読書日記 ~人生における読書の効能 ~5

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            『本を読む人だけが手にするもの』藤原和博(著)
   * 「情報処理力」と「情報編集力」 
               <正解のない時代を切り拓く読書>
≪ 20世紀後半を牽引したのは、要素から正解を選び出す、情報処理能力に
 優れた人たちだった。この要素全てが出尽くしたのなら、これからの時代は
既にある要素をどのように組み合わせるかが問われることになる。
情報処理能力とは、「つなげる力」になる。通常、仕事の現場では、7割以上の
ビジネスパーソンや公務員が情報処理側の仕事をしている。最先端のIT企業
でも、最初の発想段階を除くと、プログラミングそのものは処理的な仕事。
人によっては9割が処理仕事である。 この習慣がつくと、アイデアを出したり、
柔軟なマネジメントをしたり、人生の次の一手を考えたり、子育てをしたりと
いったクリエイティブになる局面でも、つい正解至上主義のモードのまま取り
こんでしまい、上手くいかないことが多い。
 大事なのは、「情報処理能力」と「情報編集能力」の頭の切替え。
教育的な見地、子供の発達段階に応じて割合を変えながら両方の能力を育んで
いかなかればならない。 例えば、
・小学校なら情報処理能力9割に情報編集能力1割。 …まず「基礎学力」
・中学なら7割と、3割
・高校で5分5分
・大学では9割方を… 
こんな流れで両者の技術を身につけさせることが望ましい。 
 抽象的には、グーグルの入試問題。 
スクールバスの中にゴルフボールを詰めるとすると、どれだけ詰められる?」
この問題の答えは1つではない。とてつもなく難解を数式を駆使して証明する
人がいる反面、「スクールバスに乗っている子供は詰めたボールを外に放りだす
ので、結局、一つも残らない」といった文学的な答えをする人も採用される。
 このポイントは、それぞれが自分の知識を駆使をして、与えられた設問に
短期間で納得解を出すこと。頭の回転だけでなく、頭の柔らかさ(情報編集脳)
が問われている。 ≫

▼ 何度か読返している内に、「人生も、ピークポイントで、逆転して
 最後は痴呆化する!」という現実に気づいた。人間の内面も、単純作業、
スペシャリスト、トップがあって、それらが操縦を司っているのでは…と。
 一流のプロは、このどれもこれもが、卓越している。それらのベースは血筋
から生まれ出ることが多い。 <地頭が良い>とは、情報編集能力が卓越して
いることをいう。それぞれが、その特性をプラスに生かして人生を泳いでいる。
 このブログも、自分の最大の弱点の情報処理能力をカバーするため、18年間、
続けてきた…という、あと理屈づけが出来る。 それも断崖絶壁の瀬戸際の
生存本能がなせる業。 超一流?の人には親がかりが多いのは、長期的戦略が
必要条件。独学だけでは超一流にはなれない。 正解など何処にもない。
そう創り上げるのである。18年間も、全エネルギーをかけて情報処理をして
きた割に、情報編集力が貧弱なのは、これ如何に? 
 「日々、是、自己完結」しているため? 何時も最後は、この辺りに収まる。

・・・・・・
6184,閑話小題 ~恋と愛の違い
2018年02月17日(土)
   * 恋と愛の違い
 この年齢で「恋と愛の違い」について考えることでないが、昨日、シネマ館
に向かう車中のラジオから二人の若い男の会話が流れていた。その一人の学生
時代の専攻が哲学科で、卒論のテーマが「愛と恋の違いについて」という。
その大筋というと、<恋は愛の前段階で、花を例えるとツボミ。開花したのが
愛という。また、恋はまだ互いの間隔が空いた状態だが、愛は家族などの肉親
愛を意味することが多い>と。それを知っていたお陰で、恋愛に冷静になれた
という。成るほどと聞いていたが。私の意味付けでは、<恋とは気にいった相手
に自分の理想像を張りつけた妄想> そうでもしなければ、両親、兄・姉の生生
しい実態をみていれば、結婚を誰がするものか?である。ネットで調べると、
この二つを合せ鏡となり、人間心理の奥行が深くみえるから、まか不思議。
決して軽い話でない。
<「愛」は真ん中に心があるので真心、「恋」は下に心があるので下心> 
 だけでも酔い時のネタになる。
   ~まずネット検索から~
――

