* 何? アメリカ 世も末かい!
 日本国の事実的宗主国が、隠れ極右の泡沫男に交替したら、どうなる? 
気違いに刃物とは、このこと。これでは 今年は去年よりも大荒れになる。 
去年が英国のEUからの離脱と、米国の泡沫候補トランプの大統領の選出。
その裏に、ロシアのプーチンの策謀があったというから…お粗末もいいとこ。
オバマが80点なら、20~30点程度の泡沫を大統領に選ばせたのだから
米国も地に落ちたもの。 ちなみに、小ブッシュは40点。
支持をした中・下層の白人が一番、圧迫されるというのに…これは歴史的惨事。
まずトランプが不動産屋ということ。長期ビジョンが少しはあるが、実業家の
本能で、目先の実績を優先する習性が染みついている。その上に平気で嘘をつく。
世界政治を大きく左右するアメリカ大統領には最も向いてない人物。それさえ
理解できないのが中・下層の白人の程度。低劣なハリウッド映画並の物語の
様相である。まず年末まで重大な隠された問題が出てくる? それもプーチン
の仕掛けで…? 来年の夏までは持たない? 二流俳優上りのレーガンは、
レーガノミクスで対応したが、後始末が、それは大変だった史実がある。
  * 大相撲が始まった
 大相撲が始まったが、この数年、腕白相撲上りの個性的な力士が出てきた。
「正代」が関脇に、「遠藤」に加えた「北勝湖」と「御嶽海」が上位に顔を並べ、
新潟出身の「小柳」が十両上位に上がってきた。これに小兵力士の数人が加わる。
昨年末の全日本相撲選手権、全日本学生相撲選手権を見ると、モンゴル人、腕白
上りの将来性のあるのが何人かいる。 腕白相撲上りは、子供頃から基本が叩き
込まれている。しかし、大陸系のモンゴル人と骨格が違う。 
 ところで、目先の今場所はどうなる? 白鵬が本命?。相撲に対する姿勢が
他とは圧倒的に違う。ただ強いだけでなく、強靭の精神力・人間力があるが、
土俵年齢が賞味期限を超えている。それにつけても、女子供のファンが多い。

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5414,閑話小題 = 寒い朝〜つれづれなるままに
2016年01月10日(日)
   * 寒い朝〜つれづれなるままに 
☆ 北朝鮮が、再び核実験をおこなったが、水爆ではなさそうだ。
 今のところ不明だが、年明け早々、イラン、アラブの国交断絶や、
世界的の株式の暴落などを含めて世界は更に混沌としてきた。
米国大統領の最後の年もあって世界の混乱に拍車がかかる年になる。
☆ ロシア、中国、欧州、米国の、どこから発火しても、その火の手
 は一瞬に世界を駈け回る。原油も暴落、30ドルを割りそうな気配。
ロシア、中東など資源で潤ってきた国々も、これで資金が不足すると、
それが戦争やテロの火種になって難民を輩出する。
☆ 積雪、多ければ多いで大変だが、無ければ無いで、水の循環に
 狂いが出る。オゾン層の破壊による地球温暖化は深刻だ。
☆ 年賀葉書が例年どおり、毎年、差出した人から、そのまま届いた。
 現役時代は個人宛てが70通位だったが、今では50数通に減った。
☆ 小学校時代の恩師から、『自分史』が送られてきた。
 30年前に頂いた個人史は18pの小冊子だが、これは、一冊の本。
先生の信条は、「話すより、手紙を書く」で、筆や、ペンでスラスラと
書かれた手紙は、それだけで、一つの作品のようである。 私は、
この随想日記を墓場と見立てて、個人史的なことも書いている。
分類が項目が、目次にして、駄文を切取って、構成すれば、本になる。
 まず母親の残した『自分史』を送ろうかどうか? 思案中!
