読書日記 ~『自由への旅』

f:id:horii888888:20191010182841j:plain

         < 自由への旅「マインドフルネス瞑想」実践講義 >
   * 自由とは… 「今、ここ」に意識を集中すること!
 ~まずはマインドフルネスをネット検索すると…
≪ マインドフルネスとは、自分に‘かかわる’すべての状況をありのままに
 受け入れ、「今 ここ」の瞬間に意識を集中することです。この状態になる
ためのこの瞑想は、「今、この瞬間」にいるために不可欠な注意力と集中力を
養うためのトレーニング方法。
 マインドフルネス瞑想は、精神疾患などの治療法のひとつとして効果が期待
されているだけでなく、生活の質を高め、より良い人生を送るための手段とも
なりうる。毎日実践することが理想的ですが、まずは自分にできる範囲のこと
から始めてみましょう。 ≫ とある。
 ―
▼ このブログで実践しているテーマ日記が「マインドフルネス瞑想」の実践
 として捉えられる。 雲を掴むような空虚な日々の中で、「今日のテーマは、
これ!」として残すことで道標として残す。ある意味、『自由への旅』である。
だから続けられる。 振返ると、続けたほど、間違いなく、そこに「自分」の
一部が痕跡として残っている。その痕跡が既に20年近く蓄積し、脳内ネットに
なっている。
 この本は、11章、500Pもあるが、最初の4章に8割の要素が詰まっている
というから、次回から、4章を各章ごとにテーマとして取上げていく。
私のライフワークの『世界秘異郷の旅は、自身が日常に埋没しないための
『自由へ飛躍する旅』だった。 行く度に、自分が軽くなっていく感覚。
死ぬとは、自由への飛躍という実感が、そこで対象と重なって見えてくる。
 
 = 次回は<第一章 心の準備>          
    その一節 ~節制こそが自由に繋がる~
自由の本当の意味は、何が役立ち、何が有益で価値あるか、何が健全で
何が不健全を知ることです。そして健全であり正しいものを選んだ上で、
真心をこめて行うことです。
                
・・・・・・
6521,閑話小題 ~『最悪!』と思ってることが、実は最善
2019年01月21日(月)
 「最善を期待しなさい。時にあなたが『最悪』と思っていることが
   実は最善なのです」    ―ジェームズ・レイ
 
 人生を振返って、『ああ、あの時は最悪と思いこみ落込んでいた時、その底に
金鉱を見つけだすことが多かったことに気づかされる。人間は縮んでいるとき
にこそ、極限の底で何かに気づき、変化が生まれると同時に「火事場の馬鹿力」
が湧出てくる。右手に最悪とすると、左手には最善が寄添っている。少し考え
れば解ること。1月04日に<「人生のどん底」~両親の壮絶!>(後でコピー)
をテーマに書いたとおりである。逆に最善の時節に「大失敗の種」をセッセと
蒔いていることも、後悔と共に気づかされる。ブログ内検索をすると…
 10年近く前と、半月ほど前に、書いてあった。8年前の節目では、少し厳し目
のスケジュールの習慣を自らに与えて、現在に至る。それが、最悪の事態に、
最善の生活習慣にあたる。 私にとって最善のライフワークの一つの
<秘・異郷ツアー>、この<一日一文章の書き残し>、<毎日、一ドラマ、
一映画(TVだが…)。週一の<シネマ館での観賞> などなど、最悪の状態で
身につけた最善の習慣。最近、加わったのが、土日・祭日のYouTube観賞日。
意識するかしないかで、日々の充実感が全く違ってくる。最善でも、最悪でも、
ポッカリと逆効果の空白が、そこに控えている。 考えらる最悪の事態は、
<余命3カ月の宣言>である。しかし、これが最善の死に方らしい。
 ♢ そういえば、こんなテーマで書いたことを思いだしたので、ブログ内検索で
拾うと幾つか引っかかってきた。非常に便利である。半月前と、10年前の自分
の魂?(気持ちを入れた文章)と、再び邂逅できるのである。読返すと、成る程、
何度も、蕎麦、うどん打ちのように、文章内容をコネてあるのが窺い見れる。
それでも稚拙で、甘さばかりが目に付く。素人は素人でしかない。それも、似た
内容を飽きもせず、何度も何度も… だから、何気なく発する他者の言葉に、
甘さ、厳しさ、浅さ、深いかを一瞬に知ることに… これは逆も言えること。
無造作に思い当たることを平気で書いて、公表している恐ろしさである。
書いてクラウドにアップする直前に、前日分を読返すと、そこに当て字、論理の
甘さ、などが見えてくる。ああ、これが第三者の目線化と… 誰に頼まれて、
自分の底浅い脳内を晒すのだろうか? テーマや、論理全体の整合性よりも、
まずは、間違いだけが印象として残る。世間、社会と同じ。 他人認識は、
まず欠点の印象である。 「釈迦の説法、何?ひとつ」で、全てが消え去る。
 これが書上げたテーマを含めて、19年分であれば、それはそれは… 
その中に、<『幸福ということ』ー新宮秀夫著>の 【4階:克服できない
苦難や悲しみの中に、幸福がある。】が、まさに、このテーマの答えになる。

