「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
   * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? −?
 お金の効用こそが、価値を決定する。今さらのことだが、その辺が曖昧になってしまう。私自身、末っ子のため、両親の傍で、
いつも金銭哲学を聞いて育った。そして、最期の死様から多くの教訓を得た。 その一つが、時節ごとに使うべき金は使うべし、
残しても、後でみると不安を具現化した残物でしかないということ。人生(特に事業)は何時何が起こるか分からない。
財産を残しても、一瞬で消え去る恐ろしさを見聞きしていた。で、給料範囲で全てを使い切ることにしてきた。 振り返ると、
それが正解。満足した行蔵が人生の晩年の宝として残っている。本を読んでも、TVを見ても、それがベースになっている。
  ーその辺りを抜粋するー
≪「ものの価値、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に
左右されるだけで、誰にとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に左右される。そのため1000ドルの
利益は、たとえ額は同じでも、金持ちより貧乏人にとっての方が間違いなく価値が大きい」
 富そのものは幸せに関係ない。大事なのは「効用」。お金や昇進やビーチでの休暇そのものには興味ない。あるのは、こうした
形態の富がもたらす、満足や喜びである。賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、お金を最大にする選択ではない。
お金が増えていく場合、一ドルが与える喜びは常に前回よりわずかに少ない。人は絶対量でなく、相対量に敏感である。
しかし、効用を推定することは難しい。それをするには、そう想像だ。我われの脳は独自の構造を持っていて、心の中で自分を
未来の状況に移動させ、そこでどんな気持ちがするか自分に尋ねることができる。 効用を数学的な正確さで計算しなくとも、
明日に一歩足を踏み入れて、その感触を確かめればよい。自分を時間軸の前方に投影し、出来事が起こる前にそれを経験できる
能力のおかげで、我われは誤りをおかすことなく学ぶことができ、行動することなくそれを評価できる。
 それでも未来の自分と未来の状況をシュミレーションする能力は、完璧からほど遠い。未来の状況を想像するとき、我われは、
実現しない細部を穴埋めをし、実現する細部を放棄する。未来の状況を想像するとき、今感じていることを無視できず、あとで
起こる物事について、どう考えるようになるか気づかない。しかし、先見はもろい能力だ。そのためには、目を細め必死に目を
凝らしてみたりしなければならない。幸せを見つける公式はない。しかし、偉大なる脳は、ちょっと先にあるように見える幸せに、
かならずしも導いてくれないとしても、なぜ辿りつけないかを教えてくれる。≫
 ▼ 秘境ツアーは、その最たるもの。大体、価格の5〜10倍の価値を実感してきた。その効用(価値)は、経験と情報で
  ほぼ予測可能である。その上に、行った先をTVの旅行番組で映し出してくれる。その時の見れなかった細部をプラスして
  見せてくれる。とはいえ、それも時間と金銭と気持ちに余裕があってこそ。 亡くなった姉が派手な浪費家と思っていたが、
  振り返ると、浪費家というより‘良’費家に思えてきた。 その時々を最大限、楽しんでいた。 人生は、それでよいと、
  この歳になる身に沁みて思える。ただ、面子を捨てることが出来るかどうか。 面子は面子で、それも可愛いもの・・
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3942, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー2
2012年01月10日(火)
              「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 水野和夫著
  * 事実は真実の敵である
‘はじめ’の次の言葉が、この本の全てを要約している。
≪ 我々がシュミットのいう「世界史」の終わりに近づいているに一刻一刻と近づいているにもかかわらず、その認識がなく、
グロバリゼーションを「ヒト、モノ、カネが国境を越えるプロセス」と考えて資本の反革命の片棒を担いでいる。・・・ 
「事実は真実の敵だ」といったのは、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の脚本を書いたD・ワサーマンである。 
グロバリゼーションの「事実」とは、「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」であり、その「真実」とは、
帝国システムをなす中心と周辺を結びつけるイディオロギーである。≫
 ▼ ここで、二つの経済震災と、一つの自然震災を著者は「近代の自己敗北」と「歴史における危機」とみる。
