読書日記 ~「魂の」思想史 ―1

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            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
   * 魂とは何か
 魂、心、精神について、ここでどれほど書いてきたのだろう。
それにしても、<「魂の」思想史> とは、ドロドロしたような、
あな怖ろしテーマ。霊魂を想定するためか。魂で直に思いつくのが、
内海の洞窟に一人立つ人間の姿。岩場が「こころ」で、内海が、
外海をつなぐ個々の魂。外海と、空こそ「魂」と。洞窟の背後から
滝が流れているが、これは内界から迸る、これも、内なる「魂」。
  ―― 
  ~ネット辞書によると~
【「魂」の左の語「云」は、象形的には「雲のように見える煙やほこりのこと」
を表します。「ム」は「微細なものが地面から沸き立つ様子」、「ニ」は
「雲が空を駆ける様子」のふたつの状態を併せ持っています。
「魂」のもうひとつの漢字「鬼」は、中国では「死者の象徴」として「亡霊」
の意味を持ちます。地面から現れた「鬼=亡霊」がムクムクと上昇して空へと
向かう様子と「云=雲」とが引き合わされて「魂」となりました。】

  この<「魂の」思想史>の序文に
【 漢字の「魂」は、「こん」と音読みし、「たましい」と訓読みします。
この「魂」とは、空気のように目に見えない存在です。しかし「魂」は古来、
生物に宿り、その働きを助け、機能させるものと考えられてきました。…
 …似たような言葉に霊がある。漢字の成り立ちからみると、上部の「雨」と
「一」の文字が「連なった清らか水たま」、下部がそれに接する清らかな巫女を
現し、合せ転じてできた意味が「水たまのように冷たく清らかな神のたましい」
となる。】
 ――
   ~Amazonの内容(「BOOK」データベースより)~
合理主義と功利主義を基調とする近代。ゴッホニーチェボードレールから
岡本太郎三島由紀夫まで―、彼らは時代の趨勢に齟齬を覚えつつ、魂の声に
引き寄せられ、思策と表現を行った。 曖昧で無限定な概念でありながら、
人々を揺り動かしてきた「魂」とはいったい何か。人間の内部と外部を通わせる
その働きに、著者は現代人が見失ってしまったものを看取する。近代の異端者を
通して生の息吹に触れる異色の思想史。
 
 ―
▼ たまたま現在、思いつくといえば、
<心という感情を想起させる日常の揺らぎを生み出す大元。これは、世界を覆う
 魂の分霊であり、生前、死後に繋がっている。ある意味で遺伝子に似ている。
大自然に感動し、抱かれた感覚は、魂との邂逅といえる。私がポックリ逝った
して、残るのは、此処で書き連ねた言葉。生きてきた痕跡を残すには、魂を
込めて書くしか他に手立てがないため。後日の私に、いま、ここの私が笑われ
ないため。永遠に切りたった、「いま、ここ、わたし」が、魂である。>

・・・・・・
6382,読書日記 ~哲学と対決する ―3
2018年09月03日(月)       
          『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                   ウォーバートン,ナイジェル著
   * 哲学山の頂上は、カントですね!
 私なら、一位がソクラテス。二位がカント、三位がニーチェになる。カントは
<まずはじめに世界(もの)があって、それを人間が認識するのではない。逆に
人間の認識能力にあわせて世界(もの)は形づくられ、はじめて存在する。>と。
これはコペルニクス的転回と言われるほど。思ったことに、対象を入れ込む、
 人たちに、その原始的傾向をみる。
〔 私たちは目の前にあるモノを、そこにあるのが当然のごとく認識している。
「リンゴがあるからこそ、私はリンゴを見ることができる」
「ストーブがあるからこそ、私はストーブの熱を感じることができる」
物体や刺激が存在して初めて、私たちはそれを目で見たり肌で感じることができる
(客観的視点)と思いこんでいる。しかし、カントによる考えはこれとは全くの逆。
「私がリンゴとして見るからこそ、リンゴの姿として現れる」
「私がストーブの熱を感じるからこそ、ストーブの姿として現れる」
人間が認識することのできない「モノ自体(本当の世界)」がもともと存在して
いて、それを人間の感性で認識して初めてリンゴやストーブといった形が形成
される(主観的視点)。つまり、赤くて丸く見えるのはリンゴの仮の姿(人間に
よる見方)であり、リンゴの本当の姿を人間は知ることができない。〕