 ところで、ネットで【最悪】を検索したところ、何と「400人の子供を
殺して食べた」男の死刑直前の写真が出てきた。  何とも!
 http://d.hatena.ne.jp/horii888888/

――――
2019年01月04日
閑話小題 ~つれづれに、 <ここが、「どん底」>
  * 「人生のどん底」 ~両親の壮絶!
 NHKの「街録」を初めてみたのが、<「人生のどん底」って何ですか?>
の街頭インタビュー。次つぎとインタビューで、真に迫った人生のどん底体験
が生なましく語られていた。小中校時代、家庭内でも深刻な問題があり、それは
それは… 両親を含めて10人家族が戦中戦後を生き抜くことが如何に厳しいか?
10歳の頃、母親が重度のノイローゼに倒れ、3年程、寝込む事態に… 長男、次男
をたて続けて亡くした自己けん責の結果である。その中から何とか立上り、生延び
たが、それは尋常ではない家庭生活。その中で父親が独り、乗越えていた後姿を
みて育ってきた。母は、その心労で心筋梗塞で生死の場面に何度も陥っていた。
発作で苦しむ中で、白髪が逆立つ母を立川病院院長が押さえつけて、
『堀井さん、助かるかどうかは、自分次第ですよ。気力を奮い立てなさい!』と、
絶叫していた。 88歳で亡くなった時、医師の解剖の求めで、心臓の3分2が
壊死をしていたことを知った。 今からみて、小説のような特殊の生活環境の中
で育っていた。そこで「自らも創業人生を生きたい」と決意したのだから無謀も
程がある。太平洋戦の戦前の老舗骨董商(総資産が7~8億)から、戦死者家族の
仏壇、古着販売、衣料量販店への転業で活路を開き、衣料品の製造産地で現金
決済の仕入れ、格安販売で大当り、一時期、全国的に知れわたっていた。
戦前、戦中、戦後の動乱の中で10人家族が生抜くのは至難の業。 子供でも、
家庭環境の窮状は直に伝わっていた。 シリアスになって当然。だが、自らが
現実に潰されそうにならなければ、理解不能も然り。

