* 事例で見ると…
・『エジプト・トルコ10日の旅』が、その最たる事例。 
 ローマで乗り継ぎ、カイロから、ナイル川沿岸にある3千数百年前の遺跡群を
周り、カイロに戻り、ピラミッドをみた後、トルコのイスタンプールへ。そして
アンカラからカッパドキアの地下都市を早朝から深夜までの過酷なコース。
 その過酷の日程を何とも思わせないのが、遺跡が物語る歴史の広がりと、深み。
エジプトといえば、ナポレオンのエジプト遠征で「兵士諸君4000年の歴史が
見下ろしている」の演説。1798年、ナポレオンが行ったエジプト遠征の翌年八月、
ナイル河口のロゼッタという町の近くで塹壕を掘っていた工兵が黒石の断片、
ロゼッタ・ストーンを発見。 この断片には、BC196年に発布された
プトレマイオス五世を讃える諸行事の規定が、二種の書体のエジプト文字と
ギリシア文字の三書体で繰り返し記されており、これを手掛かりに、フランスの
シャンポリオン(1790〜1832)が、エジプト文字の解読を成功させた。
ナポレオンの戦略は失敗に終わったが、石の発見は大きな功績となった。
・エジプトから息をつかさず、トルコのイスタンプールへ。世界で最も美しい
モスクと評され、トルコを代表するブルームスク寺院は、オスマン帝国時代1616年
に建造されたもの。そして、アンカラから、カッパドキアの地下都市群へ。異教徒
の侵略から逃れるためにキリスト教徒が、奇岩群に隠れるように造られた地下都市。
この旅行で初めて、その存在を知ったが、宗教間の争いの過酷さが垣間見えた
信じ難い光景。ピラミッドに、ラムセス?のミイラ、アスワンからルクソール
までのナイル川沿岸に点在する古代遺跡、そしてトルコの遺跡。 僅か10日で、
背中に重い歴史を背負いこんだ感覚になってしまった。ツアーなればこそ可能
にしてくれた事例。世界は広い上に、深い歴史が、地下深く埋ずもれている。 

 ネットサーフィンの、このコースのコピー。
私はエジプトからトルコの逆の10日間のコース。観光内容は全く同じ。

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≪ 阪急交通社(トラピックス)の「エジプト・トルコ 周遊11日間」、
 まずはエジプト編です。

(1日目)
21:25 中部国際空港よりエティハド航空アブダビへ。(所要時間約12時間30分)
 ※北京で約1時間駐機  (機内泊)

(2日目)
06:20 アブダビ到着。
09:30 乗り継ぎ空路、イスタンブールへ。(所要時間約4時間45分)
13:15 イスタンブール到着後、バスでチャナッカレへ。(320km6時間)
 ダーダネルス海峡は、フェリーで移動。
20:30 ホテル到着。   (チャナッカレで宿泊)

(3日目)
07:30 古代都市トロイへバス移動。(約20km1時間)トロイ遺跡観光(1時間) 
 観光後、ベルガマへ。(約230km約4時間) アスクレピオン観光 トルコ石の店
 で監禁 クシャダスへバス移動。(約205km3時間)
19:30 ホテル到着。 (クシャダス宿泊)

4日目
7:30 ホテルを出発、エフェソスへ。(約20km/約1時間)エフェソス遺跡観光 
 革製品のお店で監禁 その後、パムッカレへ。(約185km約3時間)
 ヒエラポリス遺跡、石灰棚観光後、アフィヨンへバス移動。(225km3時間30分)
20:30 ホテル到着。 (アフィヨン宿泊)

5日目
07:30 ホテルを出発し、コンヤへ。(約223km約3時間30分)
 メブラーナ博物館観光  ※入場観光 インジェミナーレ神学校観光後、
 カッパドキアへバス移動。(約230km約3時間)
 途中☆陶器のお店で監禁。18:30 ホテル到着。 (カッパドキア宿泊)

6日目
05:30 バルーンツアー又は4WDサファリ カイマクル地下都市観光 
 ギョレメ野外博物館観光 ※入場観光
 ウチヒサール パシャパー デヴレント エセンテペ トルコ絨毯の店
 観光後、アンカラへ。(約280km約3時間30分)
19:30 ホテル到着。(アンカラ宿泊)

7日目
07:30 ホテルを出発し、イスタンブールへ。(約450km約6時間30分)
 トプカプ宮殿 ※入場観光 アヤソフィア ※外観のみ グランドバザール
20:00 ホテル到着。(イスタンブール宿泊)

8日目 08:00 ホテル出発。ボスポラス海峡クルーズ ブルーモスク※入場観光
 アヤソフィア ※ 外 観 の み !!!!!
14:00頃 イスタンブールより空路、カイロへ。(所要時間約2時間)
14:30  機内食が本日の 夕 食 ! :
 ここまでトルコ編
http://4travel.jp/traveler/masa00394/album/10764996/

                                        • -

 ↓ここから エジプト編

16:00 到着後、ホテルへ。途中、パピルスのお店で監禁
17:00 ホテル到着。(カイロ宿泊)

