* 21世紀に入って16年
 21世紀に入った2001年から、はや16年になる。
・まずは2001年9月のアメリカへのアルカイダによる「9・11テロ」から始まる。
 ユダヤキリスト教イスラム教の戦いの火ぶたが開かれ、イスラム国を生む
 キッカケとなり、大量難民が大挙して欧州を目指すことになった。
地震津波などの自然災害が日常的に多発。2004年12月26日、スマトラ島沖で
 巨大地震が 発生、この津波インドネシア、タイ、インド、スリランカなど
 の諸国 の沿岸を襲った。津波による死者は28万3千人以上にのぼる未曾有の
 大災害。国内では、2004年の中越地震、2007年の柏崎刈羽地震、そして
 2011年には、東北大震災が発生した。
・2008年のリーマンショックの経済的激震が、世界を襲った。
・21世紀に入る頃に、スマートフォンなどネット社会が世界的に普及をして、
 全世界の半数が携帯端末を持つようになったが、その情報化に対応する体制が
 全く不備のため、混乱を引き起こしている。現実社会の上にネット社会が新たに
 出来上がり、それが現実社会を支配するようになってしまった。情報機器と、
 世界的ネットワークの進化が、グローバル化を推し進めてきたが、ここで、
 その反動が起きている。
 ――
 21世紀に入った5月初旬からこの個人HPを開設し、5900近いテーマを書き
続けて現在に至っている。個人的経験として、20世紀後半の奇跡的経済成長期と、
21世紀のネット社会の出現を目の当りできたのは、非常に幸運といえる。
世界は明らかに混迷の時代に入ってしまった。近隣の北朝鮮情勢が不安定に
なってきて、70年余りの平和だった日本も、安閑としていられなくなった。
戦い取った自由民主主義ではなく、アメリカから与えられたシステム。
それが故の軟弱な基盤が、そのまま露呈している現実がある。フッと振返れば、
歴史的幸運世代の落とし子、そのままの一人でしかない自分、そして何故か
動揺している自分が、ここにいる。時代背景、その世代が、その人そのもの!
 71歳は、71歳である厳然たる事実がある。老いてしまった。 しかし面白い。

・・・・・
5522,若者よ、外に出よ! ー? ピラミッドという衝撃を体験しろ  
2016年04月28日(木)
             〜『人生の教科書』 なかにし礼
 図書館で、青少年向けだが、なかにし礼の『人生の教科書』が、面白そうな
ので借りた。まず目についたのが、この<ピラミッドという衝撃を体験しろ>。
それぞれの秘・異郷旅行で魅せられるのは、想像を絶した衝撃を体験するため。
 その度に、大自然の神秘、世界の広さと深さ、人間の神秘、「超」能力など、
旅行のたびに衝撃を受ける。それが、自分の広がり、深さに繋がる感覚が
次の旅行を誘う。その上、ツアーの同行者は旅行情報の宝庫でもある。
エジプトには世界の遺跡の7割があると言われるが、危険をおかしてまで
行く価値は十分にある。世界は驚異に満ちている。何故に、ここまで旅行
したかが端的の書かれている。 正に、以下の感動があるからだ。 
   * ピラミッドという衝撃を体験しろ
≪ 海外に旅へ出る。まずどこを目指せばいいのか?
 迷うことなしにエジプトのピラミッドだ。時間が許すのならすぐにでも
行ったほうがいい。脳天をぶち破られるほどの衝撃を受けるはずだ。
 エジプトのピラミッドほど人知を超えた代物はない。ピラミッドを見て何も
感じないということはあり得ない。ピラミッドを見たあとにローマへ行ったら、
絢燗な建築物も、しょせんは人間業でしかないと感じる。
ギリシャのパルテノンも、円形劇場もどれもこれもが、理解の範疇のものに
思えてしまう。でもピラミッドだけは、人間の想像もつかない神品なのだ。
 ごく普通の会議室のような部屋が、大きな数枚の石によって作られている。
天井も床も一つの巨大な石。壁には斜めに切れ目のある石が組み合わされている
のだが、この石の隙間がカミソリも入らないくらいピタリと合わさっている。
それだけで、世界の広さ、人間の神秘、人間の持つ「超」能力を肌で感じること
ができる。
 エジプトやピラミッドについてあまり知らないのであれば、本を持っていけば
いい。勉強しながら目的地へ近づく。徐々に気持ちが盛り上がり、そして現地で
実物を目の当たりにして感激する。その興奮の醒めぬままにまた本を読んで確認
をする。ガイドブックではなく、歴史が記してある少し専門的なものを持って
いくといい。
 今、エジプトには簡単に行くことができる。もちろん治安状態など事前に
チェックしておくべきだけど、基本的にはツアーならばほぼ安全に行ける。
 ピラミッドを見て、ルクソールに行って、王家の谷に行く。その3箇所は絶対
見たほうがいい。ナポレオンがエジプトを見て、「俺たちはいったい何をやって
いたんだろう」と深刻に考えたそうだ。その気持ちは実際にエジプトに行って
みるとよくわかる。≫
▼ 当時の衝撃を文章に書き残してあるが、何れの遺跡の前でも、ただ呆然と
 立ち竦みしかなかった。石の文明は、数千年の世界を、そのまま、保存する。
もう20年も経ったが、感動した行蔵は、魂に刻まれ、そのまま残っている。
――
1996年2月
エジプト・トルコ感激の旅  
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが「カルナック神殿」であった。“まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス�鵺世などの王や神の像の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った「王家の谷」。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念で
つきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス�鵺等の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を
感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた
「クス王のピラミッド」も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス�」をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

・・・・・・
5157,不幸不利の7つの法則 〜?
