* 年齢もあるが、気持ちは…
大相撲も、千秋楽を待たずに鶴竜が優勝をした。予想外だったが、終わって
みればこんなもの。ファンの立場からいえば『白鵬が居なくとも、充実した場所』
というのが収穫だ。
『平成シゴロ(4・5・6年生まれ)』と勝手に命名したが、この辺りに有望な力士
が多い。他に思いついたのが、『平成のコロ(5・6)組』も。
その顔触れが幕内前半に出揃い始め、新旧入替りの時節になってきたようだ。
それに焦った昭和モンゴル組が、起こした事件が、『貴ノ岩、殴打事件』。
コロ(5・6)チャン組に、いやに明かるい力士が多いと感じるのは若さのせいか。
天皇の御退位で年号が変わると、昭和生まれは、ますます肩身が狭くなりそう。
『花のサンパチ組』は、昭和38年生まれの力士らを指す。
双羽黒光司(第60代横綱)
北勝海信芳(第61代横綱、現在の年寄八角)
小錦八十吉(現在はタレント)
寺尾常史(現在の年寄錣山)
琴ヶ梅剛史(現在は相撲料理店経営)である。
この一群が十両から幕内上位に上がってくる頃に、多くの名場面が見られた。
相撲取りを大別に色分けすると、「外国勢」「大卒組」「中高卒、叩き上げ組」
に分けられ、これに年齢分別を横割りして「昭和組」と「平成組」も加えてよい。
――
ラジオで、<「小春日和」を初春に使いそうだが、実は秋口の晴間に使う言葉>
と話していたが、その前日のブログで「小春日和の時節」と使ったばかりだった。
まあ、知らないことが実に多い。70歳を過ぎた頃から、日々、年齢の衰えを感じる。
とはいえ、SJの運動効果も実感している。酒さえ控えれば、体調は頗る良い。
ふと「介護年齢になった現在、何があっても受止める心の準備があるだろうか」
と思うことがある。
――
昨日の早朝、長岡大橋から大手大橋の土手一周の自転車の初乗りをしてきた。
今年の走り初めである。 散歩からチャリ遊覧に切替えて10年目になる。まだ
寒さが残っているが… やはり気分は爽快だが、まだ日曜にしては人出は少ない。
早朝の、この文章作成時間は、これで一時間近く減少することになるが…。
精神面、肉体面で非常にプラス効果を直に実感できる。散歩を含めた早朝の運動、
40年間、続けているが、このお陰で何とか生命保持が出来ている。
・・・・・・
5124,閑話小題 ーボンヤリも悪くない
2015年03月26日(木)
* つれづれに 〜ボンヤリしながら
「はてな」のブログのアクセスが3月3日から、何故か5倍の1500に
増加した。不自然なので一時的と思っていたが、なかなか減らない。ところが、
数日前の連休から、以前の300前後に戻ってしまった。突然、増えた理由も、
減った理由も分からない。300でも多いと思っていたが、1500になった、
アクセスが20日近く減少しないので少し自信を持ちかけていたが・・
内容からしたら、300でも、出来過ぎだが。14年近く、毎日2〜3時間
かけて、一日一文を書いてきたが、気がつけば、5000以上。自分のデータ
ベースを公開し、自己コントロールするため、どうしても、他者の目線を意識
をしてしまうが、こうともしないと5千日も続けられなかったことも確か!
ところで、一昨日の早朝、一時間ほど早く起きて机に向かったため、ブログ
のアップも、一時間早く終わった。そこで、意識的にボンヤリとしてみた。
目の前の書棚の本や、図書館で借りてきた本を次々と流し読みをしたりしたが、
この何をするでもない時間が良い。午前中のネットサーフィンでも、この間
(ま)でするが・・
* オープン戦の原・巨人が変?
明日からプロ野球の開幕だが、パ・リーグは、ソフトバンクとオリックス。
セ・リーグは広島と巨人の前評判がよい。しかし、どうも巨人の原監督の
監督としての賞味期間が切れているのは確か。巨人というブランドの監督の
消耗度はただ事ではないはず。もう無理である。新監督は、江川か、桑田辺り
がベストと考えられるが、どうだろう! それにしても、あの戦力、他チーム
を圧倒している。それを賞味期限を終えた監督で勝てないゲームを観るのも、
味わいがあることも確か。三年期限で、江川監督、桑田ヘッドコーチにし、
その後、江川が退くシナリオ。何故か、誰も言わないのは何故だろう!
原に実績があるため?
・・・・・・
4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート!
2014年03月26日(水)
ーひと言でいいのですー吉川直美編
* 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート
人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外
に多い。それも人生だが、ポッキリと折れてしまう危険がある。その時に立直る
に大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を
何人か見かけたことがある。かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験
する方が、しないで済んだ人より幸運? 悲哀さえ、知らず終えていくのも人生。
大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」の声が心底から
生じてくる ーその辺りから!ー
《【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生の
あらゆる分野で教えられる。挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し
合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】
ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばした
人はきぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが参加されていました。
ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも
愛され、早くから神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに
心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、修道院長に
命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、
寄り添い寄り添われ、やがて十分泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り
戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。「私には人の
痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》
▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、
最後の最後に、味わいの無い自分の人生に愕然。秘境旅行の参加者には、
そういった風な人が人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。
それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の
先生が、定年時に私に深刻に話したのは、このことだった。「定年になった
現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、
そこには自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま
生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。その怒りを周囲の挫折や悲哀
に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血で
洗おうとする哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をした!
