緩和小題 ~如何するだい

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   * 須らく如何する…
 パラダイム(paradigm)とは、ある時代や分野において支配的規範となる
‘物の見方や捉え方’のことです。狭義には科学分野の言葉で、天動説や地動説
に見られるような「 ある時代を牽引するような、規範的考え方」をさします。
このような規範を根こそぎ変わるのがパラダイムの大転換。
 このパンデミックで、極論としてもアメリカ人が最大 50%の人々が職を
失うかもしれない事態。超大型地震が海の沖合で起きてしまったのである。
現在、起きている諸現象は、その一波でしかない。 数ヶ月、数年スパンで、
次なる津波が世界中で、陸地に向かい… 
 世界は新たなポスト・コロナに向かって全てが動き出している。
ビジネスを例にとると…居酒屋チェーン、SJ、パチンンコ、劇場、サッカー、
プロ野球、大相撲などの全てが… オリンピックは中止か、無観客試合。 
 いや…中止が妥当である。アスリートの気持ち云々…? 東北大震災で、
誰がそんな甘ったるい言葉を吐いたか。これは、メガトンクラスの大参事。
 ―
   * 竹の花は、120年に一度咲く!?
《 いっせいに花開き、そしてすべて枯れてしまう竹は一つの竹林で一つの命を
 もっていると言える。長い間地下茎で竹林を広げ、ある時一せいに花を咲かす。
若い竹も年老いた竹も同時です。そして種子を残し、すべて枯れてしまいます。
竹林が丸ごと消えてしまうため、もとに戻るには10~15年の長い時間がかかる。 
昔から、竹の花が咲くと凶事の前触れと恐れられていた竹の開花スパンは種類に
よってさまざまですが、モウソウチクで60年、マダケで120年前後と言われる。
このため、竹の花は不吉な出来事の前兆と恐れられてきました。》
 ―
▼ これが去年の現象とすると、いやに時節が一致する。まずは目先の一波を
 何とか遣り過すこと。他人の逆行け花の山。恐らく、実感として何が起きたか
理解不能。誰も彼もが経験したことのない事態であり、まずは、日常の常識を
捨てること。 現時点は、東北大震災の大地震が起きて、第一波が目の前に到来
しつつある頃と見ればよい。その先の第二、第三の大波が問題。 覚悟をして、
裏山に向かって一族郎党だけでも、いや自分一人だけで逃げること。
 …ボ~ッとした人に脇目も触れず。  …まだ、言ってるよ! 
<○○さんも逃げたって!> ‘救いようがない、救われない。カッパエビセン’ 

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6622,閑話小題 ~AIについて
2019年05月03日(金)
    <「AIが人間を殺す日~車、医療、兵器に組み込まれる人工知能
                        小林雅一(著) >
 最近の情報機器の進化には目をみなることが多々ある。数年前に、居間
から寝室に移住空間の主体を移動してきたことは、何度もテーマにしてきた。 
廊下を挟んで対角にある仏間の書斎コーナーのパソコン前の空間を加えると、
一日の三分二に近い15時間は「奥の院」に在住している。そこでネットTVと、
録画した映画・ドラマと、旅紀行、各種の講演や、YouTubeで動画サーフィン
などに没頭する。そこは現実社会とデジタル映像の世界が交差する不思議な
空間でもある。AIが人間をコントロールする可能性がある「2045年問題」
 奥の院では睡眠以外の時間は情報端末で、コントロールされている。
  