2015年04月28日(火)
 去年の暮れ、幸福優位についての以下の書籍の批評文を書いた。
そこで、真逆の『不幸不利性の法則』のテーマを思いついた。あらためて、
幸・不幸を考えるに手軽である。ひとつ歯車が狂えば他人事の話でない。
≪2014/12/02 〜幸福優位7つの法則 −2
 【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
   * 幸福の概念と、幸せな人
 それぞれの内容一つ一つに含蓄があり、納得させられる。その法則とは・・ 
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
  ー以上だが、再起力、20秒ルールには特に新鮮な驚きを感じる。】
▼ 幸福度からみた、下位の二割の人たちのところに八割の不幸が集まり、
 上位二割の人たちのところに、八割の幸福が集まる傾向にある。幸福感も
長期スパンでつくることが可能。人間である限り、孝不幸はついてまわる。
特に不幸?の四苦八苦は、避けることが出来ないが、その三倍の幸福状態を、
中長期の習慣化で身につけることは可能である。第二の天性といわれる習慣を
身に付け、幸福状況を三倍にすればよい。周囲には実に不幸の人が多くいるが、
彼らは、上記の幸福優位の法則の真逆をしているため。  〜つづく
・・・・・・
4792,「消費される物語」 ー2
2014年04月28日(月)
           ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)
  *「消費される物語」 〜希薄化する挫折      
 物語といえば、劇場で演じられ、それぞれの役割がある。その物語が、
右下がりで、大した意味のない役割としたら、生きている張り合いがない。
そこには、夢も挫折もない、節のない竹のようなもの。挫折には価値がある
のである。今回の節目で、気づいたことが、これ! その挫折さえ持てないと
したら・・ 挫折感は、人を絶望に到達させる。その虚無を背景に、人生が
新たな出発点になる。その以前に夢が持てないとなると、どうするのだろう。
  ーその辺りから
《 ◆ 希薄化する挫折
 一方、現代を生きる人々にとって、恋愛はもはや、それほど非日常的な
体験ではないし、社会への高い理想を持つこともない。欲望が「恋愛」や
「理想」という形で結晶化しないため、我々の世代では当たり前だった
「若い時に挫折し、自らの欲望をかみ殺す」という重大な経験が起こりにくく
なっている。 挫折が希薄化したことで、多くの人々が「いつかはみんなから
認められる」「夢はかなう」というナイーブなロマンチシズムを、年齢を
重ねても引きずり続けているのではないか。 あくまでも仮説ですが、
佐村河内さんや小保方さんの成功物語が大きな支持を集めたのも、そうした
ことが影響しているのかもしれません。「夢はかなうかも」と思い続けたい
上に、うさんくさそうな話を疑うリアリズムを身につけていない。
だから物語をあっさりと信じてしまい、裏切られると本気で憤る。私自身は
この仮説を「真実だ」と結論づけるだけの証拠は持っていませんが、貴重な
示唆を与えてくれると思います。 いずれにせよ、挫折がない、それゆえに
自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしない
という問題は、現代に固有の危機だと思います。それぞれの時代で、常に
本質的な危機がある。若い世代が中心になってその筋道をつかみ、しっかりと
表現することが、文化の大きな役割だと考えています。》
▼ 私たちの高度成長期の頃の「夢はかなう」は、当然のことであった。
 しかし、国家が衰退し始めた現在、大多数の者にとって夢の実現が考え
られなくなった反面、挫折も希薄になっている。 小保方氏や、佐村河内氏の
成功物語の崩壊も、また新たなる物語になる。私たちは、高度成長の経験と、
バブルの破裂、右下がりの経験をしてきたが、団塊世代の子息以下の世代は、
高度成長やバブルを知らない。だから、夢も挫折も、おのずから小さくなる。
また、物語もミニになる。青年期から成年期の間には、夢と挫折が、大きは
節目をつくる。 それが希薄化するのだから、気の毒といえば気の毒。
 私の事業の最後は、倒産という挫折?で終わったが、傷は少ない。準備期間
15年を含めた45年の物語が、行蔵として、心の底に残っているため、諦めと
同時に達成感がある。だから、毎日を、淡々と過ごすことが出来ている。
実際のところ、「希望が持てないほど辛いことはない」のだろう。現代の若者
は、その意味で、非常に辛いのである。で、仲間内の闘いの中で、相手を倒し、
馬乗りになることで満足をするしかない、きめ細かい差別化の時代の到来!