9日目
08:30 ホテル出発。
 クフ王のピラミッド ※入場観光
 スフィンクス カフラー王のピラミッド メンカフラー王のピラミッド
 金製品のお店 メンフィス遺跡 ※入場観光 サッカラの階段ピラミッド
 ダハシュールの屈折ピラミッド 赤のピラミッド
 観光後、カイロへ。(約80km約1時間30分)
21:00 ホテル到着。(カイロ宿泊)

10日目 08:00 ホテル出発。エジプト考古学博物館観光 ※入場観光 
 観光後、空港へ。
13:50 カイロより空路、アブダビへ。(所要時間約3時間10分)
19:00 アブダビ到着。
21:30 乗り継ぎ空路、エティハド航空にて帰国の途へ。
 (所要時間約10時間25分)※北京経由。(機中泊)

11日目
13:55 中部国際空港到着後、解散

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エリア: カイロ(エジプト)
同行者 一人旅 一人あたり費用 25万円 - 30万円 交通手段 観光バス
利用旅行会社 ツアー(添乗員同行あり) 旅行の満足度 4.0
 観光 4.0 ホテル 3.0 グルメ 3.5 ショッピング 2.5 交通 3.0 ≫

ーー
▼ これを見ているだけで多くの刺激的逸話が次々と想いだされる。
 字面からすれば何とことはないが、現実は早朝から目覚まし時計換わりに
聞えてくる奇妙な祈りの声。それに、レストランでは食器を投げるように差し
出すボーイ。西欧・キリスト教圏と、イスラム圏の常識は全く違っていた。
 深夜、カイロに到着した時、現地ガイドになりたての若い女性が、興奮した
口調で、『恐らく、イスラム圏に入るのは初めてと思いますが、今までの常識
の全てを横においてください。一度、ホテル外に出たら、釣り銭は、シツコク、
間違いを言わない限りマトモに戻ってきません。親切にされたらタカリの類です。
交通事故も、轢くより轢かれる方が悪いのです。サービスの観念は、ここには
ありません。有るモノが、ないモノに施すのは当然のことで、感謝も何もない
のがイスラムの考えです。怒るだけエネルギーの損失です。ここは異国です!』

追記: 異国体験といえば、日々、経験する城下町異界が面白くなってきた。
   異界を異界として認知すれば、良いだけ。何処も凝視すれば異界だが… 
  たった10日間で、これだけ重厚な世界を知ることが出来る! 知らないのも
 悪くないが、知ることも良い。異様が実は、異様でも何でもない。異様なのは
己の頭の内側。問題は、そのことを早々に気づくこと。 〜北アフリカ・中近東
の三点は、ここと、『イスラエル』と『ヨルダン、シリア、レバノン』にした。

―――
1996年2月
エジプト・トルコ感激の旅  
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが「カルナック神殿」であった。 “まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス�鵺世などの王や神の像の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った「王家の谷」。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念で
つきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス�鵺等の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を
感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた
「クス王のピラミッド」も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス�」をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

・・・・・・
   ーH0805 エジプト・トルコ感激の旅  −トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れカッパドキアが有名である。
トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩を
くり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。まさにSF映画やアニメ漫画に
出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と
息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の
秘密地下都市群。あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下の
マンションと形容できた。一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、
信仰の深淵さをみた思いであった。そして、その帰りのバスの中より夕景の
“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン
サライ”も非常に印象的なものであった。十二列×八mの列柱が336本
整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの
石首が土台になっているのが神秘的。バック・グランド・ミュージックに
ベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、その場の雰囲気にぴったり。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中
より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。リンゴ大の四十数カラットの
ダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、
四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も
圧倒された。私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれ
たのには驚いた。 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか
触れる事はできなかったが、この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 
 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。五千の貴金属、みやげ物を
売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。そういう目でみると
逆に面白いものばかりであった。殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、
中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。(1996年.1月30日〜2月8日)