≪ ◉ オノラ・オニール
 一部の風刺画よりもずっと共感を呼ぶカント哲学の独自の広い解釈を培って
きたように思います。どちらかというと、あまり知られてない本を読んで
欲しい。カントを広く探っていくと、実に多くの興味深いことがあるんです。
 ◉ スーザン・ニーマン
他の誰よりも勇敢です。彼の最も重要な洞察は、有るがままの世界とこうで
あるあるべきという世界との間に大きな溝があり、両者とも同等の価値を
持っているということです。だから絶えず心の中にそれら二つを留めている
必要があります。それは極めて難しい心構えです。非常に現代的です。
ある程度、危険と隣り合わせの生き方をし、フラストレーションが絶えない
ということですから。人はあれかこれか決めたがる傾向にあります。
 ◉ トマス・ポッケ
カントト言わざるをえない。理由は二つ。ただ単に素晴らしいが一つ。
カントは無尽蔵です。カントは読む度に、新しい発見があります。
だから、ありきたりだが、無人島に一冊持っていく本といえば、第一に
純粋理性批判』を挙げます。もう一つは、哲学に向かうカントの真剣さ
が好きなんです。たとえば、倫理学に関して、彼は信じられないほど慎重で、
真剣でした。倫理学を真に重要なことであるかのごとく扱っているのです。
もっとも、何年とかいうスパンでなく、何世紀かのスパンでみれば、
最終的にそうであることが判明するんですけどね。
 ◉ A・W・ムーア
カントだね。一つには、彼の哲学には信じられない広さゆえです。
もう一つ、彼の哲学には信じられないほどの統一性があります。
それは驚きしか言いようがありません。            ≫

▼ 『純粋理性批判』に、三つの問いを挙げた。
(1)人間は何を知り得るか、(2)人間は何を為すべきか、
(3)人間は何を望んでよいか、の三つである。
アプリオリは、経験に先立つもの。...通常、客観的に存在すると思われている
ものにも理性の介入があって初めて、そのように認識するのではないか、と主張。
 現時点でも、世の哲学者は、彼を超えることができない。

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6015,閑話小題 ~ペットの‘ピー’がビーッと鳴いて
2017年09月03日(日)
   * ハロウィンのカボチャ
 カラスが、あいも変わらず自宅の周辺で騒いでいるため、「カラス除けの
目玉の風船」を百均のダイソーに買いに行ったが、置いてなかった。しかし、
ハロウィンのコーナーにカボチャに悪魔の顔を記してある袋があった。
これなら、もしかして大丈夫か?と、買ってきたが、その前に、ペットの
‘マメルリハインコ’の鼻先に、突き出してみたところ、ビーッと鳴いて
羽根をバタつかせて枝から転げ落ちてしまった。その後、丸一日、籠の奥に
身を隠していた。ならばと、2Fの玄関脇の手摺に、目立つように括り付けた。
まる二日経つが、カラスは近づいてこない。 で、昨日、玄関先から周囲を
見渡すと、50m先の電線から、一羽の若いカラスが、ジッと偵察?している姿
があった。 目玉の風船「短期的には警戒するが長期的には効果がない」と
云うから、1~2週間後には、再び騒がしくなるのだろう…

   * スキップ・トレース (シネマ感想) 
 昨日のシネマは、ジャッキー・チェンが演じるドタバタ。内容といえば、
<ベテラン刑事が詐欺師を追ってロシアへ向かう。その香港警察の刑事と、
米国人詐欺師。刑事も、なぜか追われる身となり、大地を駆け巡る。> 
 他のシリアスの戦争ものと、迷った挙句、「逃げ回る背景の大自然が卓越
していて絶品}という言葉につられ、決めた。が、期待を裏切らなかった。
中年のジャッキーチェンも、味があるというより、見苦しいが、それはそれ。
千円僅かで、30分もするかしないうちに別世界に誘ってくれるのは、1週間
単位の区切りとしてベスト。  ~評価:甘く見て80~85点 
ところで、「ハッピネスの状態がハッピーを呼寄せる。プラス3にマイナス1。
出来たら6対1」というが、私の実感は、どの位? 「5対1」辺り!。
さて、信濃川土手のチャリ散歩だ。