自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。そのことを自覚できないのも
人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は!
・・・・・・
5854,『私の「戦後70年談話」』〜 ?「満州でソ連軍の侵攻をうけて」
2017年03月26日(日)
『私の「戦後70年談話」』(2015、岩波書店)
北朝鮮の瀬戸際戦略、温厚なオバマには効果があっても、強硬派のトランプ
には逆効果に働き、情勢は悪化を辿ることになる。北の瀬戸際戦略は、中国に
とってはプラス効果。日本・韓国対北朝鮮の緊迫は、アメリカと中国のパペット
(指人形)そのもの。戦って消耗しようが、大国の指先のことでしかない。
第二次大戦の戦争被害者の戦中派からすれば、今の世相に底知れない危なさを
感じているのだろう。東北大震災の2万人の被害ではなく、日本人が300万人が
殺され、東南アジアで1000万人以上の被害者を出した戦争である。その最大の
被害者が戦中派。
*「満州でソ連軍の侵攻をうけて」宝田明(俳優)1934年生
(宝田明は満州で敗戦をむかえた)
…(中略)まして国民だって当時洗脳されて浮かれていたとはいえ、
父や息子たちが戦争にとられて死んで帰ってくれば、お国のために死んで
よかったなんて人はいない、みんな心の中では泣いていたわけです。
…(中略)戦争なんて一握りの政治家が決定すれば、開始できてしまう。
国家の運命何て一握りの人間の誤った判断で変えられてしまうのです。
…(中略)
たかだか数人の内閣で集団的自衛権の行使容認を閣議決定したり、
今や海外で戦争をする国へと変わりつつあり憲法改正の動きも進んでいる。
戦争を知らない政治家たちが、こういう決断をしてよいのか、と思わずには
いられないですね。
…(中略)どんなに国が大きくなっても、戦争を好む国というのは、
最終的には滅びます。人間が起こす大罪は戦争を起こすことです。
――
* 「戦争を知らない大人たちへ」山田太一(脚本家、小説家)1934年生
(山田氏は、東京浅草で育ち、空襲ののち、立ち退きを命じられ、伊豆に移り
住む。そこで母がまもなく亡くなり、兄2人も戦時中と戦後まもなく亡くなる。)
…(略)戦争は始まってしまうと、どうにもならない。否応なしに殺しても
心が痛まない敵をつくり、こっちも殺されるから憎しみがこみ上げて、殺し殺され
になってしまう。戦後70年、日本が戦争をしなかったのは実にすばらしいことだ
と思う。幾多の偶然や力学が加わったにしてもこわれやすい宝物を手にして来た
ようなものだと思う。荒っぽく扱ってはいけない。政治家はどんな手を使っても
戦争は避けるべきで、その時はあれこれひどいこともいわれるかもしれないが、
時がたてばきっとよき選択とされると思う。それでも避けられない戦争はきっと
あるだろう。その日を総力をあげて先のばし先のばしする知恵のあるプライドの
日本でありたいと思う。
――
▼ 両親が明治生まれで、大正、昭和を生き、7人の兄と姉は戦中派。敗戦の
半年後に生まれた私は団塊の世代の狭間で、非常に恵まれたスポットにあった。
父親が常々言っていたのは、『戦争体験は生きるか死ぬかの人生最大の試練。』
戦後70年の日本は、奇跡的経済成長の中で平和を享受してきたが、これも何時
壊れても不思議ではない。地震列島・日本も活動期に入ってしまった。
なにやしら、中国・北朝鮮と日米韓の情勢も雲行きが怪しくなってきている。
世界は歴史から学ぶ能力がないとは聞いていたが、どうも、本当らしい。
・・・・・・
5489,人生で最も大切な技術 ー34 瞑想の実践
2016年03月26日(土)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* 瞑想の実践 ー?
スポーツジムのヨガに参加して、まる4年になる。ヨガは瞑想に合間にする、
足腰の鍛錬や呼吸法で、その目的は瞑想。当初の二年間は週2回、後半の2年間
は週4回、所要時間は45分。その最後の5分の「死者のポーズ」。大の字になり、
全身の力を抜いて、宇宙と一体化したイメージで横たわる。
自宅で横になった半睡眠の状態との違いは、瞑想は、それらの一環で、
集団の一人として参加すること。夜半寝ている時に、この状況を頭に描くと、
似た感覚に簡単になれる。 ヨガは、生気を溢れさせてくれる。
≪ * 瞑想を始めてみよう!