▼ 6~7年前のこと。近所の新築の庭周りの業者が冬空の毎日続くミゾレの
 厳寒の中でのこと。 2人連れの親方が若い男に口を極めて罵倒していた。
県外ナンバーの車だから、越後の冬場工事がここまで厳しいものとは思っても
なからようで、その怒りを虐めで… 裏地が隣接しているため、パソコンが
置いてある机から丸聞こえ。それも数日間も…。まだまだ心の傷が癒えないが
故に、怒鳴りが私自身に向けているような。
<私だったら、逃げ出すだろうに… もしかして親子?いや、自分の子供に、
 これほどの虐めは無理? 成るほど障害、殺人がある訳だとか>と… 様々
な想いが沸きだっていた。どん底に、底がある。底がなければ、奈落に…
その感覚の一端、二回のバンジージャンプで味わってみたが! おぼろ!
――――
3058,逆説思考 -2
2009年08月19日(水)
 逆説思考といえば、ここでも取り上げた京都大学工学部の新宮教授が、
古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ」-エネルギー社会工学の視点からー新宮秀夫著 》
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
この論に関しては釈然と出来ないので何度も考えてみた。それでも疑問が
残ったが、考えるという面では良い問題提起である。これを逆説思考と考えると
違った見方になる。挫折、失恋、倒産、などで失意のどん底でもがいている、
そこに幸福があるのだろうか? 金沢時代を振り返ると、そこには何とも
いえない酒の味とか、友情とか、仲間の邂逅があった。節目となる失意の底
ほど、無駄なようでいて、一番大事なことをしているのである。
「窮すれば変じる、変じれば通じる」である。竹の節目と同じ。哲学的にみれば
横の時が平常とすれば、窮した時は垂直の時ということになる。 垂直で
立ちっぱなしも問題だが、ここは志が試されている時である。
 ーネットで逆説思考を調べてみたところ
《逆説思考 ー自分の「頭」をどう疑うか 森下 伸也著》が、あった。
   ーその概要とはー
逆説こそ「思考力」「洞察力」の根本とし、通常の価値観の一面性を暴露し、
それを反転させてしまう思考のスタイルを、「逆説思考」と定義している。 
転倒思考(常識の命題を逆にする)、逆因果思考(常識の因果関係の結果を
逆にする)、因果反転思考(常識の因果関係を因果反対にする)という3つの
類例を設定する。 ことわざや文豪の例でその3パターンを具体的に観察し、
オイディプスの予言では逆説が与える心理的な効果を考察、さらに逆説は欠陥
動物である人間に本質的なものであり、それゆえ人類の文明は終末が来ると
広がっていく。
ロミオとジュリエット効果、カリギュラ効果(禁止されるとやりたくなる)」
「ハンディキャップ進化論(人類は記憶力や体毛が退化したことで言語や火を発明)」
「エラー進化論(人類は失敗を成功の元にして発展してきた)」 
「エゴイズム的自殺(自由が空虚を生む)」
アノミー的自殺(規範がなくなって不安になる)」など、
逆説的なトピックを紹介している。
エジソンアインシュタインそしてダ・ヴィンチ は、脳に障害があった。
しかし、その傷害のおかげで、天才になった。その人に とって負の面が、
逆に、その人を形成している重要なファクターになっている。天才の殆どが
梅毒という説もある。
 ー
以上だが、通説とか常識を根こそぎ疑うことこそ、
時代の大変動期には特に必要である。 次回は、この逆説思考を逆説してみる! 

