばしば深い憂馨をたたえたものになる。、
 カンザス・シティのジャズといえば、なんといっても、カウント.ベイシー(一九〇四〜一九八四年)と彼の楽団を抜きにして語れない。
カンザス・シティ。そのカンザス・シティを拠点に活躍していたカウント.ベイシーも、のちに楽団を率いてこユーヨークに進出する。
エリントンとベイシー。期せずしてビッグ・バンドの両雄がニューヨークで相対し、人気を二分する。いや、三十年代に入って
禁酒法が廃止されると、カンザス。シティの歓楽街の灯も消え、そこを拠点にしていた他の腕こきジャズメンも相次いで、この街をさり、
ニューヨークへと向かうことになる。以後、ジャズの中心地はニューヨークになっていく。 】
▼当時の黒人はスポーツかジャズマン位しか名をなす機会がない世界。そこで名をなすのは至難の技の筈。その曲に魂が入っていて当然。
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3342, 医師と看護婦の危ない関係
 2010年05月20日(木)
 いまさらの話だが、医師と看護婦の危ない関係が表面化してしまった。下世話の話だが、何処かの同級会で
「あの何某、医師になって順調に出世しているが、彼の話だと看護婦は、○○放題?だと!」。
酒席で酔っ払っているので、言っている方も、聞いている方も、ほぼデマ?として本当とは思ってないが、「そういうこともあるんだ?」
と、半信半疑で聞いたことがある。看護婦の立場からみれば、医師にみそめられるのが理想系だが、医師の立場からすれば、同じ医師か、
その世界の娘と結婚をするか、医師のネームバリュー?で自分より格上の家の娘を対象にする。したがって看護婦は浮気相手に
丁度良いが、結婚となると躊躇をするのである。病院といえば激務の閉ざされた世界。そこには医師の序列があり、その下に看護婦の序列、
そして事務系の序列がありで、歴然とした階級世界である。 それを小説にした山崎豊子の「白い巨塔」がある。
映画化をされて話題をさらったが・・。 そこは閉鎖された社会であり、医師とはいえ、医者○○?の技術者。 
それと看護師の織り成す話なら日本中、話題は尽きない。が、どういうわけか、表面化が少ないのは、どういうことだろうか?
そういえば、米国のTVドラマのシリーズものにあるが。今回の事件、まさに小説のようである。あらゆる要素が、この事件の中にある。
「妊娠していた相手の承諾を得ないで薬物を飲ませ、流産させた」というから恐ろしい話だが、看護婦の方も堕胎した遺体を保管しており、
薬物の痕跡になる証拠を残していたというから、何か異様である。それを本人が承諾していたか、いないかは内面の問題になるから、
男女関係の縺れの水掛け論の可能性がある。もしかしたら、実は女性の方の・・・という可能性も当然も論じられる。
これが表立ったことで二人の一生の致命傷になる。
 日本中のお医者さんの何割か?が、息を呑んでいるのではないか? 邪推? そうそう 面白い小話があった!
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2967,困難は分割して解決しろ!とはいうが・・
 2009年05月20日(水)
人生にしろ、事業にしても、困難が付物。 困難に突き当たったら直視するしかない。問題=困難に突き当たった時に、
まずは割れ目を探すことが第一歩。更に、的(敵)を幾つかに分割して、簡単なものから一つずつ集中して解決する。
(字数の関係でカット2,011年5月20日
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2603, 最近みる夢
2008年05月20日(火)             (p≧w≦q)オッ☆ ハ!
 最近みる夢は、ますます深遠の奥にある中心に入り込んだような内容が多い。
  一昨夜の内容といえば、
 飛行機からパラシュートで落下するが半分しか開かない。先に飛び降りた人達のパラシュートは開いているのに・・・
 そして海に落下する。そして気づくと海底の牢獄のようなところでもがいている。 ところが檻があって海面に
 出ることができない。生死の境目を漂っているようなストーリーである。 最近、図書館から借りて目を通した
「死のまぎわに見る夢」の影響だろうか。哲学書の生死の問題について読んだばかりのためだろうか。
 映画でみたダイビングのシーンの影響か。その全てだろう。夢とはその人に深く埋もれている創造性が出るというが。
 現時点の、死に対する潜在的なイメージだろう。何度も書いたが、父親が死んだあとに父のベッドで見た夢は、
 心の奥深く刻まれている。 亡くなる前の数ヶ月、父は「死にたくない」という死の恐怖と闘っていた。 
 一緒に住んでいたので、その気持ちが私には痛いほど感じていた。亡くなった数日後の深夜に、父のベッドで、
 その気持ちに乗り移ってしまい「死にたくない、死にたくない」という父の気持になったのである。 
 その夢から覚めたときに、「何だ生きているじゃないか!」という、父の感覚が乗り移って現に生きているという不思議な感覚。 
 魂が入り込んだとイメージである。 魂は不死という不思議な感覚を、その時に初めて実体験をしたのである。
 27歳時だったが、それ以来20年近く、霊能力みたいな五感以外の感覚が私の中に入りこんでしまった。
 最近は、殆ど無くなってしまったが、何時また出てくるかもしれない。夢の内容を意識的に思い出し考えると、
 不思議な世界を覗き込むようである。深い得体の知れない自己の深遠の世界をみるのである。その奥は、想像を遥かに超えた
 自分の経験の積み重ねだけでなく、何億年の生命の経験の積み重ねの記憶まで広がっているようにさえ思える。
 考えてみれば、宇宙の一点で独り彷徨っているのである。 それを真に気がつくのが死の間際だけとは・・・
 身近な不幸な死を垣間見たとき、つくづく感じるのである。群れているしか身の処し方を知らない人こそ、そうだ。・ω・)ノホナ
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2007年05月20日(日)
