閑話小題 ~虫歯を抜く
* 昨日、何年ぶりだろう虫歯を抜く
数ヶ月周期で歯石トリと歯槽膿漏の治療に通っているが、高齢者には丁度
良い定期健診になる。そして、今回は、一本虫歯が見つかり、脱歯をしたが、
何か根元が複雑で30分も、時間を要した。痛め止めの薬をもらい、寝しなに
飲んだためか、一晩中、熟睡して気分が上々。 無治療の歯は、年齢が75歳
とすると、100-75=25%が目安。私の現状は朝晩、磨いていて、6割が無傷
のため、良しと納得している。
以前は、5~6年に一度位は、数ヶ月は通院して、治療したもの。現在は、
日常の半分は、歯石治療で通院している。それでも虫歯が見つかるのだから、
何おか言わん。倒産して久々に顔を見た知人が、歯が皆無に近い状態が二人。
このコロナ禍以来、歯医者の患者数も激減しているそうな。
現在…75歳、未だに御呼びが罹らないが、何やら世の中が薄暗く見える頃。
後悔しきれない程の事もなく、無事、ここまで達したことを、感謝する日々。
――
* 庭の梅も三分咲
例年、この時節に梅が開花する。そして半月後には、桜が…!春の到来。
ただし、鶯の初鳴きは聞えてこない! 数日以内だろう。サカリのついた猫は
泣きだしてはいるが…
追:去年の同月同日を垣間見ると、こんな風だったのか…
焦らずに、ジッと見据えるべきですか!
・・・・・・
6952,閑話小題 ~今度は… 世界経済が危ない? ~19
2020年03月27日(金)
* 失業率が6月までに30%に上昇しうるとの予測!
テーマはコロナ騒ぎばかり… で、映画評を書上げた後に、ネット
ニュースをみると、その見出しが驚くべきことが羅列されていた。
いま、正に世界恐慌に入りつつある? のか。
~そこで急遽、このテーマに切替えることにした~
≪ * 米の失業申請、週328万人 世界恐慌時に匹敵の恐れ
* G20 感染対策に550兆円超投入
* コロナ連鎖倒産の危機:日本国内・中小企業を中心に1万件超の予測も
【 ◉ 米労働省が26日、季節調整済み件数を発表した。前週(14日まで)も
28万1千件と約2年半ぶりの高い水準だった。JPモルガンが事前に200万件
との予測を出すなど、大幅な伸びは織り込まれていたが、それを上回る水準だった。
セントルイス連邦準備銀行のブラード総裁は22日、米メディアに、失業率が
6月までに30%に上昇しうるとの予測を示していた。4月3日に発表される3月
の米失業率は大幅に悪化し、4~6月はさらに高まりそうだ。リーマン・ショック
後の最悪期だった09年10月の10%を超え、戦前の世界恐慌期(33年の
約25%)に匹敵する雇用危機となる恐れが指摘されている。】
昨年は消費増税に加え、自然災害が重なり、多くの企業が収益を悪化させていた。
新型コロナは持病をもつ高齢者がかかると重症化しやすいが、同様に、体力の低下
している中小企業を死に追いやる。
―
▼ アメリカの失業率が6月までに30%とは… だが、実感としてサッパリ理解不能。
経済恐慌とは、ただ驚き。 でもニュースから垣間見える状況は、シリアス。
イタリア、フランス、アメリカなどが国境閉鎖の上に、外出禁止なら、然もありなん。
アメリカで銃器専門店に銃器を求める人たちの列がニュースで流れていたが、失業率
が30%なら理解できる。 ほぼ毎日、コロナについて書いているが、流れがあまりに
シリアス。 まさか経済恐慌に突入?とまでは、思ってもいなかった… これって、
9・11、リーマンショック、東北大震災とは比べようがない自然災害…?