・・・・・・
6157,読書日記 ~合理的無知とは誰のこと? -2
2018年01月21日(日) 
   『クラウド時代の思考術ーGoogleが教えてくれないただひとつのことー』
                   ウィリアム・パウンドストーン著
  * ある強盗の話
 レモンジュースのシミは、一見、見えないが、よくみると見えてくる。
それを顔に塗れれば「見えないインク」として監視カメラに写らないと信じた
結果の犯行を引合いに出し、今回の白鵬の「横綱アドバンティジ維持のため
の暴行事件」を考える。たまたま、日馬富士がカラオケの端末機器を使って
大怪我を負わせたため、大事件に発展した。白鵬の先場所の取口の8割以上が、
立合いの「張手」と「肘打ち」。9通りの勝ちに至るコースに7つに、この二つ
が組みこまれていた。 で勝てなくなり、古傷の両足の親指の骨折を理由に、
早々に休場に至ることに。
暴行事件の起こる数場所前に、白鵬が暴行被害者の貴乃岩に負けて優勝を逃した。
この数日前に白鵬から執拗に携帯電話が入ったという。TPOSからして、何の電話か
は明らか。その伏線があって貴乃花親方は警察に直接、訴え出たのは当然の事。
 このブログも似たようなもの。見ている方からしたら、この間抜けな強盗を
見ているようで面白いだろう。 死んで三日も経てば、全てが消滅。
瀬戸内晴美が、「作家とは、大道に素っ裸で大の字で寝ているようなもの」
と述べているが、それからすれば、露悪、露馬鹿も、まだまだ。
合せ鏡の知恵を持っていればよいが、それが… だから世間とかいうのに
惑わわされる。厄介なのは無知。タチが悪いのは、その自覚がないこと。
 生半可なコメンテーターの、煽動な話を鵜呑みにし… 私のことですか?
 ―
≪ 1995年4月19日、身長168センチ、体重122キロのマッカーサー・ウィラーは、
 自分は監視カメラに映らないと信じ、真昼間に2つの銀行を襲った。ウィラー
は、レモンジュースが「見えないインク」として使われているというのを知って
いて、自分の顔にレモンジュースを塗って顔を監視カメラにさらして犯行に及ん
でいた。(塗っていれば見えないと信じ) これがコーネル大学のデビッド・
ダニングの目にとまり、<知識や技術に欠けた者は、自分が知識や技術を知ら
ないことに全く自覚がない>ことを同僚のジャスティン・クルーガーとともに、
「ダニング・クールガー効果」と名付けた。 
 ネットの時代。ネット検索で、何でも瞬時に知ることができる。
そんな時代に自分の頭に知識を持つことにどれほどの意味があるのか。
そのことに対して、著者のパウンドストーンは、無知がどれほど正確な判断や
決断に影響を与えているか、デモクラシーがどれほど脆弱な大衆の知恵と判断に
基礎を置いているか、そして、知識の多寡が個人の豊かさとどれほど相関して
いるかをこれでもかというほどの事例を示し、無知の危険を読むものに迫る。≫
▼ 他人事だと分かるが、こと自分については、理解できない人間の滑稽さ。
 だから、人間は生きていける。暗い顔をした老人が多いのは、「生老病死」の
問題だけでなく、その姿に気づくためだろうか… 全く気づかないふりもある?
―――
2015/10/05
不平等を歴史に学ぶ ~①
     【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】
   ~‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著  新潮45・2015年3月号
  * 上位1%や上位10%への富の集中
 中流社会の、三分の二のサラリーマン対、残り下位の構図が崩れた現在、
この本では、“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。
ネット社会の到来が、世界をグローバル化を促進させ、一部だけが勝ち組に、
残りは負け組の社会になっていく。この著書で、ピケティは、その点を
クローズアップして我々に問題提示をしている。 ~ここで筆者は
「過去の不平等は戦争や革命により暴力的に解消された、しかし著者の
目論見は、この失敗のスリリングな回避にある」とある。さらに・・
≪ 格差社会という言葉はすっかり日常に定着した感がある。“1億総中流
 と言われたのも今は昔、最近では社会の二極化が懸念されるようになった。
日本だけではない。不平等の拡大は世界的な傾向である。特に顕著なのが
アメリカ。 “1%vs99%”とも言われるように、人口の1%の富裕層の富が
増加する一方で、大多数の国民の所得は伸びていない。最近では上位1%
どころか0.1%、或いは0.01%の超富裕層の富が急激に増加している事実が
明らかになっている。なぜこれほどの富の集中が起きるのか。
 この問題を考える上で目下大変な注目を集めているのが、
ピケティ氏の『21世紀の資本』である。・・(略)
 本の内容は至極真っ当だ。不平等のデータを過去200年以上に亘って
収集・整理した上で自説を展開するピケティ氏の理論は、類書には無いわかり
