読書日記 ~超短編小説の書き方 -4

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          <「超ショートショート講座」 田丸雅智著>
   * 不思議な言葉をつくる
 不思議な言葉とは普段は使わない言葉である。去年の秋口に参加した、
<ドロミテと、北イタリア側からみる裏マッタ―フォルンの旅>に、ドローンを
 持参したショートショート。もちろん、フェクションだが、YouTubeでアルプス
の空撮を多く見ていたので、想像と創作は簡単に出来る。
 ライブで想いのまま書いてみた… 
【 持っていったゴーグルを装着し、ビューポイントから少し離れた目立たない
 空地からドローンを飛ばすのは、年齢が年齢だけに少し勇気がいった。老い先
短い年齢なればこそ、絶対に飛ばすと覚悟を決めていたため、躊躇することなく、
組み立てをしてを飛ばせた。 快晴の空、音の小さな機種のため、幸いなことに、
ほぼ誰も気づいてない。 そこからみるマッタ―フォルンの絶景は、ゴーグルを
被っていることすら忘れるほど迫力があった。自分が鳥になって空を飛んでいる
快感は、これまで何度か体験してきた至高体験である。これを味わうために、
生れてきたという感覚。その瞬間、肉体が、この世の中の小さな縛りから、解き
離されたような解放感に満ちたような自由と慈愛と喜びに浸ったような。
 ところが、何か黒い物体が私の視界に目がけて突っ込んできた。それは現実で
あり、幻覚でもある。その境目での驚きと恐怖感で絶叫をあげていた。
「死にいく瞬間とは、これだな」と思いつつ気を失っていた。
フト気づくと、宇宙に投げ出され無限の彼方の光に向かっている薄っすらした
意識があった。その意識は、何度も経験した感動した時の、至福と至高体験
絶対世界の感覚。目の前の大きな鏡に、それまでの人生の記憶が、次々と現われ
出て、消えていく。 … 近くの椅子で寝込んでいるのを連れが見つけたようだ。 
その全てが夢だった。】 

▼ 至高体験を解説すると、このような経験になる。三桁の経験はある?
 何ゆえに即席で書いた「超短編小説」が、『至高体験』に行くつくのでしょう? 

――――
2018/06/27
閑話小題 ~覚醒剤と、マリファナ ―2

   * 麻薬の二次災害
 麻薬を吸った高揚の音楽、『上を向いて歩こう』『今日は赤ちゃん』
『夢で会いましょう』などから、その一部を感じることが出来る。
作曲家の故・中村八大は重症の薬中患者。あの感覚は異次元の快感の世界。
何曲か、それらしきα波のCDをネットで購入しiPodに入れ、時々、
聴いている。 『余命、半年』と宣言されたら、考えても良いが… 
やはり止めておくべきと、和歌山ドンファンなどの一連の報道が教えている。
 
 私の至高体験は、秘異郷ツアー先の大自然との邂逅の感動体験と、アルコール
による高揚感が多々ある。薬物中毒には、禁断症状がついてくるため始末が悪い。
「達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」の禅語がある… 
美味い酒は数限り飲んできた。酒の肴と、美女を侍らせば別に薬物使用の必要も
ない筈だが… 中毒者は、金の無いため? 中間カットの薬にいくのか?
問題は止めどなく深みにはまること? 二次災害の問題が当然生じる。
 
 「CSI: 科学捜査班」というラスベガスなどを中心に最新科学を駆使した操作
技術で様々な凶悪犯罪を解明していく1話完結形クライム・サスペンスがある。
 これが面白い、10数年にわたり数百本はみただろうか。
その一つに、麻薬にやられた妻に、支配された夫との共犯事件の筋書きがあった。
表向きは普通の夫婦が、実はサイコパスで… これに近い話を知人から聞いた。
鬱病の治療薬の長期服用から薬中が酷くなり、痴呆症に陥った姉が、夫と供に
 妻の妹のところにやってきて、「高校時代にお金が紛失したが、犯人は絶対に
アナタ。正直に言いなさいよ」 旦那も止めるふうもなく…40,50年前の話を>
身内に痴呆症の人を抱えたことのある人は、理解できるはず。 私は5年半… 
これをマダラ呆け状態で周辺に言って周るため、たまったものではない。
薬中の場合にも多々ある。私にも、幾つか憶えがある。具体的には、あまりに
酷すぎて書けない内容。そこに、世間バカが絡み込んでくるから始末が悪い。
 ならば、不幸系ほど世間様度数が高くなる…その観察を楽しめば良い。

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2007/07/06
LSDを一服した状態とは、どんな状態? -1