愛は結果、恋は過程。 恋が育って愛になる。

1・恋は、一人でもできるもの。「恋をしてる」は、一人での行為です。
2・愛は、二人でないとできないもの。「愛をする」とは言いません。
 
恋は結局、自己愛だ。自分がそうするのと同じぐらい、相手から大事にされる
ことを期待している。 それは結局、相手の瞳の奥に映る自分をこそ愛している
ということなのだ。

心理学者ロバート・スターンバーグの言葉。
「愛」には、三つの構成要素があります。「情熱」、「親密さ」、「意気込み」。
「恋」には、この構成要素のうち、「情熱」に「親密さ」が加わったもので、
「意気込み」はありません。また、「愚鈍な恋」には、「愛」の構成要素のうち
「親密さ」が欠けています。
 では、三つについて。
「情熱」=恋愛感情や肉体的な魅力、性的な欲望が含まれる。
「親密さ」=温かみや相手との近さ、つながり、絆といった感情。
「意気込み」=誰かを愛する決意と、その愛を維持しようとする意気込みのこと。

恋を人間的感情で支える重要な部分が、情や愛の観念、感情。つまりは
『愛や情』が存在しない『恋』は、他者から見れば利己的な欲望に過ぎない。
恋とは、そこに愛や情を内包して始めて美しく輝く。

さだまさしの「恋愛症候群」という歌にこんなフレーズがあった。
 相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋
 与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛

「恋」は天気が変わりやすい山の中にいる感じで、
「愛」は凪いだ海の浜辺みたいなイメージです。

恋は溺れるもの。 愛は身を焦がすもの。

恋とは相手を独占したいという欲求。相手の特別でいたいという願望。
相手の内側に居場所を求める行為。
愛とは相手を大切にしたい、尽くしたいという感情。
大好きな相手を慈しむ生物が持つ普遍にして不変の本能。
――
▼「一番、上質の相手と出会う機会が多い学生時代に結婚相手を選定しておく
 のがベスト」と聞いたことがあった。それも卒業のまじか。それらしき人が、
居ないでもなかったが、その後の様ざまな出会いからして、それでは面白く
なかった…。<一人を決めると、その他の全てを捨てることになる>の言葉が
重かった。フリーハンドは、環境が良ければ、イチャツキのスリルとサスペンス
が満ちてある。わずか5~6年だったが。「恋」は塀の上側、「愛」は塀の内側。
で、大方は内側に落ちて無期懲役とあいなる。そこで脱獄か、仮釈放もあるが… 
 ってな訳で、イチャツキをしてくれるキャバクラが繁盛するのは、それが足り
なかった人が行くところと思いきや、夢をもう一度という男の方が多いそうな。
そこは仮想恋愛ゴッコで身を焦す異空間の竜宮城。 奪われるのがキャバ代。
換わりに得るのが、『愛や情』が存在しない『恋』モドキ悦楽。で、そこが
楽しいらしい。テレビ東京『 家、ついて行ってイイですか?』でキャバクラ嬢
が登場。この仕事に就いたところ、子供の頃からの様々な病気が治ったという。
客を癒すうちに、それが自分の癒しになったとか。「愛」の何かを身をもって
知ることになったようだ。 何か、真面目な切口が… 
 <恋とは、そこに愛や情を内包して始めて美しく輝く> 
てなこと言われて、その気になって… 問題は、その後。