やすさと説得力がある。日本の格差論争はこれまで、非正規やワーキングプア
の増加が問題視されてきた。非正規の割合はこの20年で増え続け、現在では
労働人口の35%を超えている。年収が200万円を超えないワーキングプア
(働く貧困層)も、若年層を中心に増加の一途を辿っている。
平均的なサラリーマン(中位層)とそこに入れない貧困層(下位層)の格差が、
従来の格差論争であった。 それに対して『21世紀の資本』が扱うのは、
「上位1%や上位10%の富裕層への富の集中がなぜ生じるのか」という問題。
これまでの格差論争が“65%vs35%”の格差を問題にしてきたとすれば、
こちらは“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。
この本がアメリカでベストセラーになった理由もここにある。 ・・ ≫
▼ アマゾンのビュアーの『21世紀の資本』を要約によると
《本書の主たる主張はごく簡単に言い表すことができ、何度も繰り返されている。
- 人類の歴史のほとんどの期間において、資本収益率は成長率を上回っている。
(つまりr>g)であると、富は賃金所得や産出を上回って成長し、持てるもの
と持たざるものの格差はどんどん拡大。事実、20世紀以前には一握りの金持ち
と大多数の生活に困窮する庶民で社会が構成されていた。
- 20世紀後半に比較的格差が縮小し、そこそこ裕福な中間層が出現して穏健な
市民社会が実現したのは、2度の世界大戦による富のリセット、インフレ、
各国の格差縮小的な税政策、歴史的に見て例外的な高度成長の継続、などの
要因が重なったためであったが、今や成長の時代は終わりを告げ再び格差拡大
の時代に戻ろうとしている。
- 格差拡大を防ぐためには、高度な国際協力と資本に関する情報開示を基礎と
した累進資本税の導入が最適な解決策である。》と、要約を、まとめている。
・・・・・・
5424,閑話小題 ~世界の貧富
2016年01月21日(木)
    * 世界の貧富
 欧米の貧富の格差は「上層が3%、中流・30%、その他」という。
日本も、バブル崩壊以降、これに近づきつつある、日本は3分の2が下流
 先日のTVニュースで、<世界の金持の62人の資産総額が206兆円で、
世界の下位半数の36億人の総額と同じ>と報じていた。金持の一人当りは、
3・3兆円で、下位の36億人の平均は5万7千円。6年前は、388人が下位
半数と同額というから、更に少数に絞られた。
 『世界がもし100人の村だったら』に
< すべての富のうち、100人のうち、6人が59%をもっていて、
 みんなアメリカ人で、74人が39%を、20人が、たったの2%を
 分けあっています >とある。この本の出版から大分、前なので、より
格差が広がって、そこにはロシア、中東などが多く入っているだろう。
 先進国の一員だった日本も、冷戦終了以降、地政学的有利性が小さく
なった上に、グローバル化もあって、国内格差が更に大きくなっている。
TPP問題も中長期的にみて、日本にとっては大問題。アメリカの経済的、
軍事的支配力は、ますます強くなるのは自然の成り行き。
   * 終末医療
 先日の‘「クローズアップ現代」の終末医療の“最期のとき”をどう決める’
で、末期患者が苦痛で頭を掻き毟っている場面が映像で流されていた。
これが死に際の現実である。それもNHKのゴールデンタイムに。その現場に、
5~6歳の子供が涙を流しながら立合っていたが、身近の人の死に際の苦闘は、
幼児教育として一番の教えになる。その人は、撮影当時71歳、私より2歳上。
3~7年?以内に、自分にも起こる死に際でもある。~NHK・HPの内容紹介~
クローズアップ現代“最期のとき”をどう決める“終末期鎮静”をめぐる葛藤! 
 いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が
静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、
眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなった
がん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。
 自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、
遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせて
しまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。
自宅で最期を迎えるがん患者が増る中、終末期医療はどうあるべきか考える。≫
▼ 父親が苦痛で頭を掻き毟っている姿が目に焼きついている。
 最期は、医師が近親者の同意の上に、呼吸を止めることが多い。
壮絶な死に際が現実だからこそ、「ピンピンコロリ!」が理想になる。
だからこそ、「いま」「ここ」の「わたし」を慈しむしかない。
 で、以下につづく!