つれづれに

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今日のYoutube
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 少くとも長岡は台風の影響は殆どなかったようだ。
10年来で一番の規模の台風というので、少し構えていたが。
スポーツジムには、普段通りの人がいたし、スーパーも同じ。
 数日前の自転車の転倒の左肩の痛みがまだ取れてない。
自転車は気持ちが良いが、やはり危ないことも確か。
この程度で済んで良かった。

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2022, 「ちょい悪」の一考察
2006年10月16日(月)
「ちょい悪親父」の「ちょい悪」=不良= の意味を考えてみよう。
子供の頃「不良」という言葉には、不気味な響きがあった。今でいうヤクザモノというか、
前科者か、その予備軍という意味があった。徒党を組んで同級生弱い者虐めや万引きをする
ゴミのような連中で、誰の目にも卑劣の負け犬ということが歴然としていた。
 そういう人間は中学校を卒業して以来、身近にいなかった。そういう場に近づかなかったこと、
近づけなかったこともあるが・・・ 街中の割には、それほどの札付きの男は居なかった。
 私が知る限り「不良」という言葉は、近年になって死語になってしまった。
最近の「不良」の意味あいは、「付和雷同の世間体を大事にする良い人・真面目な人」に対して、
「不真面目な人」に使われているようだ。この大多数の真面目?の人たちは、既にその子供によって
馬鹿にされ、それすら気づいていない哀れな存在?と見られるようになった。もっと露骨に言えば
「毒にも薬にもならない凡くら」それも人生だが・・
「ちょい悪親父」の悪は、毒である。「ちょい毒」を持っている親父をいう。
その「毒」を使い分けることができる、ということである。「ちょい悪」と「おやじ」という言葉、
何かフィットする。イメージとして、戦中・戦後生まれの団塊までの55歳から65歳で、
高度経済成長期の真っ只中で生きてきて、何か真面目でも、不真面目ともいえない、
その辺の居酒屋でクダをまいている男・・・というイメージである。
というと私のこと?と同年代の人は思うだろうが、正に私も含めてピッタリ当てはまる。
「若いうち論語とか、諸子百家あたりを読んでいるのはよいが、歳をとってから急に目覚めている低脳親父。
何じゃい?今頃になって『師のたまう?』だと、この馬鹿野郎!黙って、部屋で読んでいる分には良いが、
般若心経を読んだり、写経している分にはよいが、今さら孔子・仏でも無いだろう。」と、
捨て身になって言える親父が 「ちょい悪親父」である。
私の酒飲み仲間に、多くの「ちょい悪」がいた。いや、いるか?際どいところにいながら、
崩れていない人?のことだ。酒を飲みすぎて死んでしまった人や、??の秘密を持っている人、
ど助平の人、しかし、何か男の色気がある、自分の毒を上手く薬に変えている人?
自分の好きな趣味を持っていて、こだわりのある人をいう。
大多数?の真面目で面白くない人の共通点がある。
 ・安易な人生を過ごし、読書の習慣の無い人である。
 ・まじめで良い人で、
 ・努力をしない人で、何か白けていて、
 ・趣味のない人で、
 ・他人を否定することで自らを見出すしかない人 である。 
そう、「貴方のこと」である。 冗談、冗談!そういう人は、このHPなど見ていません。
何処かの会に出て、「汁のでそうな連中」同士が奇麗事をいっているから、決して貴方ではありません。
ところで「汁のでそうな人」を書いてみようか!
書いたあと、「自分のことだった」と一人赤面したりする可能性ありだが・・・
「ちょい悪」から面白い造語ができそうだ。 次回は、「ちょい悪造語を創ってみました」か?