 近代は、過去の遺産を食い潰し、未来の利益を横取りをしたと看破している。現在の日本のy財政や年金を例にみても、
そのことが納得できる。 ヒト、モノ、カネの移動をグロバリゼーションの事実とだけみて、その真実を知らないと、
近代科学のもつ恐ろしい力に飲み込まれてしまう。 その上に、ひとりひとりの手には、高性能の情報端末を持つ時代になっきた。
情報化社会でグローバリゼーションを止めることは不可能。 グローバル化は金融や情報だけでない、細菌なども含まれる。
今回は大地震津波、そして原子力発電の破壊が重なった大震災だったが、鳥インフルエンザや、狂牛病などの細菌汚染もあるから、
ことは重大になる。それぞれの地区、国内の問題が、一瞬のうちに世界に広がってしまう危険が増したのである。
帝国システムをなす中心だけでなく、最悪の問題にとって変わって世界の周辺各国に結びつける作用になる。
これこそ、グロバリゼーションの事実であり、真実といえるのである。 従って、この本のテーマの「終わりなき危機」が
グローバリゼーションの真実ということになる。インドや、中国のような膨大な人口を広い国内に抱えている国が、最後に
生き残ることになるのか? グローバリゼーションは、それぞれの文化を破壊する。それが一番、恐ろしいことである。
 きしくも、下にある二年前の「一〇〇年前の世界一周 ー2」の文章が、それを語っている。
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3577、10年一昔というが ー1
2011年01月10日(月)
10年一昔というが、それにしても激しい変化である。 
 10年前の2001年といえば、
・前大統領のブッシュがゴアに僅差をつけて大統領になり
・9・11テロが発生、アルカイダと断定し、アメリカはアフガン攻撃をし、タリバン政権は崩壊した。
・国内では、小泉が「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」などのフレーズで、首相に就任。
 田中真紀子が外相になったが、直ぐに能力に問題ありと失脚。
イチローが大リーグのマリナーズに移籍、豪語したとおりにMVPを獲得した。
・この年に、アップルがiPodを発売し、携帯デジタル音楽プレーヤーが爆発的に売れ始めた。
・皇太子妃に第一子の愛子様が誕生。
 これが21世紀の幕開けであった。
 それから、ブッシュはアフガンに攻撃の後、イラクに侵攻、泥沼に入ってしまった。
 そして、リーマンショックという大事変が起きてしまった。
その結果、失われた10年をそのまま引きづり、失われた20年と日本経済と社会は疲弊してしまった。
首相は、小泉の後、一年ごとに交代し、現在に至っている。その間の失政による混乱は、あまりに悲惨である。
戦後、間接的アメリカによる統治で日本そのものが骨抜きにされたことは言うまでもない。
小泉元首相の改革で垣根が低くなったが、格差は拡大。これも仕方がないこと。
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3202, 一〇〇年前の世界一周 ー2
2010年01月10日(日)
 先日の新幹線の行き帰りの車中で、旅行記の文章を読み上げた。
8割が117枚の写真で埋められていたので、70ページぐらいの文章でしかなかった。
その半分は、この本をまとめあげたドイツの文筆家のフォローの文章であり、読みやすい。
アベクが50年後に、この写真と昔のメモを見ながら書いた文章で、旅行中はカメラに思いを込めていた。
そのため、その写真の向こうからアベクの思いが、そのまま出ているようでもある。 
この中で日本の写真は20枚あり、当時の庶民の姿が何ともリアルである。 彼は旅行を通して、
自分の住む世界に疑問を持つようになり、旅も終わりになるにつれて、考えが大きく変化したことに気づく。
「 旅を始めたとき、彼は欧州文明が正しいという確信を持ち、その一員であることに誇りを持っていた。
そして海を渡り、彼方で暮らす人々と知り合うようになった。すると、欧州の本当の姿は、安っぽい民族主義に包まれ、
まるで動物ででもあるかのように万国博覧会の見せ物になっていた世界の人とは、大きく異なることを見いだしたのだ。
彼等は貧しくとも、言葉が理解できなくとも、奇妙な風習があっても、ワルデマールは彼等と心を交わすようになった。
インディアンの青年、快活なアメリカ女性、別府で過ごした二人の芸者、日本の職人、友となったナカノ、北京で雇った
少年、バラナシにいた敬虔な信徒たち、そして、ジャワで見かけた花のような人たち・・・・ 」
「 シナ海やマラッカ海峡と比べたら、地中海には何の夢も描けない。 黄浦江から見た上海と比べたら、世界で最も
美しいといわれたナポリでさえ色あせて見える。ベスビオ山はせいぜい小さな丘で、インドネシアのセメル山を
見たときのような興奮を覚えない 」等々。 このリーマンショックは、欧米中心で周っていた世界の崩壊過程の
大きなキッカケである。 彼は旅行を通して、それまでの欧州中心の世界観が、いかに歪んでいたかに気づいた。
私の趣味が「世界異境、秘境ツアー」である。そこでみるのは、自分の世界がいかに小さいか、そして歪んでいるかを
