つれづれに

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 今朝は、せっかく書上げたブログの下書きを
チョッとしたミスで全て消してしまった。ガックとしたが、
そこは、気を取り戻して… しかし、何故か、気力がわかない。
 そういうこともあるが… 




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5754,マシュマロテスト ~③
2016年12月16日(金)
          『マシュマロ・テスト』ウォルター・ミッシェル著
   * 彼らは、どうして耐えたか
 マジックミラーでコッソリと観察された二個貰えた子供たちの耐え方の
観察が幾つかあるが、これがいじらしい。独身時代の女性職場で、何とか
先延ばしで耐えた?が、それが、ここで紹介されている子供の姿に二重写し
思い出される。フラフラとすると、『この人と一生、添えられる?』と、
対象に集中すると、一週間ほどで、『い・や・だ、ヤ・メ・ト・コ』。
外見だけでなくて、品性、教養、人柄のバランスが、揃っていれば、
『こ・れ・が・い・い』になったのだろうが… その時々の自分に丁度良い
人が現れるが、そこはあくまで仮の場。
 ここ一番(ジャンプ)の旬のタイミングに、家内と出会えたから、
これが私のレベル! (ハアー?)という誰かの声? 
 ~その内容とは    
≪・組んだ腕の上に顔を載せて横を向く子
 ・顔を背けて、御褒美と向き合うのを完全に避ける子
・褒美をチラチラみて、待つ価値があることを確認する子
・「待っていれば二個、貰えるんだ」と自分に言い聞かせている子
・テーブルの向こうの縁まで、遠ざける子
・うまく先延ばしできる子は、気をそらし、自分が経験している葛藤と
 ストレスを和らげるため、ありとあらゆることをしてした。≫
アウシュビッツのような?死体(したい)の山中の当時が、いじらしい!
――
▼ 金沢時代の衣料チェーンの社長が、男社員だけの席で、
『女は煽てれば逆上せ上る、殺せば化けて出るが、群れるとサル集団になる。
 現場でサルと割切ってしまえば、何とことはない』と宣っていたが、当に、
その言葉通り。 人生を振返ると、男どもこそ、当てはまる道理。
 40年前の話だが、関西への出張などの列車の席の過ごし方に慣れない時、
着くまでの時間が本当に長くつらかった。で、如何したか? 腰骨を立てて、
きちっと座る。そして、到着時間を考えないこと。その方が、遥かに楽。
海外ツアーのエコノミー席の過ごし方のコツが20回目辺りから分かってきた。
・食べものは最小に、飲み物は多めに飲んでトイレに足繁く通う。 
・行先の観光本や旅行代理店から貰ったパンフレットを何度も読み返す。
・今では、座席前のモニターで、TV映画が幾つかみることが出来る。
 落ち着いたとき、何をみるか決めておく。
・「高速移動の乗物は脳が最大限に活性化する、それをプラスにて楽しむ」と
 自分に言い聞かせ、経過時間を可能な限り気にしない。ゆめゆめ嫌な時間帯
 と思わない。
回数を重ねるうちに、御褒美は観光だけでなく、飛行機内の瞑想タイムも含まれ
ていることを自覚する。これは、人生過ごし方と同じ。 忘我の世界に入れば、
そこは別世界。 隣席の家内の存在すら、「孤」の外に追いやることが出来る。
手っとり早い「合理的高質な瞑想タイム」になる。 この応用が夜半0~4時の
「死者のポーズ」の瞑想タイム。瞑想なら良いが、時に「妄想」に? ったく!
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5389,自分史の書き方  ー②
2015年12月16日(水)
            『自分史の書き方』立花 隆(著)
 15年前から、随想日記として一日一文章を書上げ、ブログに公開してが、
この中で書いた「思い出話」や、50回以上に渡って書いた、「準備を含めた
45年間の事業総括」が、自分史を書上げるとしたら、そのまま資料になる。
それと多感な22~25歳の頃の日記も、ここで公開してある。
 この年齢の視線で逆照射し、俯瞰した自分は、赤面の至りのことばかり。
20歳時に志をたて、それに向かい捨身で生きてきたことは確かである。
その過程の悲喜劇の中で、何とか、日々を過ごしている小さな己の姿が垣間
見ることができる。その姿が、何とも愛おしくもある。
  ~以下の、アマゾンビューの批評がわかりやすい~
≪ 立教セカンドステージ大学における受講者の皆さんの自分史を引用しながら、
その書き方を示した本。ただし、自分史の書き方を指南した部分より、受講者
の自分史原稿そのものが実に面白い。特に「親子二代で書き上げた自分史」は、
太平洋戦争が始まる前からの個人の記憶が克明に描かれており、当時の人が
日常、何をどのように記憶していたかという貴重な記録の集積である。
「語り継ぐ」ことは、いつかはできなくなるため、「書き継ぐ」ことが極めて
重要になるとよくわかる。世の中の物価やニュース、また、その当時は
「記録するに値しない」思われる「今」の日常が、わずかな時間であっと
いう間にかけがえのない記憶になることが、この本を読むとよくわかる。
 もう一つは、誰の人生にもどんな人生にも、語るべきドラマやストーリーが
あるということ。「今」はただがむしゃら、必死、夢中、逆に絶望の淵という
人生で、「時間」がそのいかなる過去をも俯瞰すべき物語に変えてくれる。
「年齢を重ねていくということは大したものだ」ということを雄弁に語る自分史
の力に魅了される。 自分史を書くためには、自分についての資料が欠かせない。
自分に関する資料は、ネットでは調べられないことも重要だ。同じニュースを
100人聞いてもそのとらえ方は100通りである。そして、時間が経つと
そのとらえ方も変化していき、その人固有の記憶となる。仮に自分史を誰かの
為に書かなくとも、年齢を重ねるその度に「自分を俯瞰しなおす」という
行為・作業が欠かせなくなる。時間というのはとても不思議なもので、意識
して過ごさなければ(自分で記録をしなければ)今日という日も1年前、
5年前と同じようにあっという間に色あせてしまう。
「あれから僕たちは何かを信じてこれたかな?」という歌詞で始まる
夜空ノムコウ」という歌がはやった時があった(これも10年以上前)。
それを確かめるべくして、執筆された受講生もいたのだろうか。
「これまでこうだったから、これからはこうだろうな」という見方あり、
「これまでこうだったから、今後はこうしてもいいのではないか」という
見方あり。自分は10年後、20年後人生をどのように俯瞰するのだろうか。
そう考えられる程、すべてのサンプルが優れている。一読を勧めしたい。≫
▼ ここで、<年齢を重ねていくということは大したものだ>とあるが、
 これは「経験を重ねていくことが大したものだ」ということ。実際に経験
してこそ解ることがある。<「語り継ぐ」ことは、いつかはできなくなるため、
「書き継ぐ」ことが極めて重要になる>は、社会に一歩踏出した前後に、
書いた日記を読み返すたびに、思うこと。あのまま、何で書き続けなかったか、
書いてなかった部分の詳細の「いま・ここ・わたし」は、断片的に書いていた
部分を除いて、スッポリと抜けてしまった。 実は、当時の日記帳は厚くて
余白のページが、まだまだあったため、気が向くと(数年間隔で)書き足して
ある。時おり、それを、ここで書いてみるつもりだが・・