植草甚一の「カトマンズLSDを一服」という本が面白い。
植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが
古今東西植草甚一の読んだ麻薬に関する記事・文献などが話題になっている。
図書館で借りてきた本だが面白そうなので、一とおり目を通して、中古本だが、
直にアマゾンで注文をいれた。麻薬のトリップに対して興味がある。しかし麻薬
をまさか使うことは出来ないし、中毒になったら取り返しがつかない。
といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を、経験してみたい誘惑も。
まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態か、
知識として知りたくもなる。手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。

私の枕元には、麻薬を使った状態に近づける音楽のCDがある。
買ってから10年近く、寝る前などに聴いてきたが、寝つきがよい。
酒を飲んでホンワカした気分と同じである。
私の場合、秘境旅行や、酒席などで至高体験を数知れないほど経験してきたので、
アルコールや、寝る前の音楽で、直にトリップしやすい蓄積があり、
体質的に脳内には回路が出来ている。まあ、それはいい!

以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの
「麻薬への旅」の中の一節である。麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か
持っているが、どれも似ている。面白く解りやすいので紹介しておこう。
 ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー
 
                   ーーー p・12~13
 ネパールではハシーシを政府が許可しているし、1㌔の値段が150フラン
前後(ヨーロッパでは五十倍の値段)なので、ヒッピーの顔ぶれは変るが、
いつも400人ぐらいいるそうだ。力トマソズには彼らの連絡場所になっている
「リトル・チペタソ」というチベヅト人経営の小さなキャバレーがあるが、
ある日のことリーというアメリカのヒッピーがLSDを持ってやってきた。
そうしてカトマソズの谷間の平地に仲間たちと「ヒヅピーラソド」と名付けた
小コミュニティのテソト生活をはじめるのだが、夜の十時ごろ、
みんなしてカプセル入りのLSDを少量の水で飲んだときの経験を、
著者ポルは書きはじめる。暗い夜で、キャンプの焚火が赤い。
遠くにヒマラヤ山脈の輪郭が見える。

 みんな声を出さないでLSDが効きはじめるのをジーッと待っている。
夜の静寂さ。二十分したとき、耳のうしろの首筋が急に熱くなったかと思うと、
舌ざわりが金属的になった。まだ効果はあらわれないし、意識は平常どおりだ。
すると始まったなと思う感覚の変化。神経が局部的にピリッと硬直し、
その瞬間はロではいえない異常な現象がおそいかかった気持である。
いろいろなLSD体験記から想像していたのと同じ状態であって、自己が解体し、
まわりの知覚世界に溶けこんでいく。それがすこしたつと、こうなった。
 
 焚火を見ていると、その火のなかに、ぼくがいる。ぼくは火なんだな、
いや火の向うに存在しているようだ。というのは火や明りや影が、
ぼくの思考や意志に服従するように動いているからで、まわりの世界を、
ぼくが上からブタをしているような気持になってきたからである。それなのに、
ぼくとは違ったものなのだ。まわりのすべてと同じものになっていく。

 と同時に余計だと思う漠然としたものが、仮面をかぶったように引っこんで
しまった。そうして宇宙的になりはじめた精神的内部の知覚作用。
いろいろなものが重なり合って見える。
その重なりかたの度合が強烈な作用をもっていて、たがいに矛盾するかと思うと
無限の連想へとみちびいていく。そのときレコードをかけた者がいて、
チベットの宗教音楽が流れてきた。

 すると意識がより複雑になり、その音楽は、ぼくが作曲したものではないか、
なぜならばくの体内から生まれてきたようだし、ぼくの思考と厳格に一致して
いるからだ。単調だが美しく流れていく音楽は、ぼくなのである。
一つの音が、つぎの音になるまでにハッキリと分離して耳に入ってくる。
ぼくと周囲との溶解状態が、さっきよりずっと完全なものとなった。

 ハシーシやメスカリンが効きだしたときのように、しぜんと目ぶたがふさがる。
すると音楽が目に見えてきた。一つの音が明りで書いたようになり、キラギラと
雑色になって飛び散る。無限に大きい万華鏡のまん中にいるようだし、ある音が、
ほかの音よりも強くぼくのなかで反響し、それが後頭部や胃のあたりをシピれさせ、
打楽器の音が強烈な電気ショックのように全身を飛びあげるようにするのだった。
 
 ぼくは手を見る。それは歪んだり、大きさや色の具合が変化したりする。そばに
いる仲間の顔を見ると、小さなダイヤモソドがちりばめられていてピカピカと輝き、
とても美しい。ぼくは目を閉じる。するとまた心の奥ふかくへと落ち込んでいく。