・・・・・・
2016/04/28
ピラミッドという衝撃を体験しろ
             〜『人生の教科書』 なかにし礼
 図書館で、青少年向けだが、なかにし礼の『人生の教科書』が、面白そうな
ので借りた。まず目についたのが、この<ピラミッドという衝撃を体験しろ>。
それぞれの秘・異郷旅行で魅せられるのは、想像を絶した衝撃を体験するため。
 その度に、大自然の神秘、世界の広さと深さ、人間の神秘、「超」能力など、
旅行のたびに衝撃を受ける。それが、自分の広がり、深さに繋がる感覚が
次の旅行を誘う。その上、ツアーの同行者は旅行情報の宝庫でもある。
エジプトには世界の遺跡の7割があると言われるが、危険をおかしてまで
行く価値は十分にある。世界は驚異に満ちている。何故に、ここまで旅行
したかが端的の書かれている。 正に、以下の感動があるからだ。 
   * ピラミッドという衝撃を体験しろ
≪ 海外に旅へ出る。まずどこを目指せばいいのか?
 迷うことなしにエジプトのピラミッドだ。時間が許すのならすぐにでも
行ったほうがいい。脳天をぶち破られるほどの衝撃を受けるはずだ。
 エジプトのピラミッドほど人知を超えた代物はない。ピラミッドを見て何も
感じないということはあり得ない。ピラミッドを見たあとにローマへ行ったら、
絢燗な建築物も、しょせんは人間業でしかないと感じる。
ギリシャのパルテノンも、円形劇場もどれもこれもが、理解の範疇のものに
思えてしまう。でもピラミッドだけは、人間の想像もつかない神品なのだ。
 ごく普通の会議室のような部屋が、大きな数枚の石によって作られている。
天井も床も一つの巨大な石。壁には斜めに切れ目のある石が組み合わされている
のだが、この石の隙間がカミソリも入らないくらいピタリと合わさっている。
それだけで、世界の広さ、人間の神秘、人間の持つ「超」能力を肌で感じること
ができる。
 エジプトやピラミッドについてあまり知らないのであれば、本を持っていけば
いい。勉強しながら目的地へ近づく。徐々に気持ちが盛り上がり、そして現地で
実物を目の当たりにして感激する。その興奮の醒めぬままにまた本を読んで確認
をする。ガイドブックではなく、歴史が記してある少し専門的なものを持って
いくといい。
 今、エジプトには簡単に行くことができる。もちろん治安状態など事前に
チェックしておくべきだけど、基本的にはツアーならばほぼ安全に行ける。
 ピラミッドを見て、ルクソールに行って、王家の谷に行く。その3箇所は絶対
見たほうがいい。ナポレオンがエジプトを見て、「俺たちはいったい何をやって
いたんだろう」と深刻に考えたそうだ。その気持ちは実際にエジプトに行って
みるとよくわかる。≫
▼ 当時の衝撃を文章に書き残してあるが、何れの遺跡の前でも、ただ呆然と
 立ち竦みしかなかった。石の文明は、数千年の世界を、そのまま、保存する。
もう20年も経ったが、感動した行蔵は、魂に刻まれ、そのまま残っている。

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2016/04/29
若者よ、外に出よ! ー? トルコ編
            〜『人生の教科書』 なかにし礼
 トルコは日本人にとって何か懐かしいような馴染深い感じがする。
東西の境目の地勢的位置がトルコという国を特徴付けている。それと、
極東アジアの小国が、敵国・ロシアのバルチック艦隊を撃破したことも、
彼らにとって大きな衝撃として今でも残っている。
  * トルコで自分の中の神秘を知る
≪ トルコのイスタンブールという街は紀元前からずっと途絶えることなく
 現在も生き続けている街だ。そんな街はイスタンブール以外にない。
パリなんて街として始まったのは12世紀からだ。ニューヨーク、ロンドン、
東京、みんなまだ新しい街と言っていい。 紀元前から栄えていまだに続く
大きな街はイスタンブールだけなのだ。ボスポラス海峡を挟んで2キロ先に
アジアがあり、手前がヨーロッパという風景の素晴らしさ、東洋と西洋の文化
が交差し、融合し、新たなものを生み出してきた街。人類の歴史が濃縮された
街が今もなお残って生きている。そこに飛び込んでいくことは計り知れない
刺激を与えてくれるはずだ。コンヤという街がある、「スーフィー」という
イスラムの愛の神秘主義者たちの街だ。高い帽子をかぶり、白いスカート状の
服を身につけてクルクルと無限に回って踊る。セマー(旋回舞踏)という
踊りだ。これが素晴らしい。彼らは踊ることによって自分の中の奥底にある
愛に達する。その恍惚によって踊っている人は皆笑っている。すべての
雑念を捨て去った美しい舞踏は、スーフィーという愛の哲学者たちによる
人類の神秘の領域を垣間見せてくれる。イスタンブールとコンヤを旅したら、
もう「夢がない」なんて言っていられない。 ≫
▼ 「今までの旅行で、何処が一番よかった?」と、ツアー仲間から、度々、
 聞かれることがある。しかし、その都度、答えに窮し、「3分の2は優劣を
つけがたい」と答えるが、「それでは3つ挙げて」と、決まったような質問。
そこで、その都度、相手をみて変えるが、文化的カルチャーショックの
大きいのは、「エジプト・トルコの旅」と、初回の「欧州30日間の旅」である。
イスラム圏のエゴ丸出しの文化も想像の域を遥かに超えたもの。至極当然だが、
世界は広く、深い。そして濃厚。 現在、欧州では「トルコに近づくな!」
が合言葉だそうだ。テロだが、今ではパリと、ベルギーが、次の要注意国。
こうして過去の文章を読んでみて、憑かれて行ったものと我ながら感心する。
行蔵として、残るから良い。「行きたいうち、行けるうち、元気なうち」だ。
若者だけでなく、壮年も同じ。 壮年のうちだったからこそ、行けたからだ。
老年は? 高めなら、いくらでもある。少々の勇気と、金と、元気があれば。