2238, お金の正体 ?2
  (*゜ロ゜)ノミ☆【おは?♪】         ー読書日記
ーまずは面白そうなところを幾つか抜粋して考えみよう。
P32ー  ここで不動産のイロハを言うと、
・土地、建物の値上がり率は経済成長率より低い。ロンドンでもニューヨークでも、50年~100年間の統計がそうなっている。
 その理由は固定資産税をとられるからで、経済成長率より低い分はちょうど税金額に見合っている。不動産に対する税金は逃げようがない。
・ロンドンやニューヨークで不動産で財産をつくった成功者がいるが、その人たちは大抵ユダヤ人である。
 ユダヤ人相手に売買して負けになら そうぞおやりください。
   (字数の関係でカット2,009年5月20日
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2006年05月20日(土)
1873, 「ノート術」本当の極意 ?1
    \(^▽^*)おはようございます!*^▽^)/                    
本屋の中を徘徊?をしていたら、ー日経ビジネス・アソシエー という雑誌に「ノート術」ー本当の極意 があった。 
朝刊の広告にあったものだ。7~8年前に、「天才のノート術」を分析してあるトニー・ブザンのマインドマップ方式の
ノート術を知り、これを中学校時代に知っていたら・・と、目から鱗が落ちる思いであった。
ノート術そのものが、脳の力を強化する思考技術だったのだ。このテーマ日記も一種のノートである。
最近になって、モーニング・ペイジという習慣を身に付け、これも目から鱗であった。
これらを人生の最後の直線コーナーに入って気が付いているのだから・・
いや何度か気がついていたが習慣化までいってなかった。しかし気が付かないよりは良いだろう。
随想日記の五年間書き続けたことも、自分にとって最大の収穫である。   φ(ー` )メモメモ ・・・ボキッ!!☆_/o(□`;)!!
話を元に戻すが、この本の内容は奥行きが深い。この特集では、15人のノート術を紹介しているが、
その何人かを纏めてみよう。面白いのが紙面で、そうは書いてないが、内容の濃い順に書いてある。ノート代わりに写してみる。      
  ??φ(.. ) メモメモ あっ間違えた_ロ(.. )m ケシケシ  やーめたφ( ゜゜)ノ ポイ でもなぁ ( ..)_ ヒロットコ
 最初のユニ・チャームの高原慶一郎氏の「ノートがあなたを成長させる」の要点をまとめてみよう。
・45年間に書いたノートは650冊以上。
・テーマごとに分けてノートをとっている。海外出張、コンサルティングセミナー、人生シナリオなど。
 ?大きなくくりとしては、「世界を知る」「経営の定石を体得する」「自己と組織開発」
・世間にありふれた情報や知識をノートにまとめることで、自分として根づく。
 その際に、漫然としてとるのではなく「1P6W2H」でまとめます。
 -priority ー優先順位 
 -6W=5W+whom
 -2H=how to, how much.  こうした視点で、自分の思考を瞬時にまとめる。
・ノートはコクヨのA4サイズの「キャンパスノート」に100円のボールペンで書いている。
・あらかじめ最初の数ページは目次と要点をまとめるページに割いておく。
 それぞれのページの欄外には気づきやヒラメキを書く。キーワードにはマーカーをひく。
・書いたノートは執務室の書庫に保管して、いつでもオープンにしています。
 ナレッジは共有・継続するものなので、体系的に整理して「ユニ・チャーム語録」
 としてまとめました。 それを社員手帳に収録し、全社員に配ってます。      
  (字数制限のためカット 2010年5月20日)
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2005年05月20日(金)
1508, 猛女怪女列伝ー2
藤田小女姫
美人霊能者として一世を風靡し、時の政財界の大物まで占った女性占い師である。ところが1994年、ハワイで子息と同時に
別々の場所で殺され、その真相は現在も充分明らかになってはいない。彼女は結婚後3年で離婚(1964年)、1968年には
経営していた有楽町のサウナ風呂の店が焼け従業員3名が焼死。その責任として、執行猶予つきだが有罪になっている。 
その辺りから彼女の霊能者としてのピークは過ぎた。彼女は政財界との交流が多く、野田醤油がキッコーマンに、産経新聞
サンケイ新聞に改名した背景に彼女のアドバイスがあったと言われている。またワシントン・ホテルを経営する藤田観光
名前の由来が彼女の名前にあやかって付けられたといわれている。米誌『ニューズウィーク』のインタヴューに応えて行なった予言は、
韓国の朴正熙大統領の暗殺予言が未遂であったことを除いてすべて一応的中していた。彼女が小学校の2年生の時(昭和21年)に、
ハワイから来た狐が耳元で、「コトドメヒメ」と囁いた夜を境に、「ものが聞かれると頭の中でタイプを打つような音がして
無意識のうちに言葉がヒョイヒョイでるようになった」とい。そして、その素っ頓狂な調子で予言を口はしる美少女は時の人になる。
当時の政治評論家の細川隆元も、彼女の能力を買った一人である。日米安保条約の改定案成立に、日本中が騒然となった昭和35年
時の総理の岸信介が、細川に藤田小女姫に会わせてくれと頼んできた。 この時、彼女は22歳である。
岸は、彼女に「安保は通るか通らんか」と訊いたところ、「断固とおやんなさい。通ります。そのかわり、通ったあとに、
内閣は長く持ちませんよ」と答えたという。あとで岸は「彼女がいなかったらいまの自分はなかっただろう」と呟いたという。
最後は殺害されて彼女の人生の幕が閉められたが、自分のこと以外は、彼女には霊感があったようだ。
しかし、実際に霊感があったのは小女姫の母親で、娘は母のプロデュースによってつくられたただの
タレントという話もあったという。しかし余程の霊感がなければ、多くの大物が心酔はしなかっただろう。
 ー新潮45?4月号参照ー