としても1990年辺りからの時代の流れが、あまりにも激しい。自然からの
反撃の開始ということですか。
・・・・・・
6585,読書日記 ~超短編小説の書き方 -4
2019年03月27日(水)
<「超ショートショート講座」 田丸雅智著>
* 不思議な言葉をつくる
不思議な言葉とは普段は使わない言葉である。去年の秋口に参加した、
<ドロミテと、北イタリア側からみる裏マッタ―フォルンの旅>に、ドローンを
持参したショートショート。もちろん、フェクションだが、YouTubeでアルプス
の空撮を多く見ていたので、想像と創作は簡単に出来る。
ライブで想いのまま書いてみた…
【 持っていったゴーグルを装着し、ビューポイントから少し離れた目立たない
空地からドローンを飛ばすのは、年齢が年齢だけに少し勇気がいった。老い先
短い年齢なればこそ、絶対に飛ばすと覚悟を決めていたため、躊躇することなく、
組み立てをしてを飛ばせた。 快晴の空、音の小さな機種のため、幸いなことに、
ほぼ誰も気づいてない。 そこからみるマッタ―フォルンの絶景は、ゴーグルを
被っていることすら忘れるほど迫力があった。自分が鳥になって空を飛んでいる
快感は、これまで何度か体験してきた至高体験である。これを味わうために、
生れてきたという感覚。その瞬間、肉体が、この世の中の小さな縛りから、解き
離されたような解放感に満ちたような自由と慈愛と喜びに浸ったような。
ところが、何か黒い物体が私の視界に目がけて突っ込んできた。それは現実で
あり、幻覚でもある。その境目での驚きと恐怖感で絶叫をあげていた。
「死にいく瞬間とは、これだな」と思いつつ気を失っていた。
フト気づくと、宇宙に投げ出され無限の彼方の光に向かっている薄っすらした
意識があった。その意識は、何度も経験した感動した時の、至福と至高体験の
絶対世界の感覚。目の前の大きな鏡に、それまでの人生の記憶が、次々と現われ
出て、消えていく。 … 近くの椅子で寝込んでいるのを連れが見つけたようだ。
その全てが夢だった。】
―
▼ 至高体験を解説すると、このような経験になる。三桁の経験はある?
何ゆえに即席で書いた「超短編小説」が、『至高体験』に行くつくのでしょう?
――――
2007/07/06
LSDを一服した状態とは、どんな状態? -1
植草甚一の「カトマンズでLSDを一服」という本が面白い。
「植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが
古今東西、植草甚一の読んだ麻薬に関する記事・文献などが話題になっている。
図書館で借りてきた本だが面白そうなので、一とおり目を通して、中古本だが、
直にアマゾンで注文をいれた。麻薬のトリップに対して興味がある。しかし麻薬
をまさか使うことは出来ないし、中毒になったら取り返しがつかない。
といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を、経験してみたい誘惑も。
まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態か、
知識として知りたくもなる。手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。
私の枕元には、麻薬を使った状態に近づける音楽のCDがある。
買ってから10年近く、寝る前などに聴いてきたが、寝つきがよい。
酒を飲んでホンワカした気分と同じである。
私の場合、秘境旅行や、酒席などで至高体験を数知れないほど経験してきたので、
アルコールや、寝る前の音楽で、直にトリップしやすい蓄積があり、
体質的に脳内には回路が出来ている。まあ、それはいい!