☆ 今日から大相撲が始まる。一時、熱が冷めていたが、不祥事後は、
 ガチンコ勝負の徹底で人気を回復させている。
人気回復に、若い女性の取り込みを戦略にしたこともあるが、観客席に、
その姿が少なく、中年女性が目に付く。

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5049,生と死をめぐる断想  ー3
2015年01月10日(土)
   * 死に対する恐怖 ー岸本英夫氏の場合
 宗教学者の故・岸本英夫氏が、東大教授であったアメリカ滞在中の1954年に
悪性の皮膚癌のが発見され、余命数ヶ月と宣言され、10年にわたる闘病生活で、
常に死を見つめてきた。〜『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』から
≪「人間にとって何より恐ろしいのは、死によって今持っている『この自分』
の意識がなくなってしまうこと。 死の問題を突き詰めていくと、それが
『この今意識している自分』が消滅することを意味すると気がついた時、
人間は愕然とする。 これは恐ろしい。何よりも恐ろしいことである。
身の毛がよだつほどおそろしい。死後の生命存続ということが、煎じつめると、
その一点にかかっている。何とかして、「この自分は」いつまでもその個体意識
をもちつづけうるということが確かめられればと願う。 これが近代的来世観。
 しかし、どうであろう。死によって肉体が崩壊すると、感覚器官や神経系統も
消滅する。脳細胞もまったく自然要素に分解してしまう。生理的構造が何もなく
なった後で、「この自分」という意識だけが存在することが可能だと考えようと
するのは、相当に無理がある。これは近代においても、人によって、その見解の
異なるところがあるように思われる。私自身、はっきりいえば、そうしたことは
信じることはできない。そのような考え方はどうも、私の心の中にある合理性が
納得しない。私の心の中の知性は、そう考える。≫
▼ 世界中の宗教を研究する岸本英夫。「世界の生命が何らかの形で死後も続く
と主張するところが共通する」が、そう信じて死んでいくことに否定しないが、
彼自身は、それを受けいれることが出来なかった。 死によって、肉体が崩壊
すれば、脳細胞も消滅する。生理的構造が無くなれば、「この自分」の意識
だけが残るというのは相当無理があるのではと。死後の世界を否定するのは
苦痛を伴う。その結果、自分がどこに行くかを問わない、というもの。
死後の生はないと決め、人間が与えられている今、この命だけと思い定めて、
「この自分」が確かに存在している生の期間に集中する。身の毛がよだつ
死の恐怖も、充実感に溢れる生き方をしていれば克服できると、彼は言う。
 その後、死は「別れのとき」という考えに到達する。人間が別れを経験し、
耐えることができた別れの、より大きく全体的なものだと。 そこまで、
心が到達して、平安を得る。私自身、父親の「生命飢餓状態」を、一年間、
身近で見ていて、父親が、煩悶の中で教えてくれた人生と、その結末。
【元気なうち、生きているうちが花! 死んでしまえば、それまでよ!
ただひたすら毎日を楽しめ!】に、深く納得する。死んで花見ができようか!
 で、以下の一年、二年前の文章につづく! 偶然だが、そういうこと。
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4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2
2014年01月10日(金)
         〈ー偶然からモノを見つけだす能力ー沢泉 重一 (著) 〉 
   * 私の体験例より・・
 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが
多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、節目の極限状況が多い。 
新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を
始めようかと考えた。その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を
任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、広島
などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。
その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら必ず成功すると思い至った。
おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。
以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで
他の何かをつかみ取れる経験をしていた。卒業後、ジャスコに一年勤務。
考えるところがあって産能大編入した時も同じである。その時、千葉郊外の
姉の家に居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた
新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。千葉県住宅供給公社が
開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、
公開の会場で抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには
条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し条件がある。
それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく
新聞広告をみると、その五万人ほどの住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が
載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば
儲けもの、どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、
父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。
時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、隣」
二箇所を、早速、申し込んだ。物件の倍率は、角地が十五倍、その隣は三倍。
抽選当日、会場の抽選会に行ったが、何となく角地の隣は抽選に当たる!