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2004年05月20日(木)
 1143, 宇宙とは自分の脳みたいなもの!
この言葉に出あった時に、真言密教の奥義を知ったような深遠な感覚を持った。
宇宙といえば、太陽系があり、銀河があり、その銀河が数百億あり、その銀河系の中にブラックホールがあって、もしかしたら、
そのホールが他の宇宙のトンネルになっている可能性がある。地球物理学者の松井孝典氏の本の一節で、「この宇宙が『自分の脳』
みたいなもの」と言ってのけるのだから驚きである。 凄いことを言うものである。
                 (字数の関係でカット2,008年5月20日
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2003年05月20日(火)
776、「ドラッガーとの対話」  ?読書日記ー2
『未来を読みきる力』
 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎歴史小説と、山岡荘八の『徳川家康』は戦後の経営者のバイブルであった。
若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。以下はドラッガーの名言録を書き写した。 
なかなか深く耳の痛いところが多い。企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。
自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。 大不況の中どうしても後ろ向き、
内向きになってしまいがちだが、励まされる内容である。私のような対人関係が煩わしい人間は
「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」 自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!
   ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」                 2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」                    4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」  6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされて消滅するなどというのは全くのナンセンスである」
8、「アクション(行動)によるフォローアップなきプロジェクト(計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくてはならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」          12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」            17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングで2+2=4という具合に、ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」              20、「知識は本の中にはない」
読めば読むほど、耳が痛い!
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2002年05月20日(月)
 412, 次の旅行の予定
ー次の旅行の予定である、だだ変わる可能性があるが。
1、スイス・アルプス 2002/07  2、イラン 2002/10  3、南米のパタゴニア 2003/02  4、南アフリカナミビア2003/06
5、南米のガラパゴス 2003/10   6、ポルトガル 2004/02  7、アラスカ 2004/06  8、イースター島 2004/10
9、パプアニューギニア  2005/02  10、リビア 2005/05 11、南インド 2005/07 12、アイスランド 2005/10
13、エチオピア 2006/01   これで50回ー目標達成である。
ー20??年1月15日ー60〜70歳
 飛び石で世界一周したことになる。60歳は無理だろうが、目標は目標だ。これ以降はフランス、ドイツ、イングランド、トルコ、
中国などの国の田舎街をまわるコースを中心に? 77歳で98回目の人が、シリア・ヨルダンの旅行でいたが。
何か100回が執念という感じがあった。そう思って生きれば、張り合いもできる。 海外旅行紀行などの番組を見ていても、楽しい。
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2001年05月20日(日)
 随想日記?テーマ日記
8年前より随想日記?テーマ日記に切り換えた。其のためこのような風変わりな日記となっている。
毎日よくネタがあると思うが何年かんの訓練と、パソコンの中の材料を使っているにすぎない。
6年まえの文章をコピーしてみる。日記お宅になってしまいそうだ。                       ーテーマ日記  H0701
二年前より日記を“テーマ日記”方式に切り換えた。なれるまでは大変だったが今ではけっこう面白い。
この文も去年の一月七日の“テーマ日記”が下敷きになっている。 思いつくまま“テーマ”書き、それをもとに内容を書く。
前日みた“TVドラマ”がテーマであったり。 前夜みた“夢”の内容であったり、“父の思い出”“年記”
(年末に日記風に一年をまとめた内容)、“読書感”であったり。あとでふり返って読んでも面白い。
いかに普段あまり深く考えてない事と、その時点の自分の興味の変化がわかる。
“日記”より雑記に近いが…。(随想、随筆の難しさがよくわかる。)