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2005年10月16日(日)
1657, 世界の絵画50
今回の北イタリア旅行でも、フィレンツェのウフィツ美術館で素晴らしい絵画を多く見ることができた。
実物を見ないかぎり、その絵画の背後にある意味を知ろうするには余程でない限りできないものだ。
「知識を持って絵をみること」これを知ったのは、15年前にスペイン・マドリッドにある
プラド美術館で、日本人のガイドの説明を聞きながら絵を見た時である。絵の中には、さまざまな
ドラマが詰まっている。その画家の技法、思い込み、性格を知ることで、絵が全く違ってみえる。
ピカソの「ゲルニカ」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」、そしてゴヤの「裸のマハ」
「カルロス4世の家族」スペイン独立戦争を描いた「1808年5月3日」など、絵の中にある多くの背景と、
隠されているドラマを聴きながら、初めて知識を持って絵を見ることの醍醐味を経験した。
名画は、画家たちの精神や思索の凝縮したものである。 それが絵画というカタチで、私たちの前に
提示されている。いかなる技法で描かれたか、あるいは画家が作品に込めた思いや、その人となりを
知ることで、はじめて鮮明に私たちの目の前に立ち現れてくる。それまでは、絵の力や精気から
感動を得るだけであったが、この日以来、絵の見方が全く変わってしまった。
その意味で、この本は初心者にとって理想的な本である。
この歳になって、やっと知りえることがあまりにも多い。年齢を重ねることは、前を向いているかぎり
堰が切れたように好奇心が旺盛になる。自分を鳥瞰できるようになるからだ。
ー目次
1 誰の何という絵か言えないと恥ずかしい名画
2 見る者を神話・宗教の世界へいざなう名画
3 美術史のターニング・ポイントとなった名画
4 歴史と人間の営みをいきいきと表現した名画
5 画家の心象風景がリアルに伝わってくる名画
6 独創的な色づかいとフォルムに圧倒される名画
                           著者名:佐藤 晃子
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2004年10月16日(土)
1292, 随想について
 随想日記を書き続けていると色いろな事に気が付く。結局は、随想とは自分自身のこと、
それも自分でしか書けないことを 表現する、自分の物語である。
 もともと日記と随想は違うもの。
日記の対象は自分であり、日常の出来事や気持ちを書き残すものであり、随想は第三者を想定して、
それに合わせて書き下ろすものである。その二つを重ねた随想日記とは、矛盾している。
実際は「毎日書く随想、あれこれ」という意味である。いや、日記にテーマをつけて書いていたのが、
随想的になっただけである。
 日記としては、この随想日記に書いてある「22歳の日記」が、理想に近い。
時系列に、その日の出来事と気持ちを正直に書いている。当時はただ、自分をコントローズをする為に
本能的に書いていた。 友人と議論した内容や、ちょっとした社会現象に対する意見や、読んだ小説や
本の感想が書いて置けばよかった。 当時、何故書いたか、その動機を憶えていない。
 それに対して随想は、第三者に向かって自分を表現する物語である。読んでいるほうは、
実際こんなに面白いものはないだろう。ふつう経験できない個人の心の奥底に入り込めるからだ。
 文章は飾り立てても、その飾り立てている姿が出てしまう。正直に書くしかないし、
そうでなければつづかない。飾り立てても今更というのが、書き手の立場である。
 毎日テーマをたてて脳の奥底を書くかというと、「未来の自分という読者と、まだこの世に
存在しない子孫をも意識している」 からである。そう思って書いていると、魂が入る。
「今ここで」が、そのまま入魂になるからである。

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2003年10月16日(木)
925、「おん宿かわせみ」
 ホテルのフロントにたっていると、色いろな人生垣間見みれるという一宿一飯のサービスと
部屋貸しの商売である。色いろな人が泊まっているのは当然である。
7割がリピータで、何らかのカタチでその人の事情が見えている。
 年に2~3回は、当ホテルの通報で犯罪者が逮捕される。フロント内に指名手配の写真が
数枚張ってあるのだ。その功績で表彰状と金一封ー5千円を貰ったことがある。
 一月ほど前は広島の詐欺師で、通報をしたら7~8人の刑事が来て連行
していった。ホテルからの通報ということを知らさない為か、違う捜査で各部屋を
調べているように装って、偶然みつけたようにしていた。お礼で3千円ほどのケーキを貰ったが。
 ロシア人を捕まえようとしたら、一瞬の差で窓から逃走してしまったこともあった。
大体が、通報があった場合、外に出てくるのを待って逮捕する。こういう時代のため、
最近は得体の知れない人が10人前後はいる。どう見ても泥棒としか思えない人もいるという。
あまり派手なたちまわりはない。誰もそうだが、自分の居場所では大人しくしているものである。
 三日前には、5月2日より長期で泊まっていた老人が部屋で亡くなっていた。
偽名で泊まっていたが、警察が所持品で調べたら身元が分ったという。家出をしていたらしく、
親戚が三人駆けつけてきた。最近になり身体全体が浮腫みはじめていて、コンビニに一日一度出かける
のも大変そうだったという。推測するには、癌か何かの宣告を受けて死を覚悟で家出をしたのではと?
どういう気持ちで泊まっていたのだろうか。 死は直視することはできない!