・・・・・・
4425, 閑話小題 ー今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
2013年04月28日(日)
   * 今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
 5年程前に裏隣の古い貸家が壊され二軒の住宅が建った。そして三軒目の
プレハブの着工が、この4月10日に始まった。その知らせに、完成が二ヶ月
後のの6月10日とあった。以前は、住宅は最短で半年から一年だったが、
今時のプレハブは工期が二ヶ月とは驚き。 まず基礎工事に二週間。次に外壁
工事で、周囲に足場をつくり、柱を建てていく。この連休が終わるころまでに
外壁まで完成し、内装に一ヶ月かけて完成のようだ。 最初の二軒は貸家で、
その借り手は両方とも既に居なくなり、一軒は空いたまま。表通りの方は
小さな小物雑貨店だったが、夜逃げ。その後、ファッション衣料店だが、私の
感覚では、この入り込んだ立地で商売が成り立つのかさっぱり分からない。
で、三軒目の住宅の着工。子供の頃近くに建前があると父に手を繋がれ見に
行ったもの。それより、2〜3歳にかけて実家の店兼住宅のビル建設の最中に
あった。住んでいる家を近くにあった300m先の公会堂の前に曳いていき、
空いたところにビルを建設をしたが、幼児ながら、毎日、父と建設現場に
行ったときのトキメキが、今でも忘れられない。その幼児体験が、ビル建設
マニアになったのだろう。 新築は夢があってよい。
  * 目的に合わせて人集めをするのではなく
 もう十数年経つが、ドキッとした言葉があった。
《起業では、何かをしようと適材を集めるのでなくて、優秀な人材を確保して
から、何をするか、どうするかを考えるべし》 まず有志が集まって、何の
事業を始めるところから考えるのが理想なのだろうが。創業というと、独自の
強力な個性が必要になる。 黒澤監督の「7人の侍」は、盗賊から村を
守るため、かき集められた浪人が、圧倒的多数の盗賊と闘う。これは目的に
合わせた人集めの典型。このことは、教養についてもいえる。何かのために
知識を得るのではなく、知識のベースが、まず必要。それが教養。
大学も4年のうちの二年間が一般教養、あとの二年間が専門課程になっている。
人生を振り返ると、本当に必要な知識は、哲学、文学、倫理とか、経済の基礎
知識であった。教養課程は、その導入知識を広く教えてくれる。大都会と地方
の差は、そういう人材が身近にいるか、いないか。40数年の独学では限界が
あった。「限界は誰でも到達するが、問題は、その先!」の意味を実感する日々。
・・・・・・
4051, シングルイン、31年間の総括 ー10
2012年04月28日(土)
   * つれづれに ー あれから一年
 去年の3月30日17時に会社を閉鎖して一年余りになる。激しく落ち込むと
覚悟はしていたが、思いのほか平静の日々を過ごすせた。会社経営から開放され
現在でも宙に浮いたようで、長年、重荷を背負っていたことに改めて気づいた
次第。日が経つにつれて、前倒しの決断をして本当に良かったと実感している。 
しかし世界も日本も国債と株価も何とか持ち堪えている。 早ければ、去年の
11月、遅くとも今年末と思っていた 辛うじて4月末現在、何とか維持し現在
に至っている。 世界の銀行と政府、企業の金庫の中に六千兆円の十倍の6京円
不良債権が塩漬けになっている。何時、それが表面化するか時間の問題。
 一番早く表面化しそうなのが欧州だが、日本も、中国も、何が起こっても
不思議でない。日本は福島原発事故も解決したわけでなし、かつ原子炉54基
すべてが、止まったままである。更に政変含みの状態。 年末の米国と韓国の
大統領選挙まで持ちこたえるのか。会社名義のホテルと駐車場抵当物件の処分が
終わり、個人住宅も家内が買い取って全て終了した。ホテルも今までのホテル名で
再稼働を始めたという。有難いことである。 普段の生活が、もう少し手持ち
無沙汰で暇を持て余すと思いきや、全く、それはない。反面、倒産は倒産、
犯罪者に近い目で蔑視される事実に驚いた。一般債権は、ほぼゼロ。社員への
退職金の満額支払いは出来なかったが、国の一部たて替えを含めると平均八割
近く支払ったが、残債は残った。 一般債務分で補填すべきだったか? 