予感がしていた。そして、当選。 外れても当選者の辞退が出た場合、
次点の人に権利がある方式。「これで余裕があれば、応募しない手はない」
と思ったのを憶えている。 それも隣接する二万人の隣の住宅地加えると
七万人の十字路の角地の隣接地からみて、五年で数倍になるのは誰でも分る。
そこで、私に甘い父に「せっかく、当選したのだから、私の物件でなくても
よいから」と、三日間、つききりで、その価値を説き続け、その結果、
実家の会社名義で買うことになった。これも、当時の合併した直後の
ジャスコを思い切り辞め、大学に入り直して必死に学んでいたおかげ。
 その二年後に貸ビルを建設し、その一角で「養老の滝1122号店」と、
焼きたてのパン屋「センチュリー・ベーカリー」を立ち上げ、無我夢中で
取り組んでいるうちに、実家でお家騒動が勃発、その二つを経営委託をして、
長岡に帰ることになった。 これも私にとって大きはチャンスになった。
千葉は5千万の総投資だったが、一億で売却。 それが新潟駅前シリーズ
の事業資金。 まず、時流に乗った何かを見つけ、全身全霊を込めると、
思いもよらないチャンスが舞い降りてくる。 
 この随想日記も、そうである。第三者からすれば「毎日、飽きもせず、
この程度の文章を書き続けて!」と思うだろう。他人を傷つけ、銀行の担当
から疑われ5百万も脅し取られ、この一連の中で「これは、計画倒産そのもの
じゃないか?」と詰なれても、割り切ってしまえば、それまで。
10年、50年先に残るのは、その時どきに残した言葉=魂(全身全霊の
エネルギー)だけ。言葉とは、それだけの力があると実感するからである。 
事業40年、人生68年の総括での「遇察」は何だったか? 
般若心教の悟りに近い、色即是空、空即是色の透視?
 因縁、感謝、感動!の中にある一連の現象。 
人生に後悔が無い、といえば嘘だが、諦め(明め)はついてきた。
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4317, 幸せはいつうもちょっと先にある −5
2013年01月10日(木)
      「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」
                    ーダニエル・ギルバード著
   * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? −�
 お金の効用こそが、価値を決定する。今さらのことだが、その辺が曖昧に
なってしまう。私自身、末っ子のため、両親の傍で、いつも金銭哲学を聞いて
育った。そして、最期の死様から多くの教訓を得た。その一つが、時節ごとに
使うべき金は使うべし、残しても、後でみると不安を具現化した残物でしか
ないということ。人生(特に事業)は何時何が起こるか分からない。
財産を残しても、一瞬で消え去る恐ろしさを見聞きしていた。
で、給料範囲で全てを使い切ることにしてきた。 振り返ると、それが正解。
満足した行蔵が人生の晩年の宝として残っている。本を読んでも、TVを見ても、
それがベースになっている。
  ーその辺りを抜粋するー
≪「ものの価値、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに
決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に左右されるだけで、
誰にとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に
左右される。そのため1000ドルの利益は、たとえ額は同じでも、金持ち
より貧乏人にとっての方が間違いなく価値が大きい」 富そのものは幸せに
関係ない。大事なのは「効用」。お金や昇進やビーチでの休暇そのものには
興味ない。あるのは、こうした形態の富がもたらす、満足や喜びである。
賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、お金を最大にする選択ではない。
お金が増えていく場合、一ドルが与える喜びは常に前回よりわずかに少ない。