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5650,閑話小題 ~シネマ、『後妻業の女』が面白い! ~①
2016年09月03日(土)
  * 後妻業が面白い
 昨日のシネマは、ハリウッド映画、『グランド・イリュージョン~見破られた
トリック』か、どうか、迷った末に『後妻業』をみることにした。昨今、離婚が
増えた分、再婚組が多く存在している。 『後妻業』があるなら、『本妻業』と
いう専業主婦業の言葉も成り立つ。まあ、8~9割方が、家庭内破綻をしている
というから、長期、短期的に、多かれ相手を追いやっている?。 本妻業という
プロ意識があればよいが。 小魚や、蛙に取りつき、一生かけ栄養分を吸い尽す
タガメ」が『本妻業』の本質である。隠れ後妻業の方がたは、ドキッとして
いるはず。 再婚は大変な筈だ。退職金かわりの資産がなければ誰がやるか?
 ~今日は、シネマの内容紹介。 明日はネットの映画評を紹介予定。
≪ 『後妻業の女』
「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くす
タイプやと思います」と、結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する
小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロ。耕造(津川雅彦)もその一人。
二人は惹かれあい、結婚。幸せな夫婦生活を送っていた、はずだった――。
 2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子
長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を
相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査をすると、衝撃の事実
が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う“後妻業の女”だったのだ! そして、
その背後には結婚相談所長の柏木(豊川悦司)がいた。
 「結婚相談所に限って言えば、男の高齢者がよくモテる。第一条件は資産が
あること。持病があればなおいい。看取る時間の効率が良いから女同士の取り
合いになったりする…」 次から次へと“後妻業”を繰り返してきた小夜子と
柏木、二人を追及する朋美と裏社会の探偵・本多(永瀬正敏)、小夜子の次の
ターゲットであり彼女が本気で愛してしまった不動産王・舟山笑福亭鶴瓶)、
そして彼らを取り巻くひと癖もふた癖もある人々…。
今、愛とお金をめぐるドラマが始まる――!! ≫
▼ 350席の中ホールの客席が、ほぼ、熟年夫婦と、中年女性の二人連れで、
 埋まっていたのには驚いた。かって無かったことである。この映画の圧巻は、
可愛らしく自己紹介する小夜子役の(大竹しのぶ)の魅力。そして裏の悪女の
顔を使い分ける演技は絶品。その彼女に男たちはイチコロ! その下唇を突き
出した悪女顔は、鬼気迫る迫力がある。清純派から悪女までをソツなくこなす
大竹しのぶに、大女優の片鱗を垣間見れる内容でもある。 評価;90点