再確認することである。それより、大自然のパノラマの魅力もあるが。100年前の、この経験は、それまでの価値観を
根底から破壊するのは当然である。近代哲学の一群が、いち早く、それに気づいている。 構造主義、脱構造主義などである。
アマゾンの原住民の風習と、欧米とどちらが優れているのか? もしかしたら、彼らの方が?という疑問が出てきた。
100年前に、アベクは、それに気づいたのである。 タダ、彼は哲学者ではなかったのである。
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2837, 「犬の時間」と「猫の時間」
 2009年01月10日(土)
図書館で何気なく手に取った本の中に「犬の時間」と「猫の時間」という言葉があった。犬は、人間に飼いならされ
忠犬ハチ公ではないが、決まった時間に決まった行動をする習性がある。これに対して猫は気の向くまま気ままに、
時の流れにまかせて一日が何となく過ぎていく。人間の生活の中にも「犬の時間」と「猫の時間」があるのではということ。
会社では「犬の時間」、自宅は「猫の時間」。会社勤めは「犬の時間」で、定年後は「猫の時間」ということも出来る。
前に、男女、夫婦のことを「化け猫と、ボケ犬」と例えたが、それに似ている。どっちの時間帯が良いということではなく、
二つの時間帯を割り切って使えば良い。それなら、「人間の時間」とは、いかなる時間を言うのだろうか。
「人間らしい時間」というと、知的であること(本を読み、文章を書き)、楽しい時間を持って笑っていること、
過去・未来を語り合っていること。そして、感謝・感激・感動している時間。酒を飲んで歌っている時間。
そうすると、「犬の時間」「猫の時間」は、それはそれで良しとして、人間らしい時間を多く持つべきことになる。
せっかく面白い視点の喩え話も、人間様を持ってきて詰らなくなってしまったか。それにしても、うちのカミサン、全く猫のようだ。
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2008年01月10日(木)
 2472, ホテル納入業者の専務の話         ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 20年近くに亘り、仕事初めに地元でホテル用品と、スナックや居酒屋に酒を収めている大手?業者の専務が来社、
 一年分の情報交換をするのが恒例になっている。県内の全般のホテル・旅館、スナック・居酒屋などの趨勢の情報と、
 駅前周辺のホテルや居酒屋などの情報交換をする。私と専務との二人の話は、地元のサービス業の生の潮流のダイジェスト。
ーその今年の県内の客商売の概要というと・・・
・柏崎沖地震以来、リゾート旅館やホテルは最悪の事態。1〜2割の落ち込みが回復しないまま続いている。
 またスナック・クラブは、ますます酷い事態になっている。 何処の業界でも当てはまるが、値段に対して
 顧客は敏感になっていて、値上げができないが、コスト圧力は強くなっており悲鳴も上がらないのが現状。
・スナックでは客が来ないので大事な固定客にボッテしまい、自分の首を自分で絞めてしまう事態が常態化してきている。 
(字数制限のためカット 2012年1月10日)
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2007年01月10日(水)
108, ゾンビの群れ     オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 ー団塊世代の大量退職とゾンビ化について
一昨日、NHKスペシャルで「団塊の世代」の大量定年を向かえるにあたり、意識調査をしていた。 
途中からパソコンを打ち込みながら見ていたが、何かイマイチの番組であった。一年早く還暦をむかえたのでいえる。
   (字数制限のためカット 2011年1月10日)
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2006年01月10日(火)
1743, 全国高校サッカー選手権
 ー全国高校サッカー選手権勝戦・TV観戦記ー
昨日の高校サッカーの決勝戦が面白かった!サッカーの試合でこれだけ興奮してみたのは初めてといってよい。
  〔もともとサッカーは地元のチームか、大試合の決勝戦位しかみないが〕
延長戦でのギリギリの攻防は見ていても手に汗を握る魂と魂のぶつかりあいの試合であった。
はじめは初優勝を目指している滋賀県野州を応援していたが、途中から鹿実を含めて両者を応援してみるようになった。
最後には九州の鹿児島実業が勝つのだろうと思っていたが、野州が1―1の延長後半7分、中川からの右折り返しに
途中出場の滝川が決勝ゴールを決めた。 鹿児島実は史上9校目の2連覇を惜しくも逃した。
土俵際でウッチャリと小手投げでクルクル入れ替わる劇画のような試合内容であった。 /キック!◎ヽ(●`・v・) /○◎●
高校生というより、プロの試合のようであった。これだけの技術をフルにつかっての攻防が高校生でも可能なのだ。
これはお互いの優勝への執念の結果であろう。        ( ´・ω・`)_且~~コーヒー イカガ?
