<「幸福の条件〜新道徳論」鹿島茂著>
   * ドーダの追求
 自己愛丸出しの心の中で叫ぶ「ドーダ!」をキーワードにし、資本主義の
「限度なき貪欲」を解明していく内容。 この随想日記を毎日、書き続ける
心底には、涙ぐましいエネルギーをかけた、さあ、「ドーダ」のためか。
自分では気づいてないが、傍からみえrば自己愛、エゴ丸出しだろう。
 〜その辺りから抜粋〜
≪ 幸福感はそれほど増えないのに、人はなぜ、限りなく富を求めるのか?
 思うにそれは、私の用語でいうドーダのせいです。ドーダというのは
「ドーダ!すごいだろう、まいったか!」と自己愛丸出しで心の中で叫ぶとき
の「ドーダ!」のことで、漫画家の東海林さだお氏の発明になる用語です。
 資本主義の悪弊であるところの「限度なき貧欲」というのは、じつは、
幸福の追求からくるのではなく、このドーダの追求にあるのです。
 このメカニズムを説明するのに、ジェイコム株の誤発注で十億円以上の利益
をあげたと伝えられる「ひきこもりディーラー」の青年を例に取りましょう。
青年はなかなか正直な人で、雑誌のインタビューに答え、「わたしは贅沢
なんてしたくはない。それに、金儲けをしていても苦しいだけだ」と告白する
一方、昨年来の大暴落では、おおかたの予想を裏切って「売り」で大儲けし、
資産を数百億円に増やしたと自慢していました。
 この青年をサンプルとして考えるとよくわかるはずです。人は贅沢をしたい
から、幸福になりたいから、利潤を追求するのではありません。むしろ、自分の
予想の正しさ、着眼の正当性を確認し、それによって「ドーダ、おれはすごい
だろう、天才だろう、まいったか!」と心の中で絶叫したいがために、とことん
利潤を追ってしまうのです。ひとことで言えば、現実の中の人というよりも、
想像力の中の人を相手にドーダしているのです。
 問題はここにあります。現実の人間が相手の場合、ドーダと喝采のやり取り
にはおのずと限りがあります。しかし、想像力の中の人間が相手では、ドーダと
喝采のキャッチボールには限度というものがありません。いくらドーダしても、
喝采はいくらでも続き、これでおしまいということはないのです。
利潤の無限追求が、贅沢がもたらす幸福感という点では限度があっても、ドーダ
においては限度がないのはこのためなのです。 ドーダ恐るべし! 
一度火のついたドーダは果てることがないのです。≫
▼ 著者は、ドーダが「自己愛に源を発するすべての表現行為」であり、
「想像力の中の人を相手にドーダしている」という。そうこう考えると、
世の中、こんな事で動いているのかもしれない。ここで、「ドーダ」を
「陽ドーダ」対「陰ドーダ」、「外ドーダ」対「内ドーダ」という
サブ・ジャンルに分類している。秘境・異郷旅行も、かつて同行したツアー
仲間に対して、「ドーダ、今度は、ここに来ているよ!」と、心の内で、
問答している? しかし、過剰な欲望ではない。その時に、考えられるだけ、
考えて決断した結果で、ドーダは、微塵もない。それがライフワークである。

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5227,「エリック・ホッファー自伝」 〜⑤『適応しえぬ者たち』
2015年07月07日(火)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 適応しえぬ者たち
季節労働者キャンプにいることが何を意味しているのかがわかった。
 ここにいるわれわれはゴミの集まりなのだ、と。」 
誰が好んで、ここに居るものか、社会に適応できぬ者たちが、ここにいる。
まあ、シビアである。 私の社会生活、アウトサイダーと自認していても、
適応できないだけかもしれない、 〜その辺りから〜 
≪ ―開拓者としての放浪者?―ば かげた考えのように思えた。しかし、
白い砂漠を横切って歩いている間中、この着想について思いをめぐらせていた。
開拓者とは何者だったのか。家を捨て荒野に向かった者たちとは誰だったのか。
人間はめったに居心地のよい場所を離れることはないし、進んで困難を求める
こともない。財をなした者は腰を落ち着ける。居場所を変えることは、痛みを
伴う困難な行動だ。それでは、誰が未開の荒野へ向かったのか。明らかに財を
なしていなかった者、つまり破産者や貧民。有能ではあるが、あまりにも衝動的
で日常の仕事に耐え切れなかった者。飲んだくれ、ギャンブラー、女たらしなど
の欲望の奴隷。逃亡者や元囚人など世間から見放された者。そして、このほかに
冒険を求める少数の若者や中年が含まれる。おそらく現在、季節労働者や放浪者
