閑話小題 ~3・11から10年の記念日 ~1

f:id:horii888888:20210112103611j:plain


 

    * YouTubeをみると…
 YouTubeには人気ランキング順が有って、まる10年目の時節に津波が多く列挙
される。 当時、会社清算の決断を迫られたこともあり、何か不思議な感覚に…
それでもドサクサもあり衝撃は最小で済ませることが出来たが、表層雪崩的とは
いえ、実際となると甘くはない。極度の緊張感もあって、身体が浮いたように、
手順を踏んでいた。こういう重大な決断は、NO2以外、相談しないのが決断のこと。
その内容と、個人の内奥の声を合わせて決断する。

 その最終の段階の打ち合わせが終わった直後の大地震と大津波。 福島では
原子炉が爆発した深刻な事態をTVで報じていた。 上越新幹線もまた不通で、
急遽、バスで長岡まで帰ることに。 …二つが重なったことも含めて、自らが
小説の主人公になってしまったような心持になっていた。
<事前の一策は、事後の百策に勝る>の格言通りに… 万一の策を二重、三重
に取入れていたことが、大きかった。その数日後に、NHKの県内版のニュースで、
当方の倒産(事業断念)を報じたのを見て、家内は面白そうな顔があって、
当事者と、その連れあいの大きな段差を感じていた。 一般債権がゼロに近い
ため、債権者が押し寄せることもなく、弁護事務所に債権者集会の有無の電話が
一本だけ入ったと、後で聞くことになった。銀行債権のみも珍しいとか。

 決断をした後も、実感は湧いてこないのである。だた、目先の手順は、思った
とおり進んでいた。具体的なケースは、創業した者の強み。事前に失敗した
場合の撤退のイメージをしていたため、撤退も事業のうち、悲壮感とか、茫然
とすることはなかった! 世の中は、あたかも末世の到来のように悲観的惨状を
報じていた。イザとなると、腹が坐るというか、目先の現象を只管、無事に過ご
すこと。ある意味で面白さを感じていた。 これまで白色だった駒が、黒色に
様かわり。

・・・・・・
30年前の3月31日を前にして
2011年03月30日(水)
  * 創業30周年の日を前にして ・・
 そういえば、明日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。 
当時の名前はベンクーガーホテル。その一月前の2月28日にホテルの一角で
デザイン学生服をオープンをしていた。いま思い出しても、良い時代だった。
一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが
話題をよんだ。平日はホテルに集中。土日は学生服を販売する変わったホテル。
チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、創業前
に人材を集めるのが大変な時代。当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。
ホテルなど誰も経験者がいない中で、右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 
何かにガムシャラに前に向かえば、そこには求めるもの答えがあった。
私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、
当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。平均給与は数倍に上がって
いるに関わらずに。 
 ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、2008年の9・15の
リーマンショック。そして、この大震災。その中で特に日本は、その都度大きく
変動した。 自分の人生を振りかってみて、時代の要請にそって能力をつくり上げ、
成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。事業は30年が大きな節目
になる。その節目がきた。
 
 ・・・・・・
3653, あと一月で10年
2011年03月27日(日)

 何ごとも、一日3時間を10年続ければ「ひとかど」になるという。 で、
この随想日記を書き続けて、あと一月で10年。で、何だったのだろうか? 
常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。
ここで何年に一度、書き続けている効用を取り上げてきた。
論理思考が培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、
同月同日に書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くては
ならない存在になっている。 常に変わったことや、面白いことに出合うと、
その場で自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。
「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、現象に隠された本質を、あらゆる
角度からみる視線である。
 ところで10年一区切りで実はホッとしたところもある。 この随想日記を
休むことも考えている。一度休むと、再び書くことが面倒になるが・・ 
「一日も休まない」というのは実は大きなプレッシャーだが、反面それが張り
になっていた。 何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。
書くということは、自分の心の開放でもあり、自由を獲得している部分がある。
それにしても、10年も続いたものと自分自身が驚いている。
「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。それを
分かっていても、偉そうなことを書くことで、自分を開放をする面白さもある。
 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 このまま書き
続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は少しは?分かった。 
書き出すことで、その背後にある膨大の世界を僅かながらでも知覚できたことが
何よりも変えがたい収穫であった。 節目の時であることは間違いない。 

・・・・・・・・
3288, 人みな骨になるならば ー6
2010年03月27日(土)
  * 意味の意味
 ーまずは、意味深長?の部分を抜粋してみるー
 いろいろと思索した挙げ句、いにしえの賢人たちは「人生に意味があるか
どうかという問題に対しては客観的な解答があるのではなく、各人が自らの人生に
意味を付与するかどうかにかかっている」といった暫定的結論に達したもようである。
これは、ずいぶん心もとない結論である。 こちらの理解の仕方によっては、
「みなそれぞれ勝手に意味を見出しなさい」といっているだけなのである。だれも、
われわれ一人一人の人生に意味・意義・価値などを保証してくれてはいない。
われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。それを
決めるのは、われわれ一人一人の思い込みにすぎない、と言わんばかりである。 
そして、やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の人生には意味があるとする
あつかましい人物と、宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、いずれが
正しいかを判断する根拠などない。思いたい放題であり、思った者勝ちのような
ところがある。 なぜこのような次第になるのだろうか。おそらく「意味」とか
「意義」とかの言葉の起源に問題があるように思われる。 それらは「目的」などと
同様に、古代人の日常生活の中から生まれてきた概念である 全ての言葉がそうな
のだが)。大昔、まだ人類が人生やら宇宙やらをそれほど真剣に考えておらず、毎日
の生存や空腹のことで頭がいっぱいであった頃、なんらかの対象や行為が役に立つ
ものかどうかが最大の関心事であった。 そして自分や身内にとって大切なことが、
すなわち「意味」をもち「意義」のあるものであった。「目的」もまた本来は、欲求
の向かうゴールであり、その達成のために努力という投資と、さまざまな「手段」を
講じなければ到達点にすぎなかった。・・・・・
 たぶん人生や宇宙には「意味」も「目的」もないはずである。 それらもまた
木登りや航海と同様、ひとつのプロセスには違いないから、「結果」はあるであろう。 
あらゆるプロセスは、特定の時点をとれば「結果」を伴うからである。 その結果を
意味や目的と読み替えることはできるだろうが、それなら宇宙や人生の意味と目的は
消滅すること、ないし永遠に溶け込んでいくこと、あるいは繰り返されることに他
ならない。 単なる繰り返し(永劫回帰)には意味がないであろう。存在するものは
いずれ消滅するのだから、存在の最終的な結果は消滅ということになる。 しかし、
こんな結末は意味や目的と言えるだろうか。もしそうなら、われわれの誕生の目的は
われわれの死亡ということになる。それゆえ結果があるからといって「意味」や
「目的」があるとは言えない。「意味」や「目的」というのは単なる結果ではなく、
目指すべきものであり、さらに、あくまでも「自分(われわれ)にとって」という
但し書きがついていなければならないのである。宇宙や人生に、自分(われわれ)に
とっての意味や目的があるとしても、それは人間だけの話である。
 ~~
 人生の意味など、後づけの自己正当化でしかないのは自明のこと。 独りブツブツ
呟くように支離滅裂のことを書いている? この随想日記のようなもの? 
「意味とは、価値に非常に近い言葉」と信じていた。だから、意味・意味と生半可に
語る人に「それを価値・価値と置き換えれば、自分エゴの意味づけに気づくのに!」
と、何時も内語で呟いていた。意味など自分の都合のよい筋書きの為のエゴという
少し歪んでくる??エゴは決して悪くはない、但し他人の犠牲を・・