 自己と別世界との溶解。非現実の現実的な知覚状態。
これは,「シュールモア」(超我)と呼びたい。
そのときの解放感は、口ではいえないくらい気持を昂揚させる。
道徳的な規準といったタブーのすべてが取りのぞかれてしまうのだ。
そうした宇宙をなにかのシソポルや連想や知覚の種類や合理的なイメージで
説明しようとしても、文字や言葉は単純化された嘘になるだけである。
ただあとで考えたことだが、人間というものは、いかに不条理で憐れむぺき存在か、
歴史や文化の発展のなかで「権力」に支配されて生きてきたのだ。
そこから解放されるものがLSDだということはハッキリといえるのだった。

 そのとき誰かの笑い声がした。なぜ笑ったのだろう。
それは、ぼくが四十年間というもの、無知だったことを笑っているような気がする。
三十人くらいの仲間が、誘われたように笑い声を出し、ぼくもいっしょに笑いだした。
以上は「麻薬への旅」の、ほんの一部の紹介だが、LSDの研究は、
ますます興味ぶかくなってきた。

 ――――
2018/04/14
閑話小題 ~加山雄三とヨット -2
   * 加山雄三、ヨット全焼で何を思う?
寅: 悲しいだろうにな~
八: いや、そうでもないと思うよ。保険にかかってるかどうか、おりるかの
  問題ですよ。自分が会社整理をして綺麗サッパリと割切れたのも、万一を
  考えて保険かわりに家内名義の預金をし続けていた前提があればこそ。
大家: この一件で、もう一つや二つの歌詞とメロディーが出来てヒットでも
  すれば、不幸中の幸いになりますよ。
寅: 歳が歳だから、前のように簡単につくれないよ。でも、あの面構えから
  して、もう一艘、購入して、最期の墓場として海遊びツアーでもするさ。
  幸せな奴は、何があってもバネにして幸せになるさ。それが男だろう。
熊: まさか、万歳!と諸手を挙げられないしね。でも、本心は、誰も、いや
  自分さえ分からないからね。
八: 気力が萎えて落込むのが、一番心配だね。今頃は、中古か、サラのヨット
  の資料を探しているかだ。幸が多きい人間は、そういう考え方をするんだ。
  世の中には、それを妬む、不幸な奴がいるから、隠密裏だろうけどね。
大家: わしなんぞ、甲斐がないから妬む方の部類になるがね。それにしても、
  羨ましいよ。遊びと、仕事が、両立しているんだから。過っての印税も
  入ってくるからね。私なら、大型クルーザーに乗って、ノンビリして
  いた方が気楽で良いけどね。そんな金もないがね。
八: 私なんぞは、寝室に4k・TVを入れてね、世界各国をユーチュブの映像で、
  遊ぶくらいですよ。でも、それが面白いから、カウチポテト族そのもの。
  早速、<4k、金沢ひがし花街>で映像を楽しんだけど、実に良かった。
熊: ったく! 楽しみを二倍三倍にしてしまうんだからな~。
八: 大家さんと同じく、老い先が短くなって来たからね。
寅: 八つぁんは、俺と熊と違って、さほど加山雄三を羨ましく思ってない
  ようだが。如何して?
大家: 好きなことの幾つかを年月かけて楽しんでいたからですよ。
  そうすると、内なる世界があって、他人の世界と比べなくなりますよ。
八: 最後の最後は、自分の行蔵しか残らないもの。金沢バスツアーをキッカケに
  20歳代半ばの行蔵が多く思いだされたしね。それと、好きな非日常を味わえ
  たしね。また桜の時節も、花見という非日常を楽しんでいるし。
大家: 人間、感情の動物だもの、そう簡単に割切れないですよ。
八: ここで至高体験の絶対量が問題になるの。彼は、それは信じられないほど
  の経験があるから、行蔵の内側は宝庫の山さ。そんなチャチなものではないよ。
熊: 人間って、不平等過ぎないか。普通、良いこと2に悪いこと1、って
  言うけど、俺の場合、真逆で、1対2の感じがするね。
八: そんなことはないね。なら鬱病で、病院通いさ。私が見る限り、2対1さ。
熊: なら普通だ。
大家: 近くに私と八つぁんが居るからさ。それと楽しみに長けている寅さんもね。
  それも、死んでしまえば、ハイ、それまでよ。何も持っては逝けないしね。 
  後期高齢者の身には、一日一日を楽しむしかないね。
八: <笑って過ごそう、ハンカチーフ!> ですか。泣いても笑っても同じ人生
  だもの。泣くも良し、笑うも良いだと、つくづく思うよ。
寅: それにしてもさ、娑婆には、つまらなそうな老人が多いね。
大家: そりゃ、生老病死の問題が色濃くなって、身体は日ごと弱って、
  周辺は次々に亡くなり、内面は穏やかじゃないよ。
八: 問題は、横の顔色ばかりみてさ、笑いものにする腐ったような奴ら…
大家: 「早く死にな!」と、思うが、あれじゃあ、当分は死なないね。陰口、
  悪口のオンパレード。私も、そう思われているし、現にそうだろうがね。
八: 今回の金沢ツアーの帰路の車内で、キミマロの漫談のDVDを流していたが、
  年寄りの悪口が、冴えわたっていたが、途中でハッとしたね。28人の参加だが、
  私が一番の御年寄り。自分の姿を笑っていることに、途中まで気づかないとは。
大家: まだ八つぁんは、私より10歳近く若いけど、80歳の峠は、それはキツイよ。
  キミマラ、いや失礼、キミマロも、年寄り弄りだったのが、自虐ネタの年齢
  に入ったためか、それはそれは、漫談ネタの毒が重苦しくなってさ。
八: そうだ、加山雄三の話に戻そう。失えばこそ、見えてくる己の人生を
  味わるのも、これも人生。どのみち、生きている内の泣き笑い。加賀百万石の
  金沢を46年ぶりに振返ってみて、その折々の「いま、ここ、わたし」と再開し、
  自虐の漫談を味わいつつ、現実に溺れつつある日常の中からドロップしながら
  日々を過ごしている自分との対話も悪いものではない。
大家: おやおや、丁度よく話を、まとめましたね。
 