に落ちぶれた者と同じタイプの人間が、一昔前は開拓者の大部分を占めていた
のだろう。新しい国への移住はほとんど例外なく、これに妥当する。
 オーストラリア移住の前衛を占めたのは元受刑者だったし、シベリアに定住
したのは流罪者や囚人だった。アメリカで初期と後期の移住者は失敗者や逃亡者、
重犯罪人だったし、宗教的情熱に突き動かされた開拓者だけが例外である。
ともかく、この放浪者と開拓者の親縁性の発見は、私の心を強く捉えた。
それから何年もの間この発見、表面的には放浪者にも開拓者にも関係ない考察と
絡みあい続け、それまで関心を抱くことがなかったテーマについて考えるよう、
私を導いたのである。そして、人間の独自性とは何かという根本的な問題に
突き当たったのだ。
 人間という種においては、他の生物とは対称的に、弱者が生き残るだけでなく、
時として強者に勝利する。「神は、力あるものを辱めるために、この世の弱きもの
を選ばれたり」という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する。
弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりも遥かに強いエネルギーを放出する。
明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。
弱者の影響力に腐敗や大敗をもたらす害悪しか見ないニーチェD・H・ローレンス
のような人たちは、重要な点を見過ごしている。 弱者が演じる特別な役割こそが、
人類に独自性を与えているのだ。われわれは人間の運命を形作るうえで弱者が
支配的な役割を果たしているという事実を、自然的本能や生存に不可欠な衝動
からの逸脱としてではなく、むしろ人間が自然から離れ、それを超えていく
出発点、つまり退廃ではなく、創造の新秩序の発生として見なければならない。≫
▼ 弱者の立場から、その役割の重要性を看破している。「特別の適応」を
 弱者は見出していく。弱者の自己嫌悪は、通常の生存競争より遥かに強い
エネルギーを放出する。それは、挫折をした節目で、内に向かって出てくる
それである。それが強者に勝利する原動力になる。適応しないことも時に重要
になる。ただし、目的が、そこに有るかどうかが、孤高と弧底?の境目になる。
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4862,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー30 
2014年07月07日(月)
  * 本来、この事業構想は正しかったのだろうか?  ー前半、終了ー
 この事業は、280室で駅前シリーズを終えた後に、郊外型ホテルへ切替えるか、
事業売却であった。そこで節目を作るのが、学生時代に構想した創業型事業人生。
それを作らなかったのが、三年前の結果に繋がった。1985年のプラザ合意直後
から生じたバブルと崩壊は、明治維新と、太平洋戦争敗戦と同じぐらいの大きな
節目である。アメリカの陰謀による経済敗戦であり、更に9・11テロ、9・15の
リーマンショック、3・11の東北大震災である。 それが私の事業にも直撃、
これまで深手になることを読めなかったのが致命傷になった。創業当初の
10年間で、ユデ蛙になったためである。「ご覧とおり、そのまま結構」である。 
これを書いて気づいたことは、創業時に転売した二ヶ所の土地が、実は郊外型
ホテルの立地だったこと。あの時に「もしか、ここがホテル立地?」という
想いはあった。しかし、新幹線開業した直後の上越新幹線最終駅前の周辺に、
執着するのも仕方がない?あと講釈としても、十年目に大きな節目を作るべき
だった。進むべきか、立止まるか、引くかのサイン?があった。 その時、
そのサインを読み違え、戦略を新潟駅周辺に280室から、500室の拡大
戦略をとってしまった。当時、大型チェーンの駅前などの繁華街店舗が急激に
衰退していった。その頃に、ペガサスでは駅前立地から本格撤収を指示していた。
事業構想は10年スパンか、駅前周辺300室内なら正しく、それ以上は致命
的間違い! 新潟駅前シリーズは、バブル崩壊による日本経済、特に地方の
衰退が本格的に始まった中で、舵取りを間違えた結果、最期は、これ。
直接原因はリーマンショックと、東北大震災?で、間接原因は500室の駅前
への過剰投資。だから諦めはついている。歴史的バブル経済の崩壊にかかわらず、
逆に新潟駅前でバブッタのである。これが直接原因で、最後の二つは、
駄目だしの間接原因ともいえる。物語として、私には、これが丁度良かった!
