つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=jREwQc_pxEM
 これをみて、やはり驚きざるを得ない。どんどん、使いやすい、ソフトが
開発されて、瞬時に、対応した情報が手に入る時代。 面白いといえば、面白い!

 最近、中古車だが、車を入替えた。そのオマケデ、ナビが付いてきたが、これが
面白い。少し、急発進をすると、『危ないですよ』と、語りかけ、道路でも、
『先に左折専用車線があるので、気をつけて下さい』とか、語りかけてくる。
後部カメラが付いていて、バックにギアを入れると、後方が映し出される。
 最新の新車は、こんなものではないのだろう。衝突阻止自動停車とか、
道路の白線を認知して、ハンドルを自動的に操作するものとか、前の車間を
自動的に把握、アクセルの自動操作をするとか? 22年前のソアラには、
ある時速に設定すると、自動的に、アクセルが踏まれるシステムがあったのだから、
今では?? 

 まったく一週間が経つのが早いこと!変わり映えのない日が、淡々と過ぎていく。 
それもよいことだが。 今日も、午後からシネマをみて・・・と!
 
・・・・・・
1911, スペイン画家・堀越千秋-3
2006年06月27日(火)
   「スペインうやむや日記」-2          読書日記
ースペイン人の特質ー
この本は読んでも読んでも飽きない。いや読むほどに堀越スペインの世界に引き込まてしまう。
同じ世代で、身近に感じ取れとられることもあるが・・・・
堀越の自在から滲み出ている人間の味が、葡萄酒のように漂ってくる。
 28歳でスペインに渡って30年の実感を
「国際人とは、長年の孤独に慣れた者のことなのである」といっているが、
海外の流浪者の哀感がそのまま伝わってくる言葉である。
流浪の民の著者の言葉だからこそ、言葉の重みがそのまま迫ってくる。
ースペインの特徴を、いたって解りやすく説明してくれる。
・行方不明者はタチマチ『死んだ』か、『刑務所入り』にされてしまうような国。
 何でも断定と、言い張ることは、スペインの特技。
・女性に対しては、『誰に許されて、彼女らはあんなに威張っており、わがままであり、
 傍若無人であり、支離滅裂であり、没論理的であり、没個性的であり、保守的であり、
ヒステリックであり、お行儀が悪いのか』
・頭の中には、サッカーと闘牛しかない男たち。
・ジプシーも油断ならない。しかし『他人の畑から熟れたブドウを胸一杯抱えて出てきて、
 わし掴みに口に入れて種ごと食う。ともうと、はらりと腕を落として
 ブドウをみな捨てててしまい、颯爽と裸馬に乗って走り去る。」
・スペインでは夫が一家の財布を握っている、というのは常識である。 
 日本とは逆である。『女房などに財布を渡したら、たちまち浪費してしまう』
 からだ。 それと、下々のオバサンのバスの割り込みは特技、いや国技といえる。
・在日日本人なら、スペインはさぞや美女だからけ、と思うかもしれないが、
 真の美人は誠に少ない、日本以下である。実のところ日本は世界に冠たる美人の国である。
 スペインは「美貌の悪女のような国」。だから鉄の心臓でも持たないと、
 お人よしで謙虚の美徳に溢れた日本人は暮らせない。
・スペイン人の正しさとは、あらゆる障害(他人の意見ということだが)にもめげず、丸い
地球上のまっすぐは曲線にならざるを得ない、などとはゆめ思わず、ひたすら歩むことである。
 他人の意見は聞かぬから常に冷静で、思いは唯ひとつしかないから論理的この上ない。
 そして、常に他人より大声を出して論理を守らねばならぬから、はたから見ると
誠に情熱的に見える。翌日になれば、そんなことは皆忘れて鼻歌をうたうこと、
 まことに楽天的である。
 ーー
 だいたい、これで著者のスペイン人についての思い・描写の部分を抜粋した。
下手な作家より、どうしてこうも画家の方が描写が上手いのだろう。
やはりスペイン在住日本人で、何よりスペイン人が好きだからだろう。  つづく     
                 (⌒▽⌒)/"”バイバイ!
・・・・・・  
2005年06月27日(月)
1546, 人生の最後に後悔すること
アメリカの90代の男女1万人の質問、
「90年も生きてきた人生の中で、最も後悔していることは何ですか?」の答えは、
「もっと、いろんなことにチャレンジすれば良かった・・」ということだという。
おそらく今後未来永劫?同じ答えになるだろう。一度しかない人生、やりたいことを
どんどん見つけ存分生きることこそ、人生が私たち問いかけている問題である。
この人生の問いかけを、人生の全てをかけて答えを探すことこそ、後悔をしない生き方。
中村天風のいう「積極一貫」を、人生を通して徹することである。
何故、色んなことに頑なに目を向けなかったのだろうか?
知識がなかった、
現状に満足しきっていた、
余裕がなかった、
人生を真剣に考えなかった、等々、いろいろあるだろうが。