人は絶対量でなく、相対量に敏感である。しかし効用を推定することは難しい。
それをするには、そう想像だ。我われの脳は独自の構造を持っていて、
心の中で自分を未来の状況に移動させ、そこでどんな気持ちがするか自分に
尋ねることができる。 効用を数学的な正確さで計算しなくとも、明日に一歩
足を踏み入れて、その感触を確かめればよい。自分を時間軸の前方に投影し、
出来事が起こる前にそれを経験できる能力のおかげで、我われは誤りをおかす
ことなく学ぶことができ、行動することなくそれを評価できる。
 それでも未来の自分と未来の状況をシュミレーションする能力は、完璧から
ほど遠い。未来の状況を想像するとき、我われは、実現しない細部を穴埋めを
し、実現する細部を放棄する。未来の状況を想像するとき、今感じていること
を無視できず、あとで起こる物事について、どう考えるようになるか気づかない。
しかし、先見はもろい能力だ。そのためには、目を細め必死に目を凝らして
みたりしなければならない。幸せを見つける公式はない。しかし、偉大なる
脳は、ちょっと先にあるように見える幸せに、かならずしも導いてくれない
としても、なぜ辿りつけないかを教えてくれる。≫
▼ 秘境ツアーは、その最たるもの。大体、価格の5〜10倍の価値を実感
 してきた。その効用(価値)は、経験と情報でほぼ予測可能である。
その上、行った先をTVの旅行番組で映し出してくれる。その時の見れなかった
細部をプラスして見せてくれる。とはいえ、それも時間と金銭と気持ちに
余裕があってこそ。 亡くなった姉が派手な浪費家と思っていたが、
振り返ると、浪費家というより‘良’費家に思えてきた。その時々を最大限、
楽しんでいた。 人生は、それでよいと、この歳になる身に沁みて思える。
ただ、面子を捨てることが出来るかどうか。面子は面子で、それも可愛い。
 ・・・・・・
3942, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー2
2012年01月10日(火)
     「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 
                            水野和夫著
  * 事実は真実の敵である
‘はじめ’の次の言葉が、この本の全てを要約している。
≪ 我々がシュミットのいう「世界史」の終わりに近づいているに一刻一刻と
 近づいているにもかかわらず、その認識がなく、グロバリゼーションを
「ヒト、モノ、カネが国境を越えるプロセス」と考えて資本の反革命の片棒を
担いでいる。・・ 「事実は真実の敵だ」といったのは、ミュージカル
ラ・マンチャの男」の脚本を書いたD・ワサーマンである。
グロバリゼーションの「事実」とは、「ヒト、モノ、カネの国境を越える
自由な移動」であり、その「真実」とは、帝国システムをなす中心と周辺を
結びつけるイディオロギーである。≫
▼ ここで、二つの経済震災と、一つの自然震災を著者は「近代の自己敗北」と
「歴史における危機」とみる。近代は、過去の遺産を食い潰し、未来の利益を
横取りをしたと看破している。現在の日本のy財政や年金を例にみても、その
ことが納得できる。ヒト、モノ、カネの移動をグロバリゼーションの事実だけ
みて、その真実を知らないと、近代科学のもつ恐ろしい力に飲み込まれてしまう。 
その上に、ひとりひとりの手には、高性能の情報端末を持つ時代になっきた。
情報化社会でグローバリゼーションを止めることは不可能。 
グローバル化は金融や情報だけでない、細菌なども含まれる。
今回は大地震津波、そして原子力発電の破壊が重なった大震災だったが、
鳥インフルエンザや、狂牛病などの細菌汚染もあるから、ことは重大になる。
それぞれの地区、国内の問題が、一瞬に世界に広がってしまう危険が増した。
帝国システムをなす中心だけでなく、最悪の問題にとって変わって世界の周辺
各国に結びつける作用になる。これこそ、グロバリゼーションの事実であり、
真実といえるのである。 従って、この本のテーマの「終わりなき危機」が
グローバリゼーションの真実ということになる。インドや、中国のような膨大な
人口を広い国内に抱えている国が、最後に生き残ることになるのか? 