自分を取り巻く環境がどうであれ、生気溢れた状態にさせる可能性は誰の
心の中にも必ず存在する。それは、愛情豊かな親切心、思いやり、心の平安
を体得する可能性のことで、あらゆる人の心に秘められたものである。
天然に転がる金塊と同じで、掘り当てられ、磨かれ、現実のものにされない
限り、価値が高まらない。こうした可能性を引き出し、強化育成することに
より、精神的な健全状態が一段と定着化するだろう。可能性を放りっぱなしに
していても強まることは期待できない。それは一種の技術とし習得しなければ
ならない。手始めとして、自分の心に習熟することから始めること。それこそ
が瞑想修行の第一歩なのである。まず、バランスのとれた無理のない姿勢で
静かに座ろう。座布団の上で足を交差させた蓮華座が無理なら、椅子に座って
も構わない。どちらの場合も、常に緊張のない程度に自然に背筋を伸ばした
姿勢をとることが大切である。手は膝または腿の上に置き、目は自然に前方に
置き、呼吸は自然にまかせる。心の中に、思考が浮かんでは消えるのを見つめ
ていよう。最初は、思考が消えるどころか、滝のように心の中に乱入してくる
かもしれない。その場合は、思考を停止させたり、逆に、焚きつけたりせずに、
浮かんでは消えていく様子をただ眺めているだけでいい。作業の終わりには、
次第に静寂になった心によってもたらされる温かみと喜びをしばらく味おう。≫
▼ 学生時代に座禅を知り、野狐禅としても、静かに座り、心の底から湧出る
雑念を見つめる、もう一人の自分の影を見ていた。それが魂なのか、自分を
見つめる第二、第三の自分なのか? それは、誰も持っているはずだが・・
フッと思いたち、般若心経を呟いて没我の状態を瞑想と、どこが違うのか?
・・・・・・
4392, 暴走老人! −2
2013年03月26日(火)
* 待つことをめぐる考察 ー時間編 「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば
「待つこと」で大半は占められている。列車を待つ、車内で目的地に着くのを
待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど待たされることばかり。
最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち
合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチでネットサーフィンやゲームを
していればば、別に喫茶店でなくてもよい。それは待つ喜びも失われたこと。
子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。
現在、そんな気持ちになることなど殆どない。主体的な待つのは良いが、
相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代はムダな時間を排除するのが
求められる。そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなり
つつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。そして定年や人員
カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られ
がちになる。それに苛立ちと焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した
発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。
新学期になってクラス替えがあり、新たな顔ぶれの中、授業が始まり、梅雨が
きて、試験があり、やっと夏休み、・・と長い日課が延々と続いた。それが、
今や、アッという間に一年が経ってしまう。 それが今では、先は残されて
ないのに、思い出すのは嫌なことばかり。以前は考えなかった、「何のために
生きているのだろう?」という問いが、浮かんで消える。そこではマイナスの
フラッシュバックが次々と出てくる。 私たちは自分の時間割を帯グラフで
割り振るようになっている。4時起床、そのままパソコンに向かい随想日記の
書き上げとアップロード。6時過ぎに信濃川沿岸へポタリング。7時半、食事。
8時風呂。9時から読書と随想日記の下書き等々、帯グラフに従って一日を
こなしていく。そこに、チャリ、パソコン、スポーツセンター、読書さえ、
マシーンが介在する。どれもこれも便利で快適だが、これに適応出来ない人に
とって、大きな格差が出る。周りをみると、同世代にiPad、iPod、
パソコンを使いこなせない人が意外と多い。それでもタブレットPCが普及を
始めたので解消してきた。 ラーメン屋の行列で待つ、新製品の発売を店の
前で待つなど、「待つ」ことが、レジャーの要素の一つになっている。
待つというのは、「間」があるということ。その間は、空白である。元もと
私たちは空白に漂う陽炎のようなもの。それが本来の姿ではなかろうか。
生れて死ぬまでの間、それが生きるということ。その間で、たっぷり間を持つ
ことも大事ではなかろうか。それにしても時間に、いや、空白に恵まれていた。
「待つ時間が人生の大半を占めていた」とはね!
・・・・・・
4018, シングルイン、31年間の総括 ー1
2012年03月26日(月)
準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。
* 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、
閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。
* 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。
* 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。
* 創業時の自己資本が2億。借金残債が10億だったので返済額20億円。
* 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、
勘定足って銭足らずの典型。
* ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな
右下がり、2001年の9・11テロから4年かけて売り上げが
三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック
以来、二年半で半減。11年前の9・11テロから三分の一まで減少。
東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。破綻の直接原因は
9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。
東北大震災は最後のとどめ。
* 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、
ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。
* 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%
の支払い済み。(国の補填3百万も含め。)役員は、役員就任時に一度、
退職金払い済み。
* 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。
それも、半年後に売却。( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れる
と思ってなく、慌てていた」。自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけた
ビルは、売り出すと同時に即売。設計の中に売却前提で計画してあるため。
▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。三つの経済・自然災害
が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、借金をしてする事業ではない。
そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネス
のあり方が変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになった。
結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。