豊かなアメリカの90代の人々が「もっと多くのことをチャレンジすれば良かった」
という切実な後悔は、何を意味しているしているのか?
旧共産圏や後進国では、こういう問いかけは少ないはずだ。
それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえるのだ。
ということは、「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジしてみるべきだ」
という答えが自動的に返ってくる。
教養とは、
・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、広く深い知識と経験持つことに
よって知ることをいう。また、
・『人生は可能ながぎり多くのことことにチャレンジすべし』を知る経験と知識である。
しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは無かったはずだ。
精一杯生きてきたからだ。それしかないし、他は考えられないからだ。
それでも、あるのが人間であるが。
「もっと多くのことにチャレンジしておけばよかった!」
この半年間、人生の直線コーナーに入る前である、もっと深く問い詰めてみよう!
父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて「この中味は、自分にとって単なる数字の
羅列でしかない!」と言ったことを思い出す。中味も大事であるが、といって死んでしまえば
それまでだ。人間を支配している不安と恐怖が、新しいチャレンジを阻害するのだろう。
そして貯金をすることで解消しようとする。それに支配される状態が、老いている状態である。
今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。
90歳の人がいうから問題がクローズアップする。20歳の人でも同じ問いかけが必要である。
周りを見渡せば幾らでもチャレンジの対象がある。見えてないのだ。
それも足元にあるのに。

