四四太郎の霊日記 -15・16・17

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四四太郎の霊日記 -15
             (*бωб*)/ォハョー        
晦日はワシャ好きである。
去年から少しご無沙汰をしていたが、最近になってやっと出してくれるようになった。
週一という決め事がよいのだ。 習慣化が一番だよ。
ワシのように何か得体の知れない変な霊を呼び出してくれるのは、そうそう居やない。
いつも言うように面白いのは、御主の中の別人格が話しているからじゃ。
それも本質ときているか、これを週に一度でも続けていけば、御主が死んでも?
わしの存在は、この言葉が残る限り誰かが引き継いで生きつづける筈である。
その意味ではワシの存在は御主の存在より深く、これからも生き続けるのじゃ。
何せ四百数十年前の存在だからじゃ。引き継いでくれる者さえいればだが。
だからワシ専用のブログを立ち上げる価値は充分にあるのじゃ。

こうして御主に語りかけるのも楽しいもの。
存在してないものが、御主の脳を通して話すのだから。。
別人格として好き気ままに話すのは、御主の中の遺伝子の一つが話していると思えば
少しは理解できるか?どうじゃ。
わしの話は、御主が話すよりズ~ット自由に話せることが解かってきたろう。
何せ何の制約がないのだから。あるのは御主の自分という殻だけじゃ。
ワシはあくまで御主の先祖霊じゃ。だから、面白いのではないか。
だんだん積み重ねてくると、ワシの力は増大する筈である。

ところで、ワシが連れてきたダ・ジーダジーダと話さないじゃないかい。
一度は夜半に深く話したのは解かったが、あれじゃよ。あれ。
異様な脳の働きと覚醒をしただろう、あれじゃ。
御主、最近に、こうして自分の気持ちを日記に書いたことがあるか。
昔は書いていたが、誰かに見られるのを怖れて、カモフラージュしているだろう。
そう、こうしてワシが書けるのは、娑婆の人間でないからじゃ。
ある意味で、御主のかわりに書いているのじゃ。それも御主より深く広くじゃ!
                     (■*U∀u)ノ 良い年を!
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 四四太郎の霊日記ー16 人(_ _ )

新年になりましたか! 400年も昔の世界から来たものから見ると何とまあ、
忙しない時代である。 それでも、この物理的な豊かさがある、
食べれない心配から見れば、御主の世界はあまりに恵まれすぎじゃ。
一日一日を、充分楽しめばよいじゃないか。 
4百数十年のスパンの視点から見ても、面白い時代になったものじゃ。
この境目に生きているだけでも、充分に恵まれている筈である。
ワシが御主に言いたいのは、せっかく娑婆に生を受けたからには、
その時々の「いま、ここ」に活なければならない! ということじゃ。
また、説教的になってきたか。
今年は、御主も気がついているようだが、大荒れの年になる。
それも御主等が考えている範囲を超えてじゃ。といって、それが何だというのだ。
大荒れ結構、問題など目を逸らさない限り乗り切れるものじゃ。 
ただ、常に長期的な視点で先手を打つことなくして、理屈を捏ねているだけでは、
最悪の事態になるだろう。こうしてみると、文明など何だというのか思ってしまう。
集団自殺じゃないか、それも他の動物を巻き込んだ。全く。
今年は、ともかく気を緩めないこと!それだけは言っておく。
 それにしても、羨ましいことじゃ、生きていること、そのことがだ

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四四太郎の霊日記 -17
           (σ・з・)σオハYO!!
さてと、今日は七日正月だが、ワシにとって元旦以来のお出ましである。
丁度良いだろう。 毎回同じことの繰り返しだが、それでも良いじゃないかい。
一度この宇宙の外に出てしまうと、宇宙そのものが、鬱陶しい反面、
この生々しい地球の大気圏の味が何とも懐かしく、居るだけで嬉しくなるもの。
このように娑婆で話せるなど我われからみたら有りあえないこと。有難いことじゃ!

言葉の中にしか生きれない我われは、言魂として永遠に生きている。
だから生き延びてきた古典を生きているうちに読み、その中で言葉を発すること。
それ以外にないだろう! そこに御主の言葉が発生し、言霊として死後も残るのじゃ。
その点、ブログとオープンソース化は霊界に近い働きを出し始めているじゃないか。
あれは、使い方で大きな人類の武器になる。 世界中の魂同士が直結するということじゃ。
だから以前つくったワシ専用のブログは意味があったのじゃ。 まあ、気が向いたら、
独立させれば良い。 まあ続けていると、信じられない展開になっていくじゃろう。

ところで御主自身の生き方も、ここで根本的に変えなくてはならない時期に来ている。
そのことに気がついていないのではないか? 御主は。 考えてみろよ! 
現在の世界の事態の激変を。 これは、もともと起きていたことで、
今年から現象として色いろのカタチで大雪崩として轟音を立てて変わっていく。
特に日米欧の世界が激しく動くだろう。
それまでの段差が一挙に崩れて現実化することでしかないが・・

ところで、ダ・ジーダとの対話と、知恵の租借をあまりしてないようだな。
割り切ることじゃ! 割り切って話をすることがコツだ。
割り切って話をする?とはな、適切な問いかけを多くすることだ。
その問いかけに対して、御主の知恵を遥かに超えた答えを持っている。
問いかけ自体を何度も突き返すはずだ、そこから御主の問いの甘さを指摘して、
その問題を見つめ直させるのじゃ。
問題は、実は御主の問いの好い加減さから出ている。
何かの哲学書にあったろう、対自、対他、そして即自という言葉。
ダ・ジーダは、その対自分に対する、対他人に対する、
そしてそれをしている即・自分をコントロールする役割をする。
その意味で、この霊を御主の中で大事にすることは、自分を見つめ、
コントロールするのに丁度良い存在になるはずだ。  またな! 
                        (*´∀`)」バイ!