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5285, ー「原因」と「結果」の法則 ー  ~①
2015年09月03日(木)
      ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著)
 学生時代に読んだカーネギーや、最近では「7つの習慣」のコヴィー博士など
の啓発本のハシリの本。森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に
移行したこともあり、純粋に、こういう考え方を受け入れることが出来る立場に
なった。良い原因をつり続ければ、良い結果が現れることは分かってはいるが・・ 
そこが生身の人間。 四苦八苦は、人間に生まれてきたからにはついて回るが、
その三倍の楽を常に心がければ、何事も上手くいく!ことになる。
三倍を楽しむことは、日常生活の細部を楽しむ習慣化すれば決して無理ではない。
ピュアーな心根を持って、日々の細事を楽しめばよいだけ。
  ーまず、アマゾンの商品内容の説明文より
・< デール・カーネギーオグ・マンディーノなど、現代成功哲学の祖たちが、
 もっとも影響を受けた伝説のバイブル『AS A MAN THINKETH』。聖書に次いで
一世紀以上ものあいだ読まれつづけている、驚異的な超ロング・ベストセラー! 
「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られている。
 私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません。
『原因と結果の法則』は、目に見える物質の世界においても、目に見えない
 心の世界においても、つねに絶対で、ゆらぐことがないのです」(本文より)>
  ー次に、あるビュアーより
・《「私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、私たちを、いまの環境
(結果)に運んできた」ということになります。つまり、自分の「思い」が
自分の「人生」を創り上げているということです。人の幸不幸は、その人の
環境と、その環境をどう思うか、その人の人格によって決まります。
環境が幸せなものならそれだけ幸せになりやすい、また、幸せになれる
人格をもつ人はそれだけ幸せになりやすい、ということです。
 幸せになるためには、自分の環境を(幸せなものに)変えるアプローチと、
自分の人格を(幸せになれるべく)変えるアプローチがあるわけです。
 自分の環境を変えるためには、自分が幸せになれるような目標をもって
努力すればいいのでしょう。 自分(の人格)を変えるためには、自分
(の心)を育てる努力をすればいいのではないでしょうか。》
・《 何かにつまずいた時や心が弱った時、頼りたくなるのが啓発書。
本書は1902年に英国の作家によって記されたもので、世界に数多くある啓発書
のルーツとも言われている。意外なことに、日本語版は今回が初出となる。
現実がままならないのは、すべて悪しき思いによるもので、環境のせいではない
と説く。結果としての成功も失敗も、その原因は必ず人間の心の奥底にある
支配的な思いにあると言う。「人間は身勝手な欲望を放棄しているとき、
搾取する側、される側のどちらにも属さない」という記述からは、当時の
英国社会に蔓延していた閉塞感を宗教以外の論理で解消したいという狙いが
うかがえる。「自己制御は熟練技能」という啓発書の基本が、1世紀前に存在
していたことは興味深い。》
▼ この年齢になっても、いや、なったからこそ、この原因と結果の法則には、
 考えさせられる。 「いま、ここ、わたし」は、これまでの、自分の
「おもい」の結果である。 自然に任せておけば、大方は、いいこと、
わるいことは、五分五分になるが、意識して、いいことにアプローチをすれば、
わるいこと1、よいこと3にすることが出来る。それを対象、環境にも応用が
出来る。嫌なことがあったら、よいところを3つ探せば、確かに、そこにある。
自分の人生でも、同じことがいえる。老いると自己嫌悪に陥りやすくなり、
過去の全てをマイナスの視点で照射してしまいがちになる。
しかし、その視点で凝視すると、三倍、十倍のプラスの経験がある。
・・・・・・
4920,閑話小題 ー女社会のカースト制度
2014年09月03日(水)
   * お笑い、女社会のカースト制度
 以前、目白の高級?住宅街の住人の「渡り僧侶」の奥さんが、
このカースト制度社会で虐められて、相手の子供を殺してしまう痛ましい
事件があった。 今朝のTVで、そのカーストの実態を放送していた。
「巷の社会学」を40数年、独学を続けてきたため、その扱いが面白おかしく
一人ニヤニヤしながら見ていた。それによると、階層が、セレブ、中間層、
最下層の三階層あって、大部分を占める中間層が、セレブもどきの小金持と、