 〜と、思うしかない。 そして、反省の日々! そして、外海には、更なる
津波の音がする。内海では、その中、祭り(東京オリンピック)の準備で
ミニバブル! 高台からの下界の景色を、妙な気分で見るのも?
「天気晴朗なれど、波高し!」が内海の景色!ここからみえる
人生68〜75年の最期の祭り?が、面白そうだ。
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4495, 怒らないって本当は恐い! ー10
2013年07月07日(日)                     
   * 石原と橋下の怒りについて     『怒りの作法』小川仁志著 
 怒りといえば、石原と橋下。TVで常に怒っている。アメリカの間接統治
のために与えられた憲法さえ変えることが出来ないのが二人の怒りの根にある。
更に実質的に日本は官僚が支配している実態に対しても怒っている。二人とも
怒りを実に巧く使い、改革を実施してきた。実質、占領下の現状に対し、
怒るのが当たり前だが、それを表立てると何故か失脚をする。
 歴代の首相も何故か、独立を企てると失脚してきた。アメリカにとって一年の
首相交代は間接的統治に理想的である。ーその辺りから抜粋して考えてみようー
≪ 橋下大阪市長と、もう一人石原都知事の二人は、事柄に対して本当に怒り
 を示せる人物だということができます。彼らのメッセージはしっかりと
伝わるのです。それが人気の秘訣でもあるのでしょう。彼らはまず怒ります。
そしてその怒りのモードに諭理を載せます。なぜ怒っているのか、なぜ
メッセージを発しているのかが明確なのです。そして筋が通っています。
ただ、両者の怨りの根源は大きく異なります。石原都知事の場合は、偏った
保守思想に恨源があるのに対して、橋下市長の場合は、世の中の不合理さに
対する怒りに恨源があります。 石原都知事は外国人に対する差別的発言に
顕著なように、自分の思想に反する事柄を排除しようとするエネルギーが怒り
の源泉となっているのです。これに対して橋下市長の場合は、弁護士出身
だからというわけではないでしょうが、世の中の不公平に対して挑戦しようする。
・・・ そんな橋下市長がぶち上げたのが大阪都構想です。大阪市特別区
分割し、他の市と一緒に再編してまとめようという。 これによって、
大阪市が副都心として活性化するというわけです。 同じ独裁的イメージを
醸し出す二人ですが、いわば石原知事が偏向思想に基づく自己中心型独裁
であるのに対して、橋下市長は、奇しくも彼が解放と表現したように人民開放型
独裁のです。この違いは偏りに怒りの恨源の違いに基でづくものといえます。
私もこうした橋下市長の怒りの根源には、石原都知事の偏向思想と連って大いに
共感します。この共感を持てるかという点は、実はメッセージの威力に影響を
与えます。というのも、共感とは納得感であって、誰もが納得できるというこは、
それだけ論理的だということだからです。≫
▼ 東京と大阪の首長までは、彼らの手法が有効に働いたようだが、
 こと国政においては難しいようだ。遅かれ早かれ政治的謀略で消え去る
可能性が強い。しかし、ここは怒りの話。都会人なら、二人の怒りを理解できた
としても、それが全国区となると、民度からして、理解できないのである。
その意味で、二人は怒りが洗脳され、安穏とした日本という国の実態に怒りが
向いているだろう。それにしても怒らなすぎる日本人は! 考えないからだ。
怒りが私の人生を狂わせたと、少しは思っていたが、そうじゃない、怒りこそが、
大きな原動力になっていた。歳をとったら、少しは大人しくした方がよいが、
これでは怒って当然のこと。 「怒り」の肯定論があるとはね!