以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの
「麻薬への旅」の中の一節である。麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か
持っているが、どれも似ている。面白く解りやすいので紹介しておこう。
ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー
ーーー p・12~13
ネパールではハシーシを政府が許可しているし、1㌔の値段が150フラン
前後(ヨーロッパでは五十倍の値段)なので、ヒッピーの顔ぶれは変るが、
いつも400人ぐらいいるそうだ。力トマソズには彼らの連絡場所になっている
「リトル・チペタソ」というチベヅト人経営の小さなキャバレーがあるが、
ある日のことリーというアメリカのヒッピーがLSDを持ってやってきた。
そうしてカトマソズの谷間の平地に仲間たちと「ヒヅピーラソド」と名付けた
小コミュニティのテソト生活をはじめるのだが、夜の十時ごろ、
みんなしてカプセル入りのLSDを少量の水で飲んだときの経験を、
著者ポルは書きはじめる。暗い夜で、キャンプの焚火が赤い。
遠くにヒマラヤ山脈の輪郭が見える。
みんな声を出さないでLSDが効きはじめるのをジーッと待っている。
夜の静寂さ。二十分したとき、耳のうしろの首筋が急に熱くなったかと思うと、
舌ざわりが金属的になった。まだ効果はあらわれないし、意識は平常どおりだ。
すると始まったなと思う感覚の変化。神経が局部的にピリッと硬直し、
その瞬間はロではいえない異常な現象がおそいかかった気持である。
いろいろなLSD体験記から想像していたのと同じ状態であって、自己が解体し、
まわりの知覚世界に溶けこんでいく。それがすこしたつと、こうなった。
焚火を見ていると、その火のなかに、ぼくがいる。ぼくは火なんだな、
いや火の向うに存在しているようだ。というのは火や明りや影が、
ぼくの思考や意志に服従するように動いているからで、まわりの世界を、
ぼくが上からブタをしているような気持になってきたからである。それなのに、
ぼくとは違ったものなのだ。まわりのすべてと同じものになっていく。
と同時に余計だと思う漠然としたものが、仮面をかぶったように引っこんで
しまった。そうして宇宙的になりはじめた精神的内部の知覚作用。
いろいろなものが重なり合って見える。
その重なりかたの度合が強烈な作用をもっていて、たがいに矛盾するかと思うと
無限の連想へとみちびいていく。そのときレコードをかけた者がいて、
チベットの宗教音楽が流れてきた。
すると意識がより複雑になり、その音楽は、ぼくが作曲したものではないか、
なぜならばくの体内から生まれてきたようだし、ぼくの思考と厳格に一致して
いるからだ。単調だが美しく流れていく音楽は、ぼくなのである。
一つの音が、つぎの音になるまでにハッキリと分離して耳に入ってくる。
ぼくと周囲との溶解状態が、さっきよりずっと完全なものとなった。
ハシーシやメスカリンが効きだしたときのように、しぜんと目ぶたがふさがる。
すると音楽が目に見えてきた。一つの音が明りで書いたようになり、キラギラと
雑色になって飛び散る。無限に大きい万華鏡のまん中にいるようだし、ある音が、
ほかの音よりも強くぼくのなかで反響し、それが後頭部や胃のあたりをシピれさせ、
打楽器の音が強烈な電気ショックのように全身を飛びあげるようにするのだった。
ぼくは手を見る。それは歪んだり、大きさや色の具合が変化したりする。そばに
いる仲間の顔を見ると、小さなダイヤモソドがちりばめられていてピカピカと輝き、
とても美しい。ぼくは目を閉じる。するとまた心の奥ふかくへと落ち込んでいく。
自己と別世界との溶解。非現実の現実的な知覚状態。
これは,「シュールモア」(超我)と呼びたい。
そのときの解放感は、口ではいえないくらい気持を昂揚させる。
道徳的な規準といったタブーのすべてが取りのぞかれてしまうのだ。
そうした宇宙をなにかのシソポルや連想や知覚の種類や合理的なイメージで
説明しようとしても、文字や言葉は単純化された嘘になるだけである。
ただあとで考えたことだが、人間というものは、いかに不条理で憐れむぺき存在か、
歴史や文化の発展のなかで「権力」に支配されて生きてきたのだ。
そこから解放されるものがLSDだということはハッキリといえるのだった。
そのとき誰かの笑い声がした。なぜ笑ったのだろう。
それは、ぼくが四十年間というもの、無知だったことを笑っているような気がする。
三十人くらいの仲間が、誘われたように笑い声を出し、ぼくもいっしょに笑いだした。
以上は「麻薬への旅」の、ほんの一部の紹介だが、LSDの研究は、
ますます興味ぶかくなってきた。
――――
2018/04/14
閑話小題 ~加山雄三とヨット -2
* 加山雄三、ヨット全焼で何を思う?