・・・・・・・
4722,心を上手に誘導する方! 
2014年02月17日(月)
       「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー(著)
 *「運がいい」と思っている人ほど、幸運に恵まれるのはなぜ                         
「マインド・リーディング」のテクニック&メソッドを紹介した本だが、これは
他人だけでなく、まず自分のマインド・リーディングに使えばよい。それだけ、
心は未知で、扱いにくいもの。ランダムに、面白そうな部分をテーマにするが、
運、不運は、その最たるもの。運は判断の結果をいうが、その為に必要なのが
「観察力」である。このところ長年信じてきたバイアスに気づくことが多い。 
『私はもの覚えが悪い!』と、数十年思い込んできた。
そのため、対象を観察さえしようとしないため、さらに、もの覚えが悪く
なっていたことに、最近、気づいた次第。私は「運が強い」と思ってはいるが、
その運を呼び寄せるのは、長年かけた努力の集積の結果ということを経験上、
分っていた。運がいい、という思い込みなら、良いが。ーそのあたりからー
《 自動車メーカーの創設者ヘンリー.フォードはこう述べている。
「あなたは、自分は何かがとても上手にできると思おうが、全然できないと
思おうが、どちらも正しい」 あなたの思考パターンが、目標を達成する
妨げになっていないかどうかをよく考えてほしい。なぜなら、それがあなたの
人生の運に大きな影響を及ぼすからだ。イギリスの心理学者、リチャード・
ワイズマンも、大規模な調査によってそのことを証明している。
 ワイズマンは、人生における幸運と不運は本当に偶然によるものなのか、
それとも運のいい人と悪い人がいることを心理学的に説明できるものなのか、
ということに興味をもった。そこで、ワイズマンは、自分が幸運に恵まれて
いると思っている人と、ついていないと思っている人を探し出した。
調査の対象になった人たちは「新聞に載っている写真の枚数を数えるように」
と言われた。その後、ワイズマンは被験者に、写真が何枚載っていたか尋ねた。
しかし、被験者には知らされていないもっと重要なことがあったのだ。
その紙面の中央に、ワイズマンはある文章をかくしていた。その文章とは、
紙面の半分くらいの大きさで、「実験の担当者に、これ見たと言えば、あなたは
百ポンドを獲得します」と書かれていたのだ。自分には運がないと思っている
被験者たちは写真を数えるのに必死で、その文章に気づかなかった。
一方で運が良い人たちはリラックスしており、もっと全体を見渡すことができ、
ほぼ全員が百ポンド手に入れた。ワイズマンはこのことから、運の良い人は、
運がない人よりもチャンスに気づくということを導き出した。私たちの思考は
私たちの行動に影響を及ぼし、不思議なことに幸運か不運のどちらか引き寄せる。
ワイズマンは、こう書いている。「楽観的な人は前向きでエネルギッシュで、
新たな機会や経験にオープンである。一方運の悪い人は、控えめで、頼りなく
心配そうな反応をし、目前にある機会を見つけて活かす気がないようだった」》
▼ 運とは、判断の結果であり、判断には対象の観察力が必要になる。
 過去の行蔵を見ると、失敗の場合は、観察をする詰めが甘かったケースである。
運を良くするには充分なる準備が必要で、浮ついて取り組めば、当然、そこには
 失敗が待っていた。そう簡単に成功など出来る程、甘くはない。貧しい家には、
貧乏神が住んでいる。今回の一連でも多くのことを学んだが、それも捉え方一つ。
この結果が、『あ~、運が良かった』と思えば思えるし、『あ~、何て運が
悪かった!』と思えば、そうである。運が良った!と捉えれば、長年かけた
リスク管理を幾つかしていたこと。運が悪いと思えば『長年の努力の結果が、
このザマ!神も仏もあるものか!』になる。モノは考えよう。
・・・・・
4355, 閑話小題 ー常日ごろがあるということ
2013年02月17日(日)
  *「今日という日は、残された日々の最初の日」
 還暦を過ぎた頃より、「今日という日は、残された日々の最初の日」の言葉の
とおりになってきた。44年前の学生時代の終わりの頃の日記のコピーを、毎年
この時期に読んでいるが、当時から現在に至る年数が長いような短かいような。
60歳を過ぎると「時間軸が横になる」というが、一年前も50年前も同じ感覚。
残された日々だけでなく、過去の時間軸も横になってきた。50歳を過ぎた頃に、
それ以降の残された20年、30年分の人生を捨て身で10年に圧縮し、前倒し