・・・・・
4121, 空腹感のすすめ
2012年07月07日(土)
             「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  
 最近、「空腹の勧め」をTVなどで紹介しているのを見かける。以前も、
ここで飽食の猿と空腹の猿の生存年齢の違いを取り上げたことがあった。
生物は長年、飢餓の境目に生きてきたため飽食に対しての身体が出来ていない。 
著者は、空腹感状態の方が身体に良いという。私は終戦直後に生まれ、それも
大人数の兄姉の末っ子だったたこともあり、
今でも腹八分目は食べないと気が済まない。 ー以下は、そのくだりー
  * 空腹のすすめ
≪人間にかぎらず、動物というのは空腹であるのが健全な状態である、と言う。
 空腹である、ということは、摂取した食料が体に採り入れられ、それが身体
各部の必要なエネルギーになり、新しい細胞を作っている、ということであって、
動物の体を作ってゆく、という面では生産的であり、体内に蓄積されたエネルギー
を消費するという面では消費的な活動をしているのである。空腹というのは、
今、体内に採り入れた養分をしかるべき所に配分しております、という合図。
それで、もう体の中の余分なエネルギーは残っていません、というのが疲労
あり、休息と食事の時間、ということになる。それなのに、生物の中でも最も
恵まれた動物である人間は、空腹を感ずると、すぐに食べはじめる。
体を生産的なことに動かしながらも、食べ物、飲み物を口に入れる。
考えてみてほしい、空腹感は、あれで結構、好ましい状態なのではないか。
少なくとも食いすぎの状態よりも、気持ちがいい。「腹が減ってきた。
何を食おうかな」と私たち祖先は考えて、獲物になるものを探したのであろう。
空腹はそういう根本的な動物の行動を促す動機になる。それなのに現代の日本の
ような先進国では空腹を感ずると食料が手に入る。戦前の家庭婦人の場合は違った。
朝から掃除、洗濯、昼食は残り物でいい加減にすまして、午後は洗濯物をとり
入れて、アイロンをかけて収納する。さて一休みという段階で、ちょっと空腹感
を覚える。空腹になって、それでは夕食のメニューを何にしようか、その材料を
買いに着物を着替えて、駅前のマーケットに買物に行こう、夕食は何ということは
まだはっきりしないが、マーケットに行けば、その日の安いもので、亭主の好さな
ものが見つかるだろう。つまり空腹が夕食の準備、そのための買い出しといった
新しい行動をうながしたのである。こうやって、夕食の準備をして、子供には
先に食べさせて、寝かしつける。 自分は空腹をガマンして、午後八時ごろに
帰宅する亭主を待つ。≫
▼ そういえば独身時代、三食を自分で準備をして食べていた頃は、
 時間が来たから食事をするというより、腹が減ったため食事をしていた。
そのためか、何を食べても美味しかったことを憶えている。この年齢だと、
腹5分位が丁度よいというが、まだ腹8〜9分目まで満たさないと物足りない。
 人間は精神的空腹感も同じように必要か!青年期の精神的渇望感が懐かしい。
・・・・・・
3755, 夢はリアル
2011年07月07日(木)
 昨日の朝の夢は、生々しい内容である。 ーその内容とはー
【 経営破綻しそうな会社を引き受けないかと言われるが断る。そこに社長の
奥さんがいたので、「助言はするので、あなたが引き受けるべきです」というと、
「二つの経済震災と、自然震災で失敗したというが、そんなのは言い訳、この
事態でも乗り切れてこそ、真っ当な経営者。貴方の言うことは当てにならない」
と、言われた夢。】
 生々しい、辛らつの指摘であり、その指摘は至極当たり前の道理である。 
意識、無意識を含めて、今回の破綻の8割は、3つの震災が原因と思っているが、
反面、それは黙っていればこそ。それを堂々と、ここで書き、また周辺に公言
している脇の甘さが、現在の私。 心底(沼)でドロドロしていたのが変容して、
具体的に夢になって自分を責める。 2割の見方こそ8割の道理がある。 
それを前提と考えてみると、「9・11からの長期低迷で売上が三分の二になり、
更に7年後の9・15=リーマン・ショックから二年半で三分の一になったこと
は果たして想定出来なかったのか? それも、三年目に入っても売上が2割以上
も続けて落ち続けていたが、二年目で収まると楽観視していた、リーマン・
ショックの経済大震災に対する認識の甘さ。 いや、ギリギリのリストラは
実施してきたが・・ 夢は、誰も思っていても直接いわない事実を、潜在意識が
生々しい幻影で教えている。 あの眼差しを見れば感じるか?