・・・・・・
2004年06月27日(日)
1181, カント ー 哲学についてー11
 カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家とみなされている。
カントは、ドイツのケーニヒスブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。因果なことに、
“ せむし ”で、背中にコブがあり、身体がゆがんで胸が小さく生まれついての喘息もちだった。
脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも 死にそうな子供であったのだそうです。
毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を迎えたとき、 父親はカントを「 駄目でモトモト 」
と半ばあきらめつつ、年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。
そうするとこの医者は、じっとカントの様子を見てからこう言います。
「 あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう、苦しかろう。それは医者として
見ただけでわかる。しかし、それは身体だけのことだ。身体は確かに気の毒な状態だけれど、
心はどうでもなかろう。心までも“ せむし ”みたいにゆがんで、息苦しくてゼイゼイ
しているのならともかく、あなたの言うことも心もしっかりしている。
身体のことで辛い、苦しい、といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで
何にもならない。それよりも、心のしっかりしていることに感謝しなくては。
死なずにいるのはそのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、
身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。
このことがよくわからないようだったらお前は本当に不幸なんだよ。」
 カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。
人間というのは、 身体あってのものだろうか、心あってのものだろうか・・・。
そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。
終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。
毎日きまった時間に散歩をする姿を見て、街の人は時計の時間を修正をしたという。
しかし彼は、聡明で闊達な楽しい人物だったという。
気に入った人と時間を過ごすことを好み、昼飯はかならず人を招待をしていた。
講義のすばらしさも、今も伝説になっている。
 中世以降、哲学を教えることを職業にした初めての人物であり、彼以降は
高名な哲学者が大学教授になるのが珍しくなくなった。
彼は*経験論と合理論の統一*をして観念論をうちたてた。
それは、一言で言えば人間に知りうることと知りえないことを明らかにすること、
言い換えれば「経験」つまり「認識」の成り立つ条件を原理的に究明することによって、
認識能力の範囲と限界を明らかにしようとすることである。
ー難しいようだが、人間の持っている五感の機能の範囲でしか世界のことを理解できない。
盲人に自然の美しさは理解できない。舌のない人にあの美味しい料理の味を味あうことはできない。
反面、5感では感知できない他の世界があるはずである。
 カントはデカルトスピノザの合理主義にも、ロックやバークリやヒュームの経験主義を超えていた。
・合理論を唱えた人々は「あらゆる認識の基礎ははじめから意識の中にある」と考えた。
 理性を重視し、認識の源泉は理性にあるとする。
 つまり理性だけを信頼し、経験を軽視していた。
・それに対して、経験を通して確実な知識を手に入れようとした経験主義者たちは、感覚によって
認識できるものしか存在しないと考え、経験を超えたものは何も存在しないと 唱えたのである。
 カントは経験論、合理論ともに否定している。
哲学史上、カントはこの2つの思想を批判統合し、さらに啓蒙思想を加え、批判哲学を
確立したと位置付けられている。
カントの思想が批判哲学といわれるのは、理性そのものを批判、吟味する立場をとっためだ。 
 近代思想として生まれながら、
合理論も経験論も、人間の認識の対象(自然)は人間から独立して存在すると考えたのに対し、
カントは、「普遍的な真理は、人間が外のものを正しく受け止めるところに成り立つのではなく、
人間が自ら持つ形式によって自発的につくりあげたものについての判断なのである。
そしてこの能力を、人間は経験によって獲得したのではなく、先天的に備えている」と論じた。
 これは、天動説を否定して地動説を主張したコペルニクスにちなんで、「コペルニクス的転換」
と呼ばれる。しかし、自然科学的な認識として人間が知りうるのはあくまでも現象界における
経験の範囲内での自然の因果関係に限られる。つまり、経験を超えたもの、物自体を
認識することはできないのである。
ー「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則」
これはカントの墓碑銘にも刻まれたカント哲学を象徴する『実践理性批判』の結びの言葉である。
カントはニュートンの自然科学にも大きな影響を受けており、
彼の哲学の目的は科学と道徳の絶対確実性を見出すことにあった。
・「我が上なる星空」とは、自然法則を象徴し、
・「我が内なる道徳法則」とは、人間の意志の自由と自律の上に築かれるべき人生の法則を 
 意味している。
カントは生涯をかけて自然界の法則の理論的基礎を築くとともに、
人間一人ひとりの心の法則を追い求めた。