――――
2002/10/04
至高体験-2

「この経験をしただけでも、この世に生まれてきた価値が充分にある。
この瞬間を経験する為に生まれてきたとといって良い」という感覚である。
精神病は精神のマイナスの偏りの病だが、プラスの人(何をしてもうまくいく人)
は、至高体験を異常に多く重ねているという。

それでは具体的に書いてみよう(恋愛・下ネタはないのが少し残念だが?)
旅行先でのそれが多いが

・初めて海外旅行ーヨーロッパに行った時、生まれて初めて腹の底から笑った、何回も!
確かイギリスのパブで、それとオーストリアのワイン居酒屋で、それとミュンヘン
ビアホールで。感動と歓喜の毎日であった。
その旅行で私の固い頭を(固定観念を)叩き壊されたのが最大の
収穫であった。
中学高校時代は腹の底から笑う事は本当に少なかった。
またそれだけ刺激の強い事は、それまで全く無った。

・あとは20数年前、実家の会社にいた時30人近くを引き連れてハワイに行った。
その時も、至高といっていい位ぐらいハワイの総てに感激した。
世界に名だたる観光地、ショーにしても、洗練された内容が次々出てきた。


・カナダのロッキーも感動感動の連続であった。「一回しかチャンスが無いが、
何処に行ったらよいか?」といわれたら、カナダのロッキーだ。
多くの旅行経験者はそう言う!
地球でなくどこかの星に行ったような錯覚に陥る。
「ロッキーでの旅行の感激は、「自分の家を売ってでも経験する価値がある」
とその時思った。
この日を境にして、この経験をする前と後という感じだった。

・9年前に震えながらいったケニアもそうだ。
アフリカの大地の広大のサバンナを見たときの驚きと感動!
遙か彼方にシマウマとヌーが数十頭走っている姿を始めてみた時の
感動も強烈な思い出だ。


・事業でもそうだ。
初めて千葉で千城ビルを立ち上げ仕事も軌道にのり、
ふとそのビルを見上げた時の何ともいえない絶頂感も良かった。
誰もがその瞬間を持っているはずだ。

・会社の忘年会や竣工式の後の宴会でも、それに近い気持ちになる。

成功経験を重ねる人は、至高体験を重ね続けることの出来る人だ。
巨人の長島は至高体験を普通の人の数百倍、いや数千倍経験している。
それがますます至高体験を呼び寄せる。
自分を良くしようとしたら、至高体験を重ねる事だ。
 
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2004/10/17
1293, 「閑」のある生き方ー読書日記 -3 
 「今ここに」を、更に考えてみる。
ー前回では
「空」を時の上から解釈して、「即今」、
 平たくいえば、ーただいまーと解釈した。
 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるということである。
 
 この「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。
 この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこには、
 あとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけということに気づく。
 空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
 hereーnow が、それである。
 ーを抜粋し、そして感想を書いた。
 
 今回は、その即今の凝縮した瞬間はどういう時か考えてみる。
 感動、感激、至高体験歓喜、感謝の時といえよう。
 その瞬間が「今ここ」を実感する時である。
 その瞬間を経験した時、それが永遠に通じている感覚がする。
 それが「永遠の今」である。
 
 感動の時、その瞬間は自分の中に永遠に残る切り取られた時である。
 この経験をするため、この瞬間を経験するために、生まれてきたといってよい。
 それまでの全てを超えた体験する飛躍の時である。
 その「今ここ」は、悟りの世界でもある。
 この中に、感激、至高体験歓喜、感謝が含まれる。
 いや、これらの言葉の中に、それぞれが含まれる。
 