七日の準決勝の野洲と、閉校瀬戸際?の多々良学園(山口)も見たが、これも大接戦であった。
シュート計33本を打ち合う攻め合いとなり、野洲が後半5分に楠神の右クロスを滝川が頭で決めて先制。
この1点を守り切った内容であった。この決勝でも技術を前面に押し出した野州のサッカーが、連覇を狙う鹿児島実の
チームプレーとの対決に勝って滋賀県勢初優勝を成し遂げた。「タイムアップの笛は、次の試合への新しい夢への笛である」
というが、高校のサッカーを見ているかぎり、この伝統が次々とつづくだろう。 
甲子園の高校野球も含めて、純粋な少年達の心が迫ってくるからよい!    ☆~~ヾ・ェ・)o尸~  ジャ〜 マタネ~♪
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2005年01月10日(月)
 1378, 全日本大学ラグビー選手権
ハイ!(/o^)ノ○ノ(^o\)   ○⌒ ヽ(ω・´ ) ホレッ!
 毎年、この連休は全日本高校サッカー選手権の決勝と、全日本大学ラグビー選手権の決勝が行なわれる。
 毎年楽しみの一つになっている。(年末は全日本相撲選手権と剣道選手権だが)
 この連休は大相撲の初場所と柔道の嘉納杯も重なりTV漬けになる。
 ラグビーは、団体戦では一番面白いと言われている。昨日は、早稲田と昨年の覇者の関東学院大学の決勝。
 早稲田が逆転で勝ったが、関東学院が優勝してもおかしくない内容であった。
 早稲田の監督が「今日は泣きますよ!」というほどの熱戦であった。
 ここまで勝ち抜いてくれば決勝に勝ってこそ、その価値が出てくるだろう。
 見ていても、彼らの勝ちたい気持ちが伝わってくる。あとは社会人との決勝リーグがあリ日本一が決まるが毎年、
 学生が大差で負けている。エイ!(。・_・)_/ゞ ~゜○〜○ ポカ! ^☆)X_x)イテェ
 学生ラグビーといえば早稲田の頭脳に対して明治大学の、真正面からの力による攻めのラグビーが印象深い。
 10年前に、96歳で亡くなった北島忠治監督の姿が今でも焼きついている。
 一途に真正面からの攻撃が彼の哲学で、明治ラグビー部の伝統になっている。その後、OBの内紛で多くの問題が噴出した。
 最近は関東学院を中心に優勝が争われていたが、今年は早稲田が優勝だ。ラグビーは学生も社会人も、
 全日本選手権の決勝か準決勝ぐらいしか見ない。しかし、決勝戦は緊迫感があって面白い。
 今日は、全日本高校サッカーの決勝戦だ。準決勝は、非常に面白かったが。
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2004年01月10日(土)
 1011, 2時35分
 深夜の底は2時35分と聞いたことがる。それを聞いた時にハッとした。
過去に大きな決断を迫られた時に目が覚める時間が、決まって深夜の2時35分であったことだ。 (σД≦)ネムゥ〜
 丁度深夜と翌朝の切り替え時間の底なのだ。そこで決断した内容が果たして正解であったかというと別問題だが。
ギリギリ突き詰めると、そのあたりに一番に頭が冴える。
 現在はなるべくベッドの中では考えないようにしている。しかし決断を迫られたときは別である。
むしろベッドの中の方が陰陽バラエテエーに考えることができる。
 最近は夜半の2時半や3時半に目が覚めることが多くなってきた。この時代の変わり目、判断に迷いが出るからだ。
結果として「真に自分と向き合う時間」になる。最後は「自分独り!」という実感を、裂け目の時間で経験することになる。 
考える上で一番大事なことだ。 話は少しそれるが、木が大地の水を吸い上げ始める時間が深夜の3時半という。
木に耳を当てると聞こえてくるそうだ。学生時代ことであるが、酔いを強くする為にわざわざ深夜の一時過ぎから
飲み始めたことがあった。4時過ぎあたりになると茫洋とした気分になってくる。∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコイヤ〜
真夜中から朝を跨いだ感じがよい。 若いからできたのだろう。
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2003年01月10日(金)
 642,DVDのレンタルショップ