グローバリゼーションは、それぞれの文化を破壊する。
それが一番、恐ろしいことである。 きしくも、下にある二年前の
「一〇〇年前の世界一周 ー2」の文章が、それを語っている。
・・・・・・・
3577、10年一昔というが ー1
2011年01月10日(月)
10年一昔というが、それにしても激しい変化である。 
 10年前の2001年といえば、
・前大統領のブッシュがゴアに僅差をつけて大統領になり
・9・11テロが発生、アルカイダと断定し、アメリカは
 アフガン攻撃をし、タリバン政権は崩壊した。
・国内では、小泉が「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」
 などのフレーズで、首相に就任。 田中真紀子が外相になったが、
 直ぐに能力に問題ありと失脚。
イチローが大リーグのマリナーズに移籍、豪語したとおりにMVPを獲得。
・この年に、アップルがiPodを発売し、携帯デジタル音楽プレーヤーが
 爆発的に売れ始めた。
・皇太子妃に第一子の愛子様が誕生。
 これが21世紀の幕開けであった。
 それから、ブッシュはアフガンに攻撃の後、イラクに侵攻、泥沼に入った。
 そして、リーマンショックという大事変が起きてしまった。
その結果、失われた10年をそのまま引きづり、失われた20年と日本経済と
社会は疲弊してしまった。首相は、小泉の後、一年ごとに交代し、現在に
至っている。その間の失政による混乱は、あまりに悲惨である。戦後、
間接的アメリカによる統治で日本そのものが骨抜きにされたことは言う
までもない。小泉元首相の改革で垣根が低くなったが、格差は拡大。
これも仕方がないこと。
・・・・・・・・
3202, 一〇〇年前の世界一周 ー2
2010年01月10日(日)
 先日の新幹線の行き帰りの車中で、旅行記の文章を読みおえた。
8割が117枚の写真で埋められていたので、70ページぐらいの文章で
しかなかった。その半分は、この本をまとめあげたドイツの文筆家の
フォローの文章であり、読みやすい。アベクが50年後に、この写真と昔の
メモを見ながら書いた文章で、旅行中はカメラに思いを込めていた。
そのため、その写真の向こうからアベクの思いが、そのまま出ているよう
でもある。この中で日本の写真は20枚あり、当時の庶民の姿が何ともリアル。 
彼は旅行を通して、自分の住む世界に疑問を持つようになり、旅も終わりに
なるにつれて、考えが大きく変化したことに気づく。
「旅を始めたとき、彼は欧州文明が正しいという確信を持ち、その一員である
ことに誇りを持っていた。そして海を渡り、彼方で暮らす人々と知り合うよう
になった。すると、欧州の本当の姿は、安っぽい民族主義に包まれ、まるで
動物ででもあるかのように万国博覧会の見せ物になっていた世界の人とは、
大きく異なることを見いだしたのだ。彼等は貧しくとも、言葉が理解できなく
とも、奇妙な風習があっても、ワルデマールは彼等と心を交わすようになった。
インディアンの青年、快活なアメリカ女性、別府で過ごした二人の芸者、
日本の職人、友となったナカノ、北京で雇った少年、バラナシにいた敬虔な
信徒たち、そして、ジャワで見かけた花のような人たち・・」
「 シナ海やマラッカ海峡と比べたら、地中海には何の夢も描けない。 
黄浦江から見た上海と比べたら、世界で最も美しいといわれたナポリでさえ
色あせて見える。ベスビオ山はせいぜい小さな丘で、インドネシアのセメル山
を見たときのような興奮を覚えない 」等々。 このリーマンショックは、
欧米中心で周っていた世界の崩壊過程の大きなキッカケである。彼は旅行を
通して、それまでの欧州中心の世界観が、いかに歪んでいたかに気づいた。
私の趣味が「世界異境、秘境ツアー」である。そこでみるのは、自分の世界が
いかに小さいか、そして歪んでいるかを再確認することである。
それより、大自然のパノラマの魅力もあるが。100年前の、この経験は、
それまでの価値観を根底から破壊するのは当然である。近代哲学の一群が、
いち早く、それに気づいている。 構造主義、脱構造主義などである。
アマゾンの原住民の風習と、欧米とどちらが優れているのか? 
もしかしたら、彼らの方が?という疑問が出てきた。
100年前に、アベクは、それに気づいたのである。 
タダ、彼は哲学者ではなかったのである。