 「今ここ」は、決してプラスの時だけでない。
 挫折をした時、死を宣告された時、絶望を味わった時、身近の人の死の時、
 等々、あげることが出来る。
 意識の深くに陥ってしまう時といってよい。
 その時は意識は研ぎ澄まされ鋭く自分を切り裂く。
 
 「今ここに」を意識している時は、宇宙の中心に立っている時であり、
 宇宙と直接つながっている瞬間である。 
 
 ・・・・・・
6222,閑話小題 -よみがえる100年前の世界ー
 2018年03月27日(火)
 * アルベール・カーン コレクション
       -よみがえる100年前の世界ー
 ネットサーフィンで、たまたま面白い本に行き当たった。
100年前から発信された、あの世からの写真のようである。
 20世紀初頭の頃、フランスの大富豪アルベール・カーンは、好奇心旺盛な
野心家。彼は私財を投じて、当時の最新カラー写真技術を携えたカメラマンを
世界中に派遣、時にはみずからも同行した。彼の夢は、20世紀初頭のありのまま
の世界を記録し、地球映像資料館を造ること。趣味の良い散財である。
 ここでは、現在アルベール・カーン博物館が所蔵するカラー写真72,000点の
中からとくに選りすぐりを紹介している。そこで、どんな写真か好奇心が沸いて
きたので、検索をかけると、現在では失われてしまった異世界の生々しい写真
が現われ出てきた。現時点からみれば、全くの素人の写真家と、その被写体の
人物の視線の純粋、無垢な心そのままが、時空を超えて直に伝わってくる感覚
になる。

  ~アマゾンの内容紹介から~
≪ 20世紀初頭の世界を、初めてカラーでとらえた写真集。
  同時期の40か国以上、387点をオールカラーで一挙公開。

「魅力的で鮮烈な最初期のカラー写真による祝祭」 ― ガーディアン紙
「まるで打ちのめされるような強烈なイメージ」  ― Time Out誌
「計り知れないほどの贅沢さ」          ―「テレグラフ」紙

NHK-BS「世界のドキュメンタリー」で放送されたシリーズ
「奇跡の映像 よみがえる100年前の世界」でも大好評。
「The Wonderful World of Albert Kahn」の邦訳版に、
日本の章を特別に収録したオリジナル版。≫

 カーンの地球映像資料館は第一次世界大戦オスマントルコの崩壊など、史実
を記録した点で高く評価され、記録にとどまらない。カメラマンは全世界に散り、
その国の伝統的生活・文化を記録してある。中には東洋、日本の風景もある。 
カーン自身、日本に惹かれて3回も来日している。フランスの彼の邸宅には
日本庭園も造られました。≫


▼ 年齢のためか、100年前の、それぞれの人物の視線は、現在の私に
<私はあなたと同じように100年前に存在し生きていました。その私そのままが、
今見ている貴方ですよ!」と、語りかけてくる奇妙な感覚>と思わせるような。
 ここにはカラー写真も多くある。モノクロ写真では「失われた過去」として
郷愁を誘うが現実感が少ない。カラー写真はその美しさで眼前に迫ってくる。
成るほど、世界は広く、深く、現世だけでなく、過去世を背負っている。
せっかく貰った現世に閉じこめられし者の悲しみの視線か、生の喜びの視線か?

・・・・・・
5855,閑話小題 ~ 大相撲・今場所が面白い

2017年03月27日(月)

   * 大相撲が面白い
 八百長事件や賭博事件で人気が地に落ちていた大相撲が面白くなっている。
TVの大型化と鮮明化に加え、ガチンコ勝負の徹底で迫力が圧倒的に増している。
モンゴル人の上位制圧に対抗するため、「腕白相撲」からの英才化で、日本力士
がモンゴルと互角近くになってきているが。逆に中卒からの叩き上げの日本人
力士は、稀勢の里、髙安、千代の国など7~8人しか存在しなくなった。
とはいえ、有望なのがモンゴル人にも多いのも事実。
 この19年、日本人横綱は出なかったが、先場所、稀勢の里が優勝をして横綱
なった上、今場所も何とか連続優勝をした。まさか奇跡はないと思っていたが。
 数百年、数千年、モンゴルの草原で羊の乳と肉で育ったのと、狭い山間の農地
で育だった日本人とは土台、骨格が違う。おまけに、相撲の由来がモンゴル相撲
であるとすれば… さもありなん。
 10歳半ばの少年期に高校留学で単身、モンゴルから外国の地にやってくるのと、
親がかりの腕白相撲上りとは、ハングリーの根の深さが違う。とはいえ、モンゴル
に幕内上位を占拠され、優勝がかかれば、稀勢の里のように同国人の援護射撃で
土俵下に叩き落とされる。 海外に大相撲を解放したのが良かったかどうか? 
 柔道同様、衛星中継の時代、開放して正解。相撲は立合いの一瞬で勝負が
つく、体重無差別の大型小型が争う異様な格闘技。面白いといえば面白い!
 若手の日本人の期待組は、・高安・正代・御嶽海・北勝富士貴景勝石浦
・小柳や、幕下以下に面白そうなのが多くいるが、問題は大怪我。