普通のサラリーマンに分かれている。そして最下層は、その中に入れずに
除外されている人たち。 その色分けは、セレブは高級マンションから
アパートの住まいと、子供の学校のレベルと、夫の年収と社会的地位などで
される。セレブもどきは、中級のマンションか一般住宅の住人で、一億前後の
資産? 最下層はアパートか、中間層から排除された人。それをわきまえ
ないと、露骨な嫌がらせか、村八分にあうという。高層マンション住民にも、
上層階ほど値段が高いので、自然と上ほどランクが高くなるとか。
男社会の仕事の現場も似ている。 それは面白いが、一切に触れないように、
アウトサイダーに徹し、ガードを張って生きてきたが、この事態に、差別?
の露骨な嫌がらせに何度か受けたが、20年近く前から、森の住人から、
サバンナに軸足を移動していたため、動揺は少なかった? というより、
コミカルな蔑視の対象にしてきた。
 ところで数年前、家内のところに、見知らぬ人から一枚の手紙が来た。 
その内容が「近くの高齢者向マンションの住人で、人伝に貴女が共立女子大
出身と聞きました、何かの御縁、お茶でも飲みませんか」の誘い。断る理由も
ないので、早速、ホテルのレストランでコーヒーを飲んできたが、時々、
同窓の集まりがあるので、参加しませんかの誘いであった。
 あとで知ったが、この会の新潟支部長の長男と、私の長男が高校の同級生で、
その人からの指示があったのでは?と推測された。で、何時の間にか、
その世界にドップリ浸かり、今では支部長の妹分?のようだ。 
人から見たら、カースト制のセレブ?か、セレブもどきの世界。
その顔ぶれは?? 慶応出の女子部会も、あると聞いたことがある。
この視点でみれば、家内はセレブ社会の住人に入り込んだ「セレブもどき」で、
私は最下層の住人になる。いや、最下層からも弾けだされた人非人
元もと触れなければ、一切関係ない世界。これに拘り視界狭さくをしている
のが世間様。娑婆娑婆である。
 ーまた偶然だが、以下の文章は、子供時代の目線の中に、
  その存在が、モロに現れ出ている。
・・・・・・
4553, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ ー2
2013年09月03日(火)
 写真を見ながら、当時の20人の男子同級生のフルネームと実家が何をして
いたか思い出してみた。私を除いた男19人中15人の8割近くのフルネームと、
各々の実家の職業は全員、憶えていた。半分以上は幼稚園から同窓で何処かで
同クラスだったためだろう。 焼鳥屋自転車屋、ペンキ屋、乾物雑貨屋、
美容院、衣料卸、床屋2人、和装店、電気店、青果卸業など、駅前もあって
商店主の子供が多い。実家を継いだのは3人。 青果卸業(兄が継いで現在、
社長をしている)と土田塗装以外は、消滅?している。51年も経てば当然。
中学校は全員、東中学校に進み、2、3年時での同クラスは男は私を含め7人。
女は3人。その後の人生をみると、高校と、大学に進むにつれ分別され、
そこで大部分が決まってしまう。それ以前から血筋で決まっていた? 
当時、4Fの鉄筋の商店ビル3Fの住居を、この頃に駅裏に引っ越していた。
やっと商店内の生活から解放された。 と同時に、勉強に遅ばせながら目覚め
始めていた。目の前のライバルがハッキリしたこともある。実家の力関係と、
相撲の強さと、学業の成績で、微妙な力関係が出来ようとしていた。
その頃、ある姉に成績の良くなるコツを教わった。「一つでも良いから一度、
テストで百点をとってみな! そうすると、他も自然に良くなるから!」
その時、「これだ!」と思い、実践したのが勉強の目覚めの第一歩。
他に店から自宅と生活環境が変わったことが成績に大きく左右をした。 
また中学二年時に兄と同室だが、勉強部屋と机を与えられたこともある。
勉強の出来不出来は勉強空間の親の配慮が大きく影響するもの。 
当時は隣家に遊び好きな一歳年上の子と遊びまくっていた。その上、居間に
TVが入って夢中になっていた中ニの後半に、それをみた同じ姉に、
「慶応高校に挑戦してみな!」と言われた。そこでガムシャラな勉強を始めた。
一年の即席では無理だったが、その挑戦がなかったら地元の受験校さえ
入れたかどうか? そのことから具体的に目標を定め無我夢中になる重要性を
学んだ。大した玉でないことは確か。だから水面下の独学は必要だった。
 話は逸れたが、写真を通し当時にタイムスリップすると、同級生と自分が
ディズニーのキャラのように見える。頭でっかちで、親が、そのまま縮小した
ような姿で、未来の人生に向かって精一杯生きていた。 この切り口は、
人生の全ての場面に当てはめることが可能。自分とは過去の積み重ねから
成り立っている。記憶を失うとは、自分を失うことになる。この文章を書いて
いて気づいたことだが、80歳まで、あと12年の現在、生から生前(無)
に逆照射すれば、同年代になる。その意味で、団塊の世代にとって、
昭和三十年前半は意味がある。里帰りということか。