寅: 悲しいだろうにな~
八: いや、そうでもないと思うよ。保険にかかってるかどうか、おりるかの
問題ですよ。自分が会社整理をして綺麗サッパリと割切れたのも、万一を
考えて保険かわりに家内名義の預金をし続けていた前提があればこそ。
大家: この一件で、もう一つや二つの歌詞とメロディーが出来てヒットでも
すれば、不幸中の幸いになりますよ。
寅: 歳が歳だから、前のように簡単につくれないよ。でも、あの面構えから
して、もう一艘、購入して、最期の墓場として海遊びツアーでもするさ。
幸せな奴は、何があってもバネにして幸せになるさ。それが男だろう。
熊: まさか、万歳!と諸手を挙げられないしね。でも、本心は、誰も、いや
自分さえ分からないからね。
八: 気力が萎えて落込むのが、一番心配だね。今頃は、中古か、サラのヨット
の資料を探しているかだ。幸が多きい人間は、そういう考え方をするんだ。
世の中には、それを妬む、不幸な奴がいるから、隠密裏だろうけどね。
大家: わしなんぞ、甲斐がないから妬む方の部類になるがね。それにしても、
羨ましいよ。遊びと、仕事が、両立しているんだから。過っての印税も
入ってくるからね。私なら、大型クルーザーに乗って、ノンビリして
いた方が気楽で良いけどね。そんな金もないがね。
八: 私なんぞは、寝室に4k・TVを入れてね、世界各国をユーチュブの映像で、
遊ぶくらいですよ。でも、それが面白いから、カウチポテト族そのもの。
早速、<4k、金沢ひがし花街>で映像を楽しんだけど、実に良かった。
熊: ったく! 楽しみを二倍三倍にしてしまうんだからな~。
八: 大家さんと同じく、老い先が短くなって来たからね。
寅: 八つぁんは、俺と熊と違って、さほど加山雄三を羨ましく思ってない
ようだが。如何して?
大家: 好きなことの幾つかを年月かけて楽しんでいたからですよ。
そうすると、内なる世界があって、他人の世界と比べなくなりますよ。
八: 最後の最後は、自分の行蔵しか残らないもの。金沢バスツアーをキッカケに
20歳代半ばの行蔵が多く思いだされたしね。それと、好きな非日常を味わえ
たしね。また桜の時節も、花見という非日常を楽しんでいるし。
大家: 人間、感情の動物だもの、そう簡単に割切れないですよ。
八: ここで至高体験の絶対量が問題になるの。彼は、それは信じられないほど
の経験があるから、行蔵の内側は宝庫の山さ。そんなチャチなものではないよ。
熊: 人間って、不平等過ぎないか。普通、良いこと2に悪いこと1、って
言うけど、俺の場合、真逆で、1対2の感じがするね。
八: そんなことはないね。なら鬱病で、病院通いさ。私が見る限り、2対1さ。
熊: なら普通だ。
大家: 近くに私と八つぁんが居るからさ。それと楽しみに長けている寅さんもね。
それも、死んでしまえば、ハイ、それまでよ。何も持っては逝けないしね。
後期高齢者の身には、一日一日を楽しむしかないね。
八: <笑って過ごそう、ハンカチーフ!> ですか。泣いても笑っても同じ人生
だもの。泣くも良し、笑うも良いだと、つくづく思うよ。
寅: それにしてもさ、娑婆には、つまらなそうな老人が多いね。
大家: そりゃ、生老病死の問題が色濃くなって、身体は日ごと弱って、
周辺は次々に亡くなり、内面は穏やかじゃないよ。
八: 問題は、横の顔色ばかりみてさ、笑いものにする腐ったような奴ら…
大家: 「早く死にな!」と、思うが、あれじゃあ、当分は死なないね。陰口、
悪口のオンパレード。私も、そう思われているし、現にそうだろうがね。
八: 今回の金沢ツアーの帰路の車内で、キミマロの漫談のDVDを流していたが、
年寄りの悪口が、冴えわたっていたが、途中でハッとしたね。28人の参加だが、
私が一番の御年寄り。自分の姿を笑っていることに、途中まで気づかないとは。
大家: まだ八つぁんは、私より10歳近く若いけど、80歳の峠は、それはキツイよ。
キミマラ、いや失礼、キミマロも、年寄り弄りだったのが、自虐ネタの年齢
に入ったためか、それはそれは、漫談ネタの毒が重苦しくなってさ。
八: そうだ、加山雄三の話に戻そう。失えばこそ、見えてくる己の人生を
味わるのも、これも人生。どのみち、生きている内の泣き笑い。加賀百万石の
金沢を46年ぶりに振返ってみて、その折々の「いま、ここ、わたし」と再開し、
自虐の漫談を味わいつつ、現実に溺れつつある日常の中からドロップしながら
日々を過ごしている自分との対話も悪いものではない。
大家: おやおや、丁度よく話を、まとめましたね。
――――
2002/10/04
至高体験-2
「この経験をしただけでも、この世に生まれてきた価値が充分にある。
この瞬間を経験する為に生まれてきたとといって良い」という感覚である。
精神病は精神のマイナスの偏りの病だが、プラスの人(何をしてもうまくいく人)
は、至高体験を異常に多く重ねているという。
それでは具体的に書いてみよう(恋愛・下ネタはないのが少し残念だが?)