・・・・・・
5490,閑話小題 ~移民で行き詰る欧州
2016年03月27日(日)
 ベルギーのテロ。もっと大きな規模だったのでは? と報じられている。
パリの二つのテロと、このテロが一連のテロとして繋がっているが、何処で、
何が起こっても不思議でない様相になっている。 自殺願望の人が、どうせ
死ぬならと、勝手にISに入ったふりをして、テロを起こす可能性もある。
 何か世界的に、いやな空気が覆ってきている。IS支配地区では、世界中の
国が、彼らを殲滅しようと、彼らからすれば、虐殺がおこなわれている。
 昨日借りてきた月刊誌の『新潮45~1月号』の特集、
イスラム系移民で行き詰る欧州~ が、ずばり問題の核心をついている。  
   ーその一部を抜粋ー
≪ ドイツ政府が難民・移民の受入れに前向きだったのは、人口減社会への
対策という将来的な計算もあった。それは人口減に悩む日本にとっても他人事
ではない。だが、西欧のイスラム教徒を取材した経験から言って、私には移民
や難民を単に「労働力」と見るのは、もはや無意味であるように思われる。
イスラム教徒を西欧キリスト教社会にうまく融合できない限り、彼らは社会の
異分子であり続けるからだ。 現在、EU人口五億人のうちイスラム人口は
約二千万人を占める。同時テロ事件があったフランスはもちろん、ドイツ、
英国でもイスラム教徒は別世界を構成し、容易に白人社会に融合しない。
人道上の観点から、移民受け入れに熱心な北欧諸国では、ソマリア人たちが
都市部にゲットーを作ってしまった。今の欧州には、イスラム教徒を巧みに
取り込んでいる「モデル」は存在しない。
 それどころか、イスラム教徒たちには、経済格差に加えて、白人社会の目に
見えない「壁」が厳然と立ちはだかる。知人の三十代の男性アラブ系フランス
人は、「求人広告を見て電話すると、名前を告げた途端に、だめですね。
『もう決まってしまった』と言われますよ。時には名乗る前に拒絶される。
声の様子で移民出身だと分かるから」と言う。表には出ない就職差別だ。
 アバウドが逃げ込んだパリ郊外のサンドニは失業率が公式統計で18%、
貧困率が27%で、それぞれ全国平均の約二倍だ。ベルギーも事情は同じ。
ロッコアルジェリアチュニジアマグレブ三国からの移民やその
子孫の就労率は44%で、全国平均の76%を大きく下回る。こうした環境で、
イスラム教徒の若者は疎外感を募らせる。イスラム過激派対策に詳しい
フランス人の危機管理コンサルタント
・「彼らはなぜ過激思想に走るのか」と聞いた時、彼の答えは明快だった。、
・「心に穴が開いているからです。ぽっかりとね」。ローランはシリアや
イラクに何度も渡航し、過激派に走る若者と接触してきた。さらに、
・「欧州経済はお先真っ暗で、若者は将来を描くことができない。自由だけを
与えられ、彼らは何をしていいか分からない。コーランは何をすべきか、何が
禁じられているかを明確に示してくれる。イスラム教を理解していなくても、
過激派仲間と一緒に戦反意識を分かち合うことに生きがいを感じるのです」。
 欧州に到来した百万人以上の難民は、相当長期にわたって難民キャンプ
で暮らさなければならない。難民申請が認められた後も、以前より敵対的な
キリスト教社会に溶け込むという障害が待ち受けている。彼らが、現在の
イスラム教移民社会よりもうまく融合できるという保証は、今のところ
どこにもない。~ ≫
▼ 5億の人口に2千万人のイスラム難民とすると、日本に 五百万人の
 イスラム難民が存在することになる。考えただけでも、いや日本では、
考えられないことである。 中国人が観光ビザで入国して、そのまま滞在
している人が案外、多いのでは?いつの間にか、実は数十万も? は、
ないと思うがどうだろう? 砂漠の民用につくられたイスラム教徒が、
女・子供・奴隷などの弱者用につくられたキリスト教圏の欧州に、馴染める
わけがない。だから、目立たないように、生活圏を分けている。そこに、
当然、摩擦が起こり、その鬱憤が見えない戦争、テロになっていく。