  ~Amazonの内容紹介より~
≪   ◉ 誰も言わない「一番の脅威」 ◉
 飛躍的な進化を遂げる人工知能(AI)。明るい未来が語られる一方で、
「AIに雇用が奪われる」という見方や、超越的な進化を遂げたAIが人類を支配する
「二〇四五年問題」などのAI脅威論も少なくない。しかし著者はむしろ、目前に
迫る危機として、車、医療、兵器の三つを挙げる。共通するのは、私達の命に直結
する分野であること。ここに今、最先端のAIが導入されようとしているが、中身の
見えないブラックボックスであるうえに、ときに暴走の危険性をはらむ。
 世界の制御権が人間からAIへと移譲されたとき、その先に見えるのは自ら判断
する機械・システムが人の命を奪う衝撃の未来。AIの真の脅威が明らかに! ≫
   ~読者、感想より~
・本書でキーワードとなるのは、「Human in the Loop」「Human out of the Loop」。
すなわち制御の輪の中に人間を含めるか、それとも人間を除外するかということで、
自動運転車でいうと、Googleなどが目指しているような完全自動運転車は
「Human out of the Loop」の思想に基づくものになる。今やAIの主流となる
ディープラーニングではビッグデータに基づきAI自身がある法則性の下でアウト
プット(判断や命令など)を出すが、その過程はブラックボックスでAIの開発者
でさえなぜそういう判断になったのかを理解することができない。AIの判断が
統計・確率に基づくものである限り、現実世界との微妙な誤差により誤った判断
をする危険性があることを著者は指摘しており、自動車や医療分野など判断が
人の生死に関わる分野では「Human out of the Loop」は危険であると論じている。
一方、半自動運転車のように人間の関与も含める形の場合は、どこまで人間が
運転に注意を払わなければならないか曖昧な点が問題、実際に実用化されている
半自動運転車の死傷事故の分析では「ドライバーの混乱」が事故の主な原因と
されている。ということで、AIの判断にどこまで人間が関与するかは難しい問題
であるが、急速な勢いでAIの開発と応用が進んでいる今こそ社会全体で考えて
いかなくてはならないことは間違いないであろう。
・本書では、主にAIの技術的な面に焦点を当てて論じているが、基本的にAIの
判断過程がブラックボックスでしかもIoTで様々なAI搭載機器がネットにつながる
時代では、悪意を持った個人やテロリスト、国などによる脅威もどんどん高まって
いるだろう。自動運転車搭載のAIに外部からの操作で誤作動をさせて事故を起こす、
医療分野で治療を支援するAIのプログラムを操作して誤った治療方針を提示させ
結果患者を死亡させるといったケースがまったくあり得ないことではない時代に
なりつつある。AI搭載の兵器がテロリストなどの手に渡った際の脅威は言うまでない。
こういったケースも想定した上で、AIの信頼性を更に高め、悪用を防ぐ方策を
考えていくことが特に人間の生死に直結する分野への応用においては重要であろう。

▼ AIといえば、最近、コマーリャル等で、見かける『ポケトーク』。
 翻訳は、端末ではなくクラウド上のエンジンを用いている。そのため、言語
ごとに最適な翻訳エンジンが活用できる。 従来のオフラインの翻訳機ではなし
えない高度な処理を実現している。これで海外旅行での会話の心配が少なくなる。 
 これをみて、直ぐに考えついたのが『ポケフレンド』。何かを思いついたとき、
話しかけると、即座に、自分では考えつかないレベルの面白い考えを自動的に
伝えてくる機能の端末…。そう遠くない内に、こんなのが出てきたら、如何なる? 
これは思考AI、いや思考サイボーグである。協働ロボットならぬ「協考AI」。
もっとも、グーグルの検索機能も、その類。 自宅の2台のTVはソニーだが、
パナソニックのTVは、音声で直接呼びかける機能と言うが…

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6260,閑話小題 ~17年書き続けると
2018年05月04日(金)
   * 5月4日は、このブログ開始記念日
 このブログは、私の人生を根底から変えてくれた。
まる17年間、6260回も続けてきた。学生時代に、基礎教養不足に気づき、
読書習慣と本屋通いを習慣に取入れた。読みっぱなしのためか、
読んだ割に知識が身に付いてなかったことに焦りがあった。55歳時に、
何とかパソコンを我が生活の中心に取り入れたいと近所に出来たての
PC教室の通うことにした。当時は、ブログは出始めた頃。
「個人HPの作成の過程でネット社会に近づくこと」を目的にした。
以来、現在に至っているが、2007年12月から、「はてな」のブログを
始めて10年あまり、今では、来訪者は、ほぼ「はてな」に移動した。
 しかし個人HPの「内部検索」が、私にとって非常に効果的になっている。
以下にコピーした過去のテーマは、これによる。例えば、「イスラエル」と
検索すると、数秒もしない内に、時系列で現れ出てくる。脳のクラウド化の
感覚が何とも奇妙。写真も、然り。 下記の中に書いてあるように、学生時代
のカード日記作成の下地」がある。下記も「カード日記」で検索したもの。
 ある意味、潜在意識化された記憶をキーワードで引張り上げが可能に…。
ささやかだが、私には、非常に効果的システムである。TVで「タンザニア
の放映があれば、タブレットで検索すれば、たちまち当時の記憶が鮮明に
現われ出てくる。若者、子供が、こんなことより遥かに情報機器を使い
こんでいるのだから… 情報化社会の一端を連日、目の当たりにして、
その面白さ、楽しさを充分に満喫できる日々が信じられない感がする。
 何事も一万時間か、10年続けることですか。