実行したのは、時間軸を横にしたのと同じことだった。横にして見えるのは、
「死」である。また、その裏にある「生」。どちらにしても、人は死ぬ。
そして数ヶ月もしないうちに、ほぼ忘却。それなら、今日という一日を目いっぱい
生きるしかない。人生は50歳を過ぎれば、人間は「残された日々」になり、毎日
が、その最初の日になる。それにしては、まあ、いい加減な日々を過ごしている。 
ポイントは、「時間もお金も、‘いましかできないこと’のために使う」になる。
面白い映画を見て、良い音楽を聴き、腰をすえて本を読み、新たな世界に
チャレンジし、より孤独に徹し、日々を過ごすことである。その意味では
自己評価は70点だが・・いや、50点か?
  * 常日ごろがあるということ
 一線を離れ、毎日が日曜日のような平凡な常日ごろの日々が続く。
しかし、この「常ごろがあること」が実は素晴らしい。中学、高校、大学の日々
で懐かしいのは、当時の「常日ごろの生活」であるため。その年齢ごとの常日
ごろこそが価値があり、光輝いている。時代を背景にした、その時節の自分が、
そこにいる。だから現在も時代背景と、「常日ごろ」を味あうことが
必要になる。ところで真に味わっているだろうか? 
・・・・・・
5087,タガメ女の正体 ー②
2015年02月17日(火)   
 まず、タガメ女の定義:田んぼに生息してカエルを捕獲するタガメのごとく、
収入や社会的地位のある男性を捕獲し、「幸せな家庭」というタガにがっちり
はめて自由を奪い、リソースを吸い尽くす女性。夫、子供、ママ友など周囲の
人間関係をもタガによって呪縛する。搾取される男性を「カエル男」と呼ぶ。
  ~概要をまとめると~
現代日本社会には男性を搾取して弱らせる「タガメ女」なるものが存在し、
 巧みに男を捕まえて専業主婦という地位に収まり、その後は様々な約束で夫を
 箍(たが)にハメては、わずかな小遣いで働かせる。軽い筆致で現代社会の
 極めて重大な問題を提起する。それは標準化された「幸せ」の形式を盲信する
 ことの危険性であり、それを「魂の植民地化」と呼ぶ。「エリートとの結婚」
 「郊外の一戸建て」「年に一度の海外旅行」など、標準化された「幸せ」の
 強迫は、強者、弱者 とも不幸にする。この問題の答は、読者が自分で考え、
 一般の価値観に捉われないことである。
・政府の施策やマスコミの世論誘導や、家電の普及で家事労働負担が劇的に
 軽減されたにかかわらず「家事が重労働だ」というプロパガンダが成功した
 ことで、「男に寄生して一生楽に血肉を吸い続けるタガメのような害虫女」
 が生まれてしまった。タガメ害虫女も、己の存在価値を賭けタガメ女同士
 の見栄の張り合いや、夫や周囲に忙しさや幸せの演出を続けなければならない
 ため、決して幸せではない。 夫の犠牲の上に「専業主婦」という楽園を
 作って女性が逃げ込んだ先が実は「タガメ同士が殺し合い潰し合う修羅界
 の地獄」だという不都合な真実」がある。
・箍にハメられ、カネと社会的リソースを「タガメ妻」にと吸い取られる
 カエル男が支配する日本社会に、「責任転嫁」「現実逃避」の病根がある。
 タガメ女に箍めとられてカネと社会的リソースを搾取される「カエル男」
 たちが、日本の政治、経済を動かし、部下や下請け会社、取引先といった
 周囲の関係者を逆に搾取の”倍返し”で支配する。
▼ 4年前に御隠居生活に入って、(現役の)森の世界の木や林での価値観が
 如何に官製でしかないことと、世間様とかいう「魂の植民地人」の哀れさを、
改めて知った。それは40年近い現役時代の家内の目線は、タガメ女のそれ。
・・・・・・
5817,緩和小題 ~しまった! 
          ~「犯罪者の容姿が醜い」説は本当かー 5
2017年02月17日(金)     
       < しまった! 「失敗の心理」を科学する
        ジョゼフ・T・ハリナン (著) >
   * 「犯罪者の容姿が醜い」説は本当か
 卒業直後から女性の多い職場にいたこともあって、直ぐに気づいたことが、
美人は性格が温厚で優しい人が多いという容姿と性格の関係。子供の頃から
周囲に可愛いといわれ、男の子から優しくされ続ければ、歪みも少なく、自然体
になるのは至極当然(例外もあるが)。その逆に、マル暴事務所に属している人
たちは、確かに人相が悪い。 刑務所内で、悪党諸君と悪さ自慢をして、粗食を
食べているのと、美術館で名画を観て、美味しい食事をして、音楽会でクラシック
を聞いているのとは、人相は違って当然のこと。それが何代も続いて容姿になる