DVDのレンタルショップが昨年末にオープンした。新潟駅近くにある石丸電気が倉庫を改装して出店したが、
お客は入っている。売り出し期間ということで入会費は無料。レンタル料がベラボウに安い。
7泊8日で100円と200円の二種類ある。新作は3泊4日で200円である。結構見ていて雑音が入ったりして
見にくい部分があるが、値段の安さは魅力である。蔦やに行ったが、270円か450円の間である。
会社の至近距離にあるため非常に便利である。先日も4枚借りて500円だった。
奥をみるとカーテンがあってピンクのDVDのコーナーがあった。 ある会で石丸電気に勤めていた人がいた。
販売でもピンク物がよく売れるといっていた。そのコーナーには結構お客が入っている。間違っても入ってみることはできない。
感じたのは商品の絶対量が足りない。今の5倍の量になったらもっと入るだろう。
先日借りたのは「スターゲイト・SG−1]「AI]「ウォーゲーム」「ザ インターネット」である。
昨夜は「AI]を見たがなかなか見ごたえがあった。これで100円は安い。採算は合うのだろうか。
韓国産であればDVDのハードは1万円で買える。時代は変わっている。
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2002年01月10日(木)
 296,壁
5〜6年前か、息子の大学入試の作文の課題が「仏教について」であった。
そこで自分ではどう書くか考えてみた。チャンスがあったらに書いてみようと思うが。
その前年が「壁」であったと聞いて、すぐ自分のそれを考えた。それを思い出して書いてみる。
「壁」というと、まず考えられるのが仕切りの壁で、区分の役割である。そして心の壁である。
それも自分の思考習慣の壁である。仕切りの壁も人工のものと、自然の壁がある。
人工のものとして一番大きいものとして万里の長城がある。
日本だったら海というところか。これは外国から国を守る為のものだ。
屋敷の壁、これは家屋敷を外から遮断するものである。部屋の壁はそれぞれの機能の区分である。
こんな内容であった。何故はっきり憶えているかというと、日記に書いていた為である。
これに対し、今新たな考えを加えると「言葉の壁」と「習慣の壁」である。
言葉の壁の「取りあえず」「でも」「まいっか」・・そして外国語の壁がある。
習慣の壁、そうそう行動の壁、感情の壁、いくらでも出てくる。
  言葉の壁を次回書ててみよう。
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1月10日  1969年
 10時起床。 朝食後、12時過ぎに学校に向かう。13時にゼミに行くが、4年で出てきているのが私だけだ。
武澤先生が急用で欠席であった。半分遊びで、助手の横浜さんと30分ほど議論をした。その後、3年全員と喫茶店へ行く。 
皆で子供のように騒いだ。タバコを1分で吸えるかどうかの賭けをする。結局誰も吸えなかった。
 全員でゲームセンターへ行き一時間ほどして、横浜さんと三年生の3人と寿司屋にいく。
「理念」とは何かが話題になる。横浜さんがいう「理想像を追い求めるプロセスでの、その人の
方法が理念ではないか」というのが何か変った言葉として印象に残った。
私の考えていたのは「理想像を追い求め一体化を図ること」とは少し違ったようだ。
 また疎外感についても議論をした。「疎外から立ち直った時、一つの成長過程の変革を向かえるのでは」
という意見に対して、横浜さんは「その反省過程で、他の手段方法を考え、そのことから自己を第三者として
捉えることが前進になる」と言われたことも印象的であった。しかし反対にそれに捉われることは、
自分の壁をつくってしまう為に何もできない状況になる独創性が失われてしまうとも考えられる。
 「私も考え方が凝固まりだした」という言葉に対して、「それも現時点では必要ではないか」
「一つの枠を創っていないと吸収する力を持ち得ないのでは」という言葉も説得力があった。
合気道の師範の黒岩先生も同じことを言っておられた。「その枠を弾力的かつ吸収力のあるものにすることこそ大事」だと。
その枠を大きくしたり縮めてみたりすることが大事だと。そこから外に散歩に出たり、旅行をすることが重要ということだ。
 夜、市川さんがお茶を飲みに来る。彼とも2時間以上議論をする。