・・・・・・
2003年06月27日(金)
814, 「ありがとう」の言葉 -6

 昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の場所がわからない。
たまたま通りがかりの自転車に乗った女の人に聞いたら、そっちに行くから案内をしてくれるという。
ところがなかなか現地のその場所がわからない。普通なら、途中で「誰かに聞いてください!」
というのが当たり前なのに、30分近くも一緒にさがしてくれた。
人品のよい、かなりの人というのは勘でわかったが、こういう時の親切は本当に嬉しいものだ。
最後にお礼を言おうとしたが、逃げるように帰って行った。
その時ハッとしたのが、「ありがとう」という言葉が心から出ていたことだった。
さがしている間に何回も何回も「ありがとうございます」といっていたのだ。
「ありがとう」といい続けていれば有り難いことがよってくる。
先日から「ありがとう」の言葉を繰りかえしていたために、ありがたい気持ちが伝わったのだ。
もちろん、その人がそれなりの人品の人という前提があったが。
「ありがとう」を口ずさむ習慣を身につけて、実感として自分が一番足りなかったのが、
「ありがとう」という気持ではなかったかということだ。
私の場合は特に亡くなった両親に一日千回いったとしても、足りない。
まして恩師や上司や先輩に対して考えてみると、数千回いっても足りない位だ。
そういう視点で周囲を見渡すと、幸不幸は「ありがたい」という気持ちをどれ位持てるかどうかで
決まってくるのが歴然としている。 何か修身みたいな話だが、やはり歳をとった為なのか?
「やれる親切は可能な限りする」というのが信条なのだが、見知らぬ地で見知らぬ人に困り
果てた時にあってみて、親切心は、教養という面で身に付けておきたいものだと思い知らされた。
・・・・・・
2002年06月27日(木)
450,吉村作治-宗教・教えー3
スフィンクスはピラミッドの守りの動物といわれているが、 
 実際は「夕陽の神様」で岩を掘りぬいた岩細工である。
ルクソール神殿は神様の家-ルクソールのオべリクスは肉を刺す串を意味しており、
 二本で一対をなしている。一本はフランスのコンコルド広場にある。
・ピラミッドは現地では「メル」といっていた。ギリシャ人が2300年前に多くの人が
 観光に来ていた時に、パンに似ていることからピラミス(パン)といったのが語源。
・エジプトは予算制度をとっていた。
・彼等の宗教は自然崇拝で多神教であった。
 自然に逆らわない。 自然循環ー輪廻の考え方の元。
 自分が自分に責任を持つためには自分が循環しなくては。
・魂というカタチのないもの矛盾をどう調節するか、
 矛盾はあってよい、それをどう調節するかがポイント。
 ギリシャ哲学の元となるものが、その2000年前に考え出していた。
・エジプトの42のやってはいけない事の決まりがあった。
 ユダヤ教のモーゼの10戒のうち7つがこの42の中にあった。
 それを神の教えとしてモーゼが創作した。
  ー私の感想ー
 考えてみれば宗教はこんなもの。
 モーゼも十戒も事実を知ればこんなこと。
 旧約聖書新約聖書もこんなものでしかない。
 しかし真実という面では、それでよいのでは。
ー統一した真実を規定するという面で。
ー時間に対して
 時間の概念もエジプト人がつくった「ある絶対という仮説」である。
 エジプトは10進法であるが、時間に関しては12進法である。
 これは今の世界の趨勢であり、当時のエジプト人がその基礎を創っていた。
 ー夜が12、昼が12。夜は星の位置で決め、昼は太陽で決めた。
 しかし昼の太陽の位置は時期により変わる。 天文学もそこより・・・・・・

 絶対は元々ないー人間が創ったものだ。 それを信じるということは、
 おかしい上に恐ろしいことだ。しかし便利なものだ。
以上が今回の講演の内容だ。
・・・・・・・・・・
以前書いた文をコピー
 ー H0805-エジプト感激の旅  
・まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って,古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス?世などの王や神の像の数々、今まで何度か
海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?
と考えてしまったほどだ。
・次に行った“王家の谷”。
 ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々掘られている集団墓地だ。ここで、
 英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
 また夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と,
 そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
 その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つ,
 メムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。
・その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス?等の巨大な立像も,
 実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
・またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”
 という小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、
 一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。
・旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという
“四千年が諸君を見下ろしている!”というまさに異様なイスラム社会が,
 大きなカルチャーショックになった。
 丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
 異様さがさらに目立ち、日本人は西欧社会に感化去れているのが対比する事ができた。
 早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
 我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、イスラム教という。
・カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
 考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾクゾクと身ぶるいがした。
 今にも起きあがりそうなラムネス?をはじめとする数々のミイラも,
 数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。
・・・・・・  
2001年06月27日(水)
[66] ソフト変更

昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。
今までのものは70日で書いた内容が自動的に消される。これは写真も貼れる。
そうなると写真日記とダブルという問題もでてくる。
お笑いも分類のコーナーをつくり、見やすくした。
まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。
昨日は3Dホームページソフトの打ち合わせと、このホームページの変更の
打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。
続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。