なら、尚のこと。 貧すれば鈍する! 恒産に恒心あり! で容姿がつくられる。
 ~そのシリアスの研究が、ここで紹介してある。 
≪ アメリカの大学で、1万5千人の高校生の被験者の容姿を「美形」から、
「ひどくブサイク」の5ランクに評価する。この容姿の評価と10代の犯罪歴から、
ブサイクな若者は送った暗い青春の長期的影響は、ささやかだが、抜きがたいと
結論づけた。「容姿の劣る人は普通の人と比べて犯罪を起こしやすい。美しい人
は、普通の人より犯罪を起こしにくい」犯罪者は普通の人より醜いと。≫
▼ 大人数の兄姉の末っ子で、幼児の頃から常に顔色を窺いながら育ったことも
 あって、特に女性に対する用心深さが人一倍あったような。 美形である程、
視線に対し敏感の半面、それを褒めて欲しいのが特質。しかしさほどに、人は
褒めてはくれない。だから何気なく褒めるのがポイント。表づらと内づらは違う。
 逆に、犯罪者は蔑視に非常に敏感である。だから怒り、争い、傷つき、傷つける。 
また老いるに従い、気づかず顔は曇り、老醜が漂ってくる。特に清潔感には注意… 
 大国アメリカの失敗が、毎日のニュースで御存じの… あれ。
で、偶然だが、男はすべからく、「しまった!」と後悔する。で、以下に続く!
・・・・・・
5451,人生で最も大切な技術 ー22 幸福の社会学~個人の特性
2016年02月17日(水)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
    * 個人の特性
 幸福は知性には関係なく、心の温かがあって、開放的、外交型タイプ
に多い。精神的な人で、リラックスが直にできる人も幸福が擦寄ってくる。
とすると、私はさほど幸福ではない?いや、これを書いている時は、
リラックスし、幸せタイムだから、少なくともネット上は幸せか。
  ~その辺りから
≪ ・幸福と知性は直接の関係はないらしい。幸福度は、IQテストでも、
 性別や 民族でも、ましてや肉体的美しさでも測定することはできない。
・一方、「心の知能指数」は、幸福な人と不幸な人では大きな差がある。
ピーターサロベイによって造語、解説され、ダニエル.ゴールマンによって
一般に紹介された、心の知能指数とは、他者の感情を正確に認識、配慮し、
自分自身の感情を明確かつ即座に自覚する能力、と定義される。
あるグループによれば、「幸福は、自己主張する資質と外向性および
共感する力が揃ったときに実現する」、ということらしい。
たしかに、幸福な人は、一般的に開放的である。
・幸福な人は、自分と自分の人生をコントロールできると信じている一方、
不幸な人は、自分が運命に弄ばれていると信じる傾向がある。自分の住む環境
を自在にコントロールできれば、それだけ幸福感が強まるということらしい。
・日常生活で見る場合、外交的人間は、内向的人間よりポジティブイベント
経験が多く、神経症の人は、安定型よりネガティブイベント経験が多い、と
いう点は興味深い。人は、不運を「連続」して感じたり、自分の中に問題を
惹きつける磁石がある、と感じたりする時がある。だが、大切なのは、外向型
だろうが神経症タイプだろうが、楽観的だろうが、自己中心的だろうが利他的
だろうが、繰り返し同じ状況にかり立てるのは、究極的には自分の性格である、
という点に留意することである。
・心が開かれた人は、困難な状況を戦い抜くのに長けている。一方、リラックス
できない人が困難に直面すると、不安を募らせ、それが感情的および家族的な
問題として反映される上、社会的落伍者という形をとることさえある。
・宗教的であるなしに関わりなく、精神的な次元は、人生の目標設定、人間的
な価値の向上、慈善、寛容、の促進の行為に役立つだろう。 ・・・(略)
人間は、病気にかかっても、病気になる前の幸福度に戻れるというガン患者の
研究により、彼らの幸福指数は、患者以外の人々の指数とほとんど変わらない
ことが判明した。・・ ≫
▼ 不幸のどん底と思えるガン患者の幸福指数が普通の人と同じとは意外。
 ガンは心を閉ざすものとの思い込みがあるためである。心が開かれている人は、
それゆえに心の闇の淵で何とか留まる。とnころで、ブログを始めて暫くして自分が
大きく変わったことに気づいた。ブログは、続けていると生身の心情と、能力の
限界がそのまま露呈するが、時間とともに、そのことが、幸福感を、以前より
遥かに強くする力になるようだ。
「幸福は、自己主張する資質と外向性と共感する力が揃ったとき実現する」
で、正にブログは、ネット上で、その役割を果たしてくれ、その多くから、
幸せ感が溢れ出ているのは、そのため。