・・・・・・
5125,洞窟の壁画 
2015年03月27日(金)
  * フランス、ラスコー洞窟の洞窟画
 8年前に購入した写真集、『世界のスピリチュアル・スポット』を
見ていたところ、「ラスコーの洞窟画」があった。以下は、そこに
書かれている説明文である。そこで、ネット検索をしたが、その規模の
大きさと、絵画の躍動感に改めて驚いた。面白半分の落書程度と思って
いたが、現代の画家も驚くほど、高度の技術を持った本格的な壁画・・
≪1940年、フランスのドルドーニュ県で、ヴェゼル渓谷の土手を探索して
いた4人の少年が迷子の犬を探していたときに木の下に穴があるのを見つけた。
そしてそれがきっかけとなり、地元の住人すら存在を知らなかった洞窟が
発見された。洞窟の中には約17.000年前、数世代にわたって創作された、馬、
野牛、鹿などの彩画、線刻画が保存されていた。はるか昔に衰退してしまった
文明で、ある特定の物事がなぜ行われたかを正確に知るのは困難である。
 だが、この洞窟が気軽な落書きの場でなかったことは明らかだった。
科学者で探検者でもあり、「先史学の父」と呼ばれたブルイユ神父は、道具や
ランプは散乱しているものの、人間が住んだ形跡がないことを指摘した。
この洞窟は何か特別な目的、おそらくは神聖な目的に限って使用された場所に
違いなかった。惰報が十分でないがゆえに、こうした場所がどういうかたちで
神聖だったのかについては、さまざまに議論を呼ぶものである。文書のかたち
でも口承ででも歴史が残されていないため、それぞれの主張を裏づけるものが
ないからだ。これらの壁画は狩猟の成果を表現したものと主張する説があれば、
猟の成功を祈願する共感呪術か、大地の「子宮」の内部で豊穣を願うシャー・
マンの儀式だったという主張もある。芸術的な内容から見るなら、壁画を描いた
人々の技術はそうした文脈を表現する上で大いに貢献した。彼らは洞窟内部の
凹凸を最大限に利用して多くの動物に立体感を与えることに成功し、なかには
高い天井を駆ける動物すらいた。画家たちの観察は正確である。彼らは対象を
熱知し、動きやカ、速さを表現することに多大な努力を払った。壁画は、
それを描いた人々にとって、単に目を楽しませるもの以上の重大な意味が
あった。これは、日常とは異なったレベルの意識領域に属す絵なのである。≫
▼「地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などが幾つ
 かあって、洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿 ・人間
幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印してあった」という。
それも、数世紀にわたり描かれたというから、呪術のひとつだったのだろう。
最古の洞窟壁画は、20年前に発見されたショーヴェ洞窟絵で3万2千年前のもの。
古代人の魂そのもの。世界は広く深いわりには、現代人は、あまりに底が浅い! 
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4760,そんなに長生きしたいですか ー8
2014年03月27日(木)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 死に時を忘れた日本人が多過ぎる!
ここでは「ある年齢以上の人には病院へ行かないという選択肢がある」
ことを提案している。
寝たきり時間が、男性6・1歳、女性7・6歳もある。問題は、不自然な形で、
生かしておくこと。それなら、ある年齢になったら病院に行かないこと。 
                   ーその辺からー
《 病院へ行かないことの利点として、
 ・第一に、濃厚医療による不自然な死を避けられること。
 ・第二に、つらい検査や治療を受けなくてすむこと。
 ・第三に、よけいな病気を見つけられる心配がないこと。
 ・第四に、時間が無駄にならない。第五に、お金が無駄にならない。
 ・そして最後に、精神的な負担が減るということを挙げられる。
誰もが死ぬことと、苦痛に対して恐怖を覚え、自然の寿命を受け入れられない。
多くの人が苦しい最期、過重な介護、膨大な医療費を背負い、
そちらの方が死よりも苦しい余生になる。》
 ナンシー・ウッド著『今日は死ぬのにもってこいの日』引用の
「タオス・ペブロの古老の言葉」(ネイティブ・アメリカンの詩)がよい!
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
 すべての声が、わたしの中で合唱している。
 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
 わたしの畑は、もう耕されることはない。
 わたしの家は、笑い声に満ちている。
▼「自然体で、死時がきたら、受け入れなさい。介護9~14年、寝たきり
 6~7年半で長生きするより、病気を受け入れ、放って、早そう死んだ方が
良い!」というのも道理で、老人ホーム医の言葉だから重く響いてくる。
「ある年齢」とは、各自違うのだろうが、還暦から古希の間だろう。私は医者
に一切行かなくなったのが4年前の64歳。私の死に時を75歳にしているが、
どうだろう? 今の酒量では無理? もう充分生きた気がする。
 最近、ー私は、生きていることが好きなんだ!ーの言葉が、心に焼き付いた。 