旅行先でのそれが多いが
・初めて海外旅行ーヨーロッパに行った時、生まれて初めて腹の底から笑った、何回も!
確かイギリスのパブで、それとオーストリアのワイン居酒屋で、それとミュンヘンの
ビアホールで。感動と歓喜の毎日であった。
その旅行で私の固い頭を(固定観念を)叩き壊されたのが最大の
収穫であった。
中学高校時代は腹の底から笑う事は本当に少なかった。
またそれだけ刺激の強い事は、それまで全く無った。
・あとは20数年前、実家の会社にいた時30人近くを引き連れてハワイに行った。
その時も、至高といっていい位ぐらいハワイの総てに感激した。
世界に名だたる観光地、ショーにしても、洗練された内容が次々出てきた。
・カナダのロッキーも感動感動の連続であった。「一回しかチャンスが無いが、
何処に行ったらよいか?」といわれたら、カナダのロッキーだ。
多くの旅行経験者はそう言う!
地球でなくどこかの星に行ったような錯覚に陥る。
「ロッキーでの旅行の感激は、「自分の家を売ってでも経験する価値がある」
とその時思った。
この日を境にして、この経験をする前と後という感じだった。
・9年前に震えながらいったケニアもそうだ。
アフリカの大地の広大のサバンナを見たときの驚きと感動!
遙か彼方にシマウマとヌーが数十頭走っている姿を始めてみた時の
感動も強烈な思い出だ。
・事業でもそうだ。
初めて千葉で千城ビルを立ち上げ仕事も軌道にのり、
ふとそのビルを見上げた時の何ともいえない絶頂感も良かった。
誰もがその瞬間を持っているはずだ。
・会社の忘年会や竣工式の後の宴会でも、それに近い気持ちになる。
成功経験を重ねる人は、至高体験を重ね続けることの出来る人だ。
巨人の長島は至高体験を普通の人の数百倍、いや数千倍経験している。
それがますます至高体験を呼び寄せる。
自分を良くしようとしたら、至高体験を重ねる事だ。
――――
2004/10/17
1293, 「閑」のある生き方ー読書日記 -3
「今ここに」を、更に考えてみる。
ー前回では
「空」を時の上から解釈して、「即今」、
平たくいえば、ーただいまーと解釈した。
「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるということである。
この「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。
この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこには、
あとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけということに気づく。
空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
hereーnow が、それである。
ーを抜粋し、そして感想を書いた。
今回は、その即今の凝縮した瞬間はどういう時か考えてみる。
感動、感激、至高体験、歓喜、感謝の時といえよう。
その瞬間が「今ここ」を実感する時である。
その瞬間を経験した時、それが永遠に通じている感覚がする。
それが「永遠の今」である。
感動の時、その瞬間は自分の中に永遠に残る切り取られた時である。
この経験をするため、この瞬間を経験するために、生まれてきたといってよい。
それまでの全てを超えた体験する飛躍の時である。
その「今ここ」は、悟りの世界でもある。
この中に、感激、至高体験、歓喜、感謝が含まれる。
いや、これらの言葉の中に、それぞれが含まれる。
「今ここ」は、決してプラスの時だけでない。
挫折をした時、死を宣告された時、絶望を味わった時、身近の人の死の時、
等々、あげることが出来る。
意識の深くに陥ってしまう時といってよい。
その時は意識は研ぎ澄まされ鋭く自分を切り裂く。
「今ここに」を意識している時は、宇宙の中心に立っている時であり、
宇宙と直接つながっている瞬間である。