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551、「エッ、嘘だろう!」-2  
- 2002年10月16日(水)
 本当かいな???「ビジネス客数56?減!!」「観光白書」の宿泊数の激減の実体をみて驚いた。
2001年度の国内宿泊は前年に比べて、「マイナス17」。その中のビジネス宿泊は何と
「マイナス56?」という。 ビジネスの宿泊が、一昨年の1億5700万人から6800万人に激減、
正しく壊滅と言ってよいだろう。今年度も減少が続いている。そうすると3分の1以下である。
現場からは、「この数年背広を着たお客が激減をしており、数分の1以下」という話しを聞いていたが、
白書で実際の数字を聞いて現場の話しが裏づけられた。
 その代わり関東圏を中心とした建設関係の現場の作業員の小団体や、得体の知れないセールスグループが
多く泊まっているという。新潟市内は現在のところ再開発やSCの工事が多い。下請けは今や地元より
全国レベルで集めてくる。その団体が泊まってくれるのだ。今や作業現場では泊まらない。
 当方は勝ち組みで、昨年は2?の減で済んだ。しかし全国的の実際の数字は、マイナス56?の
世界であった。チホウ銀行の態度が全く変わったのは、あくまでもその一員と見た為であった。
その不自然の態度が昨日の情報でやっと解った「なるほど!!!」
 日本の経済が壊滅の状態というのも決してオーバーの表現でない。
負け組みなら前年比マイナス70~80?減の世界だろう。
 こういう情報はマスコミには載らない。戦略の一つにコスト力が最大の課題になっている。
当社の強さはコスト力である。こうなった時に強さを発揮できるのが救いである。
 今日のテーマ「エー、嘘だろう?」がこれから多く出てくるのではないか?

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[188] 愛犬、コロー   
2001/10/16
 犬ー子供のころのペットは懐かしい。猫がいて猿がいて、犬のコロがいた。
 初代コロである。白と茶と黒の混ざった雑種のムクイヌみたいな犬であった。
一番のおもちゃと同時に友達みたいであった。初めて出会ったころは私の6歳の頃か。
少し頭が悪く、人がいい?ところがあった、当時は放し飼いで、時たま行方不明になったりした。
近くの高砂園というお茶屋の犬がライバルで、喧嘩ばかりしていた。家族にも従業員にもお客にも、
愛されていた。最後は病気で死んだが、ペットといえば一番印象に残っているのがこのコロである。
 次のコロは、長岡駅駅裏に10歳の頃住んでた時、前の家主の飼っていた犬であった。九州に引っ越した為、
そのまま飼っていた。細い茶色の猟犬のメス犬で、家付きの犬のせいか陰のある犬であった。
猟犬のため鼠をよく獲っていた。この犬はよく子供を産んでいたが、捨てにいった後一晩中
啼いていたのを思い出す。4年後に交通事故で死んだ。
 よくしたもので、その直後小さな柴犬が紛れ込んできた。恐らく逃げ出したのだろうが、愛想ががよく
そのまま居つき、10数年後行方不明になった。学生時代、夏休み等の長期休暇の暇つぶしに、
石灯籠に飛び乗る芸当を教え込んだ。
その犬を散歩に連れて行ったら、橋の欄干に自分で飛び乗った。そのまま彼女の芸になった。
 結婚後は家内がペットが嫌いで飼ってない。