今の私の心境である。生きてきて、実感で、良いこと二つに嫌なこと一つ
だったが、歳をとるにつれ、その比率が近づいて現在は半々。
これからは逆転し、最後は嫌なことが多くなるのだろう。 
それでも「生きることが好き!」と、思いたいもの。
・・・・・・
4393,閑話小題 -つれづれに
2013年03月27日(水)
 * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど
散歩する姿はないのは寒いためだろう。分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さ
を凌いでいるが、日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。
毎日15キロ、一年200日として合計三千キロ。三年間で9千キロ走ったこと
になるが、自転車はボロボロになって当然。リチウム電池は、当初一回の充電
で二日持ったが、劣化で一日が限度。この買換えは一年後の予定?だが、
持つかどうか。あと一年で4年で一万二千キロ、地球の4分の1周を走った
ことになるのだから良しとするか。ギリギリ使うつもりだが・・
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの
脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根
をそば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ メスからの求愛である。
これで春の訪れを知るとは・・・
 * 久々にグーグルアースを覗いたが、面白くなっていた。アフリカ大陸に
グーグルアースの地球儀を回転すると、画面の下に各地のツアーガイドの写真が
10ほど出てくる。それをクリックすると、そこに焦点が合わされ拡大していく。
YouTubeの右に関連の録画の画面が出てくるのと同じ。これで更に使いやすく
なった。 また以前より写真とHPなどの貼り付けが多くなっていた。スマート
フォンなどの普及でタッチで気楽に使えるように進化していた、ということ。
改めて自分の生活の中でiPadが与えたインパクトの大きさに驚いている。
マイクロソフト、グーグル、マック、アマゾンなどが世界に与えた変化は、
あまりにも大きい。
 * 数日前に朝日新聞の一面のトップに腰痛の話題が出ていた。
こういう話題を一面トップで扱ったのは、あまりなかった。ところが一昨日、
一時帰宅した長男が腰痛になって医者に行ったところヘルニアと診断され
コルセットを付けて帰ってきた。私は半世紀も腰痛に悩まされてきた。
しかし医者にかかった事が一度もない。全てホッカイロで治してきた。
時間が解決するのを経験が教えてくれた。5年に一度は、ひと月ぐらいは
酷い痛みになるが、ある時期が過ぎると直る。この4年間は重い腰痛はない。
スポーツセンターに通って二年、エアロやヨガなどで足腰を鍛えているが、
季節の変わり目は鈍痛になる。50,60歳代の4割は腰痛に悩まされる
というが、人類永遠の課題の一つ、割り切るしかない。 
・・・・・・・
4019, シングルイン、31年間の総括 ー2
2012年03月27日(火)
 ホテルは典型的な装置産業で、資金を土地と鉄とコンクルートに固めて
しまうと、30年は維持しなければならない。その間に経営環境は激しく変化
するが、客室という単品を毎日売り続ける「あきない」である。立ち上げは
華々しく面白いが、その後の時代変化に対応するに、ダメ元の覚悟がなければ、
やれる事業でない。最初の千城台ビル建設で父から学んだことは、「ビルは
長期スパンの生きもの! ツブシがきく前提で設計すべき」ということ。
具体的には、骨組みを太くして、可能な限り柱を入れないこと。構造上、
難しい場合は柱を壁面に可能な限りよせること。それに、設計事務所の方針の
「ビルは、神からのさずけもの。自分だけの使いかってで造ってはならない」
が重なったビル設計になった。それと平面図に魂を入れること。
千城台ビルと長岡の場合、夢に、その平面が出てきて、3Dのような可視化
するまでになっていた。要は、万人に通じる魂を入れること。だから、
売りに出すと即売になって当然である。買い手の全部が、ホテルか建設関係者。 
それが分かるのだろう。この事業を始めるにあたって会社には家族や親戚は
一切入れず、保証人にしないことも前提条件にした。また初期投資二億全てを
失っても、後悔はしないこと。これは何度も自分に言い聞かせた。現在、
平然としていられるのは、その覚悟の上で始めたため。妻子を会社に入れ、
連帯保証を押させ、子供に家庭があれば、家族崩壊。それと職住を分けること。
また取引先に迷惑をかけないよう債権額を最小にするのは、後に恨みを残さない
ため。 倒産は、長年、一緒に苦労を重ねてきた社員と、その家族にも多大な
迷惑をかけてしまい後にひく。倒産の翌日、従業員を一同に集め解雇を
言いわたした時に、思わず涙が吹き出てきた。この人たちは明日から失業者。 
その思いが、言葉でなく、涙になってしまった。取引先に支払う分、最後まで
残って残務整理をしてくれた社員に回すべきだったのか?これで良かったのか? 
自問自答が続く。 正解はあるはずがないが・・ 倒産の虐めの一つに、計画
倒産疑惑の流布がある。銀行は、それを許すほど甘くないのを知って知らずか。 
私にとっては褒め言葉にしか聞こえないが。