30年間、経理事務所の担当が言うには、「本当にキツイのはこれから」という。 
その意味が、まだ分からないが、差別?蔑視からくる世間様の何なのだろうが・・ 
今のところ「シラミ!」の10回の呪文で、気持ちの処理が可能。 自分を含め
シラミはシラミ。 スポーツジムと、iPad、シネマ通いと、図書館の御蔭で
何とか精神を保っている。好きなことだけが出来るからである。アウトサイダー
に徹してきたのも、結果として良かった。小さな襞(地域)の中で、煩わしい
因縁社会に組み込まれない生き方が、ここにくると楽。一歩、年金生活に入ると
景気とか社会に対する温感が鈍くなる。景気は最悪の筈だが、悲鳴が聞こえない。
・・・・・・
3685、 自己を見つめる −9
2011年04月28日(木)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 孤独については、これまで何度も書いてきた。結局、人間は独りでは
生きられないのである。しかし孤独は、世間とかいうのがある限り必要である。
私の出身校「長岡高校」の校是が「和同」の精神である。 和して同ぜず。 
和せ、同じになるな!である。これは、それぞれが孤独を守る中から生じる。
ここで孤独について、ニーチェの体験を指摘している。 孤独の素晴らしさを
「私の故郷」の良さに譬えているのは言いえて妙。
  ーまずは、その部分をー
【 ー孤独の大切さー ニーチェはかつて、孤独を「私の故郷」と呼んで、
 その至福にみちた優しさを讃えた。孤独が終わるところ、そこに「市場」
が始まり、世間の大人物や大俳優たちの騒々しさが耳を圧し、毒をもった
蝿たちのうなりが聞こえ、小人物たちの刺が私たちを突き刺す。そうした
騒がしい市場を離れ、海辺に出て、高い品位をもって沈黙し、岩陰にそびえ
立つ大きな樹木を見よう、とニーチェは誘う。その樹木のように、静かに耳を
澄ましながら、存在の声を聞こう、とニーチェは促す。そのとき、ニーチェは、
「孤独」の素晴らしさを、「私の故郷」と呼んで、その声が、なんと優しく、
また至福にみちて、自分に語りかけてくるか、ということを打ち明ける。
ニーチェは、そのとき、あらゆる「存在」が、「言葉」となって自分に開かれ
てくると言い、存在の内奥の秘密を宿した言葉の小箱が、一気に開かれ、
ありとあらゆる生々流転が、その秘儀を語り始めようととするかのようだ。 
このニーチェの体験は、すべての人間の体験だと言ってよい。言い換えれば、
孤独とは、そこで私たちが本当の自分を取り戻し、改めて純粋に、自分自身と
世界の人間のすべてを見直し、存在の真相に触れ直す瞬間なのである。実際、
私たちは、物事のほんとうの姿が何であるのかをよく熟慮しようとするときは、
世間や俗事の雑音を一旦は遮断しなければならないことをよく心得ている。
たとえば、他の人々と大勢で、がやがやわいわい騒いでいるときには、
私たちは、ほんとうに自分らしく純粋に物事を見直し、考え直し、正しく
事態を把握する余裕や冷静さを持つことができない。 人間は、それほど
までに非力なのである。 】
▼ 世間や俗事の雑音を一旦、遮断するため孤独になるために、古典などの
 世界に浸ることが最も手短である。それか、一度自分の住んでいるところ
から外に出て、純粋に物事を考え直し、冷静さを保つことが必要である。
宇宙の塵でしかない己を自覚すること、しかし、その塵の素晴らしい存在
である一度だけの人生を自覚するためにも。