30年で一応、事業のフルコースを味わったことになる。10年登り、10年
緩やかな降り、そして10年で、絵に描いたような急激な降り。 それに対し、
手をこまねいているしかなかった長期装置産業の宿命。そんなことは、分かって
いたことでしかないのでは?と、言わんばかりの、夢の中での指摘。
それを赤裸々に書いている現在の私がいる。「喜劇と悲劇は紙一重でしかない、
というのは、このことか」という心の声。 それでも、仕方がないと、
独り嘯くしかない。自嘲か、これは。 と同時に、それをも事業のコースと
楽しんでいる変な自分こそ、私そのものか。 意味など、あと講釈。
 ・・・・・・・
3390, 閑話小題
2010年07月07日(水)
  * Yotube の世界
 ビデオ・カメラを購入しアップロードをした機会からYoutubeを見る
ようになった。それから面白い画像の紹介を私のブログ「バード・ウォッチング
で、毎日のように紹介している。世界中でYoutubeの面白映像の話が会話の
中で取上げられているのを真似たのである。そうすると意識して探すようになる。
ブログには一日一枚の写真を載せているが、適当の写真を探し出すのが大変だが、
それよりもズット楽である。 「面白い、衝撃的、軽いもの」を中心にアンテナを
立てているが、次から次へと底知れず出てくる。一日20憶のアクセスも
分かるような気がする。
 * 角界賭博の処分は妥当?
 (字数制限のためカット 2011年7月7日)
 ・・・・・・・・
3015,エジプト・ピラミッドの謎
2009年07月07日(火)
 一昨日の日曜夜のーNHKスペシャル・エジプト発掘 
第1集 「ピラミッド 隠された回廊の謎」が面白い。
一昨年、二度目のクス王のピラミッドを見学してきたが、あの巨大なピラミッド
を5000年前にどのようにして造ったのか、これまでも多くの番組で取り上げていた。 
その中で一番尤もらしいのが、「砂漠の砂をピラミッドの周囲に建設の高さに
積み上げて、巨石を運び上げる方法」であった。しかし、今回の説は違っていた。 
岩を上に搬送するトンネルを螺旋状に造りながら上に運ぶという説だった。 
近くの崩壊した小さなピラミッドにも、そのような痕跡が見て取れた。
  ーNHKのHPの番組紹介からコピーからー
【 今から約5000年前、エジプトの砂漠地帯に忽然と現れたピラミッド。
 その後500年あまりに渡ってピラミッドは建造され、その数は現在確認されて
いるだけでも100個を越える。その中でも最大規模を誇るのが、世界遺産にも
登録されている「クフ王の大ピラミッド」。高さ147m、底辺の長さ230m。
世界最大の石造建造物である。平均2.5トンの石を300万個積み上げて造られている
大ピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの巨石も使われてる。
クレーンもない時代に、この巨大ピラミッドをいったいどうやって造ったのか? 
古来、様々な研究者が謎解きに挑んだが、答えは出ず、古代エジプト史上、
最大の謎とされてきた。ところが今回、ついにこの謎を解き明かしたという
人物が現れた。フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏である。
彼は、最新技術を駆使し、建築家の視点から、「内部トンネルを使って建設した」
という独特の説を世界に発表した。番組では、ピラミッドの登頂調査をはじめ、
ウーダン氏のピラミッド調査に同行取材、神秘に満ちた、大ピラミッド建造の謎
を興味深く解き明かしていく。】
▼ ー以上だが、近年になって、ピラミッドの近くに、その建設に従事した
 労働者の村が発掘された。その調査から分かったことは、4000人の労働者が
20年の歳月をかけて造られたという。
 (字数制限のためカット 2012年7月7日)