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2016/12/08
なぜ本を読むといいか? ~7
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博
  * 確実によい本に出合う方法はあるのか?
 本の選択能力を磨くには、どうしたらいいか。
“どのよんなジャンルでもいいから、数にあたることが大切”と著者はいう。
あたり前のことだが、その中で、著名人の読書指導書を、何処かで読んでおく
べきである。ツボを心得ているかどうかで選択肢が変わってくる。
それ以前に、あらゆるジャンルの絶対量の読書が必要になる。
 ~その辺りを、第5章に具体的に述べてある。
≪・“こうしたよい本に出合う機会は、当然のことながら、読書の量を
 重ねれば重ねるほど多くなる。「これだ!」という本を数えたことがない
から確かなことはいえないが、私の場合、おそらく300冊ぐらいだろうか。
300冊という数字だけを見れば多いかもしれないが、それでも3千冊読んで
の300冊だ。9割の本は、私の感性には引っかからなかったということ。
でも、それで損をしたとは思わない。無駄な本に出合わずに効率的に本を選ぶ
ことなど、どだい無理だと思っているからだ。
・また、他人の脳のかけらをつなげて新しい視点を獲得したいと思うならば、
自分には相場観のないジャンルや著者の本を手に取ることも大切だ。相場観を
持たない世界では、だれだって効率もクソもない。全く外れになる可能性も、
おおいに歓迎しよう。そのリスクを取ることで、リターンが得られるのだから。
・大事なので、結論を繰り返す。
 本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、「乱読」の習慣化をすすめる。
予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が将来
起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。
 本に即効性を期待する人もいるが、私は違うと思う。
本1冊の値段は文庫本で500円前後、新書で700円~900円、単行本で
1300円~2000円程度である。買ったうちの9割がダメでも我慢できる。
 外れる確率は高くても、偶然の出合いがあるほうが、よほど面白い物語に
なると思う。それは人生における人間との出会いと変わらない。 人生における
偶然の素晴らしい出会いを、効率的に設定することなどできはしない。
本との出合いも、同じなのである。数をこなそう。≫
――
▼ 現実の体験や読書評を連日書いてきたが、一つのテーマに対して、
 その選定から、起承転結をマトメルに膨大のエネルギーを入れている。
文字の認識度が低いためである。子供の頃から漫画が好きで、絵からの
認識度があるが、読書脳は希弱のベース。 まして、文章化など・・ 
 それに気づいたのが学生時代。それを取り戻す為、毎日2時間以上の読書量
の確保と、日記と、メモを小まめにとることにした。 で、辿りついたのが、
ブログ、この雑記帳的随想日記である。 大学を卒業直後、何か足りないと
気づき、一年間、独学に近い状態で、産能大学で遊学。フィールド(現場)の
情報を効率よく残すには、如何すべきか? そこで得たのが、記録方法。
この随想日記の原型の方法、カード日記である。それも、大型カードに、
記録を残し、日付を入れて、毎日、得た知識のカード化。新聞切抜きは、
それを二枚重ねホチキスでファイル状にして、カードに挟んで茶封筒に入れる。
 ところが、これに問題が生じてきた。そうすると、最少単位のテーマを
二度と見ることがなくなる。その弊害が、その習慣の自然消滅の原因になって
しまう。 現在のブログに、毎日、同月同日の文章をコピペをしているのは、
かって書いた内容を、一年に一度、目を通す為である。また、ブログ内検索で、
思い出すキーワードで過去文を瞬時に引出している。実際、この随想日記は
私には非常に有効なシステムになっている。「私は無能で、遊び好きで、怠け者」
と自覚しているため、習慣化という第二の天性を多く重ねるしかないことを、
人生で学んできた。 他者の冷たい蔑視に、殆ど気にしないでいられるのは、
<少し離れてみれば、所詮、石の形、大小が違えども、砂利、砂でしかない> 
 を自覚しているため。 良質の量の増加は、質の自然変化を促す。それも、
 砂利の中の比較世界の話、アフォと、パーの違い。
トランプとクリントン女史の討論を見れば、自明? 韓国の女子たちも然り。
すると、安倍・麻生コンビも如何だろう?と 自然考えてしまう。・∀・)ニ 

・・・・・・
2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」-1
                      -読書日記
「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から
日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。
数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな
手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、
神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という
意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。
 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。

ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、
悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。
死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。
それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。
食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、
われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。
一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、
ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、
ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を
特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。

”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」
「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」
本当に、このことはとても微妙で重要だ。
<「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。
インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”

”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、
よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、
自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に
なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械
のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの
ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”

”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十
万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、
溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。
ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”

”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは
「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。
心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”

”自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、
書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、
世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に
”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。
神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。
彼あるいは彼女を駆立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが
(特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう>
という信念というより信仰に近いものだ。”

”少なくとも結果の保証のない賭け。
賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定
不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、
その安定と安心。”

読んでいるといつの間にか、深い心の底に導かれてしまっている。
[深いことを書くこと]は、読者を深いところに導くことになる。
・・・・・・
2017/08/25
閑話小題 ~ 随想日記、